第49話 おじ戦士、交渉を成立させる
「ヤツらがプリマスにやってきたのは二か月ほど前になる」
ラルフたちに葡萄酒のボトルを渡し、自らは安物の麦酒をジョッキで呷りながら、ガズリーはヒュドラ家の動向について語りはじめた。
「やってきた当初は南国から来た新手の商船かと思ってた。この街で商売をするってんなら、まず俺らに顔を通すのが筋ってモンだからよ。だからハナから目を光らせてたんだが、船には売りモンも積んでねぇし、乗ってきた連中も商人にも役人にも見えねぇ奇妙な恰好をした野郎ばかりだ。どうにも怪しいってんで、プリマスに来た目的を探ってみたんだが、そこから面倒なことになっちまってなぁ……」
ガズリーはそこで一旦言葉を区切り、空になった麦酒のジョッキをカウンターに叩き付けるように置いた。
「続けてくれ、何があったんだ?」
「続きを話す前に、次はあんたらの番だ。情報は公平に出し合うとしようぜぇ。あんたらはヤツらについてどこまで知ってる?」
「お前らほど詳しくはないぞ。あの連中はヒュドラ家といって、本来なら国外に出てくるような家柄ではないという話を――こいつから聞いてな」
ラルフは隣に座るドニーの頭をポンポンと軽く叩いた。
ドニーはラルフの意図を理解し、頭巾を外して自らの頭にある特徴的な形の耳を晒した。南国の民である砂漠の潜伏者のことはガズリーも知っていたらしく、ほうっと感心したような声を上げた。
「なんでガキなんざ連れているのかと思ったが、そういうことだったのか」
「そういうことだ。連中の存在を知り、何故プリマスに来たのかが気になった。ただの観光って言うのなら放っておいても問題ないが、お前らに目を付けられている時点でロクな事をしていないのは目に見えているからな。もしそうだったらさっさと潰してしまおうと考え、今に至るわけだ」
「へへっ、そりゃおっかねぇ……だが、そうか、あんたらも同じ理由で連中を探ってたってわけだ。じゃ、ヤツらの目的まではまだ分かってねぇのか?」
「そうだ、一番知りたいのはそこだな。お前らはすでに掴んでいるのか?」
「そう焦んなって、順番に話すからよ――俺らもそのヒュドラ家とやらの目的を知りたくてよぉ。あの手この手を尽くしたんだが、買収に応じねぇ頭の固い連中で内通者を作るのも難しい。このままだと埒が明かねぇんで、警告の意味でも連中が隠れ家に使ってる酒場に手下を潜入させてみたんだが……」
ガズリーは渋面を作りながら、歯切れが悪そうに言葉を切った。
「上手くいかなかったのか?」
「半分成功、半分失敗ってところだな。隙をついて首領と思わしき男の身柄を攫ったんだが、そしたら連中、報復とばかりに俺らが使っている地下通路に魔族を放ちやがってよぉ。これまでのように地下を自由に移動できなくなっちまった」
「魔族だと?」
ガズリーの口から語られる話の中に看過できない言葉が含まれていたため、ラルフは思わず食いついた。
「にわかには信じがたいな。地下とはいえ街の中に魔物を、それもよりによって魔族を放つとは……それは連中の仕業に間違いないのか?」
「それは間違いねぇ。潜入させた部下から話を聞いたんだが、潜入先でも連中が魔族を従えているのを目撃したそうだぜぇ」
ラルフは露骨に顔をしかめた。
魔族とは、魔法的な契約によって異界から召喚される悪魔の一種だ。
一口に悪魔といってもその姿形は様々であり、中でも大きさが人間とさほど変わらず、人間と同じく両手両足を使って活動する個体を指して、特に魔族と呼ばれることが多い。
魔族は異界の魔物ということもあり、人間とは生態も大きく異なるのだが、強靭な肉体と高い知性を併せ持つという点が評価され、魔術師たちは魔族を優秀な兵力として利用してきた。
「なんてやつらだ。戦時下でもないのに魔族を駒として利用するとは、一体何を企んでいるのやら……」
魔族のような強力な魔物を従属させるのは簡単なことではない。本来であれば召喚の対価として莫大な魔力が必要になる。それをどう解決するのかと言うと、過去の魔術師たちは魔力の代わりとなる契約の対価――人間を生贄に捧げる儀式を多用してきたという負の歴史がある。
