37. 深潜変域
薙雲の脇を掻い潜っていったチャフスモーク弾が不知火の眼前で炸裂した瞬間、それが自分を狙った精緻な射撃だと悠之歩は直感した。
――無茶するなぁ――
まるで自身の生身の脇腹をくすぐられたかのように、悠之歩の口許が綻ぶ。
鬼ごっこでは深和の狙いが完璧だったから悠之歩は彼女の射撃を躱せたが、それと同じことだ。悠之歩が確実に躱すと信じているから、深和も安心して悠之歩を正確に狙える。
――だったら止まれないな――
悠之歩の動きが鈍れば、悠之歩は深和の援護を邪魔してしまう。
――今は、二冬に僕を殺させたくない――
歩き続けるしかない。
深和がいるから、悠之歩は歩いてこられたのだ。
不知火から見て摘雪が薙雲で隠れるなり、薙雲の立ち位置が小さくずれ、それと同時に摘雪が不知火にチャフスモーク弾を撃つ。
傍から見れば一糸乱れぬ連携だが、内から見れば、悠之歩は自分の前に立った深和を躱して相手に迫り、深和は悠之歩に邪魔されるなり、外れるとわかった上で悠之歩に攻撃しているだけだ。しかも発砲の瞬間は摘雪の姿が薙雲で隠れているので、不知火はこの射撃に反応するのは難しい。
やがて悠之歩は、黒茶色の導波動を帯びた不知火に肉薄すると、刀を一閃させて相手の前腕を打った。音斬になっていないが、それで射撃が逸れて隙ができる。すると摘雪がもう1機の鉄色の導波動を帯びた不知火の前に立ち塞がり、発煙をオンにしたチャフスモーク弾で相手の視界を塞ぐ。
これで各個撃破の準備は整った。
深和の摘雪はチャフスモーク弾を撃つ砲身を備えた手で盾も持っている。つまり発砲の瞬間は盾で防御できず、機体のバランスも崩れているため通常より回避能力も低い。速やかに目の前の不知火を撃破して深和をカバーしなければ。
――このままじゃ二冬が死ぬ……やるしかない。
前の戦いの時と同じ轍を踏んではならない。
音斬を撃つための柔法の感覚は掴んだ。
迅速に無力化する。
悠之歩はまず相手を無防備にするため、精度より速度を重視した歩法に意識を集中する。一度でも死角に入ってしまえば、相手は薙雲を視界に捉えようとして旋回や方向転換を繰り返し、それがさらなる隙を生む。柔法を意識しながらの歩法に移るのはそれからでいい。
悠之歩は無理に相手との距離を至近距離にしようとせず、ブースターを操作しつつ歩法で重心をずらし、不規則な動きで不知火の射撃を躱す。
後から来た4機もどうやら最初の2機と共通の目的のために揃えられた機体らしく、どれも同じ武装構成のようだ。右腕の加速砲と右背面に背負った機関砲は導波動弾に対応したもののようだが、左背面の機関砲らしき武装は通常弾を撃つものなのか、どの機体も撃ってこなかった。そして左前腕にはブレードがある。
不知火は切れ切れに導波動弾を撃つが、そのほとんどは薙雲に当たらず、時折装甲を掠めてもほとんど損傷に繋がらない。
10機から同時に1発ずつ当てられるのと、1機から瞬間的に10発当てられるのでは、効力には雲泥の差がある。さらに、1機からの射撃でも、1秒以内に10発当てられれば損傷するような攻撃も、1秒おきに1発ずつ10秒かけて当てられたところで、都度都度波形の乱れが解消されてダメージにならない。
足を止めず常に相手の射線から外れていれば、被弾そのものは脅威ではない。
こうして不知火の攻撃を躱す内に、徐々に相手の動きが乱れ、薙雲を正面に捉えられない時間が増えてくる。悠之歩は薙雲の腰を落としながら意識的に柔法で脱力し、刀を振りかぶって、模擬戦で翔に音斬を当てた時のように鋭く踏み込む。
音斬を撃てる。
脚を斬れる。
――倒せる――
そう確信しかけた瞬間、前の実戦で逃げられた不知火の動き――悠之歩をあわや殺すところだった回転斬りが脳裏を過る。
はっきりと記憶を引き出す間もないまま咄嗟の動きで悠之歩が刀を立てた瞬間、予感通り不知火が左前腕のブレードを使って回転斬りを放ってきた。前回の戦闘では盾で防げた一撃だが、今回は刀しかなく、しかも防御の仕方も悪かった。
不知火のブレードは薙雲の右前腕を捉え、帯びた導波動が乱された装甲は浅いながらも裂け、衝撃で手放された刀が離れた場所に突き刺さる。
――くそが!
