第72話 おじ戦士、立ち往生する
トレスタは城塞都市である。
かつて王国の南に存在していた同名の都市国家の首都であり、南部地方の交通の要衝となる重要な戦略拠点でもある。
この街を巡って王国と都市国家は何度も激しい攻防戦を繰り返したが、最終的には王国側が勝利し、都市国家トレスタは街ごと併合された。それが今から百年以上も昔の出来事だ。
その後の領土開拓時代には、トレスタは王国南部における最大の拠点として、特に重要な役割を果たしてきた。しかし、さらに南に向けて領土を拡大していき、周辺地域の街も続々と発展した現在では、当時と比べて存在価値がだいぶ薄れてきている。特に、王国領の南端に遺跡都市フーラが建てられると、トレスタは南部最大の都市としての地位も失うことになった。
元々の都市国家の時代から数えると、建設されてからかなりの年数が経っている古い街ということもあって、街全体がどこか寂れた感があるのは否めない。
それでも、街の象徴である城壁は今もなお健在であり、人口一万人を超える大都市として、トレスタは未だ王国内において一定の地位を保ち続けていた。
そのトレスタへと繋がる古びた街道上に、三人の旅人の姿があった。
「……やはり、見間違えではなかったか」
三人のうち先頭を歩いていた戦士風の旅人――ラルフは小さく呟くと、街道の途中で立ち止まった。遠目には、灰色がかった色合いの高い石壁が見える。
王都を発ってから三日目。
ラルフは、ミアとセーラを新たな仲間に加え、かつて引率の時にも歩いた街道をさらに南へと進んだ。彼女たちの相変わらずの健脚ぶりにも助けられ、この日は夕刻前にトレスタの城壁が見えるところまで辿り着くことができた。
ここまで来ればあと一息だと、つい先ほどまでは三人とも喜んでいたのだが、街に近づくにつれて、ある異変に気付き始めた。何かの間違いではないかと途中まではまだ半信半疑だったが、その疑念もここにきて確信へと変わった。
トレスタの街の門が、無情にも閉ざされていたのだ。
「もう戦が始まってしまったのでしょうか?」
ラルフの隣で同じくその光景を見たセーラが、緊張した面持ちで声を上げる。
これまで街道に沿って南に進んできたが、途中の村々や宿場町の人々の表情はどこか不安げであり、そこに詰めている兵士たちもやや物々しい雰囲気があった。王都にいる間はほとんど実感が湧かなかったが、南に進むほどに目の前に争乱が迫っているのだという現実がまざまざと感じられた。
中でも衝撃だったのは、トレスタの街を治める領主が南征騎士団を裏切って、すでに街から逃亡しているのではないかとの噂が流れていたことだ。
もし、自分たちが街道を進んできたこの数日の間で状況が一気に動いたとしたら、すでにトレスタで戦が始まっていてもおかしくないくらいに思われたのだ。
「そういう訳ではないだろう。確かに、戦が始まれば街の門は閉ざされるだろうが、それにしては静かすぎる。ここまでの道中でも、戦火から逃れてきた者は一人も見かけなかった」
セーラの問いかけに、ラルフは首を横に振って答える。
もし本当に戦となれば、トレスタの守備隊も近隣の都市に向けて伝令兵を送るはずなので、さすがにそれを見落とすはずがない。
それに、見たところ街の周囲で戦闘が行われた様子も無い。もし仮にトレスタが無条件で街を明け渡すことを決めたとしても、南征騎士団が兵を率いてトレスタに進行してきたのなら、その爪痕が何らかの形で残っているはずだ。
そうした形跡が見当たらない以上、現時点でトレスタが南側の手に落ちたとは考えにくかった。
「門を閉じてる理由は街の外じゃなくて、どうも街の中にあるんじゃない? ほら、よく見ると門の前で結構な数の人たちが立ち往生してるよ。もし外部から何か危険が迫ってるのなら、あんな風に悠長に構えてる場合じゃないでしょ?」
ミアは、立ち止まってしまったラルフを追い越して一行の先頭に立つと、額に手を当てながら遠くを見つめるポーズを取る。
彼女の言う通り、トレスタの正門前には遠目にも分かるほどの人の列ができてしまっている。
