身代わり和尚
昔、ある山奥の村里にお寺がありました。
そのお寺の和尚さんは大変に人柄も良く、村人から信頼され、慕われていました。
ところが、ある年の暮れにその和尚さんが亡くなってしまいました。
和尚さんのお葬式は遠くからも偉いお坊さんがたくさん来て、盛大に行われました。
ところで、この和尚さんは独り身で、跡継ぎがいませんでした。
そこで、誰がこのお寺の跡を継ぐかという話になりました。しかしどのお坊さんも、こんな山奥のへんぴな場所の和尚さんにはなりたくありません。
お坊さんたちは皆、和尚さんのお葬式が終わると、さっさと帰っていってしまいました。
「いやー、お寺さんがなくなると困るなぁ」
「誰か和尚さんの跡を継いでくれねぇもんかなぁ」
「これじゃあ、葬式も出せねぇし、お墓はどうするだ」
村人たちは困ってしまいました。
その時、村人の一人が言い出しました。
「こうなりゃ、誰かが和尚さんの代わりをすりゃいい。三次、お前どうだ?」
「ひえっ、おらにゃ和尚さんの代わりなど出来やしねぇ。それに畑仕事もあるだ」
誰ひとり、和尚さんの代わりにお寺の跡を継ごうという人はいませんでした。
「そうだ。小六の息子の田吾作がいいんじゃねぇか?」
ある村人が言いました。
田吾作は二十歳を超えているのですが、畑仕事をするわけでもなく、毎日家の中でゴロゴロしていました。
「そうだ、そうだ。田吾作がいい。どうせ、あいつは仕事をしねぇんだ。たまには人の役にたつことでもやってもらうべぇ」
こうして村人たちは田吾作のところへ押しかけました。
「えーっ! おらが和尚さんに?」
田吾作は話を聞いてびっくり。父親の小六も慌てています。
「おらぁ、毎日のんびり暮らしてぇだ。和尚さんなんて勤まらねぇ」
田吾作がぼやきました。
「なぁ、息子には和尚さんなんて無理だ」
父親の小六も村人たちに言います。
でも村人たちは聞き入れません。
「いや、何が何でも田吾作に和尚さんをやってもらうだ。でなけりゃ小六と田吾作は村八分だぞ」
村八分というのは仲間外れのことです。昔は仲間外れにされたら生きてはいけませんでした。これには小六も田吾作も頷かないわけにはいきませんでした。
こうして田吾作は無理やり和尚さんにさせられてしまったのです。
お寺に行ったものの、田吾作は何をしたらいいのかわかりません。お経だって難しい字で何が書いてあるか、ちんぷんかんぷんです。そもそも田吾作は字が読めませんでした。
仕方がないので田吾作は仏像を磨き始めました。本当はごろごろしているのが好きな田吾作ですが、さすがに埃の積もった仏像をそのままにしておいては、罰が当たるような気がしたのでしょう。
そして、お経の真似事を始めます。
「南妙法蓮華経……」
そこまでは父親の小六がよく唱えているので知っていました。しかし、その後が続きません。田吾作は困りました。そこで仕方なく口をモゴモゴさせながら、適当にそれらしく続けました。
「南妙法蓮華経、今日の晩飯何だべかー、仏像磨けば腹が減るー、お山のカラスがカーカーカー」
万事、この調子です。
それでも村人は田吾作が何かムニャムニャ言っているので、ちゃんとお経を上げていると思いました。
「いやー、田吾作の奴、立派に和尚さんをやってるでねぇか」
「いい跡継ぎが見つかったもんだ」
村人たちは口々に言いました。そして田吾作に食べ物を差し入れたのでした。
そんなある日、村のあるおじいさんが亡くなりました。さっそく田吾作は和尚さんとしてお葬式に呼ばれました。
この亡くなったおじいさんは、村でも有名なケチで欲張りでした。
村人は付き合いでお葬式には顔を出しましたが、心の中では死んで良かったと思っていました。
田吾作は例によって、いい加減なお経を上げます。
「南妙法蓮華経、あんたは死んで可哀想ー、はい成仏してくんろー」
田吾作がそれらしく読み上げるので、村人たちは本当のお経だと思っています。
お葬式が終わって、帰り道でのことです。ある村人が田吾作に話しかけました。
