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第33話 おじ戦士、前に進む

 その日も良い天気だった。見上げれば、どこまでも突き抜けるような高い青空が広がっていた。

 王都を北門から出て街道を少し進むと、脇に逸れたところに小さな台地がある。その台地の上を取り囲むように建てられた低い壁の内側には、窮屈そうに詰め込まれた墓石だけが規則正しく並んでいる。

 そこは王都に住む市民のために作られた共同墓地だ。


「――最近はちっとも来れなくて、すまなかった。でも、決して忘れていたわけじゃないんだ」


 広大な墓地の一角に安置された墓石の一つ。その墓前にラルフは立っていた。

 太陽は中天を少し過ぎた頃。墓参りは午前中に訪れるのが通常の習わしであるため、彼のほかに墓参りをしている者は誰もいない。


「このところ色々とあってな。それに、この前の仕事は特に危なかった。てっきり、そっちへ行くべき時がきたのかと思ったんだが……また行きそびれてしまったよ。ありがたいことにな」


 午後からの墓参りで花を供えることは無作法にあたるため、代わりに持参した小麦の束を墓前に供えた。

 自分以外に誰もいない墓地で、そこにはいない人に向けて語りかけ続ける。


「なあ、聞いてくれよ。俺の命を守りたいと言ってくれた子がいたんだ。まだ若くて可愛いらしい娘なんだがな。俺の半分も生きていないその娘に、命を救われた」


 語りかけているうちに自然と笑みがこぼれていた。


「嬉しかったよ。知り合って間もない俺のことを、そんな風に考えてくれる子がいるなんてなぁ……本当に、救われた」


 特に意識することなくその場にしゃがみ込むと、墓石の高さでちょうど目線が合った。目の前にきた墓石に片手で触れる。

 何年も日の光に晒された石碑は少し色あせてきてしまっていた。これ以上摩耗しないようにと、できるだけ優しく撫でる。


「不思議なことにな、俺のことを殺しても死なないくらいに思ってるやつのほうが多いんだよ……笑っちまうよな。たまたま運良く生きているだけの、吹けば飛ぶようなこの燃えかすの命を――」


 本来ならば、此処に入っていなければならないのは自分のほうだ。

 それなのに――戦士である自分が無様にもこうして生きている。

 自分だけが、生き延びてしまった。


「――こんな命でも消えてほしくないと、共に生きてほしいと言ってくれる人がいるんだ。ようやく、また出会えた」


 墓石に触れている手に力がこもる。

 (すが)るように(こうべ)を垂れながら、かすれた声で小さくつぶやく。


「だから、まだそっちには行けない。そっちで会うのはもう少しだけ待ってくれ。俺はまだ――」


 胸の奥に溜まっていたものを出すように、大きく息を吐き出した。

 あの時、一緒に燃え尽きていたら……そう思うことは何度となくあった。

 だが、死ねなかった。

 死に際でさえ、かつての仲間を思い起こすことはなかった。

 それが答えだ。


「生きたい」


 はっきりと声に出した。

 結局、彼らの命と自分の命は全く別のものだった。

 どれだけ近くを歩いていたとしても、それは違う道なのだ。

 そんな当たり前のことを受け入れるのに、何年もかかってしまった。

 時間はかかったが、ようやく前だけを見て進むことができそうだ。まだ途切れていない道を、自分は歩き続けなければならない。共に歩んでくれる者が、自分にはまだいるのだから。

 長い長い息を吐き終えると、ラルフは墓石から手を放して立ち上がった。


「……じゃあな、ヴァン。今日はもう行くよ。シドニーとレアンにもこの事を伝えておきたいから」


 静かな声で友に別れを告げる。最後にもう一度だけ墓を一瞥すると、広大な墓地をさらに奥へと歩いていった。

 もう振り返ることはなかった。


 ※ ※ ※


 あの後、かなり時間をかけてからラルフは街へと戻った。

 昼過ぎに墓地を訪れたのに、街に着いたときにはもう日が傾きかけていた。

 当初の予定では三か所だけ回って帰るつもりだったのだが、墓石に刻まれた知り合いの名前を見るたびに、足を止めて過去の思い出に浸ってしまった。それが時間がかかった原因だ。

 割り切ることはできても、やはり忘れることはできない。そして、思い出を残したままでも、次へと進むことはできる。

 それを再確認するためだけでも、今日という一日は必要だったと思う。

 心境は良い方向に変化していることに、ラルフは満足していた。だから、今はなるべく感傷には浸りたくない。何でもいいから気分を上げるものが欲しかった。

 幸いと言うべきか、よく知った元気な声によってその願いはすぐに叶えられた。


「あー!! おじさんだー! ようやく見つけたぁ!」


 そう長い付き合いでもないのに、もう声を聞くだけで誰だか分かるようになってしまった。ラルフが声をかけられたほうを振り向くと、思った通りの娘がそこにいた。


「もぉー、あれからずっと探してたんだからー! 冒険者の酒場にもいないし、一体どこに行ってたの!?」


 怒った声でそう喚いているのは、赤髪の女魔術師ミアだ。

 今日の彼女は魔術師のローブは着ておらず、以前に街中で会った時と同じような私服姿だった。

 そして、誰が見ても一目で分かるほどのむくれ顔だった。ラルフがこれまでに見た中でも、一番不機嫌そうな表情で睨んでくる。

 思いっきり睨まれているにも関わらず、その視線を向けられている当人はというと、逆に安堵さえしていた。

 最後に別れた時、ミアの元気がなさそうだったことを、ラルフはずっと気にかけていた。今日は一体、何をそんなに怒っているのかは知らないが、ミアがいつもの調子を取り戻してくれたようならそれはそれで嬉しかった。


