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1.みなまで言うな


『お話ししたいことがあるので、放課後、非常階段の一番上の踊り場に来てください。待ってます。武元』


 ロッカーの中に置かれてあった手紙には、そう書いてあった。武元、と言われても、私には何年何組の武元さんなのかわからない。ぱっと思い浮かぶのは同じクラスの武元くんだが、彼とはほとんど話したことがないし、別の人だろう。

 トイレから帰ってきた瞳子(とうこ)の肩をとんとんと叩くと、彼女はさっと振り向いた。こういったことは顔の広い瞳子に聞くのが一番だ。


「瞳子、武元って名字に聞き覚えある?」

「タケモト? うちらのクラスにいるじゃん」

「いや、たぶんその人じゃない、と思う」

(おと)はなんでそんなことが気になるの?」


 見せていいものか迷って、でもきっと話の内容によっては今後も相談することになるだろうし、と思い、しっかりと口止めをしてから手紙をスカートのポケットの中から取り出した。

 畳んであったルーズリーフを開いた瞬間――瞳子の目がきらんと輝いた。彼女は名前の通り、魅力的な瞳を持っている。大きくてぱっちりとした目に見つめられたら、見慣れている私ですら吸い込まれそうだと思うほどだ。


 短い文章をじっと見つめたあと、瞳子は「相手が誰なのかはともかく、千%の確率で告白だね、これは」とつぶやいた。他人事だからかとてもたのしそうだ。


「ちがうでしょ……瞳子宛ならともかく」


 自分で口に出して、はっとする。手紙の宛名は書かれていない。もしかして、これは瞳子宛のものだったんではないだろうか。

 バレー部で身長が高くて美人でみんなから人気のある瞳子と、料理部で運動音痴で交友関係が狭い私を比べて、告白される機会があるとすれば圧倒的に瞳子のほうだろう。

 いや、まてよ。人気だからこそ手を伸ばしづらいのだ。いきなり直接告白するのはかなりハードルが高い。瞳子も武元という名字に聞き覚えがないようだし。


 名取(なとり)瞳子と一番仲が良いのは? と聞かれれば、瞳子を知っている人なら誰でも私の名前を挙げるだろう。そこでこの武元さんは、話しかけるハードルが低くてちょろそうな、それでいて瞳子の一番の友だちである長瀬(ながせ)音に声をかけて、瞳子とお近づきになろう、と考えたのだろう。

 いい作戦だが、私はそこまで甘くない。こういうことは小学生のころから何度も経験してきた。だからあしらい方も一人前だ。


「音? ちょっと、またトリップしてんのー? おーい、帰ってきてー」

「ごめんごめん。私はこの挑戦を受けることにしようと思って」

「いきなりなんの話? まあいいけど。私は部活あるしついていけないから、もし危なくなったらさっさと逃げなさいよ」

「はあい」


 チャイムが鳴り、瞳子が前を向く。彼女は伸びてきた襟足が邪魔くさいのか、指先で首筋をかいていた。私もそろそろ毛先を整えなきゃな、とふたつに結んである自分の髪を撫でた。



 *



 SHRが終わって先生が出ていき、瞳子を含む部活動生はばたばたと教室を後にする。

 私の所属する料理部は、今週は自由参加になっているのでとくに急ぐ必要はない。ちゃんと調理をする日も、開始時間は遅めに設定されているからやっぱり急ぐ必要はないのだけれど。


 教室の外から同じ料理部員である(あん)に名前を呼ばれて、ぱっと顔を上げた。杏は料理部の部長である。


「音は今日どうするー?」

「ごめん、今日は用事あるからパス! 明日は行ける!」

「りょうかーい、明日は会議だからそのつもりでー」

「はあい、おつかれー」

「暗くなると危ないから早く帰りなね」


 瞳子といい杏といい、私が危ない目に遭うかもしれないという懸念はなんなんだろう。弱そうに見えるからだろうか。実際弱いからなんとも言えない。


 十一月の終わりにもなると、冷え性の私にはつらい季節だ。マフラーをぐるぐる巻いてバッグを肩にかけ、寒さに肩を縮こませながら非常階段の踊り場へと向かう。屋上はしっかりと施錠されてあるが、踊り場は立ち入りが自由で人目につかない。手紙の主もきっとそのことを知っているのだろう。

 踊り場にはまだ誰もいなかった。部活動生のかけ声や、楽器の音が校内に響いている。一人でぼーっとその音を聞いていると、下から階段を登ってくる靴音がした。


「あ、こんにちは」

「こんちは、っす」


 学ラン姿で現れた彼が手紙の主だろうか。なんとなく顔に見覚えがある、ような気がする。

 男子にしては肌が白く、黒髪といいコントラストになっている。ちょうど額の真ん中に前髪の分け目があり、おでこが丸見えだ。短い髪の毛先は遊ばせながら、無造作にセットされていた。奥二重だが目が犬のようにきゅるっとしている。