悠之歩の中の鬼が吐き捨てた。
―― 一度食らった技を警戒しないなんてバカか!? 学習しろ!
自分で自分を罵倒しながら、不知火が右手と右背面の武装で導波動弾を撃とうとする寸前、悠之歩は薙雲がバランスを崩した勢いを利用して機体を仰向けに倒れ込ませる。そして背面と両腿のブースターを使い、生身で後方回転受身を取る感覚を思い出しながら、背中を地面につけることなく一回転してその場を離脱した。
不知火も装骨格にそのような動きをされると思わなかったのか、射撃がすべて外れる。即座に姿勢を立て直しながら、悠之歩は左背面の鞘を展開し、左右に開いた鞘から予備の刀を抜いた。
これまで悠之歩が常に抱いてきた、「深和が実戦で死んでしまったら」という可能性が現実のものとなりかけたせいで、今まで以上に短絡的な思考になっていた。
――訓練でできたなら実戦でもミスるな、愚図が! ただでさえ弱いんだから!
そもそも、中途半端に防御しようとしたのが間違いだったのだ。音斬を撃つなら撃つで、それに徹していれば相手の回転斬りより先に脚を破壊するか、回転斬りと打ち合えば音斬の方が威力で優っていただろう。
鳴気流の術理は攻防一体であり、歩法と柔法を徹底していれば、攻撃と回避と捌きを共存させられる。しかし悠之歩は、音斬を撃とうとした時は攻撃のみを意識し、相手の回転斬りを察知した瞬間に至っては、あろうことか受け止めるという最悪の愚行を犯した。
稽古してきたものを何重にも裏切ったから、こんな失態になった。
努力は裏切らないのではなく、努力を裏切ってはならないのだ。
悠之歩は自分の迂闊さに苛立てから、すぐに「違う」と悠之歩は思い直す。
――稽古と実戦に境はない……僕にとって、戦いは非日常じゃなかった。日常の中でずっと想定してきた、日常の延長にあるものだ。そうやって稽古してきた――
再び歩法で不知火の死角に入り込もうとしながら、悠之歩は考える。
悠之歩にとっての日常は、息することと歩くことだ。
これらをずっと鍛えてきた。これらさえできれば、そこは常に悠之歩に日常だ。この2つを元にしたことなら何でもできる。
――そうだ、呼吸しろ……歩け……殺せ――
そしてそんな稽古を始めた理由は、他人の苦しみから目を逸らし、他人を救えない弱い自分を殺すためだった。深和の身を案じて逸ったところで、今までできなかったことがいきなりできるようになる訳がない。
誰かを想う気持ちだけで強くなれるなら苦労しない。
だから日頃から稽古してきたのだ。
もし戦いの中で悠之歩にできる成長があるとすれば、普段から鍛えてきた技能や術理を再発見・応用できるようになることくらいだろう。裏を返せば、実戦の中でできる成長を増やすために稽古し、材料を溜め込んできたとも言える。
ならば今この瞬間も他人のことを忘れ、自分の中にある鳴気流という骨格に心身を徹するべきだ。
今までずっとそうやって鍛えてきたからこそ、それが他人を守ることに繋がる。
誰かを守るためにそれが必要なら、悠之歩は他人を案じる気持ちすら殺す。
――弱い自分は自分で殺す――息する度に殺してきた――
血管に毒を忍ばせるように、死ぬかもしれない不安や恐怖に対する拒絶反応と反動で死力を尽くす。
――そうやって生きてきたんだ――
そういう鬼の道を歩いてきたのではないか。
不知火は切れ切れに射撃しながら転回し、薙雲を再び捉えようとしている。カウンターを匂わせ、それを警戒して足が竦んだところに機関砲を一気に浴びせるつもりのようだ。
――焦らなくていい……歩法を使って、呼吸を整える間を稼げ。
柔法も剛法も呼吸に合わせてできるはずだ。
ここしばらく、悠之歩もまた音斬に囚われ、そして流火という拡張された躯を使おうとするあまり、呼吸こそが原点であることを忘れていた。
深和に「本当にやりたいことは音斬なのか」などと問い詰めていた分際で、とんだお笑い種だ。
悠之歩は流火を操りながら、歩法の拍子を徐々に呼吸に一致させていく。
