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SHARAKU(写楽)

 「蔦谷つたやさんや、これはひどい原画じゃな これは売れんじゃろう」 

彫師の清兵衛は渡された原画を見ながら、投げるように蔦谷重三郎のもとへ返した。

「いや、江戸のものたちは最近の浮世絵に厭きとる。どうじゃ、この絵 わしは、面白いと思うのじゃがな」   

「うーむ 蔦谷さんに頼まれちゃ 嫌とはいえんが 売れんと思うよ で、名は なんと入れるんじゃ」   

「おーおー 名か  名  名  えーと  

シャーロック シャロック  うーん 写楽しゃらくでよい  写すに娯楽の楽じゃ」

「蔦谷さんよ これ書いたの 異人さんか それはまずいぜよ」  

「いやいや 違う 違う うちの新人さんや  ほな 摺師すりしのマタさんには、わしから頼んどくんで よろしく頼みますわ」  

蔦谷重三郎は20枚ほどの原画を置くと、そくさくと出て行った。

「蔦谷さんも不憫やな、喜多川歌麿を出したころはもう飛ぶ鳥を落とす勢いじゃったが、しかしこの原画 どうするかの」 


時は1791年 田沼意次に代わり老中となった松平定信  

自由な気風を推し進めていた田沼時代とは打って変わり、娯楽を含む風紀の乱れをただすべく寛政の改革を始めた。

浮世絵の出版や、しゃれ本の出版を営んでいた蔦谷は風紀を乱す出版を行ったとのかどで

財産の半分を没収されてしまう。

「もうやってられんわ」

一気に落ち込んでいく稼業に気力も失せていった。

そこへ、お隣の酒卸を営む伏見屋元三郎が、

「蔦谷さんや ちょっと気晴らしに歌舞伎でも行きましょうや と声をかけられた。 ほれ いま三代目大谷鬼次がやってる あれ」

 

 重三郎が席に落ち着くと演劇が始まった。

「この劇もまもなく上のお達しで閉じることになるのだろうな。まったく わしら下々の楽しみを奪って何が政治じゃ」

独り言を話しながら、ふと前の客席を見ると、一心不乱に舞台に立つ鬼次を描いている御仁がいる。マントみたいなものをかぶっているので、男か女かもわからんが、ちょいと 絵をのぞいてみると“なんじゃこりゃ!”随分と特徴を誇張した絵じゃな と、今まで見たこともない画風に興味を惹かれ、歌舞伎などお構いなしでその御仁の手元を見つめていた。。  


 演目は終わり、お開きに  重三郎は

「伏見屋さんや ちょっと寄るとこができた先に帰ってくださいな」

と別れ、先ほどの気になった絵描きを後ろから付けてみた。

しかし、座っているときは気が付かなかったが 随分と背の高い御仁じゃ。 

その後、半時ほど、歩いただろうか その絵師は、大きな門の前に立つとすっと

門の中へ消えた。門に消えるときにマントを外した御仁を見た重三郎。

「あれま、今のは異人さんじゃないか・・・・・うん?このご門はお旗本“三上左衛門上様”のお屋敷。 はて 三上様なら津手がある出直すか」 

と思ったとき門が開き、重三郎は飛び出してきた4,5人の侍に囲まれ屋敷へ連れられていってしまった。

 

