2.俺の戦いはこれからだ
バスケ部の部室に入ると、にやにやとした視線とぶつかった。嵐にだけは、昨日彼女を呼び出すと教えてあった。俺の沈んだ顔を見るや否や、嵐はその笑みを深める。嵐が笑うと見える八重歯になんとなくいらっとした。
「昨日はうまくいったのかよ」
「……いや」
「ふられた!? おまえが!?」
「いや」
「はあ? じゃあ言えなかったのか? なっさけねえ」
「それも、違う」
昨日、家に帰ってもまだ頭が呆然としていた。何が起きたのか理解ができなかったのだ。
ロッカーに手紙を入れたところからそもそも間違っていたのかもしれない。手紙など渡さず直接声をかけて、潔く告白をすればよかった。今さら後悔しても遅い。
なぜか「この手紙の主は自分の友人のことを好いている」と思い込んで踊り場に現れた彼女――長瀬音に、すごい勢いで「あなたに協力はするけど、それであなたの気持ちが叶うかどうかはわからない。自分にできることはなんでもする」みたいなことを言われた。
否定する隙も与えられず、結局駅で別れるまで誤解は解けないままだった。
武元くんの言いたいことはばっちりわかってる、と言っていたが、ばっちりどころか一ミリも伝わっていない。
俺はほかでもない長瀬音に告白するために手紙を渡してここに呼び出したんだ、とは言えなかった。最初に勇気を出せなかったのだから、今さら言っても信じてもらえないだろうと思ったのだ。
臆病者だ。わかっている。一年ものあいだ見つめるだけの日々を送っていたし、彼女に認識すらされていないと言葉の端々から伝わったせいで、気持ちがしょげていた。
ぽつぽつと昨日の経緯を話すと、嵐は笑うまい笑うまいとして――最終的に吹き出した。
「ぶっ、はははははは!! じゃあ今も勘違いされたまま!? 何も言えなかったわけ!? え、なに、お前って意気地なしすぎない!?」
「長瀬さんが俺と話してるってだけで胸がいっぱいだったんだよ!」
「きも〜……片想い拗らせ男きつう〜……今日の帰りでも誘って『本当は長瀬さんのことが好きです』って言え。こういうのはさっさと対処して誤解を解くに限る」
嵐が手に持っていたバスケットボールをこっちに投げつけてきたので、胸の前でキャッチする。
「でも、長瀬さんは俺のことほとんど知らないみたいにしてた。二年間同じクラスなのに、部活すらわかってなかったし。もっと勝算が……」
「そんなこと言ってたら一生告白なんかできないで、そのうち長瀬さんは他の奴と付き合い出すぞ。お前のことは『友だちに片想いしてるよく知らない男子』だと思ったまま」
それは、と呻くと、嵐は「あれは違うんです、って言えばいい話だろ? なにをそんなにびびってんだよ」と鼻で笑った。ボールを抱きかかえた状態で部室に置いてあるパイプ椅子に腰を下ろす。
なぜ、長瀬さんはあんなふうな勘違いをしたんだろう。あれはまるで――「自分は告白なんてされるわけがない」と決めつけてかかっているみたいだった。
だから、そんな状態の彼女に「あれは違うんです」と言っても、信じてもらえないんじゃないかと思ってしまうのだ。それか、気味悪がって避けられるか。
それならば、うそをついて彼女の近くに居座り、タイミングを見て本当のことを打ち明けるのがいいのでは、と考えている。
あなたが好きです、とまっすぐ言う勇気が出ないから、ごちゃごちゃと理由をつけて後回しにしているだけだ。自分でもわかっている。
「もっと仲良くなってから告おうとか考えてるんだろ」
「……だって勝ち目ねえもん。告白してもウソだって思いそう」
「まあ、お前がいいならそれでいいんじゃねえ?」
嵐はうじうじくよくよしている俺を見て面白がっていた。普段はこんな感じではなくなんでも迷わずに決める性格なので、その違いがよけいに面白いのだろう。
とりあえず、長瀬さんと毎日帰る約束を取りつけて仲良くなろう。仲良くなったら自然と告白できるようになるだろう。