「本当に死んで良かっただ。あのじいさん、畜生道ってのに落ちるだべ?」
周りの村人が一斉に笑い出しました。
畜生道とは仏教の言葉で、悪い行いをした人が死んだ後、動物に生まれ変わって、食うか食われるかの暮らしを送ることです。
ところが、田吾作には畜生道の意味がわかりません。それに田吾作は怠け者ではありましたが、心根は優しく、人の悪口を言ったり、人と争ったりするのが大嫌いでした。
「死んだ人を悪く言ってはいけません。あのおじいさんだって生きている間に何か一つは良いことをしたでしょう。それに皆も何か一つは悪いことをしたことがあるでしょう。仏様はちゃんと皆のことを見ています。大切なのは今を頑張って生きることです」
田吾作はその場を取り繕うために、そう言いました。
村人たちは口をポカーンと開けています。まさか、田吾作の口から、そんな言葉が出ると思わなかったからです。
「おい、田吾作の奴、本当の和尚さんみたいだな」
「ああ、おらたちに説教こいたぞ」
「ありゃ、本物の和尚さんじゃわい」
村人たちは田吾作のお説教に、すっかり感心して本当の和尚と認めるようになりました。
それは雪が降るとても寒い日でした。
村に見知らぬ男がやってきました。そして村の家を一軒一軒まわっては「泊めてくれ」と頼んだのです。
ところが村人たちは男の汚い身なりを見ては、誰ひとり男を泊めるどころか、食べ物すら与えませんでした。男が去った後に塩を撒いた村人もいます。
とうとう男は道端で倒れてしまいました。男の身体に雪が降り積もります。
そこへ田吾作が通りかかりました。
「これ、もし……」
田吾作が声を掛けますが、男はピクリとも動きません。それどころか、身体を触ってみれば、冷たくなっているではありませんか。
「こりゃ、いかん」
田吾作はお寺まで男を担ぎ込みました。そして、沢山薪を燃やして男の身体を暖めます。
そこへ村人たちが田吾作に差し入れにやってきました。村人たちは男を見てびっくり。
「和尚さん、何でどこの馬の骨ともわからん男を寺に入れたんじゃ?」
田吾作は逆に村人たちに尋ね返しました。
「お前さんたちはこの男を知っているようだね」
「ああ、今日、村中の家をまわって泊めてくれって言ってただ」
「皆、冷たいね」
田吾作が村人たちを横目でちらりと見ました。
「んだども、どこの誰かもわからねぇもん泊めるわけにはいかねぇ」
村人の一人が言い返しました。
「困っている時はお互い様じゃないか。もし、お前さんたちが旅先で行き倒れて、放りっぱなしにされたらどういう気分だ?」
村人たちは皆、頭をうなだれています。
その時、男が目を覚ましました。男は「うーん」と声を上げ、身体を起こしました。
「こ、ここは……?」
男がキョロキョロとまわりを見回しながら言いました。
「村の寺だよ」
田吾作が答えます。
「ああ、そうだ。私はもう帰れない」
男が言いました。その顔はとても悲しそうです。
「どうされたのかな? よかったら、わけをお聞かせ下さらぬか?」
田吾作が男に尋ねました。
「はい。私は隣の国の呉服屋の番頭をしている利吉と申します。あるじから使いを頼まれ、旅に出たところを追いはぎに遭いました。そしてお金も品物の反物も盗まれてしまったのです。もう、お店にも国にも帰れません」
村人たちもさすがに黙って聞いています。田吾作もどうしたら良いものかと考え込んでしまいました。
その時、村人の一人が大声を張り叫びながら寺に駆け込んで来ました。
「おーい! 皆の衆! 大変だーっ!」
村人たちも、田吾作も、利吉も一斉に振り向きます。
「何だね、騒々しい」
田吾作が村人に話しかけます。
「和尚さん、大変だぁ。留吉の家に流れ者のゴロツキどもが居座って、娘のお咲を人質に取ってるんでさぁ。何でも金を百両用意しろってわめいてるんで」
田吾作は集まっていた村人たちに利吉の面倒を見るように言い付けると、何やら支度をしました。
田吾作は酒の樽を持つと留吉の家に向かいました。もちろん百両なんて大金は持っていません。
留吉の家の前に着いた田吾作は扉を叩き、中に入れるように言いました。
