第31話 おじ戦士、使命を果たす
扉を蹴破ると同時に、手に持っていた魔法の松明を室内に投げ入れる。
それで礼拝堂の中の様子がはっきりと見えた。
室内全体に素早く視線を走らせ、状況を把握する。
礼拝堂の最奥――本来なら女神の像が置かれるべき場所に、ヤツはいた。
そこが自らの玉座であるとでも言うかのように、足を組んで座っている。足元には破壊された女神像と、大量の人骨が転がっている。
左右には全裸の女を二人はべらせている。視線で魅了された生贄か、人質か、すでに眷属化された吸血鬼のいずれかだろう。
そして、ヤツに至るまでの通路には、翼を持つ悪魔のような姿をした彫像が二体配置されている。これは十中八九、ガーゴイルだ。
目に見える範囲にいる障害はそれだけだ。
これなら予定通り、この場ですべて始末できる。
「……やはり来おったか、下賤なにんげ――」
吸血鬼が何か喋りはじめた隙に、俺は迷わずクロスボウを構え、発射した。
銀の太矢が吸血鬼の胸元へと迫る。
自らに矢が当たる直前、吸血鬼は右隣にいた女の頭をわしづかみにすると、そのまま力づくで自分の前まで女を体ごと移動させ、その肉体を盾にした。
女の心臓にあたる部分に矢が命中すると、人間の口から出たとは思えない奇怪な叫び声が上がった。
「何をしている! 侵入者を殺せ!」
自らの盾にした女の体が灰へと変わるのを見た吸血鬼は、ようやく迎撃の指示を出した。ガーゴイルの像が重い音を立てて動き出し、残ったもう一体の女は、髪を振り乱しながらこちらに向かってくる。
その間にも、俺はすでにクロスボウを捨て、背負っていた魔法の盾を左手に構えながら走り出していた。盾の裏に仕込んでおいた銀の短剣を三本抜き、走ってくる女に向けて投げつける。
短剣を三本とも足に受けた女は、バランスを崩して転倒した。
女が転倒している隙に剣を抜き、飛び立とうとしている左右のガーゴイルをそれぞれ一太刀で斬り伏せ、破壊する。
そのまま突き進み、途中で転がっている女の上半身を下からすくい上げるように縦に斬り裂き、灰へと変える。
残るは、親玉の吸血鬼だけだ。
ここに至って、吸血鬼も本気で反撃に動き出した。
俺の接近を阻むため、強烈な魔法の衝撃破を放ってくる。
魔法の盾の後ろに身を隠し、その攻撃に耐える。衝撃に全身が軋むが、その間にも前へと進む足は止めない。
「貴様ッ――」
完全に肉薄したところで剣を振るい、魔法を使うために突き出していた吸血鬼の片手を斬り落とした。
黒ニスが塗られた剣は、アンデッドに触れただけでその存在を崩壊させながら斬り裂く。アンデッドの防御を完全に無力化する、必殺の魔剣となるのだ。
「人間ごときがッッ!! 図に乗るなぁぁッッ!!」
吸血鬼は、自らの心臓にあたる場所に、残った片手を突き刺した。
これまでに倒してきた吸血鬼からは一度も見たことがない、謎の行動だった。
何をしようとしているのか理解できず、俺は一瞬だけ、前に進もうとする足を止めた。そしてほとんど反射的に、盾の後ろに身を隠した。
次の瞬間、すさまじい数の小さな衝撃が盾を持つ左手と、盾で隠し切れなかった足の一部に襲いかかった。衝撃を受けた部分の足には鋭い痛みを感じる。
足の痛みを敢えて無視し、衝撃が収まると同時に吸血鬼に斬りかかった。
吸血鬼は自らの心臓を手で突き刺したかのように見えたが、その損傷はどこにも見当たらなかった。
とはいえ、体に空いた穴の一つくらい、あってもなくても大差はない。俺がこれから一方的に、ヤツの体を切り刻むからだ。
防御しようとする両腕を斬り落とし、無防備になった吸血鬼の体を剣で斬り裂いていく。
吸血鬼の顔に、はっきりとした怯えの表情が浮かんだ。
己が滅ぼされようとしている事実に、愕然としているかのようだった。
(どうせ逃げるつもりだろうに)
案の定、吸血鬼は完全に滅ぼされる前に、自らの体を霧へと変えた。
このまま霧の状態で、誰の目にも留まらないように隠した自分の棺へと戻り、そこで傷ついた肉体を再生させるつもりなのだろう。
(逃がすつもりはないがな!)
