第46話 おじ戦士、泳がせ釣りをする
今回の話で、第二章の前編は終了です。
一日一話の公開も、本日で一旦休止となります。
私生活のあれこれが片付いたら、残りの後編を公開していきたいと思います。
「ドニー、ヒュドラ家の者が何故この国に来ているのか、理由は分かるか?」
「知らない。でも、商売のためではないことは確かだね。他国との商いはリナード家の役割だから、他の大家は絶対に手出しをしないよ」
ドニーは首を振りながら、ラルフの問いに答えた。
大家で権利を分けているという話を思い出し、ラルフは顎に手を当て考える。
「その理屈で言うと、外交のセンも無さそうだな。渡航の目的が通商でも外交でもないとなると……まさか、わざわざ観光にでもやってきたのか?」
「あり得ない話ではないですよ、この街の魚料理は絶品ですから」
冗談っぽく言うラルフに対し、ヘレンが真顔で横やりを入れてきた。
彼女はラルフとドニーの会話を横に聞きながら、細々とした鎧の手入れを行っていた。この宿に来るまでに海に近い場所を歩いてきたため、彼女が着ているような精巧な細工がある鎧は、こまめに手入れしないと錆が浮きやすくなるのだ。
「それはさっき下で十分堪能したから知ってる――まあ、冗談は抜きにしても、家ごとに役割の制限があるのなら渡航は私的な目的によるものだろうな。探りを入れるなら、その辺りからがやりやすいか……」
ラルフは自分の考えをまとめるように声に出して呟いた。
表向きには公式訪問しているリナード家の連中を探ったところで、簡単には尻尾を見せないだろう。それに比べれば、わざわざ非公式に入港しているヒュドラ家のほうが、何やら腹に一物ありそうな予感はする。
「どうせ今のところ他に手がかりも無いんだ。ヒュドラ家の船とやらを直に訪ねてみるとしよう」
「ヒュドラ家の人間なら、昼間はほとんど船にはいないよ。港から少し離れたところにある、裏通りの酒場に入り浸ってるね」
「なんでそんなことまで知ってるんだ?」
「故郷に帰るための船を探しているときに、あのヒュドラ家の船にもかけ合ってみたんだよ。積み荷を運ぶ商船じゃないから、もしかしたら空いた空間に格安で乗せてくれるかもしれないって思ってね」
「しかし、断られたと?」
「うん、相手にもしてもらえなかった。リナード家の商船なら、ボクらが相手でも話くらいは聞いてくれるのに」
ドニーは口を尖らせながら、不満げな声を上げた。
ヒュドラ家はかなり閉鎖的な連中であり、同じ南国の民に対してもそのように塩対応なのだから、会いに行っても無駄足になるかもしれないとドニーは忠告する。
「ラルフがいきなり訪ねたところで取り合ってもらえないと思うよ?」
「構わんよ。何のコネもないのに、いきなり会って話を聞いてもらえるとは思っていない。まずは直に訪ねてみることで分かることもある」
それで問題ないと返し、ラルフは寝台の上に放置していた長剣を再び手に取った。慣れた手つきで腰に剣を帯びていく。
「ドニー、ヒュドラ家の連中がいるという酒場まで案内してくれ」
ドニーに案内を促しつつ、ヘレンのほうに目を向ける。
彼女はすでに鎧の手入れを終え、再び鎧を身に着けている最中だった。
「……全く、今日はもうこのまま休めるものとばかり思ってましたよ」
「悪いな、いつも急に事を決めてしまって」
「それはもう慣れました――胸当てと背当てを着けたいので、ちょっと手を貸してください」
ヘレンは澄ました顔で答えながら、次に身に着ける部位をラルフに手渡した。
そして、自身の長い髪を両手でかき上げ、鎧を着けやすい姿勢を取る。
実を言うと自分で装着しても大して手間は変わらないのだが、あれこれラルフの我儘に付き合うのだから、せめてこのくらい甘えても許されるだろう。
ヘレンはそんな考えに浸りながら、小さな独占欲を満たしていた。
※ ※ ※
ドニーに案内してもらい、ラルフたちはプリマスの街の裏通りにある一軒の酒場に辿り着いた。酒場は思ったよりも小さな店で、長年の汚れでくすんだ茶色いまだら模様の看板から、何とかそこが酒場であると判別できる。
酒場の前には、見張り役と思わしき男が二人いた。浅黒い肌の男たちで、硬皮の鎧を身に着け、腰には三日月形に湾曲した曲刀を帯びている。それはこの国ではあまり見られない武装であり、一目で南国の戦士であることが見て取れた。
