第37話 老魔術師、秘密会議をする
王立魔法アカデミーの一室にて、魔術師オズワルドとアカデミー学長マリナス・ヘリングは、顔を突き合わせて座っていた。
アカデミー首脳陣であるこの二人は、日頃はそれぞれの職務に忙しく、なかなか互いに意見交換などを行うことができないでいた。しかし、この日ばかりはそうも言っていられず無理やり時間を空けた。本日の話の種は、近年怪しい動きを見せるフーラの地方アカデミーの動向についてだからだ。
「それでは、やはり南方の人間がフーラに入り込んでいるとお考えですか、オズワルド大兄?」
アカデミーの学長であり、本来ならば立場が上であるマリナスだが、部屋の主オズワルドに対して伺いを立てるように問いかけた。
王立アカデミーのトップとして、マリナスは錬金術師たちの離反には連日頭を悩ませていた。しかしここにきて、ようやくこの件の黒幕と思わしき存在の手がかりを掴むことができた。
離反した錬金術師に密かにもたらされていた謎の技術――その一部を、おそらく処分し損ねたのだろう。離反者の研究室に残されていた死霊術に関係していると思わしき術式を手に入れたマリナスであったが、それは彼を含め、今のアカデミーに在席する魔術師では到底解読不能な代物だった……ただ一人の例外を除いて。
あらゆる魔術について造詣が深いオズワルドならばと思い、意見を求めるために彼の研究室までわざわざ足を運んだのだ。
「間違いなかろう。この術式は我が国の魔術師たちが使うそれと比べ、あまりにも古風すぎる」
質問された側であるオズワルドは、相手が学長だというのも気にせず、ぞんざいな態度で答えた。不機嫌そうな表情を隠そうともせず、マリナスから渡された資料を机の上に投げ捨てるように置く。
「基本に忠実な術式と言えばその通りじゃが、このまま使用するのは如何にも無理解じゃな。魔力効率が悪すぎる――その程度の善し悪しを判断し、改善できる人材すらいなかったことは不幸中の幸いじゃな、学長?」
かつての兄弟子から露骨な嫌味を浴びせられ、マリナスは顔をしかめた。
今でこそアカデミーの学長という立場ではあるが、マリナスは一門の中で自らの魔術の才が凡庸であったことはよく理解していた。
ただ、錬金術は得意分野であったため、錬金術を中心とした新たなアカデミー運営を目指したところ、マリナスが思っていた以上にその方針は市井の民に受け入れられた。そのことに浮かれ、本来根幹であるべき魔術を蔑ろにし過ぎた。
その結果招いたのは、魔術水準の低下、魔術師そのものの深刻な人材不足だ。
それは現在のアカデミーが抱えている最大の問題であり、国家を二分するほどの窮地を招いた遠因でもある。もはやマリナスでは手に負えないこの問題を解決するために、やむなくこの嫌味な兄弟子に再三頭を下げ、何とか再びアカデミーに戻ってきてもらったのだ。
「ふん、これだけではまだ納得できぬか? 昔馴染みから提供された情報もあるぞ。最近になってこの国に出現した吸血鬼が、奇妙な術を行使してきたそうじゃ。討伐時の状況を詳しく問うてみたが、状況から推測するに血縛魔法に相違ない」
「血縛魔法……たしか、南方の呪術師たちが使う呪いの類でしたか? 相手の生命力を直接奪う、吸収魔法だという説もありますが」
「そこで理解で止まっていることは責められぬな。実例を聞いたのはワシも今回が初めてじゃ」
オズワルドは自室の机の脇に置かれていた羊皮紙の束を手に取ると、珍しく愉快そうに笑顔を作った。
「実に興味深いぞ。血縛魔法は呪いの類だという説がこれまで有力であったが、まさか毒の一種であったとは」
「毒、ですか? 呪いではなく?」
「うむ、僧侶の呪文で解毒ができたとのことだ。おかげで結果から逆算することができ、一から解明する手間が省けた」
