第50話 おじ戦士、脱出路を確認する
ラルフたちは酒場を出た後、盗賊ギルドが支配する地下通路をさらに奥へと進んでいった。
外界から閉ざされた通路は似たような光景が続くため、歩いていると次第に方向感覚が失われていくのを感じる。そんな迷路のように入り組んだ通路を、角灯を掲げて先導するガズリーは、右へ左へと迷うことなく道を選んでいく。
やがて、いくつかの曲がり角を折れたところで光景が切り変わった。
短い通路の突き当たりに、これまで目にすることが無かった大きな両開きの扉が現れた。
「さっきの酒場からこの辺りにかけては、俺らの縄張りでも中心部だからよ。扉は簡単に開かねぇように細工がしてあるし罠も仕掛けられてる。その甲斐あってか、さすがの魔族もここまで踏み込んで来れねぇんだ」
ガズリーは扉の手前で立ち止まると、振り返ってそう切り出した。
「魔族どもが居座ってるのは、この扉の向こうだ。一番頑丈な仕掛け扉を閉じて隔離しちまってる。けど、この先には港から倉庫街にかけての出口があるから、あの辺りを占拠されちまうと仕事になりゃしねぇ」
「なるほどな、船の積み荷が集まる倉庫街がお前らの仕事場というわけか?」
「まぁな、そんなところさ。けど、そこが何をする仕事場なのかは聞きなさんな。その辺りはご想像に任せるぜぇ」
軽い口調で答えるガズリーだが、表情は先ほどまでよりも硬い。
魔族のいる場所が近いためか、彼もさすがに緊張している様子だった。
「今からこの扉を開けるが、扉を開けてすぐのところに魔族がいるかもしれねぇ。そしたら、さっさと倒しちまってくれ。俺は後ろに引っ込んどくからよ」
「分かった、いつでも出迎えられるように備えておこう」
「あぁ、そうしてくれ。お前さんらがこの扉を抜けたら、扉はこっち側からまたすぐに閉めちまうからな」
「……待て、お前はここから先は同行しないのか? この扉を閉められたら、俺たちはどうやって地上に戻ればいい?」
「そう急かしなさんなって、ちゃんと順に説明するからよ――いいか、この先の通路にはもう罠は仕掛けられてねぇ。だから俺が同行しなくても、その点は心配いらねぇ……危険があるとすりゃ魔族だけだ」
もはや言わずもがなことだが、敢えて念押しして話を続ける。
「この先の通路にも分かれ道はあるが、脇道には逸れず、ただまっすぐ進むだけでいい。そしたら、大きな広場のような部屋に出るはずだ。広場にはいくつもの扉があって、そこから支道が延びているんだが、その支道の先に地上に繋がる出口がある」
「その支道を通って地上に戻ればいいわけか」
「あぁ、けど今は魔族がいるせいで、それらの出入口はすべて封鎖しちまってる――さて、ここからが重要だ。よーく憶えておいてくれよ。支道の扉には、ひとつひとつ符号が刻まれているんだが、その中でも円を二つ縦に並べた印がある扉だけは開けることができる――ここで鍵を渡しとくからよ」
いつの間に取り出したのか、ガズリーは金属製の大ぶりな鍵を摘まんで見せた。
「円が二つ刻まれている扉から脱出すればいいんだな?」
「そう、その扉だけが出口だ。魔族を始末したら必ずそこから脱出してくれ。それ以外の出口からは出られねぇし、仮に出ようとしても命の保証は出来ねぇ。悪ぃが、それだけは必ず守ってくれ」
「分かった、覚えておこう」
ラルフは短く答え、ガズリーから鍵を受け取った。
それを懐に納めると、いつの間にか扉の前に屈みこんで何か作業をはじめていたドニーの様子を見に行く。
「ドニー、何か分かりそうか?」