俺が狙っていたのは、まさにこの瞬間だった。
逃げようとする霧に向かって、黒ニスが塗られた刀身を埋め込むように剣を突き刺す。
途端、霧はまるで自らの意思があるかのように形を歪ませていく。それは吸血鬼自身が見せた、苦悶の表情であるかのようだった。
やがて、霧はどす黒い色の血の雨となって礼拝堂の床に降り注いだ。床には小さな血だまりが広がっていく。
それはヤツがこれまで奪ってきた命の数に対して、あまりにも少ない量の血の対価だった。
完全に吸血鬼の排除を確認した後、俺はもう一度礼拝堂を注意深く見渡した。
取りこぼしや、さらに潜んでいる敵がいないかどうかを警戒してのことだ。
勝利を確信した瞬間こそ、最も隙が生まれることを知っている。
「……終わったな」
今この場において、自分以外に動くものが存在しないことを確認できたことで、ようやく声に出して呟いた。
その声を聞きつけたのか、扉の外で待っていた例の密偵の近衛騎士が室内に入ってきた。
「終わりましたか」
「ああ、アルベルトを呼んできてくれるか?」
近衛騎士は頷くと、地上への階段を駆け上がっていった。
その間に、俺は自分が受けた傷を治療することにした。
確認せずとも痛みで分かる。謎の攻撃を受けたときにできた足の裂傷が、一番深い傷だ。
剣を鞘に納め、腰のポーチから回復用のポーションを取り出すと、中身を直に傷口に振りかけた。それによって、傷口の消毒と止血が瞬時に行われる。
いつ見てもこのポーションの効果は便利なものだが、一介の冒険者が常用できるほど手軽な値段では売られてない。しかし今回は費用のすべてを騎士団が持ってくれるので、そこのところを気にせずに使うことができる。
足の裂傷を治療したところで、体に違和感があることにも気づいた。
少しだけ、体の動きが鈍い。四肢への力の入り具合が弱くなっている気がする。
俺の経験上、これは麻痺毒を受けた際の症状と似ていたため、念のため麻痺毒の解毒用ポーションも飲んでおいた。
丁度ポーションを飲み干したところで、部下の兵士を引き連れたアルベルトが姿を現した。
「ラルフ、よくぞ役目を果たしてくれたな!」
歓喜の笑みを浮かべながら、俺に対し賞賛の言葉を投げかけてくる。
「ああ、吸血鬼は滅ぼした。この場にこれ以上の敵が潜んでいないことも確認した」
「本当によくやってくれた。あとのことは我々に任せてくれ」
「そうだな、俺は戻って休ませてもら――」
階段のほうへ移動しようとしたところで、異変に気付いた。
足に上手く力が入らない。
背筋に冷たいものが走る。
さっき飲んだ解毒のポーションが効いていない。なんだこれは……麻痺毒ではないのか?
「おい、ラルフ、お前……」
「まだだ、アルベルト、子爵には完全な勝利を見せなければならない……そうだろう?」
俺の異変に気付いたアルベルトが、そばに近寄って声をかけてくる。
それを制して、俺はそのまま階段へ向かって歩き続けた。
子爵に、父親の庇護を失ったことを後悔させるような懸念を残してはならない。
我々のほうが強く、我々に従うことこそ正解の道だったと、心にくさびを打ち込まなければ完全な成功とはならない。
「……村に張った陣へ戻れ。すべての事を片付けたら、私もすぐに駆け付ける」
苦渋の表情を浮かべるアルベルトに頷き、重い歩を進めながら、俺は地上への階段を上がりはじめた。
一歩一歩が重い。階段が無限に続くかのように思えた。
まるでこの地下から二度と出ることができないかのような、恐ろしい考えが頭に浮かんでくる。
しかし幸いにも、その考えが現実になることはなかった。
階段を上がりきった先には、例の近衛騎士と子爵が待っていた。
「父君を、断罪に処しました。もはや子爵を縛る魔物はいません」
俺は子爵に敬礼をし、戦いの勝利を報告した。
そしてそのまま城の外へと出ようと、廊下を移動する。
子爵が俺に何か言っていたような気がするが、もうそんなことは一つも頭に入ってこなかった。
城の外に出ると、太陽の光が激しく降り注いできた。
その眩しさに思わず目がくらんだが、太陽の光を受けても体が燃えなかったことに、ほっとした。
少なくとも、俺まで吸血鬼化してしまったわけではないらしい。
安心してしまったことで、足から力が抜けて、その場に倒れ込んでしまった。
体が重い。
俺の体は、こんなに重かったか?
このところ忙しくて、疲れが溜まっていたからな。
早く帰ってゆっくり休みたいものだ。
もはや立ち上がることすらできなかった。
地面を這うように進みながら、目の前の土を握りしめる。その手にも、もうほとんど力が入らなくなっていた。
俺は帰らなければならないのだ。
帰るべき家へ。
愛する者のもとへ。
感覚すらほとんど残っていない俺の両腕を、左右から抱える者たちがいた。
ぼやける視界にうっすらと見えるその横顔には覚えがあった。ここまで一緒に旅をしてきた周辺警備の兵士だ。
(なんだ、運んでくれるのか?)
まだ若い兵士が、必死の形相で俺に何か声をかけてくるが、全く聞き取れない。
俺のようなおっさんに、若者が手間をかける必要などないというのに。
(自分の足で帰りたかったのだが……なんだか申し訳ないな)
まったく最近の若いのは、本当に……しっかりしていて頼もしいな。
ぼんやりとした思考とともに、俺の意識は急速に闇へと沈んでいった。