 一風変わった絵を描いていた御仁を追いかけていった先で、不審ものと思われ、囚われの身になった、そこに 

「何を騒いでおる」

とお旗本の殿様、三上左衛門上が通りかかった。 

「は、殿 この不審なもの、門の前で何か探っていたようだったので」

「三上様 私 蔦屋重三郎めにございます。お覚えございませんでしょうか」

「おお おお 蔦屋か 何をしておった」 

重三郎はこれかれしかじかと一連の経緯を早口で語った。  

「ああ、この行方が知れなかったオランダ人を見てしまったか」

「まあよい 蔦屋 ちょいと こっちにこい」と言われ、少々恐れながら、

大きく腰を曲げ小さくなって殿様の後をついて行き、奥の部屋へとあがった。


 「蔦屋、知らんだとは思うが、わしの役職は外国方奉行じゃ。今、4年に一度の上様 そう将軍様へのご挨拶で長崎の出島に滞在するオランダ人が4名江戸に来ている。で、江戸での滞在先がここなのじゃ。別に密貿易などしているわけでは無いわい。あはははは で蔦屋、追いかけてきたシャーロックじゃが、もともとは日本に来るのを嫌がっていたらしい、じゃが出島に出入りしている女郎の娘からいろいろと聞くうちにこの国に興味を持ってしまってな、聞くだけでは物足らず、目を離せばすぐに消えてしまう。困ったものじゃ。絵が好きらしく、江戸にでてくるまでにもいろいろ書いていた。が、こればかりは持って帰らせるわけにはいかん 没収じゃな・・・なに その絵を見せろと うーんまあ良いだろう。」 と言いながら三上の殿様 袖をひらひらさせる。

「三上様 後日お礼にうかがわせていただきます」 

「はははは よし よし」


さて、4年ほど戻って、1789年、遠くヨーロッパの地では、フランスで革命が始まろとしていた。

この年、水兵学校を卒業した18歳のシャーロック・ライベルトは東洋に強い関心を持ち

オランダ東インド会社への赴任を希望。しかし願いかなわず、東洋の島国ジャポンにある

オランダ商館に行くことに決まった。シャーロックは意気も消失。恋人のマーガレットに

気持ちをぶつけていた。しかし気持ちを切り替え4年間滞在すれば戻れる。戻ったら一緒になろうと約束し、日本へと旅立った。 

しかし、その後、母国オランダがフランスに占領され、オランダの国旗が唯一掲げられるのが世界中で日本の出島だけになるとは思いもせずに。


1年近い航海が終わりに近づこうとしていた。

海原の先には美しい山々と裾に広がる街が見えてきた。この国では、オランダ人が滞在する場所が決められており、勝手に出ることも許されないという。その場所を“出島”という。

シャーロックは10日もすると牢獄のような生活に飽き飽きとしてしまい、ビリヤードやバトミントンをして、気を紛らわしたが、この生活が4年間も続くかと思うと人生を呪ったが、もうどうにもならない。


 半月ほどしたある日、ほかの先輩商館員たちが、なぜか朝からソワソワしている。

なに事かと思い聞いてみるのだが、あははは と笑うだけである。 いったい何がそんなに楽しいのかといぶかしく思った。 その夕刻、いつものように夕食を食べに向かうと、諸先輩が皆、おめかしをして席に座っていった。 なんだ と思い、

「何事ですか?」

と聞こうとしたら、きれいな着物を着た日本の女性がぞろぞろっと10名ほどか 部屋に入ってきた。シャーロックは初めて目にする日本の女性に驚いた。 

後で知るのだが唯一出島に出入りが許された遊女、通称“オランダ行き” とよばれている女性だった。館長以下、先に来ていた連中はもう馴染みと言って、まあ仲良しさんが決まっているらしく、楽しそうに片言言葉で話している。そしていつの間にか、みな、そろそろっと部屋をでていってしまい、気が付けば自分だけ一人になっていた。 