「……もう少し静かにしてくれたら、すぐに分かったんだけどね」
ドニーは迷惑そうに返事をし、石壁からそっと離れた。
彼は扉そのものではなく、扉の横にある石壁の部分に小さな顔を当てて、しばらくじっと聞き耳を立てていた。
「間違いなく向こう側に何かいるね。それも一匹じゃない、どう考えても複数の気配を感じるよ」
「そうか。まあ、扉の向こうでの待ち伏せは定石だからな」
ラルフは荷物から松明を取り出し、ガズリーの角灯から火を移した。
これで光源が二つになった。だが、ここでガズリーと別れてしまえば、この松明が唯一の明かりとなる。
作った松明をドニーに手渡し、後ろに下がるよう促す。
ラルフ自身は剣を抜いて戦いに備えた。
その抜刀を合図に、ヘレンもラルフのすぐ後ろまで進み出て、槍を構えた。
「ガズリー、扉を開けてくれ」
戦いの準備が整ったことを伝えると、ガズリーは頷いて扉から数歩後退した。
彼が立ち止まった位置の石壁には、よく見ると膝くらいの高さに小さく空いた穴がある。そこに手を突っ込んで穴の奥にある何かを弄ったかと思うと、重そうな扉がひとりでに動き出した。
軋んだ音を響かせて扉が開くにつれて、暗い通路の向こうに光が広がっていく。
その光の中に姿を現したものがいた。
「くるぞ!」
ラルフが警告の声を発する。
現れたのは、二足歩行する獣のような姿をした魔族だった。
全身が黒い硬質な肌で覆われており、頭部が狼のような形状をしている。横に裂いたかのように大きく開いた口からは長い牙をのぞかせ、両手両足には短剣のごとき鋭い鉤爪がはえている。
その狼頭の魔族の後ろには、もう一体の姿も見える。
そちらの魔族は、巨漢の体に黒山羊の頭を乗せたような、分かりやすい悪魔の姿をしていた。槍としても使えそうな鋭利な切っ先を備えた錫杖を手にしている。
「ヘレン、手前のヤツにとどめを刺せ!」
二体目の魔族を目視した時点で、ラルフは背後を振り返ることなく叫んだ。
同時に斬りかかる。
素早い剣の運びで下から上に斬り払うと、手前の狼頭が伸ばしてきた腕を正確に捉え、鋭い鉤爪のはえた片手を切り落とした。
そのまま刃を返し、今度は足を切り裂く。
足に深手を負い、魔族の膝が落ちた。傷口からどす黒い体液が噴き出す。
狼頭の口から奇怪な叫び声が上がった。怒りの所為か、血のように赤く染まった眼でラルフを睨み、彼を噛み砕こうと牙を剥いて襲いかかる。
しかし、ラルフはその攻撃も十分に予期しており、攻撃に合わせて盾で顔面を殴りつけた。足に深手を負っている魔族はその衝撃に耐えることができず、激しく岩壁に叩きつけられる。
その隙に、ラルフは横をすり抜けてさらに前進する。
手前の魔族にはもう構うことなく、通路の奥にいるもう一体の魔族へと狙いを定め、一直線に向かって行く。
「どこを見ている、このウスノロめ!」
脇を通り抜けていくラルフに追いすがろうと、狼頭の魔族が立ち上がったところを、ヘレンが背後から槍で串刺しにした。
「はあっ!」
気合の声とともに、槍を引き抜く際に力を込めてそのまま体ごと地面に引きずり倒し、とどめの一撃を頭部にみまう。
槍の切っ先で頭を貫かれ、狼頭の魔族はようやく動きを止めた。
「ラルフ、こちらは片づけました!」
事前の指示通り、手前の魔族にとどめを刺したのを確認したところで、ヘレンは奥で戦うラルフに向かって叫んだ。
その時、ラルフもまた奥の魔族を追い詰めているところだった。
