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第一話 夢で出会った女の子 その2

「やっちまったぁ……」

 頭を抱えて溜息を吐くと、画面の向こうのパンダが〈www〉と文字列で笑ってきた。

 締め切った自室にパソコンの光だけが、煌々と光っている。スタンドマイクでボイスチャットをする俺とは違い、パンダは家の事情で喋れないらしく、文字だけで反応してくれる。

 毎日夜にオンラインゲーム〈第六感〉に集まるのが恒例行事となっていた。

〈いいなーそういう主人公っぽい体験、おいどんもしたい! どこのゲーセンでできる?〉

「そうかぁ? キモくない?」

〈オタク男子から言わせてもらえば、そういう夢の中で出会った女の子と現実で遭遇するとか絶対運命感じちゃうって。ここから俺の冒険が始まる! みたいな〉

「まぁ確かに廊下ですれ違った瞬間はときめいたんだけどさ、よく考えたら、学校のどこかですれ違ってても不思議ではないじゃん? それでたまたま夢に出てきたってだけかなって」

〈そりゃ現実的にはそうかもしれないけど。それでどうすんの? アタックするの?〉

「アタックって、別にそんなつもりはないよ。そんなんじゃないし」

〈よく言われない? だから彼女できねーんだよって〉

「お前に言われたくねぇよ!」

〈ま、もし何か面白い展開になったらまた報告よろなー〉

 切り上げるような台詞に時計を見ると、時刻は二十三時。パンダが寝る時間になっていた。

〈パンダさんが退出しました〉

 また溜息を吐くと、背もたれに体重を預け、椅子を回らせる。軋んだ音。椅子に掛けられたままの制服のポケットから赤い紐を取り出すと、綾取りを始めた。

 翌日、学校に行くと、朝のホームルームギリギリに白幡が気味の悪い笑みを浮かべて俺の所へやってきた。絶対良くない話だ。

「伸葉さん、訃報です。昨日のナンパのおかげで有名人ですよ」

「訃報の使い方間違ってんぞ。お前が茶化すなら朗報だろ。俺に取ったら悲報だけど」

「いえ訃報であってますよ。学生生活の死を意味してますから」

「やめて! これ以上塩を塗るのはやめて!」

 白幡は席に着くと「実は面白い話がもう一つありましてねぇ」と笑みが堪えきれない様子で言った。今の訃報は面白い話のようだった。

「なんだよ。あんまし聞きたくないけど……」

「実はですね。なんと、昨日伸葉さんがナンパした生徒のクラスを見つけてきました」

「マジか。もしかしてそれ調べててギリギリに来たのか」

「いえ、クラスはすぐに判明しました。ギリギリになったのは伸葉さんがどれだけ笑い者にされているか調査してたからです」

「やめて! そんなところで努力を惜しまないで!」

「安心してください。伸葉さんが一人になっても私はずっと傍にいますので」

「人の不幸を喜ぶ奴にいられても安心できない!」

 白幡が「ナハァ」と嬉しそうに口元を緩めた。

 

 授業の合間の休み時間、俺は白幡に連れられて、例の女生徒がいる教室前へと来ていた。

「A組かよ……」だから白幡はやけにしつこく見に行きましょうって誘ってきたのか。

「普段見掛けない生徒と空中廊下ですれ違ったんです。そりゃ移動したA組の生徒に決まってますよねー」

 奴の手中にはまってしまったわけだが、まぁ来てしまったものは仕方ない。

「何かドキドキするね」隣の夕黄が俺より緊張した面持ちで言った。

「別についてこなく良かったのに」

「水臭いこと言わないでよ。私伸葉くんの保護者なんだから、来るのは当たり前でしょ」

 突き放す気にもなれず、痒くもない後頭部を掻いた。

 俺たちは誰かが開けっ放しにしたドアから顔を覗かせ、教室内を見渡すことにした。

「伸葉さん、ほらあそこですよ」白幡が指差した。

 あの女生徒は窓際の席に座っていた。携帯にイヤホンを差し、自分の世界に引きこもっているようだった。陽の光に照らされて、黒い髪と白い肌が清廉さをはらんでいる。端的に絵になっていた。花ではなく、水の美しさに近かった。触れれば揺れて、形を失うような。

「どうするの? 声掛けるの?」夕黄が尋ねてくる。

「まさか」興味本位で見に来ただけだ。第一話す用事など何もない。

 と、その時、全く知らない陽気そうな男子生徒が近寄ってきた。

「あれ、昨日のナンパくんじゃないか」ぬっ。否定したいが否定出来ない。てか誰?