「なんだお前たちは?」
男のうち一人が、ラルフたちが酒場に入ろうとしていることに気づいた。まるで門番のように店の入口を塞ぐ位置へと移動する。
「ソードギルドの者だ。そちらの主には随分と世話になったので、挨拶回りにやってきた。中に入れてもらえないか?」
「そーどぎるど?」
ラルフが話しかけると、男たちは互いに顔を見合わせた。
しかし、ソードギルドが何なのかすら分からなかったらしく、結局一言も言葉を交わさないまま、再びラルフのほうを向き直った。
「何のことかは知らんが、この店は今貸し切りだ。本日、来客があるとは聞いておらぬし、部外者は中に入れないよう固く命じられている。通すわけにはいかん」
「大事な用なんだ、取り次いではくれないか?」
「ならぬ、そのような役目は命じられていない」
「この場で軽く考えないほうがいい。もう一度言うが、大事な用だ」
「くどいな――さっさと立ち去れ!」
もう一人の男が、低く恫喝するように言った。同時に、腰に帯びている剣の柄に手をかける。それは脅しのためというより、むしろ怯えから出た行動だった。
ラルフの背後に立つヘレンのほうが、先に殺気を発しはじめたからだ。
そんな一触即発な状況にも関わらず、両者に挟まれた位置にいるラルフは平然とした様子だった。表情一つ変えることなく、言葉を続ける。
「そうか。では、『好きにさせてもらう』と主に伝えておいてくれ」
ラルフは男たちにそう言い残すと、ヘレンとドニーには『帰るぞ』とだけ言って、来た道を引き返しはじめた。
ドニーはラルフから離れまいとすぐさま後を追い、ヘレンは――男たちに殺気を込めた一瞥をくれてから、その場を離れた。
ヘレンは早足でラルフに追いつくと、すぐに思っていた不満を口にした。
「ラルフ、あれでいいのですか?」
「今はあれでいい。あんなところだろう」
「あの男たちはソードギルドの名を聞いた上で、ナメた態度を取ったのですよ。その場で切り捨てて、酒場に乗り込んでしまえばよかったのでは?」
「過激だな、それでは殴り込みと変わらないぞ? 最終的にそうなる可能性はあるが、今はまだそこまでする必要はない。奴らにソードギルドの何たるかを知ってもらうためにも、少し遠回りしてみよう」
ラルフはなかなか怒りが収まらない様子のヘレンを宥めつつも、それとは対照的に先ほどから押し黙っているドニーに声をかける。
「ドニー、大丈夫か?」
「……全然大丈夫じゃないよ、雇われたのをさっそく後悔しはじめてるとこ」
「そうか、すると尾行られてるのか?」
ラルフは周囲に目をやることなく、小声で尋ねた。
ドニーもそれに小声で答える。
「うん、酒場に近づいた辺りで二人。酒場から離れたところでもう一人……また二人増えた。たぶんそこの路地に潜んでるよ」
ドニーは、この先にある路地の脇道に一瞬だけ目を向けた。
ラルフは思わず感嘆した。
尾行だけでなく、見えない場所にいる待ち伏せまで感知するとは。それを期待して雇ったわけだが、やはり恐るべき知覚能力だ。
「撒くなら急いだほうがいいよ。二人を連れたままでも、ボクが囮になればまだ逃げ切れると思うから――」
「いや、丁度いいから、そこの路地で対峙するとしよう」
「うぇ!?」
予想外過ぎるラルフの返答に、ドニーは声を抑えることも忘れて間抜けな声を上げてた。思った以上に大きな声になってしまったため、慌てて自分の口を手で押さえたが、もはや手遅れだろう。
「心配するな。予想していたよりも少々早いが、概ね期待通りの展開だ。大船に乗ったつもりでいろ」
ラルフはドニーを安心させるように、頭巾で覆われている彼の頭を撫でた。
「ヘレン、お前は最後に路地に入れ。ドニーを中心に前後を固める」
「了解」
ヘレンは短く返事をして頷いた。彼女はすでに冷静さを取り戻し、いつも通りの表情に戻っていた。
背後をヘレンに任せ、ラルフは脇の路地へと足を踏み入れた。ドニーを間に挟み、二人で前後を守るような形で狭い道を進んでいく。
数歩進んだところで、すぐに追手は姿を現した。
前方の建物の陰から二人の男が現れたかと思うと、後方からも三人の男が付いてきた。彼らは路地を前後から塞ぐような形でラルフたちを取り囲んだ。