第45話 おじ戦士、南国事情を知る
ラルフから提示された金額に一度は驚いたものの、ドニーはすぐさま冷静さを取り戻していた。ここで大金に釣られて二つ返事で承諾してしまうような間抜けな真似はしない。そのくらいの慎重さと強かさがなければ、力で劣る砂漠の潜伏者のような種族は生き残ることができないのだ。
ドニーはラルフの真意を探ろうとして、まるで値踏みをするかのような視線を彼に向けた。
「ラルフたちってさ、もしかしてこの国の偉い人なの?」
「どうしてそう思った?」
「だって、最後のほう話してる内容がおかしかったもん。貴族とか、兵力とか、南国がどこどこの街を攻めるとか、普通の人はそんなこと話さないよ」
「傭兵ではないかとは考えなかったのか? 傭兵なら、稼ぎ時を見極めるために、そうした時勢に関心を示すのはよくあることだろ?」
「傭兵なら、そんな大金をポンっと支払ったりしないよ。彼らとはお金に対する感覚が違いすぎる――しかも、嘘か本当かも分からないことを言ってるデザートラーカーを雇うためになんてさ」
幾分、自虐的な笑みを浮かべながらドニーは言葉を続けた。
「それに、傭兵なら戦が始まってからでも全然仕事に間に合うもん。戦が起きる前の状況を、わざわざお金を払ってまで探ろうなんてしないだろうね」
「なるほど、やはり聡いな」
先ほどから会話を重ねてきて薄々感じていたが、ドニーはラルフが前に組んだデザートラーカーよりも明らかに頭がきれる。何かと慎重で、思慮深い性格だ。
見た目や口調からは想像しにくいが、かなりの人生経験を積んでいる高齢のデザートラーカーのような気がしてきた。
「さっきの質問だが、半分正解と言ったところかな。状況次第では、俺はお偉いさんの命令で騎士になることもあるし、兵として動かなければならないこともある。ただ、そこまで話が進んでしまうと根本的にもう手遅れなんだ」
「その段階になってラルフがすることは、ただの後始末ですからね」
「そうだな、そういう仕事は正直言って後味が悪い。そうなる前にできることは解決してしまいたいというのが本音だ」
最終的にラルフのところに行き着く仕事というのは、平たく言えば国からの勅命である。それも、すでに手遅れとなった事態の後始末がほとんどだ。この前の吸血鬼の一件などが良い例だろう。
その手の仕事は金払いだけは良いが、代わりに失うものが多すぎる。
戦いによって得られるものと失うものの価値は等価ではない。ラルフはそれをよく知っているからこそ、戦わないことで得られるものの価値も理解していた。
「雇うと言っても、お前を直接戦いに巻き込むつもりはない。調査に協力してくれるだけでいいんだ。南国の事情に精通している助言役ってところだな」
「うーん……」
「今の説明で納得できないか?」
「正直、よくわかんない。でも、何か悪いことを企んでいるわけではなさそうだから、雇われてもいいかなって思った。短期間で良いのなら、引き受けるよ」
「交渉成立だな。期間は――ひとまず、ひと月でどうだ? 途中で頼みたいことが無くなったら、その時点で契約は終了で構わない。一緒に行動している間は、飯代も宿代も俺が払おう」
「いいけど、その条件だとひと月丸々一緒に行動したくなっちゃうよ? ヘレン姉さんはそれだと困るんじゃないの?」
「――変なことに気遣ってもらわなくて結構です!」
ドニーが何を言いたいのか理解して、ヘレンは顔を赤らめた。
「大体、何ですか『姉さん』って。あなたのほうが絶対年上でしょう?」
「いやぁ、最初にお姉さん呼びなんてしたものだから、つい……いまさら呼び捨てにするのも、どうもしっくりこなくてね」
「ははは、年上の弟分か。ヘクターの気持ちが少しは分かったんじゃないか、ヘレンお姉さん?」
「気色悪いことを言わないでください、殴りますよ」
この男ときたら、ただでさえ二人の時間が減ったというのに、少しも気にした様子もない。けろりとしている態度が余計に腹立たしかった。
ヘレンはラルフの顔を思いっきりひっぱたいてやりたい衝動に駆られた。
※ ※ ※
そんなこんなで、ドニーは正式にラルフに雇われる身となった。
前金として、とりあえず金貨は百枚だけ支払われた。
冒険者や傭兵をしていれば、一度に支払われる金額としてはそれほど法外な額ではないのだが、吟遊詩人にとってはかなりの大金である。
その所為かドニーは金貨の入った袋を受け取った時、素直に喜ぶことができず、半ば引きつったような笑みを浮かべていた。
「出稼ぎブームって言われてたのを、ようやく実感してきたなぁ……要するに、稼ぎ方が間違ってたんだね」
「だな、最初から冒険者をするつもりで来ていれば、そのくらいの額はすぐに稼げていたと思うぞ」
「そう言われても、ボクらはそういう荒事には向かないんだって。故郷の砂漠では、大サソリ一匹を倒すのにも集落総出で立ち向かってるくらいなんだから」
「前に組んだデザートラーカーも、似たようなことを言っていたぞ。たしかに、一人ではゴブリン一匹倒すこともできないやつだったが、それを差し引いても他の面で十分活躍してくれた。あいつがいるだけで、不意打ちを受ける心配はほとんど無くなって、逆にこちらが先手を打てる機会が増えたくらいだ」
