第80話 おじ戦士、柔に徹する
人質が解放された場所まで急いで戻ると、鎚鉾を片手に持ったセーラが、倒れたままの商人たちを庇うようにして身構えていた。
「ラルフさん!」
ラルフが戻ってきたことに気づくと、セーラは張り詰めていた表情の中に明らかな安堵の色を見せた。
そして、呼ばれた理由を彼女に問うまでもなく、その意図はすぐに分かった。
多数の者が松明を掲げて、こちらに近づいてきている。
遠くからではない。
もはや、はっきりと人影の形が分かるほど、すぐそばまで迫っていた。
「お前たち、そこで何をしている!」
松明の光に照らされて姿を現したのは、鎖かたびらを身に着けた男たちだった。全員が短槍で武装し、片手に松明を持っている。
その姿に、ラルフはどこか違和感を覚えた。
見た目からして兵士には間違いないようだが、城門詰めの番兵や、街を守る衛兵にしては、やけに機動性を重視した装備をしていたからだ。
「おい、人が倒れてるぞ!」
兵士のうちの一人が声を上げ、こちらに指を突きつけてきた。
ラルフたちの後ろで寝かされている商人たちに気づいたのだろう。
「貴様ら、抵抗するな! 大人しく武器を捨てろ!」
先頭に立つ数人の兵士が、ラルフたちのほうへ槍の切先を向け、威嚇しながらそう言い放った。
どうやら彼らは、倒れたまま動かない人々を見て早合点したようだった。
とにかく誤解を解こうと、ラルフが説得の言葉をかけようとしたところ、隣にいたセーラが先に声を上げた。
「あなたたちは! 本来なら真っ先に民を守るべき兵士の身であるにもかかわらず、今になって現れ、あろうことか何の罪もない同胞に刃を向けるとは、何事ですか! 女神アリアンの子として、恥を知りなさい!」
セーラは、驚くほど強い口調で兵士たちを叱責した。
叱責を受けた兵士だけでなく、隣にいたラルフも目を丸くする。
女神アリアンは王国内で広く信奉されているが、僧院の関係者以外がその名を直接口にすることは、実は教義で禁じられている。女神の名前を発するという行為は、自らが女神の代弁者であると宣言するに等しく、それだけ畏れ多く、大きな責任を伴うことになるからだ。一般的な市民がアリアンの名を耳にする機会があるのは、高位の司祭が僧院で説法をするときくらいのものだ。
だから、こんな場所で女神の名前が出てくるなど、予想もしていなかったに違いない。たちまち兵士たちの間で動揺が広がる。
「お、おい、その娘……ひょっとして僧侶じゃないか?」
「いや、しかし、そっちの男が……」
セーラは依然として鎚鉾を構え、厳しい表情で兵士たちと対峙しているが、彼らはどちらかというと、完全武装しているラルフのほうを問題視しているようだった。
ラルフに背負われたまま事の成り行きを見守っていたミアも、さすがに黙っていられなくなったのか口を開く。
「確かに、状況的には疑われても仕方がないわよね……どうするの、おじさん?」
「とにかく事情を説明する。まあ大丈夫だ、よく見ると何人か見覚えのある顔が混じってる」
今のラルフはミアを背負っているので、普通に考えれば剣を抜いて戦えるような状態ではない。冷静に見れば、半ば抵抗する意志を放棄しているようにも見えなくはないだろう。
場の空気も少し落ち着いたので、ラルフはそのままの状態で一歩進み出ることにした。兵士たちは一斉にラルフに注目し、緊張した面持ちで槍先を向ける。
「近づくな! お前は何者だ、ここで何をしていた?」
「王都のソードギルドに所属するラルフ・オブライトだ。冒険者活動の一環でトレスタを訪れたところ、門前で賊に襲われている隊商を目撃したので助太刀に入った」
「ラルフ? ソードギルドの?」
後ろにいた兵士の一人から、その場にそぐわない素っ頓狂な声が上がった。
仲間の予期せぬ反応に、他の兵士たちも戸惑った様子で、どういうことなのかと不思議そうにそちらを見やる。
「そうだ。お前の名は確か、マイクだったかな? 何度も顔を合わせているし、以前の作戦でも行動を共にしたはずだが、もう俺のことを忘れてしまったか?」
「い、いえ、覚えております。失礼しました!」
名前を呼ばれた兵士はラルフに向けていた槍を下げ、代わりに敬礼をした。
そして、まだ事態をよく飲み込めていない他の同僚たちに、ラルフの素性について説明し始める。
その様子を眺めながら、ラルフは胸の中でホッと息をついた。
最初に見た時から、もしやとは思っていたが、やはり彼らは周辺警備の兵士たちだった。しかも、ラルフの顔を覚えている者が混じっていたのは好都合だった。おかげで話がスムーズに進んだ。もしこれがトレスタの守備兵だけだったら、もっと説明に手間取ったことだろう。
マイクと呼ばれた兵士から説明を受け、それでラルフのことを思い出した兵士も、元から面識がなかった者も、順々に警戒を解いて槍を引いていく。
最終的には、隊長格と思われるかなり年配の兵士の一人が進み出て、改めて非礼を詫びた。
「失礼した、ラルフ殿。ただ、その後ろで倒れている人たちは、一体……」
「賊どもにさらわれていた商人たちだ。なんとか賊に追いついて助け出すことができたので、同行の僧侶に負傷者を治癒してもらっていたところだ」