荷馬車の姿も見えるが、行軍中の軍隊にしては馬の数が少ないため、荷馬車で物資を輸送している隊商か、個人で商売をしている行商人たちだろう。そうした人たちが、街に入れずに立ち往生しているようだった。
「見たところ、差し迫った危険があるわけでは無さそうだな。なら、街のそばまで行って原因を突き止めるとしよう。案外、ただの点検作業とかで門はすぐに開くかもしれないぞ」
ラルフは重い背負い袋を担ぎ直し、身に着けている鎧の金属音を響かせながら、トレスタへと続く街道を再び歩き出した。
促されたミアとセーラも、互いに顔を見合わせて頷き合い、同じように荷物を担ぎ直す。背中に圧しかかる重さを苦にすることもなく、二人ともしっかりした足取りでラルフの後を追った。
※ ※ ※
程なくして、ラルフたちはトレスタの目前まで辿り着いたが、街の門はやはり閉ざされた状態だった。
やむを得ず、自分たちと同じように街に入れずに困っている人たちに、事情を聞いて回ることにした。すると幸いと言うべきか、詳しい事情を知っている者はすぐに見つかった。
「いやいや、参りましたよ。なんとも間が悪いことで、お互い災難でしたな」
隣の街からやってきた行商人だという小太りの中年男性が進み出て、わざわざラルフの話に応じてくれた。
どうも、やることが無くて暇を持て余していたところだったらしい。
「なんでもね、ここのところトレスタの街を騒がせていた連続殺人事件の犯人が見つかったらしいんですわ」
「ほう、その事件については噂に聞いているが、ついに犯人が捕らえられたのか?」
「いや、それがどうもね。見つけたのは良いものの、捕り物のほうが上手いこといかなかったようでして……」
これまで調子よく話していた商人の男は、急にわざとらしい仕草で周囲を見渡すと、ラルフのほうに顔を寄せてきた。
「手前が聞いた話によると、犯人を追っていた連中が一度は犯人を追いつめたにも関わらず、まんまと取り逃がしてしまったとか――で、逃亡中の犯人を街から出さないように、一時的に門を封鎖しているって話ですわ。まー、そんな経緯なんで封鎖といっても本当に一時的なものでしょうな。しばらく待っていれば、じきに門は開くと思いますわ」
男は、顔に片手を当ててひそひそと話す仕草をしているが、声の大きさは普通に話すのと変わっておらず、その時点で色々と台無しだった。これでは周りの目を気にした意味が全く無い。
大体、取り立て隠し立てするような内容でもなかった。
商人にしては随分と癖が強い人物だが、別に悪気はないのだろうとラルフは思った。柔和そうな顔つきで、ずっと人好きのする笑みを浮かべている。ただ単に人と話をするのが好きなだけの人なのだろう。
「なるほど、事の次第は分かったが……あんた、随分と内部の事情に詳しいな。それは一体どの筋から得た情報なんだ?」
「まだ人が少ないうちは、あそこにいる門番が閉門の理由を教えてくれたんですよ。今はもう、大人しく待つようにとの一点張りで取り合ってくれませんけどね。これだけ人数が増えたら、いちいち事情を説明するのも面倒になったんでしょうな」
行商人の男は説明しながら、門のほうを指差す。
門の脇に備えられた小さな格子戸と、その前に立つ鉾槍で武装した二人の番兵が見える。
あれは門を守る番兵が緊急時に使う出入口で、いわば勝手口のようなものだ。今はそこも完全に閉鎖されているため、自由に出入りはできそうにない。
「いやはやしかし、手前ももう長い事この国で商売をしておりますが、こんな場面に遭遇するのは初めてですわ。昨今は、中央と南部の関係も複雑になってるようですし、できればこのまま何も起きずに済んで欲しいものですなー」
「ん、そうだな……事情はよく分かった。どうもありがとうな」
「なんのなんの、こういう時はお互い様ですわ」
行商人はまだ話し足りない様子だったが、ラルフが知りたかったことは一通り聞き終えたので適当なところで話を切り上げることにした。
情報を提供してくれたことに礼を言って、後ろで待っている二人のところに戻る。すると、あの声量ではやはり会話は筒抜けだったらしく、戻った途端にさっそくミアから疑問を投げかけられた。
