第54話 おじ戦士、帰路につく
調査を終えたドニーがラルフたちのところに戻ってきた。
地上に通じる出口の扉がどれか分かったとのことだが、そう語るドニーの顔は何故か不機嫌そうだった。
理由を聞いたところ、事前に教えられていた符号と合致したのは、結局一番最後に調べた扉だったらしい。
「無駄に疲れちゃったよ。反対側から調べていれば、すぐ見つかったのにさ」
ハズレくじを全部引かされたような気分だと、ドニーは頬を膨らませて面白く無さそうに言った。
妙なところで子供っぽい反応を見せるドニーに、ラルフはどう返したものかと一瞬言葉に詰まったが、とにかく労いの言葉をかけることにした。
「……ご苦労だったな。ところで、他の扉に関してはどうだった。何か気になる痕跡は見つかったか?」
「二つ目に調べた扉は、最近開けた跡があったよ。扉の付近には目立つ足跡もたくさん残ってたし、ヒュドラ家はそこから出入りしてるんじゃないかな」
「その扉に鍵はかかってたか?」
「さあ、そこまでは調べてないよ。目的の扉じゃなかったからね」
下手に触って罠とかあったら危ないしと、ドニーは肩をすくめた。
それもそうかと、ラルフもその説明に納得した。
「元々、契約外のことをしてもらっているんだ。ここで無理をさせて危険に晒すつもりはない」
口ではそう言いながらも、正直なところ落胆はしていた。
ヒュドラ家がこの街で何かしようと企んでいるのなら、魔族がいるというこの場所にこそ証拠があると踏んでいたのだが、どうやら考えが甘かったようだ。
本音を言えば、もう少し粘って調査を続けたいところだが、今は最低限の準備だけで敵地に乗り込んでいる状態だ。
ここで無理に深入りをしてしっぺ返しを食らったら、元も子もなくなる。
「魔族どもが街に放たれる前に始末できたのは一定の成果だが、現時点でヒュドラ家の連中を追い込むには決め手に欠けるな。何か物的証拠の一つでもあれば、後はそれをネタにこの街の衛兵を動かして済む話なんだが」
「実際に魔族はいたわけですから、状況証拠を知っている我々が直接問い詰めれば良いのではありませんか?」
「結局、殴り込みになるわけか。あまり気は進まないが……最悪の場合、それでいくしかなさそうだな」
不承不承ながらも力押しの提案を受け入れようとしたラルフであったが、ドニーはそれに対して懐疑的な反応を示した。
「どうだろう? ヒュドラ家の人間に力づくで迫ったところで、そう簡単には尻尾を見せないと思うよ?」
「ほう? どうも気になる口ぶりだが……まあ、その話の続きは帰ってからにするとしよう。もはやこの場所に長居は無用だ」
ドニーが何をもってそう思ったのか意見を聞きたかったが、今この場で急いで話すほどの話題でもない。
宿に戻った後で、ゆっくりと聞けばいい話だ。
何より、疲れた。今日はもう休みたい。
ラルフは重い足取りで、聞いていた出口の扉に向けて歩きはじめた。
「あの光っている魔法陣は、そのままにしておいて良いのですか?」
すぐにその後を追ったヘレンだったが、ラルフが柱の魔法陣を残したまま帰ろうとすることに困惑している様子だった。
「良いとは言えん。だが、素人があの手の魔法陣を迂闊に壊したりするのは危険だ。破壊した際にどのような悪影響を及ぼすかも分からないからな。魔法陣を読み解ける魔術師が同行していない場合は、放置するようにと教わった」
「……そういうものなのですね、分かりました。しかし、それだけの知識を語れる人が、魔術の素人とはとても思えないのですけど」
「実際に魔法が使えない以上、どれだけ知識を蓄えていようが素人は素人だよ」
自分が知っている魔法に関する知識など、仲間の魔術師たちからの受け売りだ。自分に魔法の素養が無いことは、ラルフ自身が一番よく分かっている。
まだ冒険者になりたての若い頃、少しだけ勉学に励んだ時期もあった。だが、魔法言語に関してだけは何一つ理解することができなかった。
頭の良し悪しというより、適性が無かったのだ。
とはいえ、ラルフはそのことについて特に執着はしていなかった。
「こういうのは後で専門家に任せればいい」
何でも自分でやろうとするやつは、いずれどこかで失敗する。
頼ってもいい仲間がいるのなら頼ればいいのだ。
※ ※ ※
プリマス港にある倉庫街の一角。
この場所に立ち並ぶ倉庫の大半が、何らかの形で盗賊ギルドの利権に絡んでいることは、この街において公然の秘密である。
それら倉庫のうちの一つで、ガズリーはラルフたちの帰りを待っていた。
この倉庫の奥には、ギルドの中でも限られた者だけが利用できる隠し部屋がある。