オズワルドは持っていた羊皮紙の束を、マリナスに手渡した。
受け取ったマリナスは、羊皮紙に記されている記述を読み解こうとして――冒頭部ですぐに諦め、流し読みに切り替えた。
ここに記されている内容は、全く新しい魔法を一から開発するのに匹敵するほどの情報密度がある。これまで未知の存在であった血縛魔法を、この偉大な魔術師は実例を聞いただけで理論を再現させたのだ。この羊皮紙の束を並の魔術師が解読しようとすれば、一度内容を読み込むだけでも数日の時間を有するだろう。
「確かに、生命活動に直結するほどの害が肉体に及ぶのなら、呪いという説はいささか無理があると思っておりましたが……毒を創り出すということは、これは創成魔術の一種ですか?」
「否、主体は拡大魔術じゃな。己の血を媒介とし、それを相手の体内に打ち込んだのちに毒として作用させるのじゃ。己の血以外を使おうとすれば、付与魔術も必要となるため魔力的連続性が一気に失われる。その点も考慮した上で、拡大魔術の利点のみを活かした見事な術じゃよ」
拡大魔術はマリナスが苦手とする系統であるため、オズワルドが解説する付与魔術との親和性の部分についてはほとんど理解できなかった。
ただ、その魔術の毒が血液干渉の類であることは概ね理解できた。それならば錬金術で対処できる範囲だ。
「なるほど、では血液干渉に拮抗できるポーションが必要になりそうですね。錬金術師たちに開発を進めさせます」
「それは任せよう。新たな理論が生まれた時、その裏付けと対策は常に必要じゃ」
「心得ております――失礼、話が逸れましたな」
魔法理論について話している間だけは、この偏屈な老人はすこぶる機嫌が良い。
そのことをマリナスはよく知っているため、オズワルドが饒舌になるのを敢えて止めずにしばらく語らせておいたのだ。
「南方の呪術師たちが手を貸しているのは、確かに間違いないようですね。しかしながら、フーラの地方アカデミーにそのような出自が不明な人材が流入しているとの報告は、未だありませんが……」
「当たり前じゃ、そのようなあからさまに警戒を生む真似をするわけが無かろう。何のために、王都から強引に錬金術師たちを引き抜いていると思っておる」
「それは……フーラ側も人材が不足しているからでしょう? フーラの錬金術の水準を上げることは、都市を治める太守にとっても先々有益であり――」
「前半はまあ正解じゃが、後半は全くの的外れじゃな。もっと時勢を意識して物事に目を向けよ」
オズワルドは再び不機嫌となった顔を隠すことなく、机を何度も指で叩いた。
学長になったというのに相変わらず視野が狭い弟弟子に対して、魔術の講義を行うように辛抱強く答えを促す。
「よいか、フーラの太守は今すぐにでも戦を始めたがっておる。そのような者が、今頃から悠長に錬金術を育てると思うか? 欲しがるのは今すぐ役立つ即戦力に決まっておろう――しかし悲しいかな、我が国には即戦力となる魔術師がおらぬ」
「代わりに招集されたのが南方の呪術師だというのは分かります。しかし、それと錬金術師の引き抜きとどう関係が……?」
「その答えをお主が考えろと言っておる」
察しの悪さにオズワルドが毒づく。面白く無さそうに鼻を鳴らすと、もういいとばかりに勝手に答え合わせを始めた。
「必要なのは我が国の人材ではなく、名前じゃ」
オズワルドの言葉が意味するところをマリナスはしばらく思案し――そしてその答えに気づき、青ざめる。
「我が国の人間を殺害して、南方の人間と入れ替わっていると言うのですか? 名義だけをそのまま使うために……?」
つまり、自分が……アカデミーが長い年月をかけて育て上げたあの錬金術師たちは、もうこの世にいない……?