「こういう壁に囲まれた街で、犯罪者を逃がさないために門を封鎖するのって、よくあることなの?」
「いや、あまり聞かないな。ただ、衛兵たちでは太刀打ちできないほどの凶悪犯が相手なら、門自体を閉じてしまうのは確かに堅実な手ではあるな」
とりあえず街の外に逃がしさえしなければ、あとは方々《ほうぼう》から応援を呼んで対処することも出来るからだ。
とはいえ、殺人犯を掴まえるためだけに門を封鎖するというのは、少々大袈裟すぎる対応だとは思う。
「あるいは、本当に街全体を巻き込む規模での問題が起きてるのかもしれないな」
「というと?」
「つまりだ、その犯人を捕まえようとしている理由は『殺人事件の犯人だから』ではないのかもしれない。そいつがもっと大きな――例えば街全体を巻き込む規模の破壊活動を企んでいると分かったらどうする? 何としてでもその企みを阻止しようと、大勢の人間が動き出すものだろ?」
「もしかして、街を利用した死霊術の儀式を企てている者たちが、すでに見つかったということですか?」
「おそらくな。犯行計画の証拠か、儀式の準備をしている現場を押さえるなりしたんだろう。結果として逃げられてしまっているようだがな」
ラルフは頭の後ろをトントンと叩く。
どうやらカルロッテたちは上手くやってくれているようだ。犯人を取り逃したのは一見すると失態だが、ひょっとするとそれも作戦のうちかもしれない。
実際のところ、内部で何が起きているのかは分からないが、実行犯の始末は表向きには彼女たちの役目だ。
ラルフも出来る限りの支援はすでにしているため、後は信じて待つより他にない。
「ん?」
考え事をしながら何とはなしに視線を巡らせていて、ふと気づいた。
立ち往生する旅人たちの中に、少し異質な気配を放つやつが混じっている。
一見すると普通の旅人のようだが、それにしては荷物がやけに軽装だった。だいぶ長い丈の灰色の外套を羽織っており、同じく灰色の頭巾を目深にかぶっているため顔が見えず、背丈や体つきにも特徴がないため男か女かも分からない。
そして、特に何をするでもなく、ただ一人で周囲の様子を伺っている。
特段目立った動きをしているわけではないのだが、どうも奇妙な感じがした。
近づいて直接話しかけてみようかと思ったが、向こうもラルフに見られていることに気づいたようだった。
旅人は視線から逃れるように、近くの荷馬車の陰にすっと身を隠した。
「ラルフさん、どうかしましたか?」
セーラが少し心配そうに声をかけてくる。ラルフが急に黙ってしまったため不安になったのだろう。
声に気を取られてほんの一瞬だけ視線を逸らした隙に、先ほどの旅人の姿を完全に見失ってしまった。
諦めたようにラルフは小さく首を振る。
「いや、何でもない……さっきの話に戻るが、犯人が捕まるまでの一時的な封鎖なら門はすぐに開くはずだ。それまではどこかで休憩しながら待つとしよう」
「そうですね。まだ少し日差しもありますし、どこか木陰のある場所を見つけて休みましょうか」
「ねね、それなら一つ提案があるんだけどさ。ここに来る途中に小さな丘があったじゃない? 休憩するのなら、できればあの場所が良いんだけど」
しばらく何か考え事をしていたミアが、横から会話に混じってきた。
これまで歩いてきた方向を指差すのでそちらに目を向けてみると、確かにここからでも小高い丘が見える。丘の麓には木々がまばらに生えており、休憩場所としてもなかなか良さそうだった。
「なんだ? わざわざ場所を指定するなんて、あの丘に何かあるのか?」
「まあね。ただ待ってるだけなのもなんだし、少し試したいことがあるの」
ミアは、意味ありげな顔でにんまりと笑ってみせる。
ラルフはよく知っている。
魔術師がこういう言い方をして笑う時は、決まって何か魔法を用いた悪だくみを考えている時だということを。そして、その悪だくみは多くの場合において、現状を打開する有効な一手になり得るということも。
反対する理由もないため、ミアの提案に乗ることにした。
三人は、ここまで歩いてきた街道を少しだけ引き返していった。




