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12. プロメテウスの再犯

「お疲れ様ー」


 カメラと三脚を片付けてから、彩音がスポーツドリンクを悠之歩に渡した。


「……ありがとう、ございます」


 話しながらの稽古で喉がからからに渇いていた悠之歩は、息も絶え絶えに礼を言ってから一息にボトルの半分ほどを飲み干した。


「今日は上端変域ハイエンドに届かなかったねー」


 彩音がノートパソコンで導波動波形を見て言った。


 脳内物質が分泌され、筋肉の不必要な緊張がなくなり、馴れた動きの実行にかかるストレスも減って、神経の伝達効率が上がる。すると、馴れた動きをする際の導波動波形変化を妨げる要因が減り、思考や動作がより洗練されていく。


 彩音はその状態を上端ハイエンド変域と呼び、そうなった時の導波動波形の特徴や、上端変域に入る条件を見極めようとしている。


「無理でしたね……いつも通りの呼吸をしにくくて」


 極力鼻で深呼吸し、心拍数などを抑えるよう努めながら悠之歩は言った。


「やっぱり、普段と違う頭の使い方するとストレス大きいかー」


「僕の稽古と相性が悪いかもしれません」


「そういうのも含めて調べたいねー……というか、合気柔術ってさー。あたしは聞いたことないけどー……珍しいよね?」


 彩音は、悠之歩の反応を窺いながら尋ねてきた。


「マイナーですね。連盟とかないし、他の道場との試合もありません」


「何で鳴気流に入ったのー?」


「他の武道とか格闘技がピンとこなかったのと……平たく言うと、師匠の技に惚れたからです。若い門下生に殴りかかられても、それを躱して、相手に触れたまま歩くだけで倒すんですよ。僕が入った時、もう70歳くらいだったのに」


「へぇ~、すっご。千秋くんも同じことできる?」


「まさか」


 悠之歩は笑い飛ばした。


「僕なんて、まだまだ全然です。呑み込み悪いですし」


「そーなの?」


 鳴気流、引いては武術の動きは、悠之歩が鳴気流に入門するまで当たり前にしてきた動作とまったく異質だった。


 生傷ができるような荒い稽古はしていないのに、慣れない歩法を練習し続けたことで足は紫色に腫れて痛んだほどだ。


 腕や脚の動かし方、腰を落とす深さ、視線の向き、僅かな姿勢の乱れ、余分な力が入っている筋肉の箇所まで細かく指導されても上手くいかない。正しい手順で技の動きをすれば兄弟子たちは受身を取ってくれるが、それは稽古だからだ。実戦で悠之歩の技は通用しない。


 術理が骨身に沁みておらず、肉体が鳴気流に最適化されていないのだ。


 やってもできないし、いつかできるようになるのかもわからない。


 楽しくなくて、稽古すればするほど弱くなっていくようだった。


 僅かな鍛錬で術理を体得できる者や、学ぶ以前から既に術理に適した心身を持つ者を天才と呼ぶならば、悠之歩は悲しいまでに凡人の域を出なかった。


「はい。丹田――深層筋のことも、全然わからなくて。『これが丹田か!』って感覚がわかったのも、四年くらい稽古してやっとです」


 鳴気流に入門して四年ほど経ち、中学1年生になってからのことだ。


 ある日の稽古でいつもと同じように師匠に掴みかかり、姿勢を崩され、畳に叩きつけられながら、これまで気づかなかった何かが肚の奥にあるのを感じた。


 単に腹直筋が力んでいるのではない。


 そのもっと奥に、小さい一点がある。


 体勢を崩され、アルミ缶をぐしゃぐしゃに潰すように畳に落とされた瞬間、悠之歩は自分の全身がその一点へと圧縮され、極小の粒になるように感じた。


 これが師匠たちの言う臍下丹田だと、その時ようやく気づけたのだ。


 鳴気流の稽古で幾度となく全力で肉体を駆り、筋肉の急激な圧迫と弛緩を繰り返す内に、知らず知らずの内に丹田が鍛えられていたらしい。そして師匠に投げられたことが引鉄となり、悠之歩の中で育っていた未知の自分を知ることができた。


 以来、柔法の一端を掴み、日常生活の中でも呼吸に合わせて腹圧を上げれば、師匠に崩されて投げられた時のように丹田に負荷をかけ、「稽古」できるとわかったのだ。


「師匠の技って、『実戦だったら殺されてるけど、稽古だから殺されてないだけ』、みたいな感じで……だから何千回も何万回も投げてもらって、それで生まれ変われて、どうにか丹田がわかりました。とんだポンコツです」


