第10話 おじ戦士、虫の知らせが当たる
「……こりゃ、思ったよりひでぇや」
ランタンの灯りに照らされた室内を見た途端、チップは顔をしかめてそう吐き捨てた。
宿の内部は確かにひどい有様だった。
テーブルや椅子などの家具があちこち破壊され、床や壁には大量の血が飛び散った痕が残っている。この場所で何かしらの争いがあったのは間違いない。しかし、その血の持ち主である死体の姿は見当たらなかった。
「まだ何か潜んでいるかもしれない。生存者がいるかどうかも含め、念のため内部を確認したい。チップ、他の三人を呼んでくれ」
俺は薄暗い室内から目を離さず、チップに指示を出す。
入口付近に脅威となるものはいない。全員で合流して本格的に家探ししたほうが良さそうだ。
近くで待機していた女三人組はすぐに合流した。
室内の見張りをダニエルに任せ、合流した仲間にも宿の内部の状況を伝える。
「まずは、入口から見える範囲を完全に制圧する。そこを集合場所とするぞ。その後、俺とチップとで一部屋ずつ確認していく。奥に見える廊下の先はおそらく客室だ。客室で何か脅威と遭遇した場合は、集合場所まで後退して迎え撃つ。ここまでで何か質問はあるか?」
間髪入れずにミアが手を上げて、質問を投げかけてくる。
「魔法の灯りはいる? ランタンより明るいし、中を調べるのに役に立つと思うよ」
「……そうだな、集合場所にも灯りは必要になるし、魔法の灯りも一つ用意してくれると助かる」
少し考え、俺はミアの提案を受け入れた。
任せて、と返事をするとミアはすぐに魔法の準備に取りかかった。
中の凄惨な状況は、後から来た三人にもすでに伝えている。それに動揺することなく、自分にできることを冷静に提案してくる辺り、やはりこの娘は肝が据わっている。……いや、興奮してるのか若干目も据わっている。さすがにそれはちょっと怖いぞ。
「二人だけで大丈夫ですか?」
ミアが魔法の灯りを用意している間、緊張に耐えかねたようにセーラが口を開いた。心配そうな顔をしている。
「内部は狭いだろうからな。大人数であちこち動くと互いが邪魔になってしまい、かえって危険だ」
入り口から入ってすぐの場所は広いが、奥に見える廊下はかなり狭そうだった。
あそこから先へ進もうとするなら、二人くらいにしておかないと窮屈になりすぎる。
「なに、心配するな。そのために俺が一緒に行くんだ。チップには斥候らしく働いてもらうことになるがな」
「へ、へぇ……まぁラルフの旦那がついてきてくれるなら……」
「はい、できたよ」
やや怯え気味に言葉を濁しているチップに、ミアが白く光り輝く松明を手渡した。
本来なら火を点ける松明の先端に、魔法の灯りをかけてくれたようだ。これなら松明と同じように手で掲げられるし、床に落としても壊れたりしない、よく考えているな。
大役を任されたチップは、まだ肝が据わりきっていないようだが仕方ない。こういうのは慣れだ。今は怯えながらでも役割を果たしてくれればいい。
「他に質問は無いな? では、室内に踏み込むぞ」
室内を警戒しているダニエルにも、今から内部へ入ることを伝える。
「ダニエル、お前は入口の外で待機だ。何者かが宿に近づいてこないか、警戒していてくれ」
ダニエルからの返事は無かった。微動だにせず室内を見つめている。手に持っているランタンは、だらんと力なく垂れた指先に引っかかっているだけの状態で、今にも地面に落ちそうだ。
様子がおかしい。
俺は咄嗟にダニエルの肩を掴み、思いっきり引っ張った。そのまま後ろに引き倒す。
その直後、入口の向こうから鋭い鉤爪の生えた手が伸びてきて、先ほどまでダニエルが立っていた空間を切り裂いた。鉤爪は獲物を捕らえられず空を切る。その一瞬の隙に合わせて、抜き放ちざまに剣を振るい、その手を斬りつけた。
手首から先が宙を舞い、地面に落ちる。
室内から短い悲鳴のような甲高い声が聞こえた。
「灯りをくれ!」
背後にいるチップに指示を送り、そのまま室内に飛び込む。室内は暗いが、暗闇の中に赤い眼が見えた。間を置くことなく追撃を加える。振り下ろした剣から、相手を深く斬り裂いたときの感触が伝わってくる。