あいや、奥に一人 隅のほうで下を向いてもじもじしている女性がいる。

すると、その小柄な女性が意を決したように私に近づいてきた。 

「あちきは“鈴”(りん) でありんす」

う・ん?、言葉は大分覚えたが何をいってるのかわからない。首をかしげるとその女性は

「ふふふ」 

とほほ笑んで 

「私は “りん” と申します こんばんわ、私もこの言葉まだ使い慣れなくて 廓ことばっていうの」 

なんともかわいい笑顔で話してくる。 シャーロックもすぐに打ち解けて、椅子に腰かけて

話始めた。

「あちき あ! わたし 異人さん 見たの 初めてなの 姉さんに変われって言われて今日初めて出島に来たのだけど、怖かったわ でも あなたはすごく優しそう」

その後も会話が続いたが、話が途切れた時、リンが一枚のきれいな絵が描かれた紙を出した。

「ここが、私のふるさと 五島の島よ 浮世絵っていうの」 

といったのだが、シャーロックはもうその絵を食い入るように見ている。

りん が心配して 

「どうしたの どうしたの?」 

と聞くのだがシャーロックはほじくるようにその絵を見ている。もう一心不乱にみている 鈴は 呆れて 

「うーん もう それ あげるわ」 

と言ったとき、先輩の遊女たちが時間になったのか皆戻ってきて帰り支度を始めた。 

「もう シャーロックたら 今度来るときは沢山持ってきてあげる」

というと席を立ち、先輩と出島を出て行った。シャーロックが

「鈴さん これは すごい」 

と言って頭を上げたときは部屋に誰もいなかった。


 蔦屋重三郎は、ここのところ毎日いそいそと朝早くから出かけていく。

妻の“おしん”は、

「いったい何だろうね。どこかにいい女でもできたのかね まったく いい年して」 

といいつつ長年の連れ添い 特に何をしようってでもない。

「番頭さんや、うちの人 何かね」 

と聞くと 

「いやー いい子ができたみたいですよ」

と番頭が笑いながら答える。

「え!本当かい はははは」

「なんと大柄な男って噂ですよ」  

「あらら いやだよー」


 ここは最近毎日通っている旗本 三上様のお屋敷 

「失礼いたします」 

と門をくぐると門番は、そそっといつものように離れに案内する。 

そこにはシャーロックが無心に何かを描いている。 

「おはようございます。 本日もよろしくお願いいたします」

と離れに上がるとシャーロックの前に座り、用意した題材を見せる。 

シャーロックは手を休め今度はその絵を食い入るように見始める。 

「これは相撲といって 大男が力を競い合う日本伝統の行事にござます」 

ふと 横を見ると 歌舞伎役者の絵が散らばっている。 

「ほーこれは今まで見たこともない、うーん良い、ではシャーロック様また明日参りますので」

というと完成している5枚ほどの絵をサラッ丸め離れを出ようとした。 

「ゴホゴホゴホ」  

「あらら シャーロック様 大丈夫でございますか、あまり根詰めずに少しお休みなさっては」 

と声をかけると 

「蔦屋さん 明後日 長崎に戻ることになりました」

と言われたものだから 

「あいやー」 と驚き 

「いやいや まだ20枚ほどしかできていない。せめて60枚は欲しい、これは三上様に掛け合って長崎までついて行って 旅道中で書いてもらうしかないな 出島に入ってしまえばどうにもならん  いやはや 帰って旅の支度をしないとな」  

「お シャーロック様 この美しいおなごの絵はどなたですかな?」

と一枚の絵に目が留まり、それもいただこうと手を伸ばした時 

「ドット ニット ゴース!」 

と怖い顔で遮られた。 

「あ すみません 私の大切な方の絵なのです」 

シャーロックはその絵をしまいながら 半年ほど前の江戸参府 出発前を思い出していた。


 シャーロック・ライベルトが日本の出島にきて2年を過ぎたころ、4年に1回義務つけられている江戸参府の時期がやってきた。シャーロックは嬉しくてたまらない。商館長からは江戸に行っても勝手な行動はできないと、何度もたしなめられたが、富士山が見たい。それと歌舞伎は絶対に見たい もう小学生の遠足前日みたいな状態がずーと続いている。


「鈴さん 江戸に行くことになったよ 鈴さんから聞いた歌舞伎がやっと見れる!うれしいなー うれしいなー」

が鈴は浮かぬ顔をしている。 

「ねえ シャーロック そしたらしばらくお会いできないわね でもお仕事ですもんね」

鈴はしばらく シャーロックの江戸いきの楽し気な話を半時ほど聞いていたが


「はい これ」 

とシャーロックに文を渡すと鈴は部屋を出て行った。 

シャーロックは首を傾げ、どうしたのかな といいつつ 文を広げた。 


 シャーロック様 あなた様に会えるのも今日が最後でございました。

私、身請けされることになりました。私の身の上としては大変に喜ぶべきことなのですが

もう、あなたさまにお会いできないことをさみしく思います。

 あなた様にお会いして2年、いつもいつもお話ばかり。生まれたお国がなくなったことを聞いたとき、そして、いい名づけ様がいたし方なくフランとやらの兵隊さんのお嫁になられたことを聞いて本当に私も悲しゅうございました。  

