第53話 おじ戦士、デーモンを倒す
曲刀の投擲を顔面に受け、上位魔族は上半身を大きく仰け反らせた。
馬の形をした頭部が重苦しい叫びを上げる。
その声は馬の嘶きとは全くの別物。地の底から響いてきたような、おぞましい咆哮だった。
(この程度で怯みはしないか……)
刀剣が頭部に突き刺さっているにも関わらず、上位魔族は大して苦痛を感じている様子はない。刺さった刃を片手で引き抜くと、仰け反った状態から姿勢を戻そうとする。
しかし、単眼を潰されたことで邪眼の魔力は使えなくなったはずだ。
悪夢の魔族との戦いでは、厄介な邪眼を如何にして封じるかがまず鍵となる。真っ先にそれをしておかないと勝負にすらならない。
視力を奪った隙をついて、このまま一気に畳みかけたいところだったが、ラルフが頭で考えるのとは裏腹に身体のほうが応じてくれなかった。
(足にきてるな)
先ほど受けた邪眼による精神攻撃の影響だろう。
ラルフが思っていた以上に、足に力が入らなくなっていた。
瞬間、背中に殺気を感じる。
ラルフは長剣を引き抜き、身体を捻らせながら地に倒れた。
背後からの攻撃を避けたと見るや、膝立ちの状態で右手を一閃させ、斬りかかってきた相手――先制して片手を切り落とした下位魔族の腹を裂く。切り裂かれた魔族の腹からは黒い体液と共に千切れた内臓が溢れ出る。
魔族は片手を失い、腸を撒き散らしながらも、残された腕で曲刀を振りかぶった。だが、もはや動きに勢いがない。
一息にとどめを刺すべく、ラルフは立ち上がろうとしたが――それを阻むタイミングで再び背後からの殺気。
「ちっ」
追撃は諦め、身を沈める。
髪の毛をかすって、それはラルフの頭上を通り過ぎた。
上位魔族が投げ返した曲刀は回転しながら飛来し、ラルフと一直線上にいた下位魔族の胴体を真っ二つに切断した。
曲刀はその後も勢いを失うことなく突き進み、石床に突き立った。
カァン!
床から硬質な音が響くよりも早く、ラルフは次の攻撃に備えていた。
低い姿勢のまま身を半回転させ、後ろに跳びすさる。
直後、巨大な黒い影――上位魔族の左脚が眼前に振り下ろされた。
先端が馬の蹄のようになっている脚部は、硬い石畳を叩き割り、一瞬前までラルフがいた場所を大きく陥没させた。
ただの跳躍からの踏みつけだが、その速度と破壊力が尋常ではない。ただし、体重がかかっているため、その分隙も大きい。
ラルフは自分の足に力が戻っていることを確かめた。
次に生じた隙を狙って斬り込もうと、膝をたわます。
そこへ魔族の右脚――何の工夫もない力任せの蹴りだが、受ければ盾が破壊される。これも受けるわけにはいかない。瞬時に判断し、身を捻ってかわす。
蹴りは獲物を捕らえることなく空を切り、右脚が地面に着地した。
(ここだ!)
躊躇なくラルフは前に出た。
両脚が身体を支えるためだけに使われる瞬間。次にどちらかの脚を攻撃に使おうとすれば必ず溜めが必要になる。それならば見てからでもかわすのは容易い。つまり、次に警戒すべき攻撃は腕のみ。
右上から左下へ剣を振り下ろし、魔族の右膝を斬りつけた。
直後、予想通り右腕での反撃がくる。
左上から迫る拳を、今度は避けずに盾で弾いた。攻撃を弾かれた魔族は、わずかに体勢を崩す。その機を逃さず、身体を反転させ再度斬りつける。狙いは先ほどと同じく右膝の関節だが、今度は逆側から振り抜く。
その一撃が決定打となり、自立を困難とするほどの深手を右脚に負わせた。
さしもの上位魔族といえども堪らず膝が折れる。
膝が折れた分だけ頭部が下がる。
ラルフは刃を返し、魔族の喉元を剣の切っ先で斬り裂いた。
首から大量の黒い血が勢いよく飛び散ったが、これだけの深手を負いながらも魔族は動くのを止めない。しかし、その動きは着実に鈍くなっている。
魔族の腕が再びラルフを狙って伸びてくるが、前の攻撃よりも明らかに遅い。
ラルフはその攻撃を難なく盾で受け止めた。受け止めてから、力を後ろに流す。それによって、より深く魔族の懐に踏み込める。
負傷している喉元めがけて、もう一度剣を跳ね上げた。
※ ※ ※
首を切り落とされた後も、上位魔族はその驚異的な生命力を発揮し、しばらくの間は生きながらえて抵抗を続けたが、もはや脅威にはならなかった。
それでも、ラルフは油断することなく追撃を加えた。
残る腕と脚の関節を潰し、胴の急所にも突きを入れたところで、上位魔族はようやく動きを止めた。
それとほぼ同じタイミングで、ヘレンも残りの下位魔族を二体とも屠っていた。
「怪我はないか?」
ヘレンのもとに駆け寄り、ラルフは尋ねた。
「ええ」
厳しい顔のまま、槍使いの女戦士は頷いた。
その返答に反して、彼女の左腕には赤いものが滲んでいた。
「負傷しているじゃないか」
「ほんのかすり傷です。支障はありません」
「ダメだ」
ラルフはぴしゃりと言い放った。
「軽傷でも隠さずに報告するようにと、いつも言ってるだろ」
そう言い含めながら、彼女の鎧の破損した部位を外し、負傷の具合を確認する。二の腕から肩にかけて革製の鎧下が切り裂かれ、浅い切創が見える。
