第四話 好きとかいうこの世で最もいらない感情について その8
自室のベッドで我に返った私は真っ先に日付を確認した。一ヶ月、時間が戻っていた。
私は鳩月先生の元に訪れると、一ヶ月後から来たこと教え、文化祭の日に何が起こるのかを語った。彼女は敵だし、私の数少ない嫌いな人だ。だが、彼女の協力なしでは状況を改善することは難しい。
鳩月先生は考える時間がほしいと言い、二日後、とんでもないことを言った。
私の力を使い、再び伸葉くんの記憶を消すように言ったのだ。
唖然とした私を余所に鳩月先生は詳細を続けた。
不登校ではなく毎日学校に通う普通の生徒という新しい記憶を植え付け、クラス替えを実施。私のクラスにキョーコちゃんと伸葉くんを編成。伸葉くんには指の骨を折れば10秒だけ時間が戻るという記憶だけを解禁し、彼自身にも事態解決のために能動的に動いてもらうことにする、というものだった。
蒼色音子の自殺を阻止し、伸葉くんの不登校もなくし、かつ私と伸葉くんを接触させて当初の目的だったこの状況の打開をもクリアする。なんて都合のいい……
鳩月先生の指示なんて本当は従いたくない。でも伸葉くんと同じクラスになれるというのはそれを越える魅力であることは間違いなかった。
半日考えた末に従うことにすると、それから二週間掛けて下準備を整えて、文化祭の一週間前に実施されることになった。
新しい記憶を入れる際、私は勝手に設定を追加した。それは幼馴染みという設定だ。
家が隣同士で、物心の付いた頃から一緒で―― それはかつて自分が憧れた設定だ。
翠家の隣に住む緋彩夫婦の記憶を操作し、私は住むことにした。非常識な行動だということは分かる。でも目と鼻の先に伸葉くんがいることとレベル3になるまでに猶予がないことが重なって正常な判断が出来なかったのは確かかもしれない。
朝、家に迎えに行く。面と向かって会うのは久しぶりだ。こないだのはぶつかったのはニアミスみたいなものだったし。
いつも以上に鏡と睨めっこをし、少しでも印象を良くしようと前髪をミリ単位で気にした。
実際に会って会話をすると、現実なのか自分が作り出した記憶なのか分からなくなった。
したこともない自転車の二人乗りを当たり前のように催促されて荷台に跨がる。
落ちないように背中にしがみつくと、忘れかけていた匂いが思い出と一緒に蘇った。額を背中に押し当て、ほんの少し哀愁に浸る。
「なぁ、何かあったのか?」
「ん? 何が?」色々あったよ。
「お前今日様子が変だし、何か相談があって一緒に登校しようと思ったんじゃないのか?」
「え? そんなつもりないよ?」話したいこと、聞いてほしいことがたくさんある。
「はぁ!?」
「あれ? もしかして私のこと心配した?」
「心配って……」
「ねぇねぇ、どうなの?」
神様なんて信じていない。でも今だけ少しだけ信じたくなった。
あとの出来事を詳しく語る必要はないだろう。
蒼色さんが死ぬ度、私はキョーコちゃんが処方した毒物を飲んで、きっかり一週間をやり直した。死ぬのが当たり前みたいになっているが、それは【死ぬ時の苦しみ】と【伸葉くんと一緒に居られること】の二つを天秤に掛けた時に後者の方が重いから素直に従っているに過ぎない。
一緒に登校して、一緒に勉強して、一緒にお昼を食べて、一緒に下校する。
「夕黄さんの愛って重いですよね」
伸葉くんがA組で何かしている間、キョーコちゃんは暇潰し感覚で言った。
「見返りを求めてないだけマシだと思うけど」
「メンヘラではなくストーカー気質ですね」
「そういうキョーコちゃんは好きな人っていないの?」
「私はアイラブ寄生虫ですから。体長十センチを超えるものは興味ありませんね」
蒼色さんに嫉妬しないわけではなかったが仮に伸葉くんが私以外の人を好きになったとしても、それはしょうがないことだ。どうせ私はあと何年も一緒に居られるわけではないのだから。
ループは幾らでもする予定だったが、結果的には三度目で自殺の阻止は成功した。
流石は私の伸葉くんだ。早い早い!