いつもいつもあなた様の絵をみる子供のような瞳 本当にいとしく思っておりました。  

どうか どうか お元気でおくらしください。 鈴

「鈴!」

シャーロックは急いで出島の表門橋に向かったが、すでに橋を渡ってしまっていた。

「りーん! りーん! イクハウンド ファイデン! イクハウンドファイデン!」



シャーロックを含むオランダ人4人と幕府の随行者12名、

長崎までの長い帰り路り道中が始まった。随行者の中に混ぜてもらった蔦屋重三郎と丁稚の小僧、一団からは少し離れた後ろからついていく。 

「あーいやいや この年での旅は体にきつい」

と、もう初日から値を上げている。初日は1日歩きどおしで保土ヶ谷そして翌日は小田原。

ここで三日逗留した。どうもシャーロックの体の調子が良くないようだ。江戸を出る前よりせき込むことが多かったが、とうとう高熱を発してしまい、倒れてしまった。 

その夜もせき込みながら絵を描くシャーロック。 

「シャーロック様 お休みください旅はまだまだなごーうございます。万が一のことがあっては大変でございます」

と促すのだが、まったく聞く耳持たず一心に絵を描いている。

小田原逗留後は籠が用意され、シャーロックは籠で移動をした

ほか3人のオランダ人と随行者は先に進み、重三郎と丁稚で病状を見ながら進むことになった。 が、移動がたたってか、掛川についたときは、息も絶え絶えになっており、医者を呼ぼうとしたのだが、異人ということもあり、幕府の許可が必要となってしまった。 急ぎ、先を進んでいる役人まで丁稚を走らせたのだが、、、、


「シャーロック様 シャーロック様」 

すでに声も出せない状況になっている。その夜、

「重三郎様・・・・これを母に・・・・・・」

と絶え絶え重三郎に手紙を渡すと息絶えた。 

まだ22歳、異国の地で夢見る青年がここ東海道、掛川でこと切れた。 

「おーおー シャーロック様 お願いでございます お目を お目を 開けて下されー」


翌日、役人二人と丁稚が戻ってきたが、すでに死亡しているのを確認すると、

近くの寺で葬儀を行い、埋葬をお願いし掛川を去っていった。

残った重三郎と丁稚はお寺に残り埋葬まで見届け、とぼとぼと江戸へと戻っていった。


江戸にもどってからの重三郎は魂が抜けたようにしばらく放心状態でいた。が、見かねた妻のお菜が、

「ねえ あんた いつまでそうしてるの え その下絵 しっかり仕上げて世に出すのが

シャーロックへの一番の供養じゃないの ほら しっかりなさい」と



結局、写楽と銘打った浮世絵は江戸の人々の心を捉えることはなかった。

ただ一部のコレクターたちがその芸術性に気が付き買い求めたが、いつか写楽の名は

聞かれなくなっていった。 


江戸時代が終わり、明治、そして大正時代が始まったとき、一人のドイツ人が浅草の骨とう品店で和紙に描かれた人物絵のデッサンを見せながら

探し物をしていた。

「写楽? 聞いたことねえな」 

店主は奥の引き出しに、二束三文の絵が大量にあるから、好きなのもッて行きな と気前よく返答した。 


その後 ドイツの美術研究家“ユリウス・クルト”が一冊の本を出版する。 

その本のお題はずばり“SHARAKU”

本を見た外国人は日本に写楽を一斉に探し求めた。 

日本の絵画商人や芸術関連の人々はそのことに驚き、外国人とともにあらゆる骨董屋を探し回った。

日本の美と芸術はいつも外国からやってくる。画、仏像 景色の一つをとってもいつもその美しさを外国に教えてもらう。ただ一つ、救われるのは、

写楽の浮世絵には、なぜか非常に高価な絵の具が使われていて100年以上たっても見事な美しい色彩が残っていた。蔦谷重三郎のせめてものはなむけだったのかもしれない。



 母上様 お元気にお過ごしでしょうか。フランス占領下のお国元におきましては

色々とご苦労が絶えないこととお察し申し上げます。こちらジャポンにおきましては

平和な日々が続いております。母上様 ジャポンには浮世絵と言いまして色入りの版画技術が、それはもう芸術の域まで発達しております。今度、蔦谷様という大店より私が描きました絵が出ることになりました。私の名前では出せないので“シャラク”と銘打って販売されます。母上様シャーロックはこの異国の地で元気に楽しく過ごしております。どうか、母上様もご自愛いただきますように。愛する母上様。

追伸です。 デッサンではありますが何枚かお送りします。ジャポンの演劇役者でございます。  

 シャーロックの母は訃報とともにこの手紙を受け取った。 読み終えると涙をながしながらいつまでもいつまでもその絵を抱きしめていた。

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