ラルフは腰のポーチから包帯を取り出すと、慣れた手つきで傷口に巻いていく。
「応急処置はしておくが、地上に戻ったらきちんと僧院で診てもらうぞ」
「大袈裟ですって……あなたのほうこそ、ひどい顔をしていますよ」
「ああ」
自分の顔は見えないが、どうなっているかは何となく想像がつく。
瞼が重い。まるで不眠不休で一日中戦った後のような倦怠感がある。ひどくやつれた様な顔をしていることだろう。
上位魔族から精神攻撃を受けた影響だ。心身ともに疲弊しており、気分的には今すぐにでも横になって休みたいくらいだった。
「俺のは言ってみれば、ただ疲れているだけだ。一日休めば治るさ」
「あなたという人は、またそうやって――ッ」
包帯の端を結ばれた際の痛みで、ヘレンは一瞬声を詰まらせた。途中まで言いかけていた言葉も途切れてしまう。
「これでよし――ドニー、出口の扉は分かったか?」
ラルフは包帯を巻き終えると、広場の奥のほうにいる仲間に声をかけた。
戦いが終わると直ぐに、ドニーが奥の扉に向かって行くのが見えた。
出口に通じる扉がどれかなのかを、早速調べてくれているのだろう。
「……もう少し待ってよ。扉の数が多くて、ひとつずつ調べるだけでも大変なんだからさ」
そう急かさないでほしいな、などとぶつぶつ文句を返しながらも、ドニーは広場を走り回って次々に扉を調べていく。
手際よく調査を進めてくれているようだが、何しろこの広場には扉が八か所もある。この分だと、事前に教わった符号の扉を割り出すには、まだしばらく時間がかかりそうだった。
ならば丁度良いとばかりに、ラルフも周囲を見て回ることにした。
最初に広場に踏み込んだ時点では気づかなかったが、戦いの最中から気になっていたことがある。地上に戻る前にそれらを確認しておきたかった。
ラルフは広場に立ち並ぶ柱のうちの一つに近づくと、その手前で立ち止まった。
石柱には小規模な魔法陣らしきものが描かれている。
よく見れば、他の柱にも同様の魔法陣が描かれており、そこから発せられる青白い魔法の光が、広場全体を均等に照らし上げていたのだ。
「何か見つかったのですか?」
背後から声をかけられる。
ラルフと同様に手持無沙汰となったヘレンは、自然と彼の後ろを付いて回る形となっていた。
「柱に魔法陣が描かれているな。昔はこんなもの無かったはずだ」
「……本当ですね。私には、柱自体が光っているかのように見えてました」
柱に使われている石材に元々付いている模様と、魔法陣の線とが重なり合っている部分もあり、遠目には両者の区別が付きにくい。
よほど注視して見なければ、魔法陣の存在には気づかないだろう。
「上位魔族まで動員してこの広場を守らせていたわけだからな。ここしばらくの間、足を踏み入れることができたのは、ヒュドラ家の連中だけのはずだ。それは間違いない……が、問題は連中がこの魔法陣を残している目的だ」
ただ明かりが欲しいだけなら、小石に魔法をかけるだけでも事は足りる。
「一体、何の目的でこんなものを……」
「魔族を召喚するのに使ったのではありませんか? あれだけの数の魔族を、南国から直接船で連れてきたとは考えにくいでしょう?」
「魔族を召喚するための魔法陣なら、もっと大きいのが必要だ。それなら柱など使わず、床に直に描けばいい」
ラルフは状況を確認しながら、自分自身も納得させるように答えていく。
そこでふと何かに気づくと、今度は部屋の片隅に向かって歩き始めた。ヘレンも槍を片手にそれを追う。
二人が向かった先には、別の大きな魔法陣があった。今度はちゃんと床に描かれている。ただし、こちらは陣の中央におびただしい量の血痕が残されていた。
饐えた血の臭いにヘレンは思わず顔をしかめた。
「おそらく、こっちが召喚に使われた魔法陣だ」
「……この血は人間のものですか」
「だろうな、魔族の召喚は生贄の肉体を介して行うのが常套手段だ。最初のうちは盗賊ギルドも積極的に魔族に挑んでいたようなことを言っていたから、おそらくはそうした連中が犠牲になったのだろう」
ラルフはその場にしゃがむと、魔法陣をつぶさに観察した。
魔法に関する専門的な知識は無いが、この魔法陣の状態から察するに、まず間違いなく魔族の召喚に使われたものだ。
その証拠に、こちらの陣には端の部分を敢えて削り取った跡がある。
意図的に魔法陣を破壊して、その機能を失わせたのだ。
「召喚魔法陣は、用が済んだらすぐに破壊するのが鉄則だそうだ。異界に繋がる門をいつまでも残しておくと、あちら側から逆に利用される危険性が高まるからな」
「随分と難しいことまで知っているのですね。まるで魔術師のようですよ」
「……よしてくれ、実際の魔術師はもっと口やかましいぞ」
特にオズワルドのやつは、事あるごとにこの手の知識を熱弁してくれた。
昔の記憶を呼び起こすたびに、やつの嬉々とした語り口が頭をよぎる。
当時はほとんど聞き流していたつもりだが、自分でも意外なほどに知識として残っていてくれていたようだ。
ラルフは苦笑いを浮かべつつも、口煩いかつての仲間に感謝した。