第70話 おじ戦士、協力者を見定める
「ラルフ、また悩み事でもあるのですか?」
寝台で横たわるヘレンは、夫の胸に抱かれたままの姿勢でそっと尋ねた。
背中に回されていたラルフの手が一瞬だけ硬直したが、すぐにまた労わるように背を撫でてくれた。
「分かるか?」
「分かりますよ、普段より明らかに口数が少ないですから」
「……そうか? 自分では普段通りに振舞っているつもりなんだが」
「いつものあなたなら、こういうときにこそ何か一言多いんです」
無遠慮ともいえるその指摘に、ラルフは思わず苦笑いを浮かべる。
とはいえ、自分でも多分に自覚がある癖なので敢えて否定はしなかった。
「他ならぬ妻からの助言だからな。それは誉め言葉として受け取っておくとしよう」
「もちろん、そう受け取ってもらっても結構です。――ようやくいつもの調子が戻ってきましたね。なら、隠し事をせずに全部話してくださいね?」
ラルフは観念したように小さく笑うと、ヘレンを抱いていた手を離して、上半身だけを寝台から起こした。
ヘレンも同じように身を起こしたが、先ほどまで感じていた肌のぬくもりが失われたため、どこか肌寒さを感じて毛布を手繰り寄せる。
「俺は、本隊よりも一足先にトレスタに向かう」
「はい、それは前々から聞いていたので承知していますが……もう王都を発つ日取りまで決めたのですか?」
「ああ、この数日の間で情報収集の目途は立った。そろそろ現地に向かおうかと考えてる――が、今回も人選が悩みの種でな。誰にどう協力してもらうべきか、まだ決めかねているところなんだ」
拳で額をトントンと叩きながら、ラルフは胸の内を語る。
「俺は策略家ではないからな。自分自身が動く分にはいいが、人にあれこれ指示を出して駒のように動かすのはどうも苦手だ」
「これは妙なことを言いますね。いつも的確な指示を出して仲間を守ってきたあなたがそれを苦手と言い出したら、立つ瀬がない立場の人が大勢いそうですが?」
ヘレンは可笑しそうにクスクスと笑うと、ラルフの大きな肩に寄りかかるようにして頭を預けた。
「少なくとも、私には遠慮することなどありませんよ。どんな指示でも出してください。あなたの望みとあらば、どんなに困難な任務でも必ず成し遂げてみせます」
「なら、ヘレンにも一つ頼みたいことがあるんだが……」
穏やかな笑みを浮かべながら寄り添う妻に、ラルフは考えていたことを話す。
しかし、話を聞くにつれ、ヘレンの表情は徐々に険しくなっていく。最後まで話を聞き終えると、彼女は小さく舌打ちまでした。
「さっき、どんな指示でも出してください、って言わなかったか?」
「言いましたけど、それはあなたと行動を共にする前提の話です。――何なんですか、あなたの隣に立つには、私では力不足ですか? そんなに私の腕は信用ならないですか?」
「逆だ。信用してるからこそ、別行動を頼んでいるんだ。お前なら俺がいないところでも期待通りの役目を果たしてくれる。そう思うからこそ、信じて任せるんだ」
ラルフが話している間、ヘレンは彼の眼をじっと見つめた。
昔から口が上手い男だが、もう付き合いも長いため、本心で語っているかどうかは眼を見れば判るようになった。
そして一緒になって以来、ラルフが自分に対して打算の言葉をかけたことは一度も無いのはよく知っている。
「どうだ、やってくれるか?」
「……分かりました、引き受けますよ。それで、彼は今どこに?」
「すでに王都にいる。まだ着いたばかりのようだったから、ひとまず近場の宿屋を紹介しておいた。明日の朝に早速引き合わせるから、具体的な作戦内容についてはその時にでも話すとしよう」
「そうですね」
話が終わった途端、ヘレンはいきなりラルフに抱きついて、そのまま彼を寝台に押し倒した。
ヘレンが怒っていることは分かっていたので、敢えて抵抗はせず為されるがままにしていたのだが、驚くほど強い力で組み伏せられた。
「ヘレン?」
「あなたの我儘に付き合うおかげで、またしばらくは離れ離れです。それは妻としては、とても寂しいことなんですよ?」
「うん、まあ……そうだよな」
「そう思うでしょう? なら、今のうちに埋め合わせをしてください」
ラルフを見下ろす彼女の頬は、薄闇の中でも分かるほど朱に染まっていた。
怒りと羞恥が入り混じった表情を隠すかのように顔を寄せ、唇を重ねてくる。
(いつも俺ばかりが得をしてしまうな……)
こういうのを埋め合わせと言われても、ただの役得でしかないのだが。
すべての事が済んだら、本当の意味で労をねぎらってやらねばなるまい。
ラルフはそう心に誓いながらも、今は目下の妻の要求に応えることに専念した。