冒険者の斥候にどの程度の役割を求めるかはパーティ事情にもよるのだろうが、ラルフとしては完全に専業に徹してもらい、戦闘には直接参加しなくても構わないとさえ考えている。各々が得意分野に専念したほうが、些事にとらわれず本領を発揮できるからだ。
「この仕事が終わったら、いっそ王都で冒険者になったらどうだ? 冒険者に混じってしまえば、異種族であってもそれほど扱いは悪くないぞ」
「考えておくよ――それで、ボクはまず何をしたらいいの?」
「もう少し南国のことを詳しく知りたいな……ここから船が見えるだろ?」
ラルフは先ほど開け放った窓から外を眺めた。港の風景がよく見える。
ドニーも寝台から降り、ラルフがいる窓際まで歩み寄った。
「見えるね」
「南国の船というのは大体見た目で判別がつく。船体に使われている木材の色が明らかに違うからな」
「うん、黒っぽい色の船は全部南から来た商船だね。メインマストにリナード家の紋章旗があるし」
「リナード家?」
こちらから質問をする前に、さっそく聞き覚えのない単語が出てきたため、ラルフはオウム返しに尋ねた。
「知らないかな? ボクらの国の商人たちをまとめている大家だよ。この国に商売でやってくる商人も、みんなリナード家の人間だね」
「ほう、つまり南国の大商人の家柄ってことか?」
「大商人って呼び方はちょっと違うかなぁ。商売だけじゃなく、この国の偉い人のところに行く時なんかも、リナード家の人間が会いに行くことになるからね」
「つまり、通商だけでなく外交の役割まで担っているということか。そう言われると、大商人というよりは、もはや大貴族といった感じだな……」
ラルフは頭を掻いた。内容は分かるのに、いまいち話の輪郭がぼやけている。思っていた以上に、この国と南国とでは、国の仕組みに差があるようだ。
そんなラルフの様子を見かねたドニーが、逆に尋ねてきた。
「ラルフはさ、ボクたちの国についてどのくらいのことを知ってるの?」
「あまり詳しくはないな。南国は、正式には『ウルスガルド部族連合』という名の部族連合体国家であること。イスマルク王国と比べると温暖な気候で、砂糖や柑橘類のようなこの国では採れない農産物を産出できること。人間以外にも、妖精族や獣人族といった他種族が多く住み着いていること。領土内には、砂漠や密林のような過酷な環境も多いこと――知っているのは、せいぜいそんなところだな」
「うーん、それじゃリナード家なんて言っても分かるわけないね……まずは御三家について説明するよ」
ドニーが語ってくれた話の内容はこうだった。
ウルスガルドの国内は、都市部を支配する三つの大家と、辺境部に住む六つの氏族によって統治されている。このうち、都市部の三つの大家というのが特に重要であり、彼らが実質的にウルスガルドの国家運営を行っている。
三つの大家は通称『御三家』と呼ばれる。それぞれヒュドラ家、リナード家、ライアン家という名の古い家柄であり、国家運営における役割が異なる。権力の濫用を防ぐために、家ごとに権利が分けられているのだ。
ヒュドラ家は国の法を定めるだけで、他の国政には一切携わらない。
リナード家は定められた法の下に、国内の行政や流通を一手に引き受ける。
ライアン家は定められた法の下に、司法や争い事の解決を担当する。
一見、それぞれの大家が好き勝手に国家運営をできてしまいそうな仕組みに見えるが、六つの氏族の支持を得られなければ、その大家は一気に発言力が低下するという監視体制になっているらしい。
例えば、ヒュドラ家が自分たちにだけ都合の良い法律を制定すれば、他の二家は当然それに反発するし、六氏族からの支持も失う羽目になる。
大家が力を維持するためには、とにかく多くの氏族から支持を得られるかが極めて重要であり、氏族からの支持を得るために、大家は常に堅実な国家運営が求められるとのことだ。
「興味深い話だな。よくそんなやり方で国が成り立つものだ」
「その辺りのことはよく分かんない。ボクも御三家の役割は知ってるけど、実際にどんなことをしているのかまでは、ほとんど知らないし」
「その御三家と六氏族の関係というのも気になるところだが……それよりドニー、南国の船の中に一隻だけリナード家以外の紋章が混じってないか?」
ラルフは再び港のほうを指差しながら尋ねた。先ほどのドニーの説明を聞いた上で、どうしても気になることがあったため先にそちらについて聞くことにした。
リナード家の紋章は、天秤の両皿にそれぞれ太陽と月が乗っている様を意匠化したものだ。それとは別に、九つの放射線が円を象るように描かれた紋章がある。
「あー、あれはヒュドラ家の紋章だね。ヒュドラっていう伝説の魔物が名前の由来で、紋章も魔物の姿を似せて描かれてるらしいよ」
「ほう、あの船は別の大家のものなのか」
リナード家の船でないということは、つまり商売や外交を目的にやってきた船ではないということになる。
国内で法の制定しかしないはずの大家が、なぜプリマスにいるのだろうか?