北方帝国との戦争が激化した時期などは、兵員不足を補うために、特に生贄召喚が躊躇いなく行われてきた。だが、戦争が終わって頭が冷えれば、その非人道性には誰でも気がつく。
そうした過去の反省も踏まえ、現在の王立魔法アカデミーでは魔族の召喚および使役を固く禁じているのだが……。
「魔族を使役することは、ボクらの国ではそれほど珍しいことではないよ。強力な悪魔を召喚して支配できるほどの力がある魔法使いは、大家にも氏族にも強い影響力があって、むしろ尊敬の対象になってるね」
魔族の話題で重苦しい空気が漂う中、ドニーが涼しい声でそう言った。
その軽い口調に対して言っている内容があまりに衝撃だったため、皆が一斉にドニーのほうに注目する。
「南国では魔族の使役が合法なんですか?」
「合法……なんじゃないかな? 法律でどうなってるのかはあんまり気にしたことがないけど、少なくとも違法ではないはずだよ。大きな街だと、護衛とか労働力として魔族を従えてる人間をそれなりに見かけるもん」
ヘレンの問いに、ドニーは首を傾げながらも答えた。
「……とんでもないな。今日聞いた話の中でも、一番笑えない冗談だ」
自分で言った通り、ラルフは苦笑いを浮かべることすらできず、うんざりした表情のまま小さく息をついた。
この国に住む者にとっては、魔族は忌むべき存在であり、それを従えている魔術師は邪悪と見なされるのが普通だ。
今更ながら、南国との間にある価値観の隔たりをまざまざと感じる。
「南国における魔族の扱いについては、ひとまず横に置いておこう――それで、攫ったヒュドラ家の首領とやらはその後どうなったんだ?」
「あぁ、そいつの身柄と引き換えに魔族を引っ込めるように取引を持ちかけたんだが、あろうことかヤツらそれを拒絶しやがった。そういう態度に出られたらこっちとしても面子に関わるからよぉ、しかたがねぇから見せしめに人質は殺っちまった。その死体を連中の船に送りつけてやったんだが……」
ガズリーは先ほどよりもさらに渋い表情を作りながら、小さく首を横に振った。
「殺したはずの首領が、翌日には何食わぬ顔でまた姿を現したんだ」
「……ふぅむ」
ラルフは考え込むように腕を組んで唸り声を上げた。
「奇妙ではあるが、魔族を使役するほどの実力者ならできない芸当ではないな。何らかの術によって蘇ったか、最初から替え玉だったのか……連中が取引に応じなかったことを考えると、後者の可能性が高そうだが」
「いやいや、ありゃどう考えても本人だったぜ。別人の替え玉とは到底思えねぇ……それによぉ、その後も隙をついて向こうの取り巻きを何人か殺ったんだが、そいつらの中にも翌日には復活したやつがいた――全員ではないけどな」
「では、蘇生術の類か。しかし、僧侶の蘇生魔法では復活した直後、自由には動けないはずだ。翌日すぐに姿を見せたと言うのは解せないな……」
何より、よほど高位の僧侶でなければ蘇生魔法など行使できない。
かつてはこの国にも、蘇生魔法を使える僧侶が一人だけいたが、現在はその人物も亡くなっている。蘇生魔法の使い手とは、大国でも一人いるかどうかという程の希少な存在なのだ。
こちらも可能性としては極めて低いように思える。
「まぁ、いずれにせよ今はこっちが丸損している状況だ。あっちは実質無傷なのに、厄介な魔族だけが地下に居座り続けているわけだからよぉ」
「それが一番の問題だな。危険な魔物が足下で闊歩している状況など看過できん。俺たちでその魔族を始末すればいいんだな?」
「へへ、話が早くて助かるぜぇ……そう、俺らはああいった魔物を相手にするのは苦手でねぇ。人間をひとりひとり闇に葬ることなら得意なんだが……」
「搦め手では仕留められないのも無理はない。魔族は人間と違って頑丈だし、毒の類もほとんど効かないからな――確認できているのは何匹だ?」