「あらあら? ミア、あなたラルフと知り合いでしたの?」


 ミアの連れが声を上げた。

 この日ミアと一緒にいたのは、よく行動を共にしているセーラではない。

 清楚なセーラとは、ある意味対極に位置すると言ってもよいほど、とても派手で目立つ女性だった。


「えっ、ロッテもおじさんのこと知ってるの?」

「そりゃそうですわ。この街で冒険者をしていて、ラルフのことを知らない者のほうが珍しいですもの」


 往来の真ん中で急にラルフに絡み出したミアを見て、彼女は愉快そうな笑みを浮かべた。まるで新しいおもちゃを見つけたときの悪戯っ子のような表情だ。

 そして特に意味もなく腰に手を当て、自慢の黒髪を片手でかき上げる仕草とともに優雅なポーズを取る。

 ラルフも彼女のことはよく知っていた。

 冒険者の酒場で頻繁に見かける顔馴染みのうちの一人、魔法戦士のカルロッテだ。冒険者仲間たちからは、ロッテという愛称で呼ばれている。

 彼女は相方である僧侶の男とコンビを組んでいるため、冒険者の酒場で依頼を受ける際は外注として戦士の仲間を募集することが多い。そのため、ラルフとはちょくちょく冒険を共にする機会があった。


「俺からしてみれば、ミアがカルロッテともう仲良くなっていることのほうが意外だな。まだ一緒に冒険に出たことなんてないだろ、どういう繋がりなんだ?」

「どうって、ロッテもアカデミーに在籍する魔術師だもん。普通に学友だよ」

「そう、学友ですわ! ミアが書くレポートはとても分かりやすくて、課題の参考になりますのよ!」


 カルロッテはそう言いながら、なぜか偉そうに腰に手を当てて薄い胸を張る。

 気品を感じさせる端正な顔つきなのだが、綺麗に切り整えられた黒髪のせいで、年齢よりもかなり幼く見える。実際はミアよりも二つか三つほど年上のはずだ。

 身長も低めで、小柄なミアよりも少し高い程度。

 貴人が好んで着るような高価そうな衣服に、華美なマントを羽織っているせいで、一見すると良家のお嬢様が街を出歩いているように見えなくもない。平民服のミアと並ぶとどうにも場違いだった。


「……参考にするどころか、いつも丸写ししてるじゃん。そもそも真面目に講義に出席してれば――って、今はそんな話はどうでもいいの!」


 ミアは首を横にぶんぶん振って、ずれてしまった話題を元に戻そうとする。


「おじさんの嘘つきー! 帰ったら礼をするって言ったのに、私まだ何もしてもらってないよ!」


 ああ、とラルフは声を漏らす。それを聞いてようやく合点がいった。

 たしかに、前に黒ニスを融通してもらった時のお礼をまだしていなかった。

 あれから何度かアカデミーには訪れたが、ミアは冒険に出ている最中であったため、直接会うことは適わなかった。

 ラルフとしては別に約束をすっぽかすつもりはなかったのだが、すぐには思い至らないほど忘れていたのだから、不義理と言われても仕方がないなと反省する。


「わかったわかった。せっかく会えたんだからな、今すぐに約束を果たそう。ミアが望んでいることがあるのなら、何でも言ってくれ。この場で叶えられそうなことなら、すぐに叶えるよ」

「え? えっ、ほんと? そっかぁ……えへへ、それじゃあね――」

「でかしましたわ、ミア! ラルフの奢りで話題のスイーツ食いに行けますわよ!」

「……なんで関係ないお前が欲望を吐き出してるんだ。あと言葉遣い、また地が出てるぞ」


 ラルフはあきれ顔で、カルロッテに対して突っ込みを入れる。

 彼女は別に貴族の令嬢とかそういうのではない。多少裕福な程度の平民の出だ。なんでも、幼い頃からそういう優雅な存在というものに憧れていたらしく、漠然とした印象だけでその存在を演じているのだという。

 だから、そのお嬢様言葉も見よう見まね、言ってしまえばただの口癖だ。

 魔術師でありながら剣の扱いを学び、魔法戦士などという目立つ割にパーティ内での立ち回りが難しい職を目指したのも、自分が特別な存在でありたいという思いの現れだろう。

 そういう変なこだわりが強い冒険者は偶にいるが、見ていて愉快なのでラルフも嫌いではなかった。


「うーん、スイーツかぁ。それも捨てがたいよねぇ……うん、そうしよっか!」


 ミアはカルロッテの提案に、意外にあっさりと頷いた。

 半ば無理やり誘導されたようなものなのだが、思ったよりも乗り気な様子だった。ミア自身がそれで構わないというのなら、ラルフとしても異存はない。

 上機嫌ではしゃぐ女子二人のあとについて、話題のスイーツとやらを拝みに行くことになった。

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― 新着の感想 ―
・おじさんおかえりなさいヾ(´ω`)ノ ・旅だっていった古い仲間達への報告でしんみり…させてくれないミアちゃんとキャラが濃い子が登場しましたねぇ…カルロッテちゃん! エセお嬢様キャラからしか得られない…
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