花摘む少女
花を摘むのが大好きだった。
山奥の、私が育ち生きている小さな村。それぞれの家で作物を作り、できた作物を分け合って生活している。
山にある『傷に塗る薬草』や『煎じて飲めば病に効く葉』等のおかげで、ほとんどの人が天寿を全うできる、そんな村。
私は今日の仕事が終わると、本格的に暗くなる前にいつものように山のお花畑へ向かった。
お花畑は今日も美しい姿で、私を出迎えてくれた。私は一本一本、優しくお花を摘んだ。
「花を摘むっていうのはね、命を摘むってことなの。いたずらに摘まないで、大切に摘みなさい」
母から聞いた教えを守るように。
この花の香りには、苦痛を和らげる効能がある。私は病に伏せる彼のために、この花を摘んでいた。
小さなころから体が弱くて、家からも滅多に出られない、彼。
ある日、彼は自分の家の前で苦しそうに倒れていた。偶然通りかかった私は、彼を家に入れてベッドに寝かせてあげた。彼のことは話だけは聞いていたが、会ったことはないから話をしたことはなかった。
容態が急変する可能性もあるので、家族の人が帰ってくるまで傍にいてあげることにした。
彼とたくさん話をした。いや、それは会話というより、私の話すことを彼が聞いていた感じだった。面白くもない話だったかもしれないけれど、それでも、外に出られない彼にとっては楽しかったのかもしれない。
彼の家族が帰ってきたので、私は事情を話して帰ろうとした。その時——。
「ねぇ」
彼が、私を呼び止めた。
「また、話を聞かせてほしいな」
それから、私は時々この花を摘んで彼の元へ通っている。
花を摘み終わった私は、彼の元へ急いだ。彼に会うのは私の楽しみになっていた。彼との話が楽しいからだけではなくて、これはきっと——。
彼の家に着くと、なにか様子がおかしかった。村の人が何人か集まっていた。
「どうか、したんですか?」
その中のひとりに聞く。
「ここのボウズの容態が悪いらしい」
私は摘んだ花を落としたことにも気が付かずに、急いで人の群れを掻き分けて彼の家の中に入った。
苦しむ彼。ベッドの近くにいるお医者さんと、彼の家族が目に入った。
その光景に呆然としていた私に、彼の母親が気付いたようで、私の傍に寄ってきてくれた。
「ああ、あなたはいつも来てくれている——」
彼の母親も息子のことで相当疲弊しているようで、まるで一気に老け込んでしまったように見えた。
「ごめんなさいね。できれば、今のあの子の姿を見ないでやってくれるかしら。あの子は、きっとあなたには見られたくないだろうから」
病状の悪化。彼とは会えない。受け入れることができなかったのか、私はすぐには動けなかった。
「お願い」
彼の母親が精一杯の想いを込めて言った言葉で、ようやく私は時間を取り戻したように動いた。静かに家を出て、来た時とは逆にゆっくりと人の群れを掻き分けながら離れていく。
どこへ向かっているのかも分からずに、ただ歩き続けた。
歩きながら、考える。
みんなの、あの深刻な表情。
きっと、もういろいろと手は尽くしたんだ。
薬草も、あの葉も、なにもかも。
死ぬ?
彼が?
彼の家と集まった人たちから大分離れると、私は地面に膝をついて泣いた。立ってなどいられなかった。
どうして?
もう、どうしようもないの?
あっ!
あることを思い出した瞬間、私の涙は止まった。
山頂付近。
「山の頂上の近くまでは、けっして登ったら駄目だからね」
「どうして?」
幼いころの、私と母の会話。
「そこにはね。あるお花畑があるの。そのお花畑の花は、摘むことができればどんな病にも効く薬となるけれど、摘んだ人はね、死んじゃうの」
「どうして死んじゃうの?」
「その花はね、摘まれるまでは常に毒を放っているの。摘めたとしても、そのあとで毒にやられて死んじゃうの。だから、絶対に行かないで」
「うん。分かった」
あの花なら。
私は自分のことなど顧みずに、そのお花畑へ行くことにした。
走れ。
山に入ってからも、走り続ける。
いつもそれ以上は登らない地点を越えて、山頂へと急ぐ。
息が苦しい。この苦しさは、走っていることや高さゆえの空気の薄さだけのものではない。きっと、これが山頂にあるお花畑の毒なんだろう。山の途中までしか毒が来ないのは、空気に弱いのかもしれない。いや、今はそんなことはどうでもいい。
苦しさのあまり、走ることができなくなる。でも、歩みを止めてはいけない。
いずれ、暗くなった世界を照らすような、神秘的な白色の花が見えた。もう少し歩を進めると、その白色の花が一面に広がっている場所があった。
きっと、これだ。
私はその花を摘んでいく。どれだけあればいいのだろうか分からない。持てるだけ摘もう。持てるだけ。
苦しさが、ますます深まる。意識も遠くなる。私は、白色のお花畑の中に倒れた。
ダメ。
私は立ち上がって、倒れた際にこぼれ落ちた花を拾い集めて更にもう少しだけ摘んだ。
行かなきゃ。
病で苦しそうな、彼の元へ。
意識が混濁する。今の自分が、歩いているのかどうかも分からない。
死が、近付いているのが分かる。
どこまで戻ってきたんだろう。なんだか、声が聞こえる。でも、なにを言っているのか全く分からない。
山を降りられたのかな? じゃあ、もう、いいよね?
私は死が完全に訪れる前に、少しだけ、願った。
生まれ変わっても、またお花を摘もう。
一本一本、大切に摘もう。
彼のために。私のために。
元気な彼の隣で花束を抱えて、もっと一緒に笑い合おう。
大好きな、彼の隣で。
大好きな、花の束を、抱えて——。