ラルフは兵士たちに説明しながら、隣に立つ僧侶の肩をぽんと叩いた。
それでようやく、セーラも張り詰めた態度を緩めて構えていた武器を下ろした。
「助けたという割に、その者たちはまだ倒れたままのようだが、怪我がひどくて動けないのか?」
「怪我はすでに治療したから心配はいらない。ただ、毒でも盛られたのか一向に目を覚まさないんだ。一度にこの人数は運べないから困っていたところでな。できれば、街の僧院まで運んで本格的に治療してやってほしい」
「そうしたいのは山々だが……」
話していた兵士は松明を掲げて、辺りをきょろきょろと見回す。
「それより、その賊とやらはどこに行ってしまったんだ? あなたが倒したのではないのか?」
「すまん、賊は四人いたが、全員取り逃がしてしまった。この人たちの救助を優先して、それ以上は深追いすることを諦めたんだ」
ラルフはすまなさそうに兵士に詫び、賊が逃げていった方向を指さした。
その情報を聞くと、兵士たちは急に色めき立った。少し離れた場所に集まり、賊を追うかどうかを相談し始める。
「ねぇ、おじさん。いくらなんでも詳細を端折りすぎじゃない?」
兵士たちには聞こえないほどの小声で、ミアはラルフに話しかけた。
ラルフの背中越しに一連のやり取りを聞いていたのだが、どうにも気になって、再び口を出さずにはいられなくなったからだ。
「心外だな、一つも嘘は言っていないぞ」
「でも、肝心な部分は全部ぼかしてるじゃない。よくもまあ、そんなにすらすらと、もっともらしい無難な台詞だけが出てくるものね」
「無用な疑いをかけられたくないからな。相手に伝えたいことがあるのなら、余計なことは極力話さないのがコツだ」
ラルフからは見えない位置で、ミアは微妙な表情を浮かべる。
ラルフのそういう強かなところは本当に頼りがいがあって感心するが、自分と話している時もこんな風に言葉を選んでいるのだろうか?
そう考えると、なんだか複雑な気分になってしまった。
「セーラ、さっきの説法はなかなかの迫力だったぞ」
ミアがそんな思いに駆られていることに気づかぬまま、ラルフは隣に立つセーラに感謝を伝える。
しかし、その言葉を受けても、セーラの顔には笑顔が見られなかった。
むしろ、申し訳なさそうな顔をして、彼女は頭を下げた。
「いえ、私、ついカッとなってしまって……出しゃばった真似をしてしまい、すみませんでした」
「謝ることはない。最初にガツンと言われて、俺も少し萎縮したくらいだ」
柔と剛を使い分けるのは説得の基本だ。
まさかセーラが剛のほうの役を担ってくれるとは思っていなかったが、事が綺麗に収まるのなら、役割分担はこの際どちらでもよかった。
おかげで話の主導権を初っ端から握ることができて助かったと伝えると、セーラはますます恥ずかしそうに身を縮めた。
「――おい、仲間内で相談するのもいいが、そろそろこちらの質問にも答えてくれ」
兵士たちがいつまでも自分たちだけで相談を続けているので、ラルフもさすがに痺れを切らし、自分から彼らのもとへと近づいていった。
その声に反応した兵士たちも、一旦話を止めてラルフのほうを振り返る。
「門の前では、もう一組の隊商が賊と戦っていたはずだ。彼らがまだ戦い続けているのなら、加勢に行くべきではないか?」
「うん? ああ、いや、それには及ばない。街の守りはトレスタの守備隊に任せて、我々周辺警備の部隊が、襲われている隊商の救出に動いたからな。門前で暴れていた賊どもは、形勢の不利を悟ったのか散り散りになって逃げ出したぞ」
「周辺警備の兵が動いたということは、すでに街の正門は開いているのだな? ならば、動けない負傷者たちを街まで運びたい。お前たちも手を貸してくれ」
「いや、門はまだ片側だけ開いた状態だ。我々やトレスタの守備兵は自由に出入りできるが、一般人の通行は制限されている。外の安全が確保され次第、規制は解除されるだろうが、まだ正式に開門されたわけではないのだ」
ラルフの頼みに対し、年配の兵士はすまなさそうに首を横に振った。
事務的な口調で、ラルフが知らない現状について説明していく。
「それに、壁の外で騒ぎを起こしている賊どもを討ち取れというのが上からの命令だ。だから今は賊の追跡を優先する。悪いが、手を貸している余裕は――」
「待て待て、今から逃げた賊を追ったところで、もう間に合わないだろ? やめておけよ。任務に忠実なのは立派だが、どうせ徒労に終わるのは目に見えているぞ」
「いや、しかし……」
「夜闇の中を深追いするのは危険だ。闇雲に危険を冒すよりも、今ここで商人たちを助け出して手柄にしたほうが、お前たちにとっても得な話じゃないか?」
ラルフはそこで一度説得の言葉を切り、兵士たちの反応を見た。
功名心に駆られたのか、半数以上の者が先ほどよりも乗り気な姿勢を見せ始めているが、まだどうするか決めかねている様子だった。
もう一息だなと、ラルフはさらにダメ押しの言葉を重ねる。
「せめて門前まででいいから、彼らを運んでやってくれ。そうしてくれれば、あとは俺がお前たちの上官と直接話をつける。この件がお前たちの手柄となるように、上手く伝えておこう」