そう思った俺は、メッセージアプリを開き、犬のアイコンの彼女に『今日も一緒に帰りませんか』と手早く送信した。
*
昨日は二つ結びだった彼女は、今日は高い位置でお団子にしてまとめていた。どんな髪型でもかわいいし、似合っている。
「長瀬さん」
「武元くん! おつかれさまー」
料理部は一時間ほどの会議が終わればあとはフリーだと言うので、俺の部活が終わるまで教室で待ってもらっていた。迎えに行って声をかけると、長瀬さんは数学の課題をやっていたようで、素早く片づけてこちらに向かってくる。
「おつかれ。あ、俺、汗くさいかも。におったらごめん」
「ぜーんぜん大丈夫だよ! うん、制汗剤のいい匂いしかしない」
「数学の課題やってた?」
「そう、ちょうどいいから終わらせちゃおうと思って。でも一問わかんないのがあって、考え込んでたらお迎えがきちゃったから終わらなかった」
「たまに難しい問題あるもんね」
マフラーに埋もれている長瀬さんは、「まいっちゃうよね」とふんふん頷いた。
遠目で見ているだけのときは知らなかったが、長瀬さんはよくしゃべる。そのわりにはゆったりとした話しかたも、高い声もかわいい。
長瀬さんを好きになったのは、去年の九月、調理実習のときだ。俺たちは同じ班で、長瀬さんがほかの女子に「料理部員におまかせだよー」と言っていたことをよく覚えている。
普段はおとなしくてのんびりとした人なのに、調理実習のときはてきぱきとその場を仕切っていた。男子の様子を窺ったり、求められればほかの班の女子にアドバイスをしたりする。
男子から親しげに「先生」と呼ばれているのを聞いたときに俺は少しだけいらっとして、けれどそのときはなぜ自分がいらっとしたのかよくわからなかった。
蚊帳の外にいた俺にも声をかけて、包丁の握りかたや盛りつけのしかたを教えてくれた。
長瀬さんは手際がいいんだね、と褒めると「やめてよー、おだててもこんなものしか出てこないよ」とスカートのポケットに入っていた飴をくれた。
かっこよくてかわいくて、ちょっと変わった人。
それから長瀬さんのことが気になり始めて、無意識のうちに彼女を探して目で追うようになった。
名取瞳子と話しているときが一番リラックスしているなとか、体育は苦手なんだろうなとか、お弁当をうまそうに食べるんだなとか、日替わりで髪型を変えているとか、小さい変化を知るたびにうれしくなって、でも彼女の眼中にまったく入っていないことに切なくなって――俺は彼女に惹かれているんだとそこでようやく自覚した。
名前すら覚えられていなかった二日前からしたら、隣を歩いて一緒に帰っている今は奇跡のようだ。
「そうだ、武元くんって甘いものいける人?」
「え? うん、男にしてはけっこう食べるほうだと思う」
「来週ね、料理部でパウンドケーキ作るんだけど、武元くんにもあげたいなって思って。ほら、瞳子のことがあるとはいえ友だちになったから」
「い……いる! 欲しい。絶対食べる」
「ほんと? いつも瞳子にばっかりあげてるから困ってたんだ。私は作るの好きだけど、食べるのはそんなに好きじゃないし」
一気に友だちに昇格していたらしい。こんなにうれしい誤算はない。しかも手作りのお菓子をもらえるようだ。胸の奥底からわけのわからない力がむくむくと湧いてきて、走り出したい気分になる。
「あれ、駅着いちゃった。またねー」
「うん、また明日」
お団子の後ろ姿を見送ってから、はあと座り込む。周りから見たらよっぽど変な人だろうな、と思いながら、それでも立ち上がることができない。
心臓がばくばく鳴って、痛いくらいだ。どきどきなんてレベルじゃない。
誤解を解くどころか、彼女の前では緊張してまともに会話すらできない。いつまでもこんな態度をとっていたら、長瀬さんも変だと思うだろう。とにかく普通に話せるようにならなくてはいけない。
すっと立ち上がって、何事もなかったかのように駅へと向かう。俺の戦いは始まったばかりだ。