ラルフは突進の勢いをそのままに胴を剣で払い、連続攻撃で錫杖を持つ腕を一本、手首から斬り落とした。山羊頭の魔族は、狼頭の魔族ほど近接戦闘には長けていないようで、ラルフの猛攻についていけず防戦一方だった。
接近戦では敵わぬと見たのか、魔族は早々に武器を使った戦いを諦め、魔法で対抗しようと試みた。
しかし、歴戦の戦士はそれを許さなかった。
山羊頭が呪文を唱えはじめた瞬間、その口を塞ぐように剣を突き立て、そのまま真横に振るって引き裂く。黒山羊の頭部は下顎だけを残して切り離され、頭の上半分が重そうな音を立てて地面に転がった。
ラルフは間を置かずに残る片腕も切断し、胴体の急所にも突きを入れる。
魔族は全身から黒い体液を流しながら、崩れるように仰向けに倒れていった。
「ドニー、まだ敵の気配はあるか?」
目の前の敵にとどめを刺したところで、ラルフは背後の仲間に向けて尋ねた。
その間も、通路の先の暗がりから視線を外すことはない。
「……大丈夫、もうこの近くに魔族はいないよ」
ドニーは再び顔を石壁に押し当て、しばらくじっと聞き耳を立てていたが、やがて安心したように壁から離れて返事をした。
「さっきは壁から伝わる音に違和感があったんだけど、それも無くなったからね。少なくとも、さっきのようにすぐ近くで待ち伏せされている心配はないよ」
「そうか、ではこの場は制圧完了とする」
ラルフはそう宣言すると、剣に付いた魔族の血を拭い落し、鞘に納めた。
それを待っていたかのように、ヘレンが彼に近づいていく。
戦いの直後だというのに、彼女はいつも通り落ち着いた顔をしていた。
「相変わらず、初手から強引に攻めますね――奥にいたのは魔法使いですか?」
「おそらくな。俺の記憶では、山羊の頭をしている種類は例外なく魔法を使ってきた。だから、まずあいつを最優先で始末しておきたかった」
「心得てます。正面突破してまず後衛から狙うのが、あなたのやり口ですから」
「こちらの被害を出さずに叩くにはこの手に限る。魔法による攻撃は防ぎようがないからな。できるだけ魔法を使われる前に仕留めたいから、援護してくれ」
「了解です。できれば、次も攻撃目標は指示してください。私では個体差を見分けるのは難しいので、指示された目標を仕留めることを優先します」
「分かった、目標の指示を忘れないように気をつける」
ラルフは頷くと、まだそこに立ったままでいる男のほうを向き直った。
「どうした、ガズリー。すぐ扉を閉じるんじゃなかったのか?」
「……いやぁ、その、たまげちまってな……」
我に返ったように、ガズリーは慌てて言葉を発した。
すぐに扉を閉じなかったのは、はっきり言って単なる興味本位だ。
せめてこの戦いだけでも眺めてから退散しようと思っただけなのだが……度肝を抜かれてしまった。
それほどまでに、ラルフたちの戦いぶりに衝撃を受けた。
住む世界が違うとでも言おうか。盗賊ギルドの手練れではまるで歯が立たなかった魔族を、この戦士たちは全く問題にせず倒してしまった。自分も荒事には慣れているつもりでいたが、身動き一つする間もなくすべてが終わっていた。
「あんたらを連れてきたのは、どうやら大正解だったみてぇだな。その勢いで、残りの魔族どもも始末しちまってくれや」
「調子のいいやつだな。まあ、もともとそのつもりだから安心しろ」
「へへっ、頼んだぜぇ……それと、くどいようだが、脱出に使うのは円が縦に二つある出口だぜ? すべてが片付いたら、必ずそこから出てきてくれ」
ガズリーは最後にそう言い残すと、石壁に開いた穴に再び手を入れた。
数瞬の後、両開きの扉は軋んだ音を響かせ、ゆっくりと閉じていった。