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第42話 女戦士、未知と遭遇する

 謎の黒いスープは、その奇抜な見た目に反して大変美味であった。


「なんてことはないな。香辛料がよく効いていてなかなか後を引く味だぞ」


 よくよく見てみれば、スープには様々な魚介が入っているらしく、その旨味が濃縮された深い味わいがある。香辛料の強い刺激も全体の味をよくまとめている。

 濃厚でコクがあるスープの味に、いつの間にかラルフは夢中になっていた。


「それなら良かったです――って、少し食べただけなのに口の辺りが真っ黒になってますよ?」

「なんだって?」


 ラルフは慌てて口元を手でこすり、絶句した。

 まるで墨のような黒ずんだ汚れが手についてしまっている(後で店員に聞いたところによると、これは本当にとある甲殻類の墨だったらしい)。


「……これはひどい」

「同感です。いくら味が良くても、これはちょっと……歯まで黒くなってますし」

「そんなに面白い顔になってるか?」


 ヘレンが笑いを堪えるのに必死になっているのを見て、ラルフはバツが悪そうに席を立った。


「やれやれ……悪いが少し待っててくれ、表で洗ってくる」


 しきりに口元を気にしながらも、そそくさと酒場の外に出ていった。

 一人残されたヘレンは、笑いの種がいなくなったため何となく店内を見渡した。

 それなりに大きな酒場なので客層は様々だが、陽に灼けた浅黒い肌の男が目立つのは、やはり船乗りや漁師といった海の男が多いからだろう。

 裕福そうな身なりの商人風の男女も何人かいる。きっと二階に宿をとっている客だろうなと、ヘレンは何とはなしに店中に目を走らせ続けた。

 そこでふと気づいた。

 先ほど店の前にいた子供が、いつの間にか店内に入ってきている。珍しい形の弦楽器を抱え、あちこちのテーブルに声をかけては、その度に煩そうに追い払われている。ひょっとすると、あの少年は吟遊詩人だったのだろうか?

 そんな風にしばらく目で追っていると、少年のほうもヘレンの視線に気づいたらしく目が合った。しまったと思ったが、もう遅い。吟遊詩人を買うつもりなど無かったのだが、少年はヘレンのテーブルまでトコトコと歩いてきた。


「お姉さん、一曲どう? 一曲につき銀貨二枚……ううん、一枚でいいよ」


 少年はフードの中から人懐っこい笑みを浮かべ、小首を傾げるような仕草をしながら見つめてきた。

 どうしたものかと、ヘレンは少し迷った様子で思案した。

 向こうから勝手にやってきたのなら追い返せば済む話だが、先ほどのは誰がどう見ても、自分が目で呼んだようなものだ。それを無下に断るのは、さすがに良心が痛む――しかも相手が子供というのなら尚更だった。


「坊や、楽器が得意なの?」

「うん、なかなかのものだと思うよ。ただ『坊や』はやめてほしいな」


 その口ぶりから、なかなかませている子供だなと、ヘレンは思った。

 少年の背丈はせいぜい一メートルを少し超えるくらいだ。下手をすると、まだ十歳にもなっていないかもしれない。そんな歳で、まさか吟遊詩人の裏の仕事にまで手を染めてはいないとは思うが、変なトラブルに巻き込まれるのはゴメンだ。

 とりあえず一曲だけ歌ってもらい、当たり障りのない理由をつけてお引き取り願うことに決めた。


「じゃあ、一曲だけお願いしようかしら。上手だったら、もう一枚おまけするわね」


 ヘレンは少年に銀貨を一枚だけ手渡した。


「うん、任せてよ! (うた)はどんなのがいい?」

「あなたが一番得意なのでいいわ。それを聴かせてちょうだい」


 少年は元気に頷くと、楽器の弦を弾いて歌いはじめた。

 それは南海に伝わる不思議な伝説を題材にした民謡のようだが、初めて聞く詩だった。なかなか興味を惹かれる題材ではあるのだが、詩の内容はほとんど頭に入ってこなかった。

 それよりも何よりも、その歌いっぷりに驚いてしまったのだ。

 どう考えても子供の腕前ではない。

 少年が奏でる軽やかな弦の音と、よく訓練された力強い歌声は店中に響き渡り、そのかわりに酒場の喧騒は次第に小さくなっていく。いつの間にか酒場の客たち全員が、この小さな吟遊詩人の聴衆となっていた。