「もしかしてインちゃんに用かい?」

「インちゃん?」

 陽気な男子生徒はこちらの反応を意にも介さず、大きな声で「インちゃーん」とイヤホンの向こうにまで聞こえるような声を上げた。クラス中の視線が集まり、一気に恥ずかしくなる。呼ばれたあの女生徒もクラスの雰囲気でこちらに気付いたようで、俺を視界に捉えるなり、敵意を込めるように眉を釣り上げた。

「ナンパくん、ボクから一つアドバイス」肩に手を置かれ、耳元で囁かれる。

「人前で声を掛ける勇気があるなら、あとは好きって言うだけさ」

 くッッッッッさ!

 陽気な男子生徒は親指を立てウィンクをすると、手を振りながら廊下の向こうへと立ち去ってしまった。

「友達から話だけ聞いて直接は関わりたくないタイプですね」

「私あの人苦手かもー」なんて後ろから女性陣の評価が聞こえてくる。

 正直俺もそっちの会話に混ざり「それ超分かる~」なんて言いたかったが、正面からは開戦前の横綱のような形相で、例の女生徒がこちらへとやってきていた。

「なんですか?」敵意が強い強い。

 手汗をズボンで拭う。別に用なんてこれっぽっちもなかったのだが、引くにも引けず俺は愛想笑いをくり出した。女生徒の眉間にシワが寄る。駄目だ効いてないみたいだ。

「え、えっとぉ…… その、友達になりたいかなー…… なんて……」

 目からビームを出す勢いの圧力に負けて一歩退く。すると女生徒はなんだその程度のことか、と言いそうに息をホッと吐いた。おや、これは脈有りかな? と安堵した直後だった。

