番外編 ミアとセーラの一夜
こちらは、第36話の途中で場面転換された二人のやり取りの続きです。
深夜に目覚めた酔っ払いの介抱を終えたセーラは、ようやく自分の寝台に戻って寝直そうとしたところだった。
そのタイミングでミアの突撃を受けたのだから、最初のうちは頑なに寝具の中から出まいと必死の抵抗を続けていた……が、それも程なくして陥落した。
そうして二人でじゃれ合っている間に、完全に目が冴えてしまったからだ。
それに、この話題を中途半端に引きずったままでは明日からの冒険にも支障をきたすことになりかねないと言う、ミアの主張も一理あるとは思った。
一旦ミアを押しのけて、互いの寝台に腰を下ろし向かい合う姿勢に落ち着く。
聞けば、ミアは二人で酔い潰れてラルフに運ばれたあの夜の出来事も、ぐっすり寝ていて何も覚えていないとのことなので、まずそこから話し始めた。
「……それで私、部屋から出ていこうとしたラルフさんに抱きついて言っちゃったの。ご褒美くださいって」
「うひょお!?」
真夜中だというのに、ミアは思わず変な大声を上げてしまった。慌てて自分の口を手で覆ったが、そんなことをしてもこの衝撃が収まるものではない。
あの夜、セーラがそこまで大胆なアプローチをしていたとは露とも知らなかった。そんなやり取りが、自分が眠っているすぐ横で繰り広げられていたという事実に、なおさら興奮してしまう。
耳年増な年頃のミアにとって、この手の話題は魔術を除けば一番興味をそそられる事柄だった。
期待と不安が入り混じったような胸の高鳴りに息苦しさを覚えながらも、どうにか話の続きを促す。
「そ、それからそれから?」
「そしたらラルフさん、私を抱きかかえて」
「うんうん」
「そのまま、この寝台まで運んで……」
「おおっ!」
「頭を撫でて、優しく寝かしつけてくれたの」
「……うん?」
頬に手を当てて嬉しそうに語るセーラであったが、期待していたものとは程遠い流れに、ミアはきょとんとした顔になった。
「えっ、そこまで迫ったのに何もされなかったの?」
ようやく、言葉の意味を理解して聞き返す。
セーラは顔を朱に染めながら、コクリと頷いた。
「えー、それはさすがに……おじさんヘタレ過ぎじゃない?」
「そんなことないわ。ラルフさんは優しいの。むしろ紳士的で素敵だわ」
「えぇ……」
ミアは困惑した。
誘った側であるセーラがそのような解釈をするのは、ますます何かがおかしいと思うのだが……。
しかし、当人は何の疑問も抱いていないようだ。至って真面目な顔をしている。
「私、あの時は男の人のこと何も知らないのに、何となくラルフさんのことを素敵な大人だなって思ってただけだから。そこに、酔った勢いとその場の雰囲気が加わって、つまりその……」
「ほんとはそこまでの覚悟は無かったと?」
再び、セーラはコクリと頷く。
それを見て、ミアは一気に脱力した。
「いや、まあね。結果だけ見たら、おじさんのファインプレーかもしれないけどさぁ……」
ミアの感覚からすれば、それは世間一般的な女性であれば恥をかかされたと怒るところだと思う。もし普段から誰にでもそういう対応をするのであれば、ラルフはとんでもない朴念仁である。
仮にそうではなく、セーラの本心を見抜いた上で完璧な対応をしたのだとすれば、それはそれでとてつもなく女の扱いが上手い男ということになる。
今日の出来事を振り返り、自分への対応に当てはめてみると、何となく後者のような気もしてくるのだが……。
「どっちにしろ何か嫌だなぁ……」
「もう、何よさっきからラルフさんのことを悪くばかり言って。そんなこと言うなら、もうこの話はおしまい。大人しく寝なさい」
「ちょちょ、違うって、別におじさんのことが嫌だとかそういう意味で言ったんじゃなくてね?」
ミアは慌てて取り繕ったが、内心は複雑であった。
その程度の理由でラルフのことを嫌いになるわけではないが、少しだけ見る目が変わったのは確かだった。そのおかげで、ミアはこれまでよりも俯瞰した視点で自分の感情と向き合うことができた。
ラルフのことは好きだ。
しかしその好きは、本当に恋愛感情なのだろうか?
先ほどセーラが言ったように、素敵な大人を理想の異性と錯覚しているだけのようにも思える。
確かにラルフは、ミアが故郷を発って以来、ずっと探し求めていたものを持つ理想の存在ではあった。しかしそれは、自分の恋人として見た場合も理想なのかと考えると、途端にイメージがぼやけて自信が無くなってきた。
「……レンアイって難しいね。やっぱ私にはまだ早いのかなー」
「なら、これまでと同じように振舞えば良いわ。でも心配しないで、仮にあなたの態度が急によそよそしくなったとしても、ラルフさんはそれであなたへの接し方を変えるような人じゃないから」
「今の台詞、なーんかいやらしくない? あの人のことなら何でも分かってますって態度……そこまで言うなら知ってると思うけど、おじさんって既婚者だよ?」
「もちろん知ってるわよ。相手の方ともお話したことあるもの」
セーラはミアの指摘に動じる様子もなく、穏やかな表情のまま言葉を続けた。
「ラルフさんはね、私のことを必要としてくれたし、私が何に悩んでいるのかも全部分かってくれてたの。二人の時はいっぱい褒めてくれるし、想いも受け止めてくれる……だから大好きなの。相手がいたとしてもその気持ちに変わりはないわ」
そう恥ずかしげに語るセーラの告白を、ミアはふんふんと頷きながら聞いた。
あれだけ歳の離れた相手を好きになる理由としては、少々安直すぎないかとも思えたが、ミアとてそうした恋愛経験は不足しているのだから偉そうなことは言えない。実際のところ、何が正解なのかもよく分からないというのが本音だった。
胸やけしそうなくらい甘い恋愛観には多少閉口したが、それが友人にとっての幸せなら喜んであげるべきなのだろうなと、ミアも一旦は納得しかけた。
ただ一点、気になる発言が混じっていたことに気づくまでは……。
「ふーん……って、ちょい待ち。二人の時って、何それ? ちょっとそこのところ、もう少し詳しく――」
問いかけから数瞬の後、セーラは頭まですっぽりと寝具の中に納まっていた。
ミアが声をかけるのも間に合わないほどの、驚くべき俊敏さだった。
「えっ、いやあの、セーラ?」
「……今日はもう遅いから寝ましょ、ミア」
寝具の中から、わずかに聞き取れるくらいのか細い声が返ってきた。
(……これ以上は踏み込んでほしくないってことか)
一瞬だけ見えた、耳まで真っ赤にしたセーラの顔がそう主張していた。
ミアは少し気まずそうに頬をかきながら、諦めて自分の寝具に潜り込んだ。
正直言って、この先の話題にこそ興味があるのだが、度を超えた詮索は災いのもとにしかならない。互いの関係を思えばこそ、越えてはならない一線もある。
「おやすみ、セーラ。また明日ね」
隣の寝台に向かって小さく声をかけ、ミアは眠りについた。