第67話 南の首謀者、詰めを誤る
「――リズマイルがトレスタを離れただと?」
フーラ太守ルキウス・イスマインは怪訝そうに眉根を寄せる。
たった今もたらされた報告によって、彼の表情は不機嫌と不可解のちょうど中間くらいになっていた。
不信感をあらわにし、目の前に立つ異国の女を鋭い目つきで睨みつける。
「脅しが効き過ぎたのではないか? よもや、伯爵家の住人に直接危害が及んではおらぬだろうな?」
「いいえ、犠牲となったのはいずれもトレスタの一般市民です。威圧の意図が伝わるように少々派手に殺しましたが、伯爵家とは繋がりのない人間であることに間違いありません」
妖艶な雰囲気を放つ南国の衣装を身にまとった女は、張り付いた微笑を浮かべながら頷いた。
そんな女の態度に、ルキウスはますます厳しい顔つきになる。
市民の殺害を指示したのは確かに自分だ。しかし、実際に手を下しておきながら他人事のような口調で語るこの女には、不快感を覚えずにはいられなかった。
とはいえ、今はそんなことを気にしている場合ではないのも事実だ。
報告の内容について思案するために、一度大きく息を吐いて気持ちを静める。
強めのくさびを打ったことが逆に仇となったか?
それとも、中央が何か謀略を仕掛けてきたのか?
いずれにせよ、今この時期にトレスタの街を離れるのであれば、リズマイル伯爵そのものに駆け引きの材料としての価値は無くなる。
「……まあ、それはよい。リズマイル本人がトレスタにいようがいまいが、あの街から開戦する計画に支障が出るわけではないからな」
中央騎士団の本隊が動き出したとの報告はまだ無い。
騎士団の主軸となる西方領主たちの動員が上手く進んでいないのだろう。そのために各地で策を巡らせてきたのだ。
今このタイミングで決起すれば、南征騎士団の進行が阻まれる心配はない。地の利を活かせる分、中央騎士団よりも先にトレスタを占拠できるのは確実なのだが……。
「こうなると、次は各方面の陽動が予定通り機能してくれるかどうかが重要になるわけだが――」
すべてを言い終えないうちから、ルキウスは渋面を作る。
今朝がた伝わったばかりの報告の所為で、否が応にも不愉快な気分にさせられる。
「北方三国は、国境砦の奪取に失敗したとのことだ。アザイル共和国が他国との連携を無視して単独で軍を進め、勝手に自滅したとか……何を思ってそのような愚行に及んだのか、まったく理解に苦しむ」
ルキウスは執務机の上に広げられた地図に目をやり、王国北部の国境付近をコツコツと苛立たしげに指で叩く。
来るべき時に備えて、北方三国とは密かに連絡を取り合っていた。
機が熟したら、国境の砦に一斉に攻めかかってほしいとの密約も結んでいた。
王国北部の国境線は、現地の領主たちが協力して全砦のうち半数を守備している。残りの半数は、中央騎士団から派遣された第五騎士隊の担当だ。国境砦を守備する第五騎士隊は、この平和な時代においても例外的に実戦慣れしている兵が多い。
戦慣れしている第五騎士隊を、北の地に釘付けにしておくための策であった。
それが今朝になって、北方三国のうち一翼を担うアザイル共和国の部隊が敗れたとの急報が入った。アザイル軍の敗北を受け、他の二国も国境付近に展開させていたそれぞれの部隊を引き上げさせ始めたとのことだ。
「北の陽動に関してはもう諦める。所詮、帝国崩れの弱小国などアテにはならぬか……餌を目の前にして我慢することもできぬ、役立たずの野良犬どもめ」
あまりの言い草に、聞いていた女も小さく失笑する。
かつて大陸中にその名を轟かせたアルザーン帝国。
しかし、その大帝国から分裂してできたという北方三国は、公爵が言うようにもはや烏合の衆と呼ぶしかない弱小国の集まりだった。
旧体制を打倒し、民衆の手による新たな国家をと意気込んだところで、次の支配者に力がなければ結局このような結果になる。
目の前に絶好の機会が転がり込んできても、それを最後まで遂行できるだけの兵もいなければ、軍をまとめ上げることができる将もいない。
何とも憐れなものだ。
力がなければただの弱者であり、弱者は敗者にしかなれない。
我らは決して敗者にはならぬ。そのためにこんな異国の地にまで来たのだ。
「他人事ではないぞ、貴様らの宗主殿は一体何をしている? 約束の日を過ぎたというのに、プリマスが陥落したとの報せはいまだ届いておらぬぞ?」
小さく笑う女を見咎め、ルキウスは再び鋭い視線を投げかける。
女は笑いを引っ込めると、いつも通りの恭しい態度に戻って問いに答える。
「状況が変わったので本国に帰還する、との仰せです」
女の言葉を聞いても、ルキウスはしばらく無言のまま何の反応を示さなかった。
