第52話 おじ戦士、デーモンと戦う
事前に取り決めた隊列を維持して、三人は地下通路を歩いていく。
ラルフと隣り合って先頭に立っていたドニーだったが、通路を少し進んだところで何かに気づいて立ち止まった。
彼はその場でしゃがみこむと丹念に床を調べ始めたが、ほとんど時間をかけることもなく調査を終え、再び立ち上がった。
「間違いないね。ついさっきまで、ここに魔族がいたはずだよ」
石造りの床に微かに残されていた足跡を指差しながら、ドニーは囁くような声で伝えてきた。
暗がりでは分かり難いが、よく見れば確かに足跡らしきものが残されている。そして、その形状は明らかに人間のものではない。
「たぶん、ボクたちが近づいてくるのに気づいて、奥に退いたんじゃないかな」
「さっきの二体が殺られたことに、残りの魔族たちも気づいただろうからな。この狭い通路で戦ったところで、各個撃破されるだけと判断したわけか……やはり一筋縄にはいかんな」
これが並の魔物であれば、獲物の気配を察知すれば次々に襲い掛かってくるところだが、高い知能を持つ魔族はそれをしない。相手との力関係を見誤れば、狩られるのは自分たちのほうだと理解しているからだ。
その狡猾さこそが最も恐ろしい。
力が強く、魔法にも長けているなどというのは、ただの能力でしかない。
その能力を的確に行使できる知能の高さこそが、魔族が並の魔物とは決定的に異なる点だ。
「前情報の通りであれば、残る魔族は四体ですか。この先にあるという広場にその四体がすべて待ち構えているとなると少々厄介ですね」
「単純に数で不利になるからな。しかし、この先の広場か……細かい構造はあまり覚えてないが、たしか広い部屋のあちこちに大きな柱が立っている――広場というよりも古い神殿のような造りの場所だった気がするな」
通路を更に進むと、事前に聞いていた分かれ道が見えてきた。
ここまで辿ってきた足跡は左右に分岐する道には踏み入っておらず、すべて奥の広場に至る道へと続いている。
「伏兵を潜ませている様子も無しか。やはり、残りの戦力をすべて広場に集中させているようだな」
「そうだねぇ、左右の道には足跡が見当たらないし、少なくとも魔族がそこら中をうろついてるってことはなさそうだね」
「どういう命令に従って動いているのかは知らないが、それがせめてもの救いだな。この分かれ道のほうに進んでいけば、それぞれプリマス港の東岸と西岸にある出口に繋がるはずだ。途中の道はかなり入り組んでいるから、出口まで辿り着くにはそれなりに時間はかかるがな」
「ほぇー、冒険者って潜った遺跡の構造までいちいち覚えているものなの?」
「まさか、そんな記憶力の無駄遣いはおすすめしないぞ。この遺跡は特別なんだ……わざわざ地図化のためだけに潜った場所だからな。調査の都合で何度も通った道だから、割と記憶に残っているだけの話さ」
とはいえ、脇道に逸れて地上に戻ったところで意味がない。
魔族の足跡が残されている道を選び、奥へ奥へと更に進んでいく。
やがて通路の一番奥に辿り着いたが、その先に見えたのは地下とは思えないほど明るい光を湛えた場所だった。
※ ※ ※
広場は、部屋全体が青白い光に満たされていた。
魔法による照明の光だ。
一体誰が、なぜ広場にそのような魔法をかけられたのかは分からなかったが……それは今考えるには些細な問題であった。
その光の中で待ち受けていた存在にどう対処すべきかという、切迫した問題に直面しているからだ。
部屋の中央付近には何かが崩れて出来た瓦礫の山があるのだが、その山の頂に座る黒い影が、とりわけ強烈な存在感を放っていた。
「これは予想外だな……上位魔族か」
予想外の強敵の出現に、ラルフは厳しい顔つきで目を細めた。
かつて戦った憶えがある個体だ。たしか悪夢の魔族という名であったと記憶している。黒い巨人の肉体に、馬の頭を乗せたような外見だが、馬の頭には本来あるべき場所に眼が無い。顔の中心にあたる場所に巨大な眼球が一つ付いているだけだ。その不気味な単眼が、この魔族の異形さを一層際立たせていた。
あの単眼には、相手の精神を直接削り取る邪眼の魔力が備わっている。
至近距離で邪眼に睨まれれば、並の人間なら一撃で昏倒してしまうだろう。
そして、その視線の攻撃で精神を破壊されたら最後、永遠に目覚めることのない悪夢に囚われ、やがて死に至るのだ。
これほどの強敵には滅多に遭遇するものではない。下位魔族とは比較にならないほど強大な力を持つ魔物であり、竜や吸血鬼に比肩するほど危険な存在だ。
「上位魔族を召喚できるような人間が、この世に存在するとは思えんが……まあ、この場にいる以上は仕方がない。あいつも倒すしかないな」
上位魔族を呼び出せるのは上位魔族のみ、などという皮肉めいた通説すら冒険者の間ではあるくらいなのだが、今は召喚の出所を気にしている場合ではない。
この広場にいるのは上位魔族だけではないのだ。