窓一つない殺風景な小部屋で、倉庫と繋がる扉の他には、床にぽっかりと方形の穴が開いているだけだ。この秘密の抜け穴は、普段は落とし戸で閉じているのだが、この穴から伸びる下り階段は地下通路へと繋がっている。
「あの……兄貴?」
「なんだ?」
唯一、隠し部屋まで同行させた部下が、緊張に耐えかねたように声を上げた。
困惑の色を隠そうとしない部下に、ガズリーは僅かに苛立った口調で返した。
「その、この階段から上がってくるのが例の戦士たちじゃなかった場合は落とし戸を閉じなければならねぇのは分かります。けど、もしそうだった場合……その後どうするつもりで?」
「どうもしねぇ。そうはならねぇという前提で俺たちはここにいる」
「け、けど、手練れの暗殺者を何人も送り込んだのに誰一人として戻らなかったんですよ? 偵察のためだけに潜ったパーシブさんのとこも、悪魔に見つかって何人か殺されたって……」
「あのなぁ」
ガズリーは部下をぐいっと引き寄せると、その肩に手を回した。
「俺はもう、賭けに乗っちまってるんだ。あのソードギルドの連中が本当に魔族を倒せるか、本気で倒すつもりがあるかなんて今さら関係ねぇ。一度決めた以上は、もう最後まで付き合うしかねぇんだよ。それとも何か? お前は今からでも俺を見限って別の幹部の下につくか? ヤツらの負け戦に付き合うか?」
「いえ、そんなつもりは……」
「だったら、よく考えろ。お頭はこの件を俺に一任したんだ。他の幹部どもではなく、この俺にな――なんでだと思う?」
「そ、そりゃ、兄貴なら問題を解決できると、お頭もお考えになったんじゃ……」
しどろもどろに返事をする部下に、ガズリーは獰猛な笑みを浮かべた。
緊張をほぐすように、部下の肩を二度ほど叩く。
「あぁ、その通りだ。お頭の態度を見たとき、俺はピンときたね。お頭はよぉ、あのソードギルドの戦士――ラルフ・オブライトのことを知ってたんだ。素性を知った上で、俺に任せると言ったんだ。あいつらなら魔族を倒せると、お墨付きをもらったようなもんじゃねぇか。勝ち馬に乗るだけで大手柄なんだぜ?」
部下は怯えをその表情に滲ませながらも、こくこくと何度も頷いた。
「実際よぉ、あのおっさんは強かったぜぇ……あいつを連れてきた時点で、俺の一人勝ちはもう決まったようなもんなんだ。だからお前も口の利き方には気を付けろ。この先、誰に従うのが得か、今のうちに身の振り方をよーく考えておけよ?」
「は、はい……」
肩に回した手を離すと、部下は後ずさりながら深々と頭を下げた。
ガズリーはふんと小さく鼻を鳴らした。
頷いてはいるが、実のところこいつは何も分かっていない。
ガズリーとて、末席ながらも盗賊ギルドの幹部として組織の内部に深く食い込むことができて、初めて分かったことだ。
この商売において、目に見えた危険を避けることなど大して難しくはない。重要なのは、敢えて危険な道を進むことによって得られる見返りだ。それを物にできるやつだけが、この世界でのし上がっていく。
しかも、他の幹部どもは揃いも揃って策を仕損じてくれた。
こんな都合の良い機会には滅多に巡り合えるものではない。
一歩間違えば、盗賊ギルドという組織の瓦解に繋がる綱渡りな状況とも言えるが、それこそが最大の好機でもある。ようやく巡ってきた一世一代のチャンスを、ガズリーは逃すつもりはなかった。
そこでふと、ガズリーの思考が遮られた。
鋭い目で抜け穴のほうを睨む。
微かにだが、何者かが階段を上ってくる足音が聞こえる。
「どうやら、勝ち馬が決まったみてぇだな」
ガズリーはポツリと呟いた。
それは気持ちを落ち着かせるために発した独り言だったのだが、隣で聞いていた部下には死刑宣告にでも聞こえたのだろう。
極度の緊張に震えながらも、部下は何とか自分の役目を思い出し、いつでも抜け穴を閉じれるように落とし戸に手をかけた。
まだ肝が据わり切っていない部下の態度を見て、ガズリーは皮肉めいた笑みを浮かべた。もし上がってくるのが魔族だったら、今ここで落とし戸を閉めたところで結局は同じことだ。
(その場の時間稼ぎくらいにはなるかもしれねぇがな)
どの道、この大役を果たせなかった時点で自分に明日はない。
ギルドを離れ、どこか別の街に逃れて隠れるように暮らせば命まで失うことはないかもしれないが、そんな惨めな生活など考えるだけでも馬鹿馬鹿しい。
策が成功するという前提で今後の計画を練ったほうがよほど建設的だ。
そんなことを考えている間にも、足音はどんどん大きくなっていく。
ガズリーは期待と緊張で薄ら笑いを浮かべながらも、油断なく階段を見つめた。
階段の奥に広がる暗闇の中に、うっすらと赤い灯りが現れた。