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27. 高嶺の花と大輪の花

 憂鬱な表情のまま、悠之歩は大学の体育館の更衣室で道着に着替えていた。


 初の実戦を終えてから1週間、頭蓋の裏側に焦げついたかのように、ある考えがつきまとい続けている。


 ――今のままだと、二冬は実戦で死ぬんじゃないか?


 流火のテストに参加する前は、「装骨格で戦うと死ぬかもしれない」くらいの茫漠とした認識しかなかった。しかし実戦を経験し、喉元に死の刃が迫るのを感じたことで、違法装骨格と戦って死ぬというのは「かもしれない」ではなく「あり得る」ものに変質した。


 ――……いや、僕ごときが勝手に決めつけるな。二冬が弱いかどうかなんて、今ここで断定できることじゃないだろ。流火が完成すれば、誰でも音斬を撃てるようになるんだし……。


 深和が将来使うとしても、今のままの流火ではないだろう。そして深和自身も、さらに訓練を積めば遥かに強くなっていてもおかしくない。


 とはいえ、音斬を撃てれば安心という訳ではない。


 深和に適した体系的な格闘戦の技術がないため、音斬の間合いまで持ち込むことも、間合いに持ち込んでからの立ち回りも隙が多いのだ。


 格闘技術に関しては、悠之歩や燎のような武術経験が必須ではない。翔の戦術には格闘技の要素は一切なく、燎の間合いの戦い方もそれ自体は師から学んだものではないらしい。さらに言えば、武術経験があってもそれを装骨格で再現できるかも流派次第だ。


 つまり音斬を撃てるようになったとて、深和が格闘戦で優位に立ち、相手に音斬を当てられるかは、ただ武術や格闘技を習えば解決する問題でもない。


 それを自覚しているからこそ、深和も苦悩しているようだ。


 ――たまたま実際戦ったくらいで、調子に乗るな……そもそも、二冬を止める権利なんて僕にない。僕は、二冬を送り出すために流火を使い始めたんだから……。


 しかし、一度意識に根を張った悩みはなかなか抜き去れず、鬼の声が反響するかのように幾度となく考えてしまう。


 悠之歩は荷物をしまったロッカーのカギを閉め、いつものように彩音のデータ収集のため武道場に向かう。


 その途中で、ウェイトトレーニングの器具などがあるジムに見知った人影を見かけ、悠之歩は足を止めた。


 ガラス張りのジムの一角にサンドバッグが吊るされており、半袖長ズボンのタイトなトレーニングウェアに身を包んだ深和が、鋭いステップと共にそれを打っているのだ。


 高校生の頃から続けているのか、流火のテストパイロットになってから始めたのかはわからない。ただ、深和の動きは機敏かつ無駄がなく、かなり様になっている。


 すると間もなく深和はサンドバッグを打つのを止め、グローブを外してベンチに置いていたタオルと長袖のジャージ、スポーツドリンクのペットボトルを持ってジムから出て来た。


「えっと……お疲れ、二冬」


 悠之歩が声をかけると、深和は少し目を伏せて言った。


「……こんにちは」


「今日はもう上がり?」


「いえ、これから外を走って終わりです」


 長袖のジャージを持っているのは、暑い屋外で走る時の日焼け予防や冷感のためのようだ。


「千秋くんは……武術の稽古ですか?」


 深和が悠之歩の出で立ちを見て尋ねた。


「半分はそう、かな。解析科の研究室のデータ収集があって、その一環で、いつもの稽古をしてる。僕の波形を見つけた研究室なんだけど」


「最初の説明の時、一緒に教室に来た人ですか?」


「うん」


「普段の稽古……それ、見学させてもらうことはできますか?」


 ――音斬を撃つヒントが欲しい、とかかな?


 音斬を撃つのに必要なのは、全身を脱力させてから丹田のみを瞬間的に圧迫する技術だ。悠之歩は鳴気流の柔法と剛法を活かし、燎も居合や槍の経験からこれを自在に操っている。この情報自体は模擬戦後の感想戦などで共有しているのだが、実際の感覚のノウハウは深和にはない。