上位魔族を取り巻くように、三体の魔族が彫像のように佇んでいる。
三体とも同じ種類の下位魔族だ。白く細長い身体をしており、顔には本来あるべき部品が何一つ無く、奇妙な模様だけが描かれた頭をしている。
手には、二股の槍、柄の長い大鉈、内側にくの字に湾曲した双刀と、三体がそれぞれ異なる武器を持っている。
その輪郭はさながら、仮面で顔を覆い隠している処刑執行人のようだった。
「手前の三体は仮面の魔族だな。武器の扱いに長けた個体だが、魔法は使わない――ヘレン、一人で三体いけるか?」
「さすがに厳しいですね。なので、あなたが奥の大物を早く仕留めてください。そしたら二対三、余裕です」
ラルフは表情を変えずに、声だけで小さく笑った。
なかなか骨の折れる注文だが、上位魔族の相手は自分にしかできない仕事だ。
数で劣る以上は、乱戦の中でそれぞれが与しやすい目標を撃破していくしかない。
「分かった、任せておけ」
ヘレンに了解の旨を返した後、ラルフは『隠れてろ』とドニーに一声かける。
それを受け、ドニーはすぐさま指示通りに動いてくれた。手近な位置にあった石柱の一つに移動して、その裏側に身を潜める。
戦いは苦手だと言っていたが、やはりドニーは場慣れしている。足手まといにならないよう、自ら安全確保のために動いてくれるだけでもありがたい。
ラルフにとっては、それだけで十分な援護だった。
もはや懸念することは無くなった。戦いに集中できる。
「長物持ちの二体は任せる――いくぞ」
合図とともにラルフは剣を抜き、魔族の群れに向かって駆け出した。
ヘレンも槍を構え、ラルフの合図から一拍置いてから後に続く。
それを待っていたかのように、彫像の如く動かなかった下位魔族たちも動き出した。先行するラルフに殺到し、各々の得物を振るい襲いかかる。
ラルフは最初の二股槍を大きく迂回して避け、続く大鉈はすれすれの間合いで見切って横をすり抜け、最後の双刀は盾で受け止めた。受けると同時に剣を振るって、二対の曲刀を持つ魔族の腕を斬りつける。
魔族の片手が曲刀ごと宙を舞い、上位魔族の眼前に落ちた。
それをきっかけに、ようやく上位魔族も動き出した。瓦礫の玉座から立ち上ると、自らに迫る矮小な存在を嘲笑うかのように低い唸り声を上げる。多少、武器を使った戦いに長けていようと人間は人間。自慢の邪眼で精神を破壊すれば終わりとでも考えているのだろうか。
一方のラルフも、片手を切り落とされて怯んだ魔族をすかさず盾で殴り倒すと、そいつにはもう構うことなく上位魔族へと向かっていく。
残る下位魔族たちは、駆け抜けていくラルフに追いすがるべきか一瞬だけ躊躇したが、その一瞬の迷いをヘレンは見逃さなかった。彼女がラルフよりも一拍遅れて動き出したのは、まさにこれが狙いだった。
「はっ!」
空間の広さを活かして槍を大きく振るい、先頭の魔族を横になぎ払う。その初撃を、魔族は手に持つ二股槍で辛うじて受け流したが、ヘレンは横なぎの勢いを借りて槍を回転させ、今度は袈裟切りに胴を斬りつけた。
胸から腹にかけて深い傷を負い、魔族の白い肉体からどす黒い体液が噴き出る。
先制で深手を負わせたことで、そのまま一気にとどめを刺したかったが、大鉈を持った魔族がすぐ近くまで迫ってきた。大鉈の間合いに入らないよう、足を狙った突きで牽制しつつ、一旦下がって距離を取り直す。
早々に一体目を屠ることは出来なかったが、ヘレンは技量面での優位を確信した。
人間でも力自慢の戦士にはありがちだが、攻撃と防御を体全体を使わずに武器だけで行なおうとする手合いだ。武器が先に動くため、体の動きが常に一歩遅い。これなら同時に二体の相手も問題なくこなすことができそうだった。
ヘレンはその後も絶えず移動を繰り返し、石柱を障害物として利用しながら、常に一対一の状況を作るように心掛けた。
自分は目の前の敵を倒すことに集中できている。
あとはラルフの勝利を信じるしかない。
(ラルフ……頼みます)
その時ラルフは、まさに上位魔族の目前まで迫っていた。
邪眼の間合いに踏み込んだところで視線を警戒し、盾の裏側に身を隠す。
そんなことで邪眼による精神攻撃を防げるわけではないが、全身を視線に晒すよりはいくらかマシになることは過去の経験から知っている。
とはいえ、それでも精神が削り取られることには変わりない。
「ぐっ……!」
頭と胸を内側から殴られたような衝撃が走り、全身の血が冷たくなっていくのを感じる。体力ではなく気力が失われていくようだ。
思わず膝が崩れそうになったが、ラルフは長剣を地面に突き立てることで何とかそれに耐えた。そして、残された気力を振り絞ると長剣から手を放し、先ほど腕ごと斬り落とした魔族の曲刀を代わりに足元から拾い上げる。
くの字に曲がった刃を、盾の死角から上位魔族に向かって投げつけた。
ラルフを凝視していた魔族は、突然自らに迫ってきた物体への対応が遅れた。
曲刀は狙いすましたかのように目標を捉え、鋭利な切っ先が単眼に深々と突き刺さった。