それと共に自然と、刀を持った左腕も歩法、引いては呼吸に合わせてゆらゆら揺れているように見えてきた。
――柔法と剛法で斬れる……刀を柔法で運んで、剛法で締める――喰い入るまでが柔法で、喰い込んでからが剛法――
導式加速筋、つまり脇腹から肩口にかけてが音速で動けばいいのだから、肘まで曲げて刀を大きく振りかぶる必要すらない。やはり、呼吸によって臍下丹田の感覚さえ追求すればよかったのだ。
刀を歩法や全身の回転に常に一致させていれば、小さくコンパクトに繰り出すだけでも、流火の全重も活かした斬撃を一歩一歩に付与し、攻撃も防御も回避もできる。
こうして呼吸を繰り返す内に刀を振ろうという意識が薄れていき、悠之歩は相手を中心とする渦のような軌道で不知火との距離を詰め始めた。
息を吐く度、息を吸う度、自分が何かの深みへと沈んでいくような感覚がする。
――深く息をしろ――丹田まで届くように、深く――
事ここに至り、悠之歩は彩音と共に模索していた上端変域のことを思い出した。
慣れたストレスをかけ続けていくことで脳内物質が分泌され、神経に刻み込まれた動作の再現にかかる認知コストが下がり、精度が増していく。それが導波動波形にも表れたのが上端変域だ。
だが悠之歩の意識には、上端というより深潜変域という呼び名がより適しているだろう。
――術理の海に潜る感覚――いける。
確信を伴う一歩で、悠之歩は遂に、薙雲の刀と不知火のブレードが触れ合う間合いの一線を踏み越えた。その瞬間、不知火は猛然と機体全身を回転させつつ導波動弾を撃とうとした。
しかし悠之歩は薙雲の核として、自らの身を微かに、しかし確かに激震させるように、「ふ」と一息入れた。
その瞬間、さして強くも大きくも刀を振っていないにも関わらず、衝撃波と共に音斬が放たれた。
そして薙雲の刀に触れた不知火のブレードは、薙雲を中心とする力の渦に巻き取られたかのように大きく姿勢を崩す。
――できた。
他人事のように、そしてどこかわかりきっていたかのように、悠之歩は確かめる。
自然体の呼吸の波に、丹田を緩めてから締める感覚と、刀の動きが合致しただけだ。
難しいことなど何もない。
もちろん、薙雲の機動によるGのタイミングによっては音斬にならないこともあるだろう。しかし裏を返せば、この呼吸を繰り返している限り、波長が合致した瞬間の一歩一歩すべてに音斬を付属させられるかもしれない。
――何だ、思ってたより簡単だな。
慌てて踏ん張ろうとする不知火に向けて、悠之歩は左足を軸にブースターを噴かし、重心をずらしながら抉り込むように不知火の背面に入る。そして右足が地に着くと同時に右の掌底を不知火も右脇腹に打ちつけた。音速ではないものの導式加速筋の速力を活かした一撃だ。それなりの衝撃が不知火を襲い、パイロットを揺さぶったのだろう。不知火が一時硬直する。
もう逃れられない。
当身でよろめいて浮いた不知火の右足が地に着く前に、悠之歩は薙雲の腰を落として姿勢を低くしながら、右手刀を不知火の右肘に引っかけ、刀を不知火の右脇に添えた。
鳴気流の技にはない形だ。
だが今この瞬間、自他が装骨格であることや、薙雲が刀を持っているからこそ、悠之歩の呼吸を妨げないままこの状態になった。
――呼吸、一歩――
悠之歩は左足に重心を移しながら右半身を時計回りに下げる歩法と共に、再度、呼吸に合わせて臍下丹田を圧迫した。
またも、目に見える大きな動きはないまま音斬が撃たれ、左手に持たれた刀が音速で不知火の脇に喰い込みながら、薙雲の右手は不知火の右肘を手繰り寄せる。
斬撃を複合した音速の投げ技が炸裂し、不知火は右腕をもぎ取られながら吹き飛ばされ、地面を転がり、うつ伏せに倒れ込んだ。
悠之歩は相変わらずの歩法でそれを追い、落ち着いて刀で音斬をもう一発撃ち、不知火の左腕も破壊した。これでこの機体は立ち上がれない。
そして悠之歩は、次の標的を見定めるべく視線を巡らせた。




