第78話 おじ戦士、頼もしさを感じる
賊たちが完全に立ち去ったことを確認すると、ラルフはすぐさま解放された人質のもとに近づいた。
最後に解放されたのは、まだ若い女性だった。
女性は地面に倒れたままピクリとも動かないが、顎の下に手を当ててみると、まだ脈があることが確認できた。腕にわずかな切り傷がある以外には、特に目立った外傷はなく、一見すると単に気を失っているだけのようにも見える。
しかし、体を揺すったり軽く頬を張ったりしても、女性は一向に目覚める気配がなかった。
「おじさん、あいつらをあのまま逃がしてよかったの?」
ラルフが人質の容態を確認していると、背後から声がかけられた。
屈み込んだ姿勢のまま首だけを後ろに向けると、そこには不満そうな顔でこちらを見つめるミアの姿があった。
「あまりよいとは言えないな。だが、やつらを一人残らず倒すことは重要ではない。肝心なのは、商人たちを全員無事に助けることだ。それは分かるだろ?」
「それは分かるよ。さっきのだって、さらわれた人たちを無事に助けるための駆け引きだったんでしょ?」
「ああ、そうだ」
連中の目的が何であれ、物事には優先順位というものが存在する。
やつらは、せっかくさらった人間を躊躇いなく人質として使った。
迫りくる追手が、人質が通用する相手かどうかも分からないのに。
咄嗟の行動だったに違いないが、あんなことをしたら、目的の遂行よりも自分たちの命のほうが大事だと宣言するようなものだ。
ラルフはそこに目を付け、戦闘を避ける方向に舵を切った。逃げ道さえ残しておけば、人質を捨てて退く可能性が高いと踏んだためだ。たとえ交渉が決裂しても、即座に先制攻撃できるようにと足場も固めておいた。
ラルフとしては、あの場で最もリスクの低い手段を取ったつもりであった。
「あの状況で全員を助けるには、戦いそのものを避けるのが一番確実だったからな」
「人命を優先するのはいいよ。でも、それはそれとして、あいつらが何を企んでいたのかは突き止めるべきだし、悪人はきっちり倒すべきでしょ?」
「……ふうむ」
ラルフは少し困ったように頭を掻く。
ミアの言いたいことはよく分かる。
今後も一緒に冒険していく上で、中途半端に済ませるべき問題でもないため、できれば満足のいく言葉をかけてやりたいところではある。
しかし、今は目下の問題を解決することのほうが先だった。
「その話は後にしよう。まずは助けた人たちの身の安全を確保したい」
ラルフは一旦話を打ち切り、倒れている女性の体を肩に担ぎ上げた。
ミアにとっては話をはぐらかされた形になったが、ラルフの言い分は確かに正論なので、その場は納得して引き下がってくれた。
少し負い目を感じながらも、ラルフは女性を担ぎ、他の三人の人質が解放された場所まで戻ることにした。
「向こうにいた人質を連れてきた。生きてはいるんだが、ぜんぜん意識が戻らないな。見たところ大きな怪我は無いようなんだが……そっちはどうだ、セーラ?」
解放された人質たちの前でしゃがみ込むセーラに、ラルフは声をかける。
彼女は、最初に解放された三人の人質のもとに駆け寄って、一足先に彼らの治療にあたってくれていた。
声に気づいたセーラが顔を上げる。
ラルフと目が合うと、彼女は真剣な顔つきで首を横に振った。
「こちらの方々も同じです。全く目覚める気配がないので、ただ気を失っているだけではないのかもしれません」
セーラの横には、商人風の衣服を身に着けた男女が仰向けで寝かされていた。
三人とも息はあるようだが、ラルフが担いできた女性と同様に、身動き一つしていなかった。
「そちらの二人には、腕に刃物で切られた跡があるので、もしかすると傷口から何かの毒を盛られたのかもしれません。解毒を試みたいのですが、今の私にはその余力がなくて……」
セーラは唇を噛んで辛そうな表情を浮かべる。
自分の力が及ばないことを悔やんでいるようだった。
「それよりも、こちらの男性の症状が深刻です。捕まる際に抵抗したのか、ひどく殴打されており、体のあちこちを骨折しています。この方には腕の切り傷はありませんが、骨折の痛みのせいか意識が飛んでしまっているようなのです」
