第五話 十光年より遠い君へ
第五話 十光年より遠い君へ
暗転が晴れた直後、自分が眠っていたことに気が付いた。パッと辺りを見渡し、直前の光景と何ら変わらない教室だったことに少し安堵する。
「大丈夫ですか?」蒼色が顔を覗いてきた。
「ごめん。どれぐらい寝てた?」
「ほんの十数秒です。寝てたというより気絶に近かったですね。ビックリしましたよ」
「こういう症状が出るなら前もって言っといてくれよ白幡」
名前を呼ぶと、かの魔女はナハァと喉を捻らせた。
「思い出されましたね。ご気分はどうですか?」
「うん、まぁ思ってたより悪いね。控えめに言うなら最悪って感じ」
古いオルゴールが奏でる色褪せた淡さはなく、体に刻まれた刺繍のようにハッキリと明確に思い出されたのだ。
翠家に住むまでの自分、不登校になった自分、文化祭までの一週間を繰り返した自分。
三人の自分のエトセトラが、気を失っていた十数秒に一気に押し寄せたのだ。
「しばらく一人にさせてくれない?」
重い頭を抱えながら二人に言うと、白幡が「駄目です」とキッパリと答えた。
「先ほど言った通り、私が真相を語ったのは時間切れの前に私の元に辿り着いたからです。これで時間切れになってしまったら、これまでの努力が無駄になってしまいますからね」
施設側の身でありながら夕黄に協力していたことを言ってるのだろう。
「……分かった。それで、時間切れってのは?」
「本日、夕黄さんは冷凍睡眠に入りました。本日中ならばまだ仮段階なので、解除して夕黄さんを救える可能性があります」
「救える? レベル3になったら助からないんじゃ」
「最終手段があります。限定的でリスクもありますし、助からない可能性も充分にありますが」
「教えて」くい気味に言うと、白幡は前のめりになった。
「いいですか? 〝キス”するんです」
「はぁ!?」驚く僕と蒼色に構わず、白幡は続ける。
「鎖運回虫にはもう一つ特徴があります。それは成虫同士が出会うと中毒症状を起こし活動を停止するというものです。過去に一度だけ確認されました」
「……つまりキスすると寄生虫が死ぬってこと?」僕は補足を促す。
「そうです。正確に言いますと粘膜接触ですね。鎖運回虫はフェニルエチルアミンを栄養源としているので彼らが分泌しているものにも同様のものが多分に含まれています。そのため、それを別の鎖運回虫が摂取すると過剰摂取になり中毒を起こす、と推測されています」
「……だから僕が夕黄にキスをすれば互いの寄生虫が死ぬ、と…… でも確か鎖運回虫が死ぬのは脳と神経にダメージが出るから危ないんじゃ」
「知っての通り鎖運回虫が戻す時間は痛みの度合いによります。それはダメージを受けた原因を解決するために痛いほどタキオン信号を多く発し時間を長く戻すということです。しかし、自分が栄養源としているもので中毒症状を起こすというのは彼らにとってイレギュラーです。そこで起こり得る可能性がある現象は二つあります。
一つ目は鎖運回虫だけが死に、通例通り脳と神経にダメージを受け植物状態になること。
二つ目は原因を解決するため時間を戻すということです。その戻る時間の幅は全くの未知数です。キスする直前かもしれませんし、もっと別の違う時間かもしれません。鎖運回虫が何を原因とするのかは分からないので」
「なるほど…… でもそれなら僕が毒でも飲んで時間を戻せばいいんじゃないの?」
「それはあまりオススメしません。確かに考える時間は増えますが、鎖運回虫は負荷を与えれば与えるほどレベル3になる速度が早くなります。伸葉さんもレベル3になるまでそんなに猶予が残されているわけじゃありません。時間を何度も戻すのはよく考えた方がいいと思います」
「仮にキスをして大きく時間が戻ったとしても結局は同じように繰り返すだけじゃないの?」
「そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。私はこの未知数という部分に賭けています。戻る先はもしかしたら〝寄生虫がまだ、お二人に寄生する前”かもしれません」
下手に希望を煽る台詞に僕は怯んだ。助かるにはもう、賭けしか残っていないってことか。
「もしこのままいけば僕はあと何年、生きられると思う?」
「これまでの傾向からしてあと三年。二十まで、ですかね。レベル3になった場合は何歳であっても即座に冷凍睡眠してもらいますが」
「……分かった。ありがとう」
――選択肢は二つに一つ。夕黄の元へ行くか、行かないか。
行った場合は【植物状態になる】か【時間が適当に戻る】か【その他】の三つに分岐する。
行かなかった場合は、残りの約三年間を自由に過ごす事が出来る。