馬鹿げている。たちの悪い冗談だ。そんなことはありえない。
マリナスは真っ白になりかけている頭を必死に働かせ、オズワルドの言葉を否定できる材料を探すべく、他の可能性がないか考えを巡らせた。
「そうじゃ、王都のアカデミーを離反した錬金術師たちは、もう生きてはおらぬ。ワシが直接確認したのは数名じゃが、おそらく全員が同じ運命を辿っておろう」
マリナスの思考を遮るように、オズワルドは残酷な宣告を淡々と続けた。
部屋の隅にまとめて重ねられている衣服の山を、オズワルドは顎で示す。それらはかつて離反者の所有物であった錬金術師の制服だ。
情報収集のために、オズワルドは追跡の呪文をあれ以降も定期的にかけていたが、数日前から呪文をかけても何の反応も示さなくなった。
魔術によって示された結果は揺るぎようがない真実だ。マリナスは唇を噛んで、反論の言葉を飲み込んだ。代わりに、気になる疑問を投げかける。
「いや、しかし……外部に気づかれないための工作だとしても、それほど大人数の外部人材登用を行っていれば、内部の人間はすぐに異変に気づきますよ?」
「気づいてはいるじゃろうな。しかし、組織の内側にいるからこそ、保身に必死で何も出来ぬよ。しかも明日は我が身となれば、もはや貝になるしかあるまい」
元々フーラのアカデミーに所属していた魔術師や錬金術師たちは、現状を知りながらも何も手を打つことはできないだろう。
自分たちの地位と、身を守ることだけで精一杯のはずだ。
「これから先は、逆にフーラ側から亡命する者も出てこよう。それら魔術師、錬金術師は可能な限り受け入れてやれ――たとえ出戻りであったとしてもな」
「……はい、さすがに手放しというわけにはいきませぬが」
マリナスは渋面を作りながらも、オズワルドの言葉に頷いた。
離反者の中には、マリナスの直弟子もいた。弟子の裏切り行為に対して憤りの気持ちはあるが、命で贖うほどの罪とは思っていない。できることなら生きて帰ってきて欲しい。可能性は乏しくても、せめてそう願わずにはいられなかった。
これから先のアカデミーのことを憂い、マリナスは大きく息をついた。
「大兄、できれば学長の座を代わっていただきたいのですが……」
「腑抜けたことを言いおって……まあ、いずれそれは考えておこう。今しばらくはお主が務めよ。ワシは弟子の育成に注力したい」
「ミアですか。たしかに恐ろしい才女だ……まだ十六だというのに、すでに導師級の魔術を修めているとか、貴方が手塩にかけるのも頷ける」
「それはいささか買い被りが過ぎる。あやつではまだ準導師が精々じゃよ」
準導師級だったとしても同じことだと、マリナスは心の中で吐き捨てた。わずか十六歳でそこまでの魔術を習得できた者など、王立魔法アカデミーには未だかつて存在しない。才能に恵まれなかった自分など、すでに初老に達しているというのに、その十六歳と同程度の魔術しか行使することができないのだ。
今はまだアカデミーに入って間もないため、ほとんど注目はされていないが、彼女が論文の一つでも発表すれば、アカデミー始まって以来の才女として盛大にもてはやされることだろう。
そしてそうした周囲の雑音は、魔術のみをひたすら追求するオズワルドが最も嫌うところだというのも承知している。
「しかし、あれほどの才能を冒険者になさるなど……万が一、失ったときの損失は計り知れませんぞ?」
「実地訓練も成長には欠かせぬ修行じゃ。安心せよ、今はまだ命の危険など無い。遊んでおるようなものじゃ。いずれは然るべき者を守りにつける」
何の因果か、愛弟子は昔馴染みであるあの戦士とすでに知り合いだった。
運命という言葉は、オズワルドが嫌う戯言の一つであるが、不思議な縁であることは認めざるを得ない。ならば、その縁を活用しない手はないだろう。
近頃は不愉快な気分にさせられる話題が多い。そんな中、愛弟子の成長にあの戦士をどう役立てようかと思案することは、オズワルドの密かな楽しみでもあった。