※ ※ ※
「おじさん、今日は何か無口だね?」
翌日、ラルフはいつもの食堂でミアとセーラと昼食を共にしていた。
その最中、正面の席に座るミアが唐突にそう切り出してきた。
「ん、そうか?」
「うん、いつもより口数が少ない。あとその笑い方も、なんか変」
何の脈絡もなしに悪口を盛り込まれ、ラルフの笑顔が凍りつく。
表情はそのままで首を横にスライドさせ、顔だけを隣の席に向ける。
「……変、か?」
「変……ではないと思いますよ」
ラルフから引きつり気味の笑い顔を向けられたセーラは困ったように――少し情けない表情になってフォローを入れる。
「いやいや、どう見ても作り笑いじゃん。おじさんは普段そういう笑い方しないって。いつもはなんて言うかー、もっとこう……」
言いかけた言葉を途中で言い淀むと、ミアは少しだけ顔を赤らめて首を振る。
「とにかくさー、みんなでご飯食べてる時に無口になるほどの悩み事があるなら早めに言ってよ。仲間内で隠し事をされると迷惑なの。後々取り返しがつかないことになるんだからね?」
「身につまされる話だな」
ラルフは図らずも崩壊してしまった表情を何とか復元し、ミアのほうへ向き直る。
「まあ、考え事をしてたのは確かだ。俺もそろそろ動き始める時期が迫ってきたのでな……今日はそのことを伝えようと思って、話の切り口を探していた」
「ソードギルドにはもう進軍の命令が下されたのですか?」
セーラが驚いたように声を上げる。
彼女が所属する僧院も、このところ毎日のように騎士団との間で従軍僧侶に関するやり取りが行われているが、具体的な進軍の日取りについてはまだはっきりと言い渡されていない。
「いや、ソードギルドとは別件だ。俺の個人的な考えと、今回の仕事をくれた雇い主様の意向が一致したのでな。ギルドの本隊には加わらず、先行して南へ向かうことに決めた」
「南って……まさかおじさん、戦の元凶を断つためにフーラに乗り込もうってわけじゃないよね?」
「……いきなりそれを思いつくのはすごいな。なかなか過激な発想ではあるが」
冗談めかして笑いながらも、ラルフはミアの発想力に驚いていた。
自分が直接フーラに潜入すること自体は、確かに状況次第ではあり得る話なのだ。ただ、そのような任務が下される状況となると、事態はもう取り返しがつかない段階まで進んでいることになる。
そうした最悪の事態を招かないためにも、今こうして動こうとしているのだ。
「行き先はもっと手前の街で、トレスタという名の城塞都市だ。戦が始まれば、おそらくその辺りが最前線になるからな」
「どちらにしろ、今行ったら危ない場所ってことには変わりないじゃん。なんでわざわざそんなところに行くの?」
「戦の最前線となる場所にはな、必ず両陣営の陰謀が渦巻いているものなんだ」
意味ありげに笑うラルフに対し、ミアは少しうんざりした表情でジト目を向ける。
「あのさー、そういう思わせぶりな前振りはいいから、早くその仕事の内容がどんなのかを教えてよ。場合によっては、私も装備を買い足さないといけないんだから」
ミアはさっさと本題について話すよう促すが、ラルフは彼女を見返したまま不思議そうな顔をしていた。
「なに?」
「いや、こちらが頼む前から同行する気満々の姿勢を見せてくれたのが意外だっただけだ。気持ちの整理とやらは、もうついたのか?」
「そんなの、おじさんにパーティに誘われた時点で九割方は片付いたよ」
「残りの一割は?」
「一晩寝て起きたら、細かいことは割とどうでもよくなったかなー。冒険のネタがあるのなら、今はすぐにでも同行したい気分だね」
あっけらかんと言ってのけるミアを、ラルフはやや呆れ気味に眺める。
何とも現金なものだ。
見方によっては、先日のミアとのやり取りで動揺した自分が単に言質を取られただけとも言えるが、それで彼女のやる気を引き出せたのであれば、嬉しい誤算と受け止めるべきか。
経緯はどうあれ、ミアからは期待していた返事を貰うことができた。
隣の席に座るセーラにも同様に問いかけてみる。
「セーラはどうだ? 危険な場所に向かうことになるが、一緒に来てくれるか?」
「もちろんです。先日申し上げた通り、この身が女神のもとに召されるその日まで、ラルフさんにお供します」
口調こそ控えめだが、セーラの口から紡がれる言葉は相変わらず重い。しかし、今回は事が事だけに、その覚悟の強さがむしろ頼もしく思えた。
今の彼女たちなら十分に協力者たり得るだろう。
ラルフは一つ頷くと、オズワルドから託されているトレスタでの活動内容について、二人に伝えていった。




