第73話 おじ戦士、長期戦を見込む
少し小高いだけの丘とはいえ、頂まで登りきるのは一苦労だった。
ようやく頂上に辿り着いたところで、ミアは大きく息を吐いた。
額に薄く浮かんだ汗をぬぐい、一旦呼吸を落ち着かせる。
息を整える間、丘の上から望む景色を眺めた。つい先ほどまで居たトレスタの街はもちろんのこと、そこからさらに南の地平へと向かって伸びる道がよく見える。
さらに、この丘の上からは周囲に広がる草原地帯も一望できた。草原にまばらに生えている木々はある地点を境に密集していき、たちまち森へと変わっていく。
思った通りだった。ここからなら、辺り一帯の森までくまなく見渡せる。
若い魔術師は、今度は大きく息を吸い込み、天を仰ぐような姿勢のまま静かに瞑目した。小さく開いた淡紅色の唇から、正確な魔法言語が刻まれていく。
『祖は青き糸 惑乱と授与に依りて織り成す 服従の掛布よ――』
詠唱の途中、被っていた頭巾が風に煽られて外れたが、精神を集中させているミアは全く意に介した様子はない。
十分に精神が高まったところで、手にした魔術師の杖を振りかざし、魔力の思念を四方に延ばしていく。この思念は、彼女が魔法によって探知した生物を召喚し、支配するための云わば『糸』のようなものだ。
ほどなくして、その糸の一つに何かの生物の意志が触れるのを感じた。
ミアは意識を集中させ、糸で生物の精神を絡めとって正体を探っていく。
「見つけた」
会心の笑みを浮かべ、小さく囁く。
目当ての生き物をこちらへと誘導するように、ミアは魔力の糸を慎重に手繰り寄せていった。
※ ※ ※
やりたかったことを済ませて丘の麓に戻ったミアは、得られた成果をさっそく仲間たちに披露した。
「――というわけで、はい! 今からこの子に頑張ってもらおうと思いまーす」
「フクロウ?」
ミアの杖の先に止まっている薄茶色の羽毛に覆われた小動物を見やり、セーラは不思議そうに小首を傾げる。
フクロウはほとんど身動きせず、飼い慣らされたペットのように大人しくしている。たった今、捕まえてきたばかりの野生の鳥には、とても見えなかった。
一方、ラルフのほうはミアの意図を察したらしく感心の声を上げる。
「なるほど、試したかったというのは使い魔のことだったのか。この短時間で、よく手懐けることができたものだな」
「うん、あの丘の上からなら、周囲の森を一度に探査することが出来そうに思えたんだよね。そしたら期待通り、近場の森に運良くこの子がいたの」
「魔術師の使い魔というと、普通なら黒猫とかじゃないの?」
セーラはミアに疑問を投げかけつつも、目の前の愛らしい生き物の頭を手の甲でそっと撫でてみた。
すると、フクロウは嫌がる様子も見せず、「ホー」と一声だけ鳴いて気持ちよさそうに目を閉じた。
「まー、世間のイメージはそうかもね。黒猫みたいに知能が高い動物ほど、使い魔に選ばれやすい傾向はあるかなー」
「冒険者の魔術師なら、鳥を使い魔にするのも割と定番だな。空を飛べるというだけでも猫にはない大きな長所だ」
「そそ、使役できる生き物って意外と幅が広いのよ。もちろん場所によって召喚のしやすさはあるけどね。フクロウ以外だと、カラスも多いかな。あとは白鳩とか……」
「珍しいところでは、カエルを使い魔にしてる魔術師も稀にいるよな」
「えっ? いないでしょ、そんな魔術師」
同意を求めたラルフの発言を、ミアは真顔で否定する。
「大体さ、カエルなんかを使い魔にして、何の役に立つのよ?」
「い、いや、そう言われてもな……実際にそういうやついたし、ようは使い方次第じゃないか? カエルなら水の中を泳げるだろうし……」
ミアが大真面目な口調で反論してきたため、ラルフは狼狽えつつも釈明した。
軽い相槌くらいのつもりだったのだが、またしても意味の分からない冗談と受け取られてしまったようだ。
「……うん、まあいっか。使い方次第って言うのは、確かにその通りだもんね」
それでも一応は納得したのか、ミアは曖昧に頷いてみせる。
彼女は表情を引き締めると、手にする魔術師の杖を高く掲げた。
それを合図に、杖の先に止まっていたフクロウは翼を広げ、力強く羽ばたいた。フクロウの体は空へと舞い上がり、その後も大きな翼を動かすたびに、ぐんぐん高度を上げていく。やがて一定の高度に達すると、使い魔はトレスタの街がある方角に向かって飛び立っていった。
「フクロウの眼を通して、空から街の様子を探るんだな?」
「そーゆこと。このまま門が開くまで、ただ待っているだけってのも退屈だしね。実際に街の中で何が起きているのか、少しでも探っておいてほうがいいでしょ?」
「そうだな。あの商人の話を疑うわけではないが、説明をした衛兵がすべて本当のことを話したとは限らない。情報の裏付けを取ってくれると助かる」
「おっけー、それじゃしばらくの間、私は使い魔を動かすのに意識を集中するね」
そう言うと、ミアはそばに生えている手頃な木の一つに背中を預け、その場に座り込んだ。そのまま両眼を閉じ、杖を額に押し当てた姿勢で制止する。
召喚した使い魔と魔術師は、常に精神的な接触を保っている。術者と意識を集中させれば、使い魔の眼で見たこと、耳で聞いたことを、まるで自身が体験したかのように共有することが可能となる。
ミアは今、フクロウの動きを細かく制御し、見聞きした情報を正確に感じ取るべく精神を研ぎ澄ませているのだ。