 悠之歩はそこまで言ってから、ふと彩音の顔を見た。


 まじまじと悠之歩を眺めていた彩音は、悠之歩と目が合うと噴き出し、今までで一番大きく朗らかに笑った。


「千秋くん、鳴気流と師匠さんの話になると、めっちゃ饒舌じゃ~ん」


「すみません……さっきの解説の勢いが残ってるのかも」


「あたしも話聞きたいからいーよー。鳴気流って何年やってるのー?」


「小3からなので……10年くらいです」


「10年って……もしかして、プロメテウスの再犯がきっかけ?」


 プロメテウスの再犯。


 俗にこの名称で呼ばれる事件は、10年前の2015年7月4日、日本を含め世界13ヶ国で同時多発的に発生した世界初の装骨格犯罪だ。


「いえ、鳴気流の方が先でした。入門が春で、あの事件は夏でしたから」


「あ、そうなんだー」


「言われてみれば、先月でちょうど10年ですか……」


「世界って、10年でここまで変わるものなんだねー」


「それくらいインパクトがありましたから。いきなり装骨格が現れて、たくさんの人が犠牲になって……そのせいで、緋導鋼とか導波動の存在が世界中に知られて」


「プロメテウスの再犯の被害、日本は特に酷い部類だったよねー。自衛隊基地も攻撃されたし、新幹線のは、人数も規模も桁違いでー」


「だからこそ、自衛隊はおろか、民間警備会社もすぐ装骨格を使えるようになりましたよね。日本にしては随分思い切ったっていうか……警備特区ができたのも早かったですし」


 事件に使われたのは、今の人型の装骨格とは異なり、装甲車のような車体に鳥脚状の二本足が生えたような、いわばプロトタイプ装骨格とも言える代物だった。


 33機のプロトタイプ装骨格は、13ヶ国33ヶ所で、日本時間午前10時にほぼ同時に活動を開始。高速鉄道や病院、軍事基地、国会議事堂、観光名所、発電所、空港、ホテル、油田、金融機関、世界的大手企業の関連施設などが攻撃された。


 日本では、3機のプロトタイプ装骨格が3ヶ所で破壊活動を行った。攻撃対象は、陸上自衛隊基地、大型商業ビル周辺、そして走行中の新幹線だ。新幹線に至っては、導波動を帯びた緋導鋼製のブレードによってすれ違い様に両断され脱線し、合計で1000人を超える死傷者が出た。


 このような攻撃を事前に察知し防止できた国は1つとしてなかった。理由は単純で、当時まだ緋導鋼も導波動も存在を知られておらず、各国に持ち込まれて組み立てられたプロトタイプ装骨格はガソリンも火薬も使われていなかったからだ。プロトタイプ装骨格唯一の武装であるブレードの形状が偽装されていれば、プロトタイプ装骨格を「危険物」と認識することはほぼ不可能だった。


 アメリカやロシア、イギリス、中国などの大国ですら、プロトタイプ装骨格による攻撃を予防できず、軍隊が出撃し応戦しても、導波動を帯びた緋導鋼の装甲を破壊できなかった。33機のプロトタイプ装骨格はどれも1時間以内に活動を停止したが、それらはすべて、操縦ミスによる転倒や落下、瓦礫に挟まれるなどして身動きを取れなくなったか、パイロットが機体を放棄して逃走したからだ。


 こうして緋導鋼と導波動、装骨格がいかに強力なものかが世界に知れ渡り、攻撃を受けた各国はプロトタイプ装骨格を回収。実行犯の大半を逮捕したが、首謀者はについての情報は得られず、黒幕の声明も発信されないまま10年が経過した。


「……装骨格といえば、さー」


 彩音は、悠之歩の反応を窺いながらそっと尋ねてきた。


「千秋くん、最近装骨格使ってる?」


「何でわかったんですか?」


 申し訳なさそうな表情の彩音から目を逸らし、悠之歩は言った。


「導波動の波形見た感じ、肩とか首が凝ってるみたいで……これ多分、装骨格の操縦のせいかなって。ほら、矩場さんは涼羽精工の人じゃん? 親会社の方だから、最初は装骨格関係ないと思ってたけど……あたしのせいでヤバい事件に巻き込まれたりしてたら、どうしようって」


「矩場さんには強制されてないし、危険なことは――まぁ、ありませんよ」


「今ちょっと迷わなかった?」


 無意識とはいえ流火の音斬で氾火を壊し、深和がすんでのところで負傷しそうになったことを思い出して悠之歩は少し言い淀んだ。しかしあの件は悠之歩がイレギュラーな動きをしたせいなので、矩場のせいどころか、強いて言えば悠之歩に落ち度がある。


「それに、僕自身やりたいことがありますから」


「装骨格使いたかったの?」


「そうではないんですけど……」


 悠之歩からすれば、装骨格の操縦を覚えたり自衛隊や公認三社に入ったりすれば違法装骨格が怖くないなどとは、到底考えられない。本当に危険なのは、自分が装骨格を使えない状況で装骨格犯罪に襲われた時だからだ。


 もちろん装骨格の訓練を通して学べることは多かったが、あくまで知識が増えたに過ぎない。


「とにかく、百白先輩のせいで何か悪くなったりはしてません。気にしないでください」


「うん……ありがと」


 彩音は、両頬をぎこちなく引っ張るようにはにかんだ。

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