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鬼道ウォーカー  作者: 有多照
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2. 臍下丹田

「キミを呼び出したの、あたしなんだー。解析科2年の百白彩音っていいまーす。よろしくー」


「解析科1年、千秋悠之歩です」


「同じ学科なんて奇遇じゃーん。千秋くんは高校から奈笠にいるんだよね?」


 研究室の方に歩き出しながら彩音が言った。おそらく悠之歩が警備特区に提出したことのある導波動波形データの数から推測したのだろう。警備特区内に居住する骨格者は月に1度、5日連続で手にスマートウォッチ型の記録装置(ロガー)を着けて導波動波形を記録するので、警備特区内の奈笠第二高校から奈笠大学に内部進学した悠之歩の波形データは3年2ヶ月分記録されている。


 波形データは個人の名前や住所は特定できない状態で保存されており、奈笠警備特区にある研究機関と奈笠大学導学部の研究室、奈笠医科大学と奈笠医大附属病院は、研究のためそのデータバンクにアクセスが可能だ。


「はい。百白先輩は大学からですか?」


「うんー。導波動の研究が面白そうだから、頑張って勉強して入ったんだー。めちゃくちゃムズいけどー」


「最先端の分野ですもんね。大学でも研究され出したの、5年くらい前からですし」


「教授も色々手探りって感じはするよねー。さ、入って入ってー」


 彩音はドアを開け、悠之歩を第32研究室に招き入れた。


 狭い部屋だ。入口から見て右の壁際にあるスチール製の棚は、学術書やファイル、コーヒー用品で埋まっている。左側には2台のパソコンと電気ケトル、デスク、キャスター付きの椅子が、奥には3人掛けのソファーがあり、いくつもの段ボール箱が積まれた床は人一人が通れるほどのスペースしかない。


 デスクの上にはコーヒー豆とフィルターがセットされたドリッパーと、コーヒーサーバー、そして2つのカップが置かれている。


 彩音は悠之歩にソファーを勧めてから、サーバーに少量の湯を注いで温め、湯をカップの方に移してからドリッパーをコーヒーサーバーに載せ、注ぎ口の細いケトルでドリッパーに湯を注いだ。わざわざ容器を温める辺り、コーヒーの淹れ方には拘っているらしい。


「この研究室ってどんな研究してるんですか? 大学のホームページには、詳しいことが書かれてなかったんですけど……」


 悠之歩が聞くと、彩音は淀みない手つきで「の」の字に湯を注ぎながら答えた。


「うちの珠城教授は教授になったばっかでねー。研究室も、ホントはまだ正式には動いてないんだー。でも教授が企業と共同研究するってなって、急遽この部屋を割り当てられたって訳。研究分野は、運動生理学って言ったらいいのかなー。ヒトが運動した時のストレスを、導波動波形から研究すんの」


「難しそうですね……」


 導波動は人体から発せられるエネルギーであると同時に、磁気的な性質を持った、言うなれば生体磁気の一種だ。そしてこの導波動は、運動や栄養摂取、疾病、加齢、疲労、負傷、精神的ストレスなどによって起こる神経の電気信号や血流、リンパ液、脳波、体内物質(ホルモン)などの影響で波形が変動する。


 導学部解析科はこの波形変化を通して人体や精神を研究・教育する学科であり、導波動波形を疾病や外傷の研究や治療に役立てる医学分野とは別に、人間工学や心理学の分野に導波動を応用している。


「でも結構面白いよー? どんな運動が一番ストレス解消になるか調べたりとかー。あと、ランナーズハイの研究とかもしててー」


「マラソンとかでなるやつでしたっけ」


「そー。ゾーンって呼ばれたりもしてるかなー。ずっと運動してると、頭がふわふわしてパフォーマンス上がるってやつ」


 彩音はドリッパーにコーヒーを注ぐ手を止めないまま言った。


「――千秋くんの波形データも、かなり良いサンプルになりそうなんだよねー。朝晩合わせて1日4時間くらいやって、週5くらいでハイになってるでしょー」


「……あらぬ疑いを招きそうなので、もうちょっと他の言い方をしてもらってもいいですか」


 そう言いつつも悠之歩は、彩音が悠之歩のプライバシーに踏み込んでいるとは感じなかった。


 導波動波形を提供している以上、悠之歩が普段している稽古を把握されるのは織り込み済みだ。稽古内容を知られること自体が不都合だとも思わない。むしろ、悠之歩が稽古をすることで悠之歩に何かを見出す者がいるのか、その可能性の方が気になったから、波形計測期間中も習慣を変えず稽古することにしたのだ。


「あはは、ごめんごめんー。今の言い方だと危ないクスリやってるみたいかー」


 一度手を止め、彩音はドリッパーからコーヒーが落ちるのを見ながら軽く詫びる。


「……それで僕を呼び出したんですか? 研究テーマと被ってるから」


「あ、それはまた別件でー。千秋くんを呼んだのは、企業の共同研究の方なんだよねー。涼羽(すずは)精工って会社は知ってる? 導波動の計測機器とか、精密機器のメーカーなんだけど」


 彩音はまたドリッパーに湯を注ぎながら言った。


「名前くらいなら聞いたことあります」


「その涼羽精工からの依頼でねー。お腹の深層筋(インナーマッスル)が発達した骨格者を探してるんだー」


「深層筋……」


 ――臍下(せいか)丹田(たんでん)のことか?