セーラは視線を戻し、目の前で倒れている男性の腕にそっと手を触れた。
彼女の言う通りで、さらわれた四人の中ではその男性が一番重症だった。顔は青ざめており、目は堅く閉じられている。時折、食いしばった歯の奥から、声にならないうめき声が漏れるのが聞こえる。
意識がないという点では他の商人たちと同じだが、一番切迫した状態であることは一目で分かった。
「この方には、残りの法力で治癒を施そうと思うのですが……よろしいですか?」
「断らなくてもいい。僧侶である君の判断に任せる」
振り仰いで見上げるセーラに、ラルフは首を振って答える。
その事務的とも思える言葉には、どこか優しげな響きも込められていた。
セーラはようやく張り詰めた表情を解き、微笑んで頷いた。大きく深呼吸をひとつすると、彼女は男性の骨折を治療するために回復魔法を行使し始めた。
その治療の様子を横目に見ながら、ラルフは担いでいた女性を地面に下ろし、他の者たちと並べるようにして静かに寝かせた。そして、せめて彼女たちの腕から流れる血だけでも止めておこうと、腰のポーチから包帯を取り出し、一人ずつ傷口に巻いていった。
その作業の途中、ラルフはふと違和感を覚えた。
(……だいぶ華奢な体つきだな)
さらわれた四人を改めて見比べる。
内訳はそれぞれ男女二人ずつだが、全員が平均以上に小柄な体格に見える。
女性の二人はまあ仕方がないにしても、他の二人も男にしては随分と細身の体つきをしている。
こうして見ると、賊たちは単に運びやすさだけでさらう人間を選んだような気がしてきた。もし、これが四人とも女性であれば誘拐の意味合いも違ってくるが、男が二人も混じっていることを考えると、その線は薄いように思える。
だとすると、連中の目的は――。
「おじさん、ちょっとこっちにきてー!」
思考に耽るラルフを現実に引き戻すかのように、ミアの呼び声が聞こえてきた。
顔を上げてそちらを見たが、声が聞こえてきた方向に彼女の姿はなかった。
おかしいなと思って立ち上がり、そちらに移動してみると、曲線状になった城壁の陰に隠れる位置にミアはいた。
杖の先端に魔法の光を灯して、一人で何かを調べている。
「ミア、あまり離れるなよ。まだ一人で行動すると危ないぞ」
「ねえ、それより早くこっちに来て見てよ。この壁にある此処の部分」
ラルフの忠告は完全に無視された。
ミアは、ただただ興奮した様子で手招きを繰り返すだけで、ラルフが言ったことを聞いている様子はない。
ラルフは思わず苦笑いを浮かべる。
その姿に、彼女の師匠の面影を見たような気がしたからだ。
その所為でというわけではないのだが、一体何をそんなに主張することがあるのかと俄然興味も湧いた。
「一体、なんだって言うんだ?」
ラルフが隣までやってくると、ミアは手に持った杖を少し高く掲げて、壁の一角を照らした。
「これね、壁に小さく魔印が刻まれてるんだけど、分かる?」
ミアが指し示す部分を、ラルフは注視する。
城壁に使われている石材に、奇妙な図形のようなものが描かれているのが見て取れた。さらによく見ると、その印を左右から挟む位置に、小さな金属製の楔が打ち込まれているのが分かる。
「ああ、魔法陣でこういう図形をよく見るな。意味はさっぱり分からんが」
「これは生贄の印。この場所に生贄の血を捧げることを儀式契約の一部とするための印なの」
「何?」
「しかもね、魔印の左右には楔が打ち込んであるんだけど――」
ミアは杖を片手に持ち替えると、空いた手で腰のベルトに差している小型の短剣を引き抜いた。そして、壁に打ち込まれている楔を短剣の刃で軽く叩いた。
キーンという、金属同士が当たる高い音が辺りに響いた。
「――やっぱり、同種の共鳴音ね。この楔は魔導合金で出来てるわ」
「……ミア、できれば分かりやすく要点だけ説明してくれないか?」
ラルフは指で眉間を押さえながら、切実な思いで頼み込んだ。
このままだと、話の内容がどんどん専門的な方向に進んでいき、理解が追いつかなくなりそうだったからだ。