「今わかっているだけでも六匹いる。もっといるかもしれねぇが、うちのモンが最後に調べた限りではそんなところだ。最初のうちは積極的に仕留めようと動いてたんだが、こっちの被害が増えるばかりで成果が上がらねぇから、途中で方針を切り変えた。通路にある扉を封鎖して、こっちに来られねぇよう閉じ込めちまってる」
「六匹か……実際の数はもう少し多いかもしれないな」
相手の力量次第だが、さらに召喚を繰り返して数を増やしている可能性もある。
ラルフは少しだけ考えると、二つ隣に座るヘレンに視線を向けた。
彼女はすぐその視線に気づき、表情を変えることなく小さく頷いた。
それだけで納得したようにラルフも頷き返し、再びガズリーに向き直る。
「ひとまず、確実にいると分かっている六匹を始末するところまでは引き受けよう。そのくらいの数なら、俺たちだけで何とかなるだろう」
「本当か? うちからも何人か戦える奴を助っ人に出そうと思ってたんだが……」
「いらんよ。魔族相手に頭数を増やしたところで優位に働くものでもない。そういうのを始末するのは俺達の仕事だ」
「そ、そうか……本音を言うと、これ以上仲間を失いたくないから正直助かるぜ」
ガズリーはやや気圧されたようにそう答えた。
ラルフがあっさりと魔族の始末を引き受けたこともそうだが、こちらからの増援の提案を歯牙にもかけず一蹴する様に、これまでにない迫力を感じたからだ。
ガズリーとてこの稼業はそれなりに長い。多くの人間を見てきた自負はある。だからこそ、ラルフの態度が単なる虚勢ではないことはすぐに分かった。
ガズリーは無意識に腰を浮かせ、椅子に浅く座り直した。
「……何はともあれ、地下通路さえ自由に移動できるようになりゃ、この街は俺らの独断場だ。そしたら後のことは俺らに任せてくれりゃいい。散々舐めた真似をしてくれたあの連中に、たっぷりと思い知らせてやるぜ」
「それはお前たちの面子の問題だから好きにすればいいが、連中がこの街にやってきた目的だけは聞き出しておいてくれ。俺たちが手を貸すのはその情報と引き換え、あくまで交換条件だ」
「まぁ、いいだろ。それはしっかり聞き出しておくから安心しな。今となっちゃ、俺らにとっては連中の目的なんざ二の次なんだが……」
盗賊ギルドからしてみれば、これはもう組織の沽券に関わる問題でもある。
街の外から来た余所者――それも国外の勢力に堂々と縄張りを荒らされている状態なのだから。
もはや目的の如何に関わらず、ヒュドラ家はこの街から排除すべき対象であるという考えに揺るぎなかった。
「ところであんた、本当にソードギルドの戦士なのか?」
「……どういう意味だ?」
「いやいや、別に変な勘繰りをするつもりはねぇし、あんたの正体が何であれ構やしねぇよ。ただ、欲しいのは南国の連中の情報ときたもんだ。ソードギルドがそんなもん求めるかぁ? どこかの組織に雇われてる間諜か何かと言ってくれたほうが、まだ納得できらぁ」
「そんな大層なもんじゃない。昔のダチからこういうやり口を教わっただけだ」
ガズリーの興味がラルフ自身の素性へと変化したことを嫌い、この話題をさっさと終わらせようと、ラルフは椅子から立ち上がった。
「ここに来る前に、ヒュドラ家の連中に接触したからな。時間を置けば警戒を強めるかもしれない。魔族を始末するなら急いだほうがいい――ガズリー、魔族がいるという場所まで案内を頼めるか?」
「あぁ、いいぜぇ。案内は部下に任せようと思ってたんだが、そこまで自信満々なら俄然興味が湧いちまった。あんたの戦いぶりを直に見させてもらうとするよ」
そう言いながらガズリーは頷き返し、席を立った。
言葉の通り、彼の顔には期待と興味が入り混じった表情が浮かんでいた。
目的の場所まで案内するからついてくるようにとラルフたちに促す。
「? ドニー、どうしたのですか? 行きますよ」
「あ、うん……」
他の皆がカウンターから離れようとしているのに、ドニーがいつまでも椅子に座ったままでいるのに気づき、ヘレンが声をかけた。
促されたドニーはのろのろと椅子から降り、皆の後に続く。
そして心の中だけで呟く。ラルフは最後まで気づかなかったな、と。
ずっと向けられていた別の視線に、ただ一人ドニーだけが気づいていた。