29. 鬼哭啾々(前編)
「――で、深和ちゃんと何かあったのー?」
深和が武道場を出て少し待ち、彩音が悠之歩の方に歩み寄ってきて言った。
「何もありませんけど……」
「嘘だぁ」
「いや、本当ですって……多分」
悠之歩は彩音に渡された自分のタオルで汗を拭い、顔を埋める。
深和のモチベーションを折るべきか否か。
そのことに答えを出せないまま、深和を倒すためでもなく、接待でわざと負けるでもなく、ただひたすら鳴気流の術理に没頭して乱取りを終えた。だが、あの終わり方が深和にとってどんな影響を与えたかはわからない。
挫折させることになってしまったのだろうか。
そもそも役に立つようなものでないと割り切れたのだろうか。
もしくは深和なりに成長のとっかかりになったのか。
赤の他人からは窺い知ることなどできない。
「えー……? でも何もなきゃ、女子が男子と乱取りなんかしなくなーい?」
「それは僕も思いますけど……」
音斬や流火のことは機密なので、彩音に詳しく話す訳にはいかず、悠之歩はどうはぐらかそうか考える。
すると彩音は、悠之歩の傍で畳みの上に腰を下ろして尋ねてきた。
「千秋くんと深和ちゃん、高校で同級生だったんだよね?」
「はい。偶然ですけど、三年間同じクラスでした」
悠之歩も正座し、彩音に視線の高さを近づけて答える。
「へぇ~。仲良かったの?」
「いえ、特には。喋ったこともほとんどありません」
「千秋くんがシャイだから?」
「それもありますけど……二冬は、休み時間も教室で勉強してましたから」
「勉強? 学校の教科?」
彩音が目を丸くした。
「だと思います」
「ストイックだけど、休み時間も勉強はやり過ぎじゃないー? クラスで浮いたりしなかったの?」
「1年の初めは、そんな雰囲気もありました。でも他人とはちゃんと話すし、物腰も丁寧だからか、受け入れられてましたよ。高嶺の花……とはちょっと違うけど、孤高って感じで」
「確かに深和ちゃんかっこいいもんねー。女子にモテそう」
「モテてましたね。必要な努力をして、結果を出して、自分の生き方を周りにも認めさせてて……だから良くも悪くも、みんな邪魔しようとしなかったんです」
高校に入った直後は、休憩時間も教科書や参考書を広げる深和に、陰でガリ勉だの付き合いが悪いだのと言って輪から外そうとする者もいた。
ここでもし深和の方も「自分は勉強したいから放っておいてくれ」という空気を漂わせ、他人を蔑ろにしていれば、間違いなく孤立していただろう。しかし深和は、能動的・積極的にコミュニケーションを取ろうとはしなかったが、声をかけられれば同期相手にも丁寧語を崩さず真摯に応対した。あくまで他人と話す時間以外を勉強に費やしていただけだったのだ。
また、寮で同室だった女子の話だと、ジムが閉まった後は部屋で勉強し、毎日22時には就寝して、朝6時にはランニングに出ていたらしい。
深和がそこまでして努力していた理由はわからない。ただ、彼女が常に何かしらの鍛錬を己に課し、相応の結果を出してきたのは厳然たる事実だ。だからその弛まぬ鍛錬には批判の余地が一切なく、彼女を否定すれば自身の品位を貶めることになるばかりか、他の大多数に攻撃される可能性すらあると誰もが理解していた。
こうして深和は、排斥による孤独ではなく、敬意からの孤高の地位を勝ち取ったのだ。
誰にも悟られないよう密かに呼吸を稽古としていた悠之歩からすれば、正論のような鍛錬を見せつけ、他人にそれを認めさせる深和は、清く、美しく、眩しかった。
「そっかぁ……」
彩音は感心したように頷いてから、「ふふっ」と笑った。
「……惚れてる~ぅ」
彩音がおどけた口調で言う。
「そう見えます?」
「だって千秋くん、鳴気流の話をした時くらい口数増えたしー」
「言われてみれば確かに……ファンだからですかね」
悠之歩は素直に認めた。
「二冬を見てたら、『人ってこんなに頑張れるんだ』って……自分ももう少し頑張ろうって思えて。そんな人が近くにいるなんて、ラッキーじゃないですか」
だから、そんな努力をしてきた深和に報われて欲しいと、そして戦場で無為に死ぬようなことなどあって欲しくないと思い、流火のテストに参加したのだ。
「千秋くん側の気持ちはよくわかったけどー。深和ちゃん側は、別のこと気にしてるんじゃない?」
「別のこと?」
「千秋くんの稽古を見たがったり、乱取りしたがったり、かなり意識してるじゃん? で、千秋くんたち今、涼羽で装骨格使ってるでしょ? そこで千秋くんの方が活躍してて、深和ちゃんはうまくいってなかったりしない?」
彩音の正鵠を射た予測に、悠之歩は図星を突かれる。
「……よくわかりますね」
「大分わかりやすいと思うけどー。高校時代のこととか知らないし、先入観ないからかもねー。あたしが知ってる一面だけだと、深和ちゃんは負けず嫌いに見えるかなー」
「二冬はそんな勝ち負けに拘るタイプじゃ――」
ない、と言い切る前に悠之歩は口を噤んだ。
深和は鬼ごっこでは積極的に攻撃し、悠之歩が模擬刀を取り落とした時も、模擬刀を拾われるのを即座に阻止して勝つためのアクションを起こしていた。勝負に全力で徹するマインドを持っていなければ、あそこまで躊躇なく動けないだろう。
高校時代、定期テストや体力測定で好成績を出しても目に見えて喜んでいなかったので、彼女が勝負事に無関心だと悠之歩は勝手に思い込んでいた。だが、もしかすると当時から、他者を打倒したことに目立った反応を見せなかっただけで、打倒することには貪欲だったのかもしれない。
「仮に負けず嫌いなら、千秋くんじゃなく、鳴気流に負けたと思いたかったかもねー。実際、部外者からしたら、鳴気流って特殊に見えるしー」
彩音のその言葉で悠之歩は、乱取りを迫る深和の態度の理由がわかった。深和は、悠之歩が流火を使いこなし音斬を撃てる原因が「悠之歩にしかない素質」ではなく、「極めて特異かつマイナーだが強力な鳴気流という術理」にあると確かめたかったのだ。
「というかさー。前に千秋くん、『他の武道とか格闘技がピンとこなかった』って言ってたじゃん?」
「はい」
「何で?」
率直かつ鋭い彩音の疑問が、悠之歩の中心にある軸のようなものに突き立った。