「ええっと、つまりね、あいつらが商人をさらったのって、このためだったんじゃないかと私は思うの」
「このためというと……彼らをここで殺し、生贄にするのが目的だったと?」
「そう、あいつらさっさと逃げればいいのに、何故かこの辺りをずっとうろうろして壁のほうを確認してたの。だから、おかしいなとは思ったのよ。きっと、この魔印がある場所を探してたんだわ」
ミアは短剣を鞘に納めると、右手でぺしぺしと壁を叩いてみせる。
たしかに、連中の行動と照らし合わせると、ミアの予想は的を射ているような気がする。ただ、その行動がどのような意図によるものなのか、ラルフには見当もつかなかった。
「しかしだな、ここで彼らを殺して一体何の意味があるって言うんだ? 何かの儀式のためなら魔法陣が必要なはずだが、それらしきものは見当たらないぞ」
「魔法陣ならあるじゃない。目の前に特大のやつが」
「――そういうことか」
ラルフもようやく理解し、目の前にある壁を平手で叩いた。
「街全体を囲う、例の魔法陣か……城壁の上にばかり気を取られていたが、まさか壁の外側に仕掛けを施すとは、盲点だったな」
トレスタは城塞都市でありながら、堀というものが存在しない。
過去には、大きな二重の空堀があったそうなのだが、現在はすべて埋め立てられてしまっているため、誰でも簡単に壁際まで近づくことができる。そうした点を踏まえるのなら、壁の外側にも最初から注意を向けるべきだったのだ。
しかし、ラルフにはなぜかその発想がなかった。この街で円状に繋がっている場所といえば城壁の上とばかり考えていて、壁の外側は全く気に留めていなかった。
正直、迂闊だったとしか言いようがない。
「うん、おそらくこのまま壁沿いをずっと調べていけば、同じ魔印が仕込まれてる場所があと五か所見つかるはずよ。魔印同士の距離が離れすぎてると魔力的な連続性が途切れるから、その結びつきを強めるために魔導合金の媒介も合わせて仕込んでるってわけね」
「この楔にも、そんな意味があるのか」
ラルフは感心しながら、ミアの解説に耳を傾けた。
昨今の冒険者で、ここまで魔術に造詣の深い者はそういない。
ほとんどの魔術師は、呪文書に記された通りに魔法を使うための知識があるだけで、発想力や洞察力といった点ではラルフとさして変わらない者が多い。
しかし、ミアは違う。
知識だけではなく、その知識を生かす知恵をすでに身に着けているのだ。
そうした仲間にはラルフも長らく縁がなかっただけに、ミアの存在に頼もしさを感じずにはいられなかった。
「しかし、肝心の生贄の確保が夜襲による現地調達とは、随分と雑な段取りだな。そもそも、さらった四人だけでは数が足りてないんじゃないか?」
「それなのよねー。私の推測が正しければ、生贄は五人分必要なはずなんだけど……何でそこだけやり方がチグハグなんだろ?」
これにはミアも不思議そうに首を傾げた。
仕込まれている魔印の質からして、魔法技術そのものはかなり高い水準であることがわかるだけに、その点だけがやけに不自然に思える、と彼女は語る。
「まあ、やり方が雑なのは俺たちにとって好都合だな。それより、この仕掛けはこの後どうすればいいんだ? 対処方法は分かるか?」
「この仕掛けをどうにかするだけなら、魔印を物理的に破壊すればいいわ。けど、それだと新しい仕掛けを作り直されたら結局同じことよね」
「つまり、今後もずっと壁に張り付いて仕掛けを警戒する人員が必要になるわけか。なら、警備の兵を出してもらえるように、この街の役人には俺から掛け合ってみるとしよう」
「うーん、それだけだと根本的な対策とは言えないと思う。敵の正体が分からない以上、警備の隙を突いて、いつまた魔法陣を作り直されるか分からないでしょ? 今この場で解決しておかないと、先送りするには危険すぎる問題だわ……」
ミアは、自分の考えをまとめるようにしばらく小声でぶつぶつと呟いた後、両手でしっかりと杖を持ち直した。
そして、決心した表情で力強く頷く。
「ちょっと難しいけど、私がこの場で封印術を施してみせる」