「なんだ、坊主じゃねぇか。金は出来たか?」
ゴロツキの一人が出て来て、田吾作を睨みつけて言いました。
「金は今、村の者がかき集めているよ。なぁ、中の娘さんと私と人質を交替しよう」
「いいや、それはダメだ。娘とお前じゃ値打ちが違う。でも、ちょうどいい、お前も人質だ」
こうして田吾作も留吉の家の中に入れられてしまいました。
中では縄で縛られた留吉の娘のお咲が震えています。
ゴロツキは全部で三人いました。意外と皆、若そうです。歳もまだ二十歳はいっていないでしょう。
ゴロツキの一人が田吾作に縄を掛けようとします。その時、田吾作は持っていた酒をゴロツキに勧めました。
「ほう、こいつは心掛けがいい坊主じゃねぇか。村の連中が金をかき集めている間、これでも飲んでようぜ」
ゴロツキたちは田吾作を縄で縛り上げると、酒盛りを始めました。
「がははははは・・・・・・!」
豪快なゴロツキたちの声が響きます。
「この間は呉服屋の番頭を襲って、金と反物を巻き上げたし、ここのところツイてるぜ」
ゴロツキの一人が愉快そうに笑いました。そうです。利吉を襲った追いはぎとは、このゴロツキたちだったのです。
やがて夜になりました。ゴロツキたちはすっかり酒をたいらげてしまいました。そして何かイライラした様子です。
「それにしても、金はまだかな」
ゴロツキの一人が立ち上がろうとしました。しかし、足がよろけて立ち上がれません。
「なんだ、酔っ払っちまったのか? だらしがねぇ」
他のゴロツキも立ち上がろうとします。しかし、そのゴロツキも足がよろけてしまいます。
「ああっ、どうなってるんだ? 畜生、クソ坊主、酒の中に何か入れたな?」
ゴロツキたちが田吾作を恐ろしい形相で睨みつけます。しかし、足腰がしびれて立てないどころか、手足もしびれて刃物も振り回せません。
「ふふふ、アセビの毒だよ」
田吾作が静かに笑いました。アセビとは毒草の一種で、これを食べたり飲んだりすると、体が痺れてしまうのです。
「お前さんたち随分と気前よく飲んだもんだな。おーい! 皆の衆! 今だーっ!」
田吾作のその声に村人たちが一斉に留吉の家に入ってきました。
村人たちは田吾作とお咲きの縄を解くと、あっと言う間にゴロツキたちを縄で縛り上げました。留吉が泣きながら娘のお咲きを抱き締めました。そして、田吾作に何度も「ありがとうございます。ありがとうございます」とお礼を言って頭を下げました。
留吉の家の外ではゴロツキたちを村人たちが取り囲んでいました。
「ふてぇ野郎どもだ。このままおらたちで、なぶり殺しにしてやるべぇか?」
「いや、お役人に引き渡した方がいいだ。どっちみちお仕置きだべ」
村人たちはゴロツキたちをどうするか相談しています。ゴロツキたちは恨めしそうな顔で田吾作や村人たちを見上げています。
そこへ田吾作が口を挟みました。
「まぁまぁ、待ちなさい。見ればこの連中も若いじゃないか。まだやり直しが出来る歳だろう。誰が殺されたわけでもないし、ここは一つ見逃してやりなさい」
しかし、村人たちは猛反対です。
「こんな連中を野放しにしてたら、またいつ村が襲われるかわからねぇだ!」
そこで田吾作は一つ、村人に提案をしました。
「そうだ。縛ったまま船に乗せて川に流せばいい。助かるも、助からんもこいつらの運一つだ」
村人たちは顔を見合わせました。村を流れる川は難所が沢山あります。
「まぁ、和尚さんがそう言うなら、それでもよかんべ」
「じゃあ、決まりだな」
村人たちは縛られたゴロツキたちを船に乗せました。
「ちょっと、お経を上げさせてもらいますよ」
そう言って、田吾作も船に乗り込みます。
田吾作は村人たちに気づかれないように縄に切れ込みをいれ、ゴロツキたちの懐に僅かばりのお金を入れてやりました。
「さぁ、これで何とかするんだ。お前さんたちにとっても良い勉強になったろう」
田吾作が船から降りました。すると、船はたちまち川下に流れていきました。
田吾作はゴロツキたちの持っていた利吉のお金と反物を、利吉に返してやりました。