精神集中しているミアの邪魔にならないように、かといって無防備な彼女が完全に孤立しないくらいの距離まで、ラルフとセーラは移動する。
「どうも嫌な予感がする。あまり考えたくはないが……今日中には門が開かない気もしてきた。念のため野営の準備を進めておくとしよう」
「はい、完全に日が暮れてからでは、たき木を拾い集めるのも大変ですからね」
ラルフの提案に、セーラは素直に頷く。彼女も同じようなことを考えはじめていたところだった。
トレスタの門前からこの場所に移動してから、すでに小一時間は経った。
もう日が傾き始めているのだが、いまだにトレスタの街の門が開かれる気配はない。今からでは一つ前の街まで引き返すだけの時間もないため、街に入れない旅人たちは、必然的にこの辺りで野宿を強いられることになる。
旅慣れている者ならすでに自らが置かれている状況に気づき、野営の準備に動きはじめる頃だ。
ラルフもごく近い範囲内を散策しながら、セーラと協力してたき火に使えそうな枯れ枝などを探して回った。
※ ※ ※
「……どうした、セーラ?」
偶々、自分たちの姿が丘の陰に隠れて周囲から見えなくなったところで、不意にセーラが手を伸ばしてラルフの二の腕を握った。
戸惑ったラルフは首だけをそちらに向ける。
「……何でもありません」
言葉とは裏腹に、セーラはさらに手に力を込める。ラルフの腕を掴んだまま離そうとしない。
やや俯き加減ということもあって、セーラの顔は外套の頭巾に隠れてしまっており、はっきりと表情をうかがうことはできない。だが、彼女の口調はどこか怒っているような響きがあった。
「何でもないということはないだろ」
セーラが腕を握ったまま離してくれないので、ラルフは体ごと横を向いて彼女の正面に立った。身長差と頭巾のせいで顔がよく見えないため、目線を合わせようと屈みこんだところ、突然、セーラはラルフにしがみついた。
ラルフは慌てて抱きとめる。
「おいおい……仕事中だぞ、セーラ」
「分かってます。でも、今は休憩中でもあるのですよね?」
彼女の声は少しだけ拗ねている感じだった。しかし同時に悪戯っぽく、色気すら感じる囁きとなって耳元で響いた。
普段のセーラなら決して発することのない声。二人の時には見せてくれるようになった彼女のありのままの姿だ。
「さっきからずっとミアのことばかり気にしてて、ずるいです」
感情的な抗議の声とともに、セーラはさらに体を密着させた。戦士の身に着ける金属鎧の厚みが二人の間を隔てる。
「君のことは、もっと近くに見ているからな」
ラルフは抱擁に応じながらも、頭巾の上からセーラの頭を撫でた。
突然のことなので驚きはしたが、セーラがこのように感情を爆発させるのは今回が初めてではない。普段の穏やかな外面とは裏腹に、彼女はかなり激情的な一面も持ち合わせているのだ。
そして二人きりになると、そのタガが簡単に外れる癖が付いてしまったらしい。
これまでの一連の経緯からして、責任の大部分がラルフにあることは疑いようもなかった。
「一緒に冒険に出るようになれば、一緒にいられる時間がもっと増えるものだと思ってました」
「実際、増えてるじゃないか。この三日間はずっと行動を共にしてるぞ」
「ほとんどの時間はミアも一緒ですもの。別にそれが嫌というわけではありませんが……ラルフさんと二人っきりで話したい時だってあります」
「それには同意するが、まだ何もかも始まったばかりだろ? 君とはこの先も末永く一緒にいたいと考えてるから、セーラもそのつもりでいてくれると嬉しいな」
冒険者稼業を続ける限り、互いに今日あって明日ない身だ。
その時になって後悔はしたくない。だから向けられる好意にはできるだけ報いたいが、ひたすら激情に身を任せて走り続けられるほど、ラルフはもう若くない。
良い意味でも悪い意味でも、長い目で見た付き合いしか出来そうにない。
そうした妥協点はすでにセーラにも伝えている。
彼女もそのことを思い出したのだろう。ラルフの首に回している手の力が、わずかに緩んだ。
「落ち着いたか?」
「はい、けど……もう少しだけこうしていても良いですか?」
「ああ」
詰まったような声が、セーラの口から漏れる。ラルフはその背をそっと抱いた。
ほんの数呼吸の間だけ影が重なり合った後、セーラは自分から身を引いた。
「……ごめんなさい。仕事中に、突然我儘を言い出したりして」
「謝らなくていい。俺はそういうのを我儘だとは思わない――前にも言ったろ、君のそうした素直な声を聞きたいのだと」
「ありがとうございます。でも、先ほど言ったことはできれば忘れてください。頑張ってくれてるミアのことを妬むだなんて、私どうかしてました」
「……そうか、分かった」
セーラとミアは、はたから見てもまるで旧知の友人のように仲が良い。
二人がどのようにして知り合い、現在の関係に至ったのかはまだ聞いたことがなかったが、私生活でも相部屋で暮らしているのだから、よほどの信頼関係だ。
二人の友情を慮って、ラルフはその場は頷くだけに済ませた。
「あの、あともう一つだけお願いがあるのですが」
わずかに頬を染め、躊躇いつつもセーラは自分の思いを隠さずに伝えた。
「この仕事が無事に済んでからでよいので……またさっきの続きをしてくださいね?」