 そして、格闘戦の立ち回りを模索したい気持ちもあるのだろう。


「僕は構わないけど……研究室の先輩にも聞いてみようか?」


「お願いします」


 悠之歩は深和を連れ、武道場に入った。


「ありゃ。千秋くん、ここ来る途中でナンパされたの~? 袴姿、かっこいいもんねェ~」


 彩音が深和を見て、囃し立てるように、悠之歩が初めて聞く口調で言った。


「いや、そうじゃなくて……高校の時の同級生が、稽古を見学したいそうです」


「それもある意味ナンパじゃん?」


「まぁ、言い方は様々ですけど……二冬、こちらが解析科二年の、百白先輩」


 生真面目な深和にナンパという単語は受け入れられなさそうに思え、悠之歩はひやひやしながら紹介する。


「はじめまして。法学部1年の二冬深和です」


「導学部解析科2年の、百白彩音でーす。はじめましてなのかなー? 前に、矩場さんと空き教室にいたよね?」


「はい。千秋くんの深層筋の波形は、百白先輩が見つけたと聞きました」


「まぁね~」


「涼羽が依頼したのは、教授じゃないんですか?」


「えっとー。涼羽に依頼されて、理論とか手法を考えたのは教授だねー。どの神経、筋肉、内臓が、どう影響してるかとか。どういう手順で波形をフィルタリングすれば、目当ての情報だけ抜き出せるかとか。それを元に、骨格者ごとに条件を調整して、実際に波形を分析したのがあたし」


「そうだったんですね」


 2人が話すのを見た悠之歩は、ふと、高嶺に咲く一輪花を摘んで、花々が咲き乱れる温室に持ち込んでしまったかのような落ち着かない心地を覚えた。


 彩音と深和は人柄も外見も好対照で、同じ環境で共存できない種のようでもあり、彼女らが同室に存在することでどんな展開が起こるか読めない。


「深和ちゃん、ボクシングやるのー?」


「いえ……最近、サンドバッグを打つようになったので」


「ストレス解消になりそー」


「……そうですね」


 ストレスの原因を解決できていないらしい深和は、適当に相槌を打った。


「深和ちゃんは、何で千秋くんの稽古を見学したいのー? 涼羽関連?」


「……単純に、深層筋が強い理由が気になったからです。千秋くんに武術経験があると、高校時代は知らなかったので」


「そっかー。見学は問題ないよー。千秋くん、今日はいつもと順番逆にしてやってくれる?」


「逆って、稽古の内容をですか?」


「うん~。慣れたことを、慣れない順番でやって欲しいなーって」


「わかりました」


 悠之歩は頷き、カメラの録画が始まると膝行しながらの技から入った。


 いつもと技の流れが異なるものの、それによって動きが滞ることはない。


 しかし、深和に稽古を見られることが妙に気になった。深和の視線そのものではなく、普段は稽古によって忘れようとしている雑念や不安の源が傍にいることで、稽古に没頭できているのに、深和の気配を感じてしまう。


 身体は淀みなく動くのに、意識の隙間に冷たい風が吹き込むような心地を覚える。


 1時間弱の稽古の間、深和は黙ってそれを見学し、やがて悠之歩の稽古がひと段落する。


「どうだったー?」


 隣に座る深和に、彩音が尋ねた。


「何というか……独特な動きでした。千秋くんは、いつもこの稽古をしてるんですか?」


「うん、週5でやってる」


「これで深層筋も鍛えられるんですね」


「そうと言えばそうなんだけど……」


 呼吸法のことをどう説明したものか悠之歩が言葉に詰まると、彩音が助け舟を出した。


「千秋くんってば、四六時中、呼吸の度に腹圧上げてるんだよー?」


「四六時中?」


「そ~。授業中とか、移動中とか。ご飯食べてる時と寝る時以外、ずっとだってー」


「呼吸の度というのは……?」


 深和が目を瞠りつつ悠之歩に言う。


「えっと……吐くのに合わせて丹田を締めて、吸っても緩めないとか。逆に、吸いながら締めて、吐きながら緩めたりとか……組み合わせは色々。これくらいなら、いつでもどこでもできるから」


「だからっていつでもはやらなくない~? ね、深和ちゃん」


「それは……そうですね」


 深和が悠之歩から目を逸らす。


 ――え、引かれてる?


 悠之歩は軽くショックを受けた。


「……この千秋くんの稽古が、研究に役立つんですか?」


「そうだねー。割と色々なパターンは記録できたし。欲を言えば、乱取り? とかで、誰か相手に技かける時の波形も気になるかなー」


「乱取りって……相手いませんよ」


「柔道部員とか相手だと、やりにくい?」


「柔道での乱取りと、ルールとか違うかもしれないので」


「そっちかー。事前にある程度打ち合わせたらどう?」


「スパーリングみたいな感じですか? そういう感じなら……できなくはない、のかな……?」


 悠之歩が考え込むと、不意に深和が言った。


「――私がやります」

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