「結構です遠慮します間に合ってます嫌なのでどうか私の目の届かない場所に尻尾を巻いて消え失せろください」

 思いの外、敵意はかなり強かった。なんなら親の仇レベルだ。

 面食らった俺の横を女生徒は通り過ぎていく。

「どこ行くの?」

「女子トイレです構いませんよ付いてきてもその時は正々堂々と正式な方法であなたを退学処分にまで追い込みます」

 ふん、と捨て台詞の代わりに鼻を吹くと、女生徒は角の向こうへと消えていった。

「随分棘のある子だったね……」夕黄が同情に満ちた声で言ってくる。

「俺そんなに嫌われることしたかな? 昨日夢の中で会ったよねって言っただけだよ?」

 白幡が同情めいた手をそっと肩に乗せてくる。白幡……

「はい。めっっっちゃキツいです」

「フォローじゃなくて追い打ちかよ!」


 六限目、最後の時間は文化祭準備へと当てられた。一週間前に控え、前日の一日準備までの間は最後の授業が全て準備の時間になっている。

 とはいってもウチのクラスは映画上映。夏休みに撮影を終えて、編集担当が頑張って編集している最中で、俺たちには案内板を作る程度しかやることがなかった。

 談笑して、おばけの仮装がくるりと回って、ペンキのシンナーが鼻先をくすぐる。

 お祭りは準備しているときが一番楽しい。一時間が十分ぐらいに感じてしまう。

 かのアインシュタインは冗談交じりに言ったそうだ。

「美女の隣にいるときは時間があっという間に過ぎる。これが相対性理論だよ」と。

 帰り道、夕黄と並んで自転車を押す。行きは下り坂だが、帰りは上り坂だ。夕黄と一緒に帰る日は決まってこうやって歩いた。

 薄暗い道に街頭がポツポツと点き始める。足元はもう暗いのに、遠くの空はまだ夕日で明るかった。

「あの子のこと、気になる?」

 夕黄が足元を見ながら言った。あの子とはあのA組の女生徒とのことだろう。

「全然。全く。無駄に傷ついたのは癪だけど」

「ふーん、そっか」と素っ気ない返事が飛んでくる。訊いといて何なんだ。

 横顔を覗くが、暗がりでよく分からなかった。

「じゃあさ、もし夢で見たのと同じようにさ、あの子が自殺するとしたらどうする?」

 しばらく黙って考えた。夕黄は急かすことも話題を変えることもせず、静かに俺の答えを待っている。

「助け…… いや、でもあいつ普通にムカつくしなぁ…… んーきっと助けられないかな」

「助けられないって?」

「そんな場面に遭遇したら、きっとビビって動けない。うん、動けない自信ある」

 なにそれって鼻で笑われるかと思いきや、夕黄はそんな素振りは一切見せず

「そんなことないよ。伸葉くんは優しいから」とらしくないことを言った。

 やっぱり様子がおかしい。夕黄は変わらず、一歩一歩確かめるように歩いている。

 学校ではほとんど一緒にいる。家で何かあったのだろうか? でも本人は何もないって言っていたし…… 夕黄から語らない以上、追求するのは躊躇われた。

 繋ぐ言葉が見つからず、俺たちはそれから帰り道のほとんどを黙って歩いた。

 二つ並ぶ俺らの家が見えてきた頃、夕黄が「あのさ」と何でもない風を装って言った。

「もし私が夢の、A組の女の子みたいに自殺しそうになったらどうする?」

「そんなん助けるに決まってるだろ。目の前に人参チラつかせて」

「私、馬じゃないし」と夕黄が笑って肩を震わせた。それからホッと息を吐き「良かった」と小さくごちる。

「それじゃあまたあした」夕黄が大きく手をあげてから敬礼のポーズをした。

「あぁ、また明日」

 軽く手を挙げ返すと、夕黄はニッと笑って、小走りで自宅の中へと姿を消す。

 夕黄に何かあったのだろうか? 一抹の不安が胸を過った。


 ()(さい)夕黄とは物心ついた頃から一緒だった。同い年で、家も隣。両親が共働きだという夕黄はよくウチに預けられて、朝から晩まで一緒に過ごした。

 晴れの日はどこの砂を使えば泥団子が綺麗になるか公園を巡り、雨の日はソファで肩を寄せて綾取りをし、寝る前は天井の木目を指を差して物語を作った。

 活発な子ではないが、内気な子というわけでもない。毒があるわけでも、癖があるわけでもない。実直で素直な子だ。人間関係に悩んで、家で一人で食事を取る普通の子だ。嫌なことも辛いことも、全部身の内にため込む普通の子だ。

 登校中、俺は訊いた。

「なぁ夕黄、最近変わったことないか?」

「伸葉くんがナンパするようになった」

「んぁっ! そういうんじゃなくて!」

 夕黄はふふっと笑って一緒に起きた朝みたいに優しく、何でもないよ、としか言わなかった。

 それから文化祭が始まるまで特に目立つようなことはなかった。秋風に吹かれる夕日を見ると、感傷の波が不意に胸元まで打ち寄せる。

 夕黄はやっぱり時折、妙な反応をし続けたし、廊下でA組の女子とすれ違えば態とらしく視界に入ってませんみたいな素通りのされ方をした。

 夕黄の話が進展することもなければ、あのA組の女子と関わることもなかった。強いて言えば白幡が「怖いぐらい何もありませんねぇ」なんて不気味なことを言ったぐらいだった。

「いいんだよ。何もなくて」俺は作り物の欠伸をしながら平和を演出した。

 何にも気付いていないふりをして、間抜けなふりをして、鈍感なふりをして、平和ボケした顔をして、落ち着かない焦燥から目を逸らした。

 翌日は文化祭。それを意識すると六日前の自殺の夢が頭に蘇る。

 たかが夢じゃないか。気にしすぎだよ。自分にそう言い聞かす。A組の女子が脳裏に焼き付いて、夕黄のことが胸に一抹の不安を残していく。

 パンダに一言、〈明日うちの文化祭来れば?〉と送ったら〈行くわけないだろバーカ〉と返された。悲しい。


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