 やがて詩が終わり、少年は静かに楽器を置いた。

 酒場のあちこちで拍手が湧き起こる。


「どうだった、ボクの演奏。なかなかのものでしょ?」

「……ええ、見事でした」


 まだ衝撃から立ち直れないヘレンは呆けたようにそう言って――思い出したように銀貨をもう一枚少年に手渡した。

 しかし、これはどう考えても……銀貨二枚では安すぎる。

 子供の吟遊詩人だと思って先ほどは軽くあしらっていたテーブルからも、少年を呼ぶ声が上がりはじめている。


「なかなか面白い取り合わせだな」


 声に振り向くと、いつの間にかラルフが席に戻ってきていた。

 演奏に気を取られすぎて、いつ彼が店内に戻ったのかも気づかなかった。


「戻っていたのなら、声をかけてくださいよ」

「こいつの歌声に聴き入っているようだったからな。途中で邪魔をするのも野暮というものだろ?」


 ラルフは吟遊詩人の少年を見て、意味ありげに笑った――しっかり洗い落としたのか、歯はもう黒くなくなっていた。


「意地の悪いことを言わないでください。別に変な意味はありません。たまたま見かけたから一曲お願いしただけであって――」

「えーと、それならボクはもう行っていいかな? 他のテーブルからも呼ばれてるみたいだから……」


 口論が始まりそうな気配を察したのか、少年は急にソワソワとしはじめた。明らかに居心地悪そうな様子で、この場を離れたがっている。

 ヘレンはその様子に気づき、少年に一言礼を言って帰ってもらおうとしたが、ラルフがそれを手で制した。


「いや、もう何曲かこのテーブルで腰を据えて歌ってもらおう。報酬は弾むから、まあその前に一杯飲め」

「ラルフ?」


 ラルフが同卓の空いている席の前に金貨を一枚置いたのを見て、ヘレンは困惑したように彼の名を呼んだ。

 一曲につき銀貨一枚か二枚で構わないというこの少年に金貨を渡すなんて、一体どれだけ歌わせるつもりなのだろうか?


「……お兄さん、もしかして気づいてる?」

「生憎と、俺はもう『お兄さん』なんて歳ではないな。まあ、その辺りが見た目から分かり難いのはお互い様か」

「そうだねぇ……でも、理解がある人みたいで助かるよ」


 少年は小さく息をつくと、金貨が置かれている席に座った。

 ヘレンだけが状況についていけず、かける言葉を見つけられないまま、二人のやり取りをただ見ていることしか出来なかった。

 そうこうしているうちにも、少年は慣れた手つきで金貨を懐に納めると、給仕に向かって麦酒エールを注文しはじめている。


「ちょっと、いくらなんでもお酒はダメですよ。あなたにはまだ早すぎます」


 あまりにも自然なやり取りだったため、注意するのが遅れてしまった。給仕はすでに注文を受けてしまっていたが、ヘレンは慌てて少年に静止を求めた。

 思った以上にヘレンが混乱している様子だったため、ラルフは忍び笑いを漏らしながら彼女に真相を告げた。


「ヘレン、こいつは人間の子供じゃない――砂漠の潜伏者(デザートラーカー)だ」

「デザートラーカー?」


 ヘレンにとって聞き覚えのない単語だったため、思わずオウム返しで聞き返してしまった。

 そのやり取りを端から眺めていた当人は、ずっと被ったままだった頭巾フードをおもむろに外してみせた。頭頂部から、獣を思わせる耳がぴょこんと顔を覗かせた。

 ヘレンは呆気にとられたように少年の耳と顔とを交互に見比べた。

 先ほどまでの人懐っこい笑みはどこに行ったのやら。少年には似つかわしくない乾いた笑い顔を浮かべていた。

絵師さんにドニーのイラストを描いて頂く機会がありました

以下のクリエイター支援サイトのトップに表示される獣耳の子です。

https://xfolio.jp/portfolio/kuromaru/works/4107294

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― 新着の感想 ―
・黒い魚介スープ(´ω`) おじさんなかなかチャレンジャーですねぇ、 美味しいみたいでなにより(*´ω`*) ・前回不穏な雰囲気出してた小さい人は、名前から砂漠に住む種族?なのかな。 そして結果として…
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