鳩月先生もお昼は屋上の鍵を開けて私たちがコミュニケーション取りやすい環境を作ってくれたり、自殺を行う場所が屋上以外にならないように毎回手引きしたり、キョーコちゃんも蒼色さんと伸葉くんを繋ぐために誘導したり、文化祭当日の蒼色さんを監視したりで色々行動を起こしてくれたようだった。
これで全ては円満に解決した。あとは施設側の策略に引っかからずに伸葉くんと余生を平和に過ごすだけ―― となれば良かったのだが、ここから誰も予想していなかったことが起きてしまった。それは私の鎖運回虫が暴走して、伸葉くんの記憶を消してしまったことだった。
予兆はあった。ただでさえレベル3になりかけているのに大規模の時間逆行現象を起こす負荷を数回も行い、戻す度にA組の被害に遭う生徒が一人ずつ増えていっていたのだから。
何でA組の生徒だけに限定されていたのか。それはたぶん単純に私が嫉妬する蒼色さんがA組だったからってだけだろう。
なんにしろ、伸葉くんが再び記憶喪失になるのは予定外の出来事だった。
その責任を取らされたのか、私と内通していることがバレたのかは定かではないが、キョーコちゃんは伸葉くんの担当を外され、本来の学年へと異動させられることになった。
折角作った伸葉くんとの思い出を再び失い、罪悪感の中で私は考えた。
また自分たちに都合の良い記憶を与えるべきなのか? と。人の性格は生まれ持ったモノと経験で構成される。実際前回前々回と私たちの都合で作られた伸葉くんと不登校の伸葉くんは、容姿が同じだけで中身が違うように私は感じた。なら本当の伸葉くんとは何なのか。
哲学めいたことを考えて、出した結論は一からやり直すことだった。
新しい記憶は植え付けず、緋彩夕黄も関与しない。全く新しい関係を築くのだ。
そこで新しい名前は何しようと考えて、ふっと思いついたのは白濱ユリカの名前だった。
蒼色音子の自殺阻止に協力した見返りとして、私は転入生という立場を用意してもらった。当然同じ学年の生徒全員にある緋彩夕黄の記憶は消させてもらった。緋彩夫婦には駆虫薬を飲むように指示だけして、私は元のアパートへと戻った。別に未練はなかった。
この辺りからもしかしたら自分は壊れているのかも。と自覚し出したが、それも後の祭りだ。
私はもう自分の好き勝手に生きると決めたのだから。
――しかし、一つ問題が起こった。
『初めまして、白濱ユリカです』
『……初めまして? 何言ってるの?』
蒼色さんが私のことを覚えていたのだ。
素性がバレるのはマズい。下手に詮索されて伸葉くんが昔の体験を思い出すのは良くない。
そもそも私が最初に伸葉くんの記憶を消して離れたのは、それが原因なのだから。
その場で蒼色さんの記憶を消すことに何度も挑戦したが、いずれも成功しなかった。手近な人で試したが能力が失われたわけではなかった。予想されたのは蒼色さんは寄生虫に感染していないことだった。
後日、私は蒼色さんが登校してきた所を襲った。女子トイレに引き込み、キスをして直接唾液を送り込んだのだ。ファーストキスだったけど、伸葉くんのためのキスだから、実質伸葉くんに捧げたようなものだ。だからセーフ。
脳に到達するまでに一日待ち、改めて記憶が消えるよう念じたが、効果は現れなかった。
彼女が駆虫薬を飲んでいることを察した。
最近は私も一日に四錠は飲むようになっていた。駆虫薬の効果が切れ、鎖運回虫が活動し始めると、吐き気と目眩が止まらなくなるのだ。
まだ年単位で猶予があると高をくくっていたのだが、そうではないようだった。
生徒会選挙の二日前の夜。鳩月先生が家を訪れてきた。
普段ならネット上で連絡を済ませるのだが。一歩後ろにいるキョーコちゃんの表情が暗いことが事の重さを物語っていた。
アパートの一室で出されたお茶に口も付けず、鳩月先生は言った。
「一時間ほど前、南田高二年A組の生徒一名を除く全員が記憶喪失になったのが確認されたわ。
これは明確なレベル3の症状の一つです」
キョーコちゃんが今にも泣き出そうに、震えた声で言った。
「夕黄さん、私はあなたに死んで欲しくありません。お願いです。休眠室で眠ってください。私が絶対に、摘出出来る技術を確立しますので……」
「……封印されろって?」
――黙認。私は座椅子の背もたれに体重を掛けると目を瞑って宙を仰いだ。
心を落ち着けて、ゆっくりと鳩月先生を見た。
「最後に伸葉くんとお話がしたいです。一日だけ待ってくれませんか?」
「ダメです。あと明日一日貴方を放置して被害を増やすわけにはいきません」
「……お願いします」私は姿勢を正して深く頭を下げた。
静寂。
これ見よがしに大きな溜息が聞こえた。鳩月先生が立ち上がり、玄関へと歩く気配がした。
「白幡、私は急用で帰ります。明後日の昼までには夕黄さんを連行してきてくださいね」
それから私はキョーコちゃんと手を握り合って涙を流し合った。
明後日は生徒会選挙の日。残念ながら伸葉くんが生徒会長になる姿は拝めないようだった。
〈明日、会って話したいことがあります。最後に、二人っきりで〉
打っては消してを繰り返して、二時間掛かけてしたためた。
二日後、生徒会選挙の日。私が封印される日。
迎えに来た車に乗って、私は通学する生徒たちとは反対方向へと向かった。
あわよくば伸葉くんがいないかと、いるはずもないのにすれ違う生徒の顔を眺めた。
そうして生徒の波が切れると、私は深く椅子に凭れて、彼のことを考えた。
林を抜けると、相も変わらず無愛想な白い建物が見えてきた。
二度と帰ってきたくなかった思い出の場所。
中で職員からどういうことをされるのか、封印が解除され起きた時どういうことが想定されるのかなどを話半分に聞き、私は休眠室の奥へと案内された。
ユリカさんの脇を通り、休眠導入装置のある小さな階段を上る。
まるで絞首台を上るみたいだ。
……嫌な気分で最後を迎えたくない。
そう思って私は、頭の中をやっぱり彼のことでいっぱいにする。
私がいなくなったことで、少しでも寂しくなったり、悲しくなってくれたらいいな。
冷たい装置の枠に手を掛けて、機械の中へと入り、横たわる。
泣いたこともたくさんあったけど、決して誰かと幸せを共有出来なかった寂しい人生ではなったのかもしれない。
空気が抜ける音と共にガラス戸が閉まる。
ユリカさんが言っていた。幸せは失った時に初めて気付く。何かの歌の歌詞。
急速に冷え、真っ暗に、朦朧とする意識の中で伸葉くんと触れ合った愛しい熱を思い出す。
――せめて、もう一目会ってから眠りたかったな……