「ただ、この発達度合いの要求水準がめちゃくちゃ高くてー。武道とかスポーツやってる人でも、なかなか届かないんだよねー。それで奈笠にいる骨格者全員のデータを解析して、やっと千秋くんを見つけたって訳」


「発達してるって、筋力のことですか?」


「導波動波形が大きく変化してるって意味かなー。でも、深層筋を使い慣れて神経が発達すると波形が大きくなるから、結局は筋力も含むけど。どちらにしろ、相当鍛えてないといけないんだよねー。その点、千秋くんはかなり使い込んでるでしょー」


 彩音はようやくドリッパーからコーヒーを落としきり、カップのお湯をケトルにもどしてから、コーヒーサーバーのコーヒーをカップに注いで悠之歩に渡す。


「日常生活でずっと、呼吸する度に深層筋に負荷かけてるじゃん? 週5のトレーニングをやってない日も」


「……導波動の波形からそんなこともわかるんですね。びっくりしました」


 悠之歩はコーヒーカップを受け取りながら聞いた。


「びっくりしたのはこっちっていうかー……あまりにあり得ん波形だから、フィルタリングとかミスったんじゃないかとテンパっちゃったんだけどー。ご飯食べる時と寝る時以外、ほぼずっとこんな息の仕方してんの?」


「慣れると結構やれるもんですよ」


「そもそもやろうと思わないって話なんだけどー」


「それより、その涼羽精工は深層筋の波形で一本釣りしてるんですか? マニアックですね」


「あたしもそう思うけど、マニアックな鍛え方してる千秋くんには涼羽も言われたくないんじゃないかなー」


 彩音はそう言ってから、自分のカップに注いだコーヒーを一口飲んだ。


 それを見て悠之歩は手元のカップの、(かぐわ)しく、黒く、そこの見えない液体に視線を落とす。


「……最終的に、導波動波形の変化量をクリアしたのは僕だけだったんですか? 他にもいませんでした?」


 脳裏に1人の女子の顔が浮かび、悠之歩は尋ねた。


「千秋くんよりちょっと変化量小さかったけど、2人いたよー。でもその2人は、涼羽の方でもうコンタクト取れてるんだってー。誰か知り合いに心当たりあった?」


「知り合いかどうかも微妙なんですけど……一応、1人」


 根拠はないが、彼女も選ばれたのではないかと直感が告げる。


 悠之歩が昼も夜もなく鍛え上げてきた臍下丹田を必要とされる分野で、彼女と同じ土俵に上がることになるかもしれない。そして、そんな風に悠之歩たちが招かれるとしたら、それはどんな舞台なのだろうか。


 肚の底が疼くような感覚を覚えつつ、悠之歩は彩音に聞いた。


「涼羽精工は、深層筋の導波動を何に使うつもりなんですか?」


「機密だとかで、本人にしか話せないんだってー。で、警備特区のデータベースにある波形は個人情報と紐づいてないじゃん? だからあたしからは涼羽のことだけ話して、興味あれば顔合わせして、詳しく説明してもらえるって流れ。顔合わせ自体が嫌なら、あたしから断っとくよー」


 警備特区内の研究機関や大学研究室が導波動波形を解析し、その持ち主からさらにデータを集めたい場合、警備特区のデータ管理部門に申請を出し、専用のメールアドレスに呼び出しメールを送って本人の同意を得なければならない。これが悠之歩にも届いた呼び出しメールだ。


「……いえ、顔合わせには行きます。僕も気になるので」


「わぉ、マジでー? さんきゅー! じゃあ行きますって言っとくね!」


 彩音は「肩の荷下りた~」と言いながらパソコンでメールの送信らしき操作をした。


 そんな彩音を尻目に悠之歩はカップを持ち上げ、コーヒーを口に含む。


 口腔内を満たしたコーヒーの香りはたちまち鼻腔を抜け、喉を通って飲み込まれた後もナッツを思わせる風味が余韻の如く残った。


「……美味(うま)っ」


 思わず声を漏らすと、彩音は少し驚いたように悠之歩の方を見てから噴き出した。


「そうでしょー? 豆にはこだわってるんだー」

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