やがて言葉の意味を理解したのか、苛立たしげな表情で笑いながら答える。
「……何だ、そのふざけた返事は?」
殺気を帯びた声と共に、椅子からゆっくりと立ち上がる。
そばに立てかけていた自分の魔法杖を手に取ると、突き刺すような視線で目の前の女を睨みつける。
「ビフロンス、今さらこの儂を裏切る気か?」
「いいえ、そのようなつもりは毛頭ございません」
公爵の冷酷な視線を受けても、名前を呼ばれた女は全く動じた様子を見せない。
これまで同様、淡々と頭を下げ、何事もなかったかのように会話を続ける。
「閣下、ご心配には及びません。各地の陽動が機能せずとも、今ならば予定通りトレスタで開戦できます。開戦後はそのまま一息に王都へ攻め上りましょう。一戦一戦の勝敗にこだわる必要はありません。戦いの都度、我が死霊術によって戦力を増強していけば良いのです」
ルキウスの目からわずかに険が取れ、老獪で抜け目のない視線へと変わる。
その視線を肯定的な意味に捉えたのか、女はさらに言葉を重ねる。
「トレスタの人口は一万ほど、あの街さえ手に入れれば当面の兵力は十分確保できます。後はそのまま次の街、次の街と順に平らげて兵を増やしていけば、自ずと王都までの道は開けます」
「簡単に言う。まるで盤面が見えておらぬようだな、ビフロンス」
ルキウスは冷たい声でそう言い放つと、女から視線を外した。
そのまま窓の側に立ち、階下に広がるフーラの街並を見やる。
「差し出がましかったでしょうか、閣下?」
「愚にもつかぬ。意見にすらなっていないと言っておるのだ」
窓の外に視線を向けたまま、どこか諭すようにルキウスは言葉を続ける。
「貴様の実力は認めるが、思慮が浅すぎる。この国において死霊術は禁忌だ。そのような外法を前面に押し立てて戦に勝利したところで、その後の統治が暗影なく行えると思うか?」
街並の向こうにいる見えない何かを見透かそうとするかのように、ルキウスは目を細める。
「外法を用いるは邪道。そして邪道はここぞという時の一手、奇策だからこそ効果的と言える。バーンライトを吸血鬼にする件を認めたのも、それが理由だ」
吸血鬼という強力な手駒を手に入れる見返りとして、切り捨てる数がわずか百人程度で済むからこそ、あの一手は成り立つのだ。
これが、捨てる数が千人だと聞かされれば、さすがに決断を躊躇う。
さらに一万ともなれば、もはや考えるのを放棄するレベルだ。
「所詮、貴様ら余所者にこの国の価値基準は分からぬ。儂のやり方に口出しはせず、大人しく力を貸すだけでよい」
「承知しました――ところで、閣下。もう一つ、とても良い提案があるのですが」
耳元で囁くような声がした。
公爵は驚きとともに振り返る。それはほとんど反射的な動作だった。先ほどまで机を挟んで向こう側にいた女に、いつの間にか背後を取られていた。
かつて戦場に生きた人間特有の本能が危険を訴える。
護衛の生ける鎧たちに自分を守るよう命じなければ。
理性ではそう判断したが、それがもう間に合わないことを頭のどこかで理解していたのかもしれない。実際に口から出たのは全く別の言葉だった。
「ビフロンス、貴様……ッ!」
公爵の怒りの声は、そこで途切れた。
切り裂かれた首から噴水のように鮮血が噴き出し、口からは意味もない呟きが漏れるだけとなった。
「コン……ナ……」
大きく見開いた目に映るのは、女が浮かべた歪な笑みと、その手に握られた真っ赤な短剣。
それが、フーラ太守ルキウス・イスマインが見た最期の光景だった。
「お前の指し手を悠長に待っている余裕など無い。ヒュドラが見限った以上、我らにももはや後がないのだ。早急に手土産を本国に持ち帰らねば困る……困るのだよ」
血の海に突っ伏した公爵を、女は無感情に見つめながら淡々と呟いた。
「ルキウス、お前の言う通りだよ。死霊術は我が国でも特に扱いが悪い。他の魔術系統と比べ、あまりにも短所のほうが目立つ故に……その認識を覆すには、質と量の両面での成果を示すくらいは必要だ。高慢な大家の連中を納得させるためにはな」
女は、短剣を持っていないほうの手で素早く魔印を描き、短く呪文を唱える。
直後、血の海に突っ伏していた公爵がゆっくりと立ち上がる。
「質のほうは上々。念願であった竜の復活すら実現できたのだからな。残すは……」
すぐそばにある執務机に目を向ける。
その上に広げられた地図の中の一か所――トレスタの街がある場所を凝視し、血に塗れた細い指でその部分をなぞった。
「一度に一万人。それだけの人間を不死生物として利用できれば、量としても質に釣り合うだろう。――そうは思わぬか?」
先ほどまで公爵だったモノに問いかけるが、返事はない。
代わりに、ソレは糸で吊った人形のようにガクリと頭を傾けた。