 彼は二段飛ばしで駆け上がってきて、私の真正面に立つ。二〇センチ以上の身長差がありそうだ。


「たけもとくん?」

「手紙に書くの忘れてたんだけど、俺、長瀬さんと同じクラスの武元。ごめん、急に呼び出して」

「今日は部活なくてひまだったから、それはぜんぜん」


 なんと、ほとんど話したことのない同じクラスの武元くんだったらしい。武元くんは気まずそうに頭を掻いている。視線がうろうろしている様子を下から眺めるが、口を開く気配はなかった。自分からあんなことを切り出すのは気まずいだろうな、と思い、先手を打つ。


「えーっと、武元くんも瞳子のことが好きなの?」

「……え?」

「瞳子と仲良くなりたいんだよね? だから私に手助けしてほしいって話でしょう? 最後に選ぶのは瞳子だけど、でも、私に答えられることならなんでも教えるからなんでも聞いて! この長瀬音にどーんとおまかせだよ」

「いや、あの」

「だいじょうぶ、遠慮しないで。武元くんの言いたいことはばっちりわかってるから。私が手助けしたからって武元くんの気持ちが叶うかは微妙だけど、瞳子の好みなら私が一番知ってるし。安心してね」


 武元くんはさっきの恥ずかしそうな様子から一転して、あきらかに動揺していた。私の言っていることがひとつも理解できませんみたいな表情だ。私は日本語で、理路整然と話しているのに。彼も日本語が母語のはずなのに、どうしたんだろう。


「ね、今日は部活あるの? あれ、武元くんって何部だったっけ」

「ば、バスケ部。今日はオフ」

「話はこれだけだよね? 駅まで一緒に帰ろうよ。一人で帰るのいやだったからちょうどよかった」


 すたすたと階段を降りると、武元くんは後ろを着いてきた。

 彼が教室にかばんを取りにいくのを待って、ふたたび二人で歩き出す。会話はない。武元くんはとても緊張しいな人らしい。


「緊張してるの?」

「え、いや、してないけど」

「武元くんって何月生まれ?」

「四月。長瀬さんは?」

「私は一月五日でたいてい冬休み期間だから、ぜんぜん祝ってもらえなくて参っちゃうんだー。泣けるよね。瞳子は八月十三日だから、こっちも夏休みのど真ん中なの」

「そ、うなんだ」


 そう言って、また武元くんはむっつりとだまってしまった。瞳子の話をもっと聞きたくないんだろうか。せっかく話題を振ったのに、あんまり広げる気がないらしい。

 彼も電車通学だというので、正門を通り抜けてそのまま最寄り駅へと向かう。


「武元くんはいつから瞳子のこと好きなの?」

「え、あ、えーっと、一年の九月ぐらいから」

「へえ、片想い期間は一年とちょっとかあ。それはどういった経緯で?」

「……調理実習のときに手際がよくてかっけえなって思って、でも普段はかわいいから、そのギャップで」


 一年のときも武元くんは瞳子と同じクラスだったらしい。いい恋の始まりじゃないの、と私まできゅんときてしまった。

 でも瞳子は料理がへたくそで、卵ひとつまともに割れない人だ。バレンタインやホワイトデーは毎年私が監修しているし、家で親を手伝っているところも見たことがない。片付けの手際がよかったんだろうか。きっとそうなのだろう。


 そして普段の瞳子を「かわいい」と言うところにも、ぐっときた。そうだ、瞳子はかわいい人なのだ。背がすらりとしていて「かっこいい」と言われがちだけれど、かわいいものに目がないし、甘いものが大好物で、私の作ったお菓子をいつも独り占めする勢いで食べている。


 隣を歩く武元くんをちらりと見上げると、彼は気恥ずかしそうに頬を緩めていた。そのときのことを思い出したら笑うのを止められなかった、みたいな表情だ。

 同い年の男子相手に失礼かもしれないけれど、かわいいな、と思う。武元くんはかわいい。犬っぽい。犬種でいうとサモエドっぽい。


「瞳子ってかっこよくてかわいいんだよねえ、わかるよ!」

「いや、あの……」


 武元くんがもごもごとなにか言おうとしたところで、駅が見えてきた。もごもごを無視しておうちがどっち方面なのか聞くと、私とは真逆の方向だった。


「じゃあここでお別れだね。あ、連絡先交換する?」

「する。する」


 なぜか武元くんは念を押すみたいに二回言った。メッセージアプリを開き、二次元コードを読み込んでもらうと『武元朔』という連絡先が画面に表示される。


「なにか用事があったら今度は手紙じゃなくてメッセージでお願いします。じゃあ、またね」

「お、おう」


 手を振って武元くんと別れた。今日のことは瞳子にうまく誤魔化さなくてはいけない。それと、瞳子は彼のことをどう思っているのか聞き出さなければ。

 武元くん専用の密偵になった気分だ。スパイ、かもしれない。人の恋にお邪魔させてもらって、ちょっとだけわくわくする気持ちを抑えながら電車に乗り込んだ。


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