利吉は泣いて喜びました。
「和尚さん、ありがとうございます。このご恩は一生忘れません。国へ帰ったら必ずや恩返しをさせていただきます」
「そんなことは結構ですよ」
田吾作は首を横に振りました。
「それでは私の気が済みません。何なりとおっしゃって下さい」
「ははは、坊主は欲が出たらおしまいですよ。ただ一つ、利吉さんにお願いしたいことがあります」
「はい、何でしょう?」
「利吉さんが倒れた時、村人たちは誰も利吉さんを助けなかった。そんな村人たちを許しては下さらぬか?」
田吾作が真面目な顔で利吉に尋ねました。
「はい、私は気にしておりません。私も村人の立場だったら同じことをしていたかもしれません。いや、まったくお恥ずかしい……」
利吉が照れたように笑いました。
それから三月後、呉服屋のあるじと利吉がお寺を尋ねました。助けてもらったお礼にと沢山の反物を持ってきたのです。
田吾作は遠慮しましたが、あるじと利吉がどうしてもと言うので受け取ることにしました。
五年後の秋も深まったある日、村に三人の男たちがやってきました。立派な袈裟を掛け、頭を丸めているところをみるとお坊さんのようです。
「どこかで見た顔だなぁ。誰だっけ?」
村人たちは男たちの顔に見覚えがあるようですが、誰だか思い出せません。
男たちは村人たちに頭を下げながら、お寺に向かいました。
「ごめんください」
男の一人が田吾作に声を掛けました。
田吾作は男たちの顔を見て一目で誰だかわかりました。それは何と、船で流された、あのゴロツキたちではありませんか。
「お、お前さんたち、どうしたんだ?」
すっかり髪の毛を剃り上げ、立派なお坊さんの姿をした男たちの顔を見て、田吾作は驚きを隠せません。
「その節は大変お世話になりました。私どもはあの時、和尚さんの優しさに触れて、心を入れ替え、ある寺で修行をしてお坊さんになったのです。今はこうして、いろいろな国をまわっています。あの時のお礼がどうしても言いたくて、こうして立ち寄らせてもらいました」
「そうか、そうか。それはよいことだ。立派なお坊さんになれよ」
田吾作は優しい顔をして、今はお坊さんになった男たちを眺めました。
「ところで、和尚さんはさぞ名のあるお方なのでしょうね」
男の一人が田吾作に言いました。
田吾作は手を振って「とんでもない」と言いました。
「私はもともと百姓の出だ。字も読めなければ、お経も満足に上げられぬ。前の和尚さんが急に亡くなられたので、代わりにかつがされただけだ。こんな辺鄙な山里にすき好んで来てくれるお坊さんもいないもんでな。だから、本当は私が葬式で送った仏さんが、ちゃんと成仏できたかどうか、いつもヒヤヒヤしてるんだよ」
男たちは信じられないとでもいいたげに、顔を見合わせました。
「ならば、私たちが和尚さんに字とお経を教えて差し上げましょう」
男の一人が言いました。他の男たちも頷いています。
「おお、それはありがたい」
田吾作も嬉しそうに笑いました。
こうしてゴロツキからお坊さんになった男たちは、しばらく寺に居着いて田吾作に字とお経を教えました。
半年もすると、田吾作は一人でお経を上げられるようになり、お坊さんとしての自信もつきました。
「いや、この度は世話になりましたな」
田吾作が男たちに言いました。
「いえいえ、とんでもない。今の私たちがあるのは、みな和尚さんのお陰です。こちらこそ何とお礼を言ってよいのやら。ところで、和尚さんも私たちの寺に来て本格的に修行をされてはいかがですか? 和尚さんならきっと位の高い、立派なお坊さんになれます」
男たちが田吾作に勧めます。
「いやいや、お経が読めるようになっただけで十分。私はこの村を離れるわけには行かない。村人たちを裏切るわけにはいかないからね。それに立派な坊さんかどうかは、村人たちが決めてくれることだ。坊主は欲が出たらおしまいだからね」
これを聞いて男たちはまたもや田吾作を尊敬したのでした。
それからというもの、田吾作は村のお寺の和尚さんとして一生暮らしました。
(了)