3.太陽と月のような
ベッドの上でごろごろしながら携帯を触っていた瞳子がばっと身体を起こしてあぐらをかいた。彼女は今や、私よりも私の部屋でくつろいでいる。
それで、と声をかけられて、私も課題をしていた手を止める。
「『武元くん』とはどうなったわけ? その後」
「どうもこうも……ふつうにお友だちだよ。たまに一緒に帰ったり、作ったお菓子を食べてもらったり」
「ふうん? 人見知りの音が、男子といきなり友だちに? 前まではお菓子作りしても私か家族にしかあげなかったのに、わざわざラッピングして学校に持って行って? ふ〜〜〜ん?」
「いいじゃんべつに。ラップで包んだだけだと衛生的に悪いし、もう瞳子もみんなもお菓子飽きたって言うんだもん。ならおいしそうに食べてくれる人にあげたほうが……」
瞳子が口の端をむずむずさせながら目を細くして私を睨んでいるのに気づいて、口を閉ざした。にやにやしたいのを抑えているのだろう。
武元くんと知り合ってから早くも三週間が経った。今週末には終業式があって冬休みが始まる。
武元くんは相変わらず瞳子に話しかけたり、近づいたりしようとはしない。けれども私とは頻繁に帰り道を一緒にして、瞳子より武元くんと帰る日のほうが多くなってきたほどだ。
先々週はテストがあったので、気分転換と称して私は毎日お菓子を作っていた。
テスト期間だったのか、お菓子づくり強化週間だったのか自分でもよくわからなくなるほどにお菓子を作りまくった。
瞳子は「部活ないのにあんまり食べたら太る」と言って食べてくれないし、私はひまさえあればお菓子づくりに励むので家族も「いい加減飽きた」と食べてくれず、結局作ったものはほとんど武元くんの胃の中に収まった。
真っ先に武元くんに声をかけたのは、他に適当な友だちがいないから。きれいにラッピングをしたのは、勉強がしんどいと言っていた武元くんの気分を上げるため。他意はない。たぶん、きっと、絶対に他意はない。
「音もいい加減気づかないの? 武元くんがなんで音に『一緒に帰りませんか』って誘うのか、『この問題わかんないから教えて』ってわざわざメッセージを送ってくるのか、答えはひとつでしょうに」
「……瞳子が想像してるようなことはぜったいないよ」
瞳子は、武元くんが私のことを好きだと思っている。でもそれは大きな間違いで、武元くんは瞳子のことが好きなのだ。私のことは、瞳子の友だちでちょっとした知り合いとしか思っていないだろう。
一緒に帰るのは、私に瞳子のことを聞きたいから。勉強に関するメッセージを送ってくるのは、私のほうが成績がよくて、聞けばすぐに教えてもらえて便利だから。
じっさい、勉強以外のことでメッセージが送られてくることはないし、帰り道もお菓子づくりの話をしたり、彼の部活の話を聞いたりしているだけだ。もし私のことが気になっているのならば、もっと踏み込んだ話をするだろう。
そもそも、この関係は武元くんの瞳子への気持ちから始まっているのだ。そう言いたいけれど、武元くんの気持ちを勝手に瞳子にばらしてしまっていいのかわからない。胸がちくちくしてきた。
「おと」
「なに」
「もっとちゃんと武元くん自身を見てあげなよ。なにをどう勘違いしてるのかわかんないけど、あの人、休み時間も音のことちらちら見てるし、お菓子あげただけですっごい喜んだんでしょ? それってきっとそういうことだよ」
「瞳子にはわかんないよ! それこそ瞳子の勘違いかもしれないじゃん! そっちは好きな人にかならず好かれるかもしれないけど、私はそうじゃないもん! 私のことなんかほっといてよ!」
「……あ、そ。じゃああんたのことなんかもうしらない」
頭のなかで、マグマがぐつぐつ煮えたぎっているみたいだった。思うままに言葉をぶつけると、瞳子は顔をぐしゃりと歪ませて私の部屋を出ていってしまった。ばたん! と勢いよく閉められたドアに、びくりと肩を震わせる。
あんなことが言いたかったわけじゃない。武元くんのことでけんかしたかったわけでもない。なのに、どうして瞳子に八つ当たりをしてしまったんだろう。
――私は、瞳子のことを好きな武元くんのことが好きになっちゃったんだ。
武元くんが瞳子のことを好きだと知っていて、振り向いてもらえないとわかっているのに好きになってしまったことを認めたくなかったのだ。そして、武元くんの気持ちに全然気がつかない瞳子に腹が立った。
私が瞳子のことを「そっち」と呼び、瞳子が私のことを「あんた」と呼ぶのは、けんかのときだけだ。どっちかがその呼びかたをすると、自然と闘いのゴングが鳴る。今回は私からふっかけてしまった。
瞳子に謝りたいけど、謝りたくない。だって武元くんが可哀想だ。好きじゃない人に好かれて、なのに好きな人には勘違いされている。
それに、私は武元くんに一つだけ大きな隠しごとをしている。それが後ろめたいという気持ちもあった。
昔からそうだ。瞳子は自分に自信があって、何事も真正面から取り組む。好きな人には真っ向からアプローチをするし、ずるいことはしない。私はそんな瞳子の隣にいるのが誇らしくて、まぶしくて、ちょっとだけ羨ましかったのだ。
だって、私とはぜんぜん違う。
私は瞳子とは反対で、自分に自信がなく、いやなことからはすぐに逃げる。好きな人に告白なんて、できたためしがない。物事を悪いほうに考えがちで、そういうときは瞳子が「大丈夫」と励まして正してくれた。
私が好きになる人は、いつだって瞳子のことが好きだった。
最初は私に近づいてきて、ほどよく仲良くなったある日「じつは名取さんのことが好きなんだ。協力してくれない?」と頼まれるのだ。
その人が瞳子にふられて逆恨みをされることも多かったから、「私が手助けしたからって瞳子が頷くかどうかはわからないけど」と最初に念を押すようになった。
だから、武元くんから手紙をもらったとき、またこの仕事か、とため息が出た。いい人そうだったぶん、なんでこんな卑怯な手を使うのだろうと心が痛んだ。武元くんは瞳子にはまったく話しかけないのに、私にとても親切にしてくれるから、舞い上がった。
あとで痛い目を見るとわかっているのに、武元くんを好きにならずにいるのは無理だった。
お菓子を手渡したらすごくうれしそうにしてくれて、こっそりこだわっている髪型を褒めてくれて、メッセージで問題の解答を送ったら字がきれいだと言ってくれて、瞳子のことを教えればかならず「長瀬さんは?」と私にまで興味を持ってくれた。
瞳子とけんかしたいわけじゃないのに。人を好きになると、厄介なことが起きる。
いっそ――武元くんへの思いを忘れてしまえたら、このもやもやする気持ちも晴れるんだろうか。そう思いながら電気を消し、ベッドに潜った。