反撃の隙を与えることなく、左手の盾を前面に構えて低い姿勢から体ごと体当たりする。相手を吹き飛ばしたという確かな手応えの後、すさまじい破壊音が鳴り響いた。転倒したときに、床に散らばっていた半壊した家具を巻き込んだのだろう。
一体目を転倒させた直後、暗闇の奥から新たな赤い視線を感じた。
「旦那!」
それとほぼ同時に、室内が明るく照らされる。チップが灯りを持ってきてくれたのだ。
室内が照らされたことで、戦っていた相手の正体も分かった。
赤い瞳に、青白い肌、人間とは思えないほど長く伸びた鋭い牙と爪。
間違いない、こいつらは吸血鬼だ。突然ダニエルが動けなくなったのも納得した。吸血鬼の視線にはそういう能力がある。
奥から現れた一体は、片手に剣を持っている。
先ほど転倒させたほうも、まだ立ち上がろうとしていた。人間なら致命傷となる深手を負わせたはずだが、こいつらは吸血鬼だ。銀の武器で徹底的に叩きのめすか、太陽の光で焼き尽くすかしない限り、動きを止めることはない。
虫の知らせに従い、銀の剣を持ってきて正解だった。
吸血鬼が転倒から立ち上がる前にとどめを刺そうと、俺は床を蹴って一気に距離を詰めた。
それを待っていたかのように、奥の吸血鬼も動いた。手に持った剣で斬りつけてくる。その斬撃を盾で受け止めるのではなく、思いっきり弾き返した。弾かれた剣に引っ張られるように、吸血鬼の体が大きく揺らぐ。その隙を逃さず、片足を斬り落として転倒させ、こいつも無力化する。
最初に転倒させたほうの吸血鬼は、立ち上がる途中の姿勢で何故か固まっていたため、顔を鉄靴の底で蹴り飛ばし、再び仰向けに転がす。その心臓めがけて、銀の剣を突き立てる。それでようやく動きを止め、吸血鬼は灰となって崩れ落ちた。
残るはもう一体――
「ま、待ってくれ! ラルフ! お前ラルフだろ!?」
片足を斬り落としたほうの吸血鬼が、俺の名前を呼んできた。
「吸血鬼に知り合いなどいない。気安いぞ」
動けない吸血鬼にとどめを刺すために近づく。
「俺だよ、ケイドだ! こうなったのには訳があるんだ! ど、どうか見逃してくれ!」
吸血鬼は床に這いつくばりながら、必死に命乞いをしてくる。
「ケイドだと?」
その名前には覚えがあった。半年前までソードギルドに所属していた傭兵だ。顔はよく覚えていないが……確かにこんな感じのやつだったかもしれない。吸血鬼になって顔色がめちゃくちゃ悪いせいもあり、正直よく思い出せないが。
「いいだろう。剣を捨て、腹ばいになって両手を後ろで組め。妙な動きをしたらその時点で殺すぞ」
吸血鬼はアンデッドの中でも特に危険な存在だ。知能が高く、人間を凌駕する恐ろしい怪力に加えて、視線を始めとした様々な特殊能力を持っている。見つけたら何もできないうちに迅速に始末するに限る。
大体、足を斬り落としたというのに、こいつは普通に話しかけてきているのだ。痛みを感じている様子すらない。その片足も、直に再生するだろう。
そんな吸血鬼を捕虜にするなど、普段なら絶対にしない選択だった。
しかし、この状況では貴重な情報源だ。行方不明事件の真相を知っているかもしれない。
「旦那、そいつ殺さねぇんですか?」
ケイドを名乗る吸血鬼が武装解除に応じたのを見計らい、新人たちも何人か俺のそばまで近づいてきた。
「こいつにはまだ聞きたいことがある。それにどうやら、顔見知りだったようだ」
油断することなく剣の切っ先は吸血鬼に向けたまま、新人たちに指示を出していく。
「ドマ、こいつを後ろ手に縄で縛りあげてくれ。チップは状況報告を、ダニエルは無事か?」
「えぇ、ダニエルのやつは今セーラが介抱してます。俺とドマは旦那の後を追って中に入ったんすけど、何もできないうちに旦那が一人で片づけちまいました。なんとか間に合ったのはミアの魔法だけっすね」
先ほどの吸血鬼が一瞬動きを止めたのは、ミアのおかげだったのか。
「いい判断だ。おかげで楽に戦えたぞ、ミア」
お世辞抜きに、本当にいい判断だった。
熟練の魔術師のように冷静で的確な援護だ。
目の前の吸血鬼から視線を外すことなく、背後にいるはずのミアに対して礼を言う。
「おおおおおじさんは一人で突っ込みすぎよぉ! 強いからってあんまり無茶しないでよね、ばかっ!」
ものすごい早口で罵声交じりの返事が戻ってきた。全然冷静そうではない。
もうなんなの、この娘。おじさんには訳がわからないよ。