白幡が推奨するのは【その他】の結果に望みを託すことだ。言いたいことは分かる。この中で最もマシな選択肢が【その他】に賭けるしかないからだ。
でも、だからといって安易にそれを実行する決断力は僕にはなかった。【その他】が起こらなければ、何も解決されずに鎖運回虫に負荷だけ掛け僕の寿命が減ってしまう。そうじゃなければその場で植物化。何にしろ夕黄の元へ行くことを選んだ時点で僕は死へと近づいてしまうのだ。だったならばいっそ、夕黄がずっと僕に真実を隠して用意しようとしてくれた平穏な日常というものを満喫するもいいのではないか。夕黄の想いを無駄にせず尊重して、彼女のいない世界で彼女のことを想いながら余生を過ごすのだ。
案外それも悪くないのじゃないか? でも、どうなのだろう。分からない。
そもそも僕はどうしてこんな究極の二択みたいなものを迫られているのだろう。何で死ぬとか生きるとか誰かの想いを無駄にするとか、そんな哲学みたいなことを考えないといけないんだ。僕が何をしたってい――
「翠くん」蒼色に呼ばれた。顔を上げると、目の前に立ち、椅子に座る僕に影を落としていた。
「何か小難しいことを考えていますね」
「……しょうがないだろ。簡単な話じゃないんだ」
「いえ、簡単な話ですよ」
そういうと蒼色は両手を伸ばし、華奢で繊細そうな手で僕の両頬に触れた。冷えているのに柔らかな感触が心地よさを感じさせる。僕の足を跨ぎ、一歩前へ近づいてくる。
顔を近づけてくる動作がやけにゆっくりに感じられ、視界が全て蒼色で埋め尽くされる。鼻先が触れかけた。
「え、ちょっ……」目の前に迫る唇が、次に何が起こるのかを予感させる。
瞬間、ガッと両頬が掴まれ動きを封じられた。え。蒼色が鼻息と共に一気に後ろへのけぞる。待っ。直後、反動を付けた蒼色の全力の頭突きが僕の額にクリティカルヒットした。
「がはッ!」椅子ごと後ろへ倒れ込み、後頭部を床に強かに打ち付けた。
「なにすんの!?」頭の前後を手で押さえながら当然僕は声を荒げた。
蒼色も痛いはずだろうに、なのに彼女はいつもの冷静な表情で僕を見下ろしていた。手を掴まれて、無理矢理立たされる。頭が真っ白になっている所に蒼色は言った。
「私は翠くんがどんなことを思い出したのか知りませんし、あなたの今の気持ちは分かりません。二人の話を隣で聞いていただけじゃ何も理解できませんでした。なので私は無責任に考えなしであなたに言うことが出来ます。
〝好きな人のためなら命ぐらい張ってください”
あなたは友達である私のために命を張ってくれたのですからそれぐらい出来るはずです。
世界が全て理屈や合理性だけで回っているわけじゃありません。もしそれらだけで世界が回るのなら、好きとかいう感情はこの世で最もいりません。生物の進化と共に感情という機能は淘汰されているはずです。でも、そうじゃありませんよね。
時には人を狂気にも陥れる好きという感情があるのは種の保存のためだけじゃありません。理由は多岐に及びますが、私がここで言いたいことは一つです。
直感的な行動判断になる材料は感情なんですから〝好きだから”のたった一つで行動を決定するのは間違っていないと、私は思いますよ」
言葉に、考えに詰まった。そこに白幡が溜息に似たものを被せ、僕の視線を奪う。
「すみません。私も自分ばかりで、伸葉さんを追い詰めすぎたかもしれません」
白幡が目を見て、そして頭を下げた。
「お願いです。伸葉さん。夕黄さんをどうか、よろしくお願いします」
蒼色の喝と白幡の誠意が胸を穿つ。辛かったこと、苦しかったこと、悲しかったことに覆われて、見失っていたものと向き合う。自分の中の夕黄と向き合う。好きと向き合う。
窓から見える桜の木に、雪が積もっていた。桜が芽吹くその時をジッと、待っていた。
――結論は出た。
「白幡、頭を下げないでくれ」
僕は答えを待つ二人に言い出すことが恥ずかしく「朝美山ってここからどうやって行けばいいか知ってる?」とコートを羽織った。
蒼色は笑うでもなく頬を綻ばせ、白幡は目元を赤く染めた。
「まぁ、その、何だ…… 好きな人のためならカッコつけたいしな」恥ずかしい。
絡まる視線を振り切るように足早に支度を進めると「あ、そうです」と白幡が手を叩いた。
「最後に、鎖運回虫について一つだけ補足をいいですか? これが本当に最後です」
「いいよ。何?」
「鎖運回虫は赤く細い見た目、滅多に成熟しないこと、成虫同士が粘膜接触すると中毒を起こすこと、これらの特徴から別名【赤い糸】って呼んばれてるんですよ」
「余計恥ずかしくなることを言うな!」
ここ一番に、嬉しそうなナハァが鳴った。




