第四話 好きとかいうこの世で最もいらない感情について その7
家を出ても当てはなかった。脱走した日と同じで私はただ家から離れることだけを考えて、延々と歩き続きた。
足が棒になった頃、たまたま見掛けた公園に入った。
水道で水は飲めたし、ガゼボで寝ることも出来た。居座る気はなかったのだが、頭なんて回らず膝を抱えていたら一日が経っていた。
近所の通報か、警察が来たら逃げ出して、公園を転々とした。
食べ物もなく、お金もなく、頼る当てもなく。五日が経った。
「もう気は済みましたか?」
膝から顔を外すと、目の前にキョーコちゃんがいた。
「どうですか? 研究所に戻りませんか?」
「ここで死んだ方がマシ」
「衰弱死はおすすめしませんよ。時間が戻っても戻った先も手遅れで、永遠に死ぬ体験をするだけになりますよ」
「それでもいい」
「力尽くで戻ってもらうことも出来ますよ」
「それが出来るなら、とっくに拉致してるでしょ。こっちの意見なんて関係ないんだから」
「……そうですね。上の人たちが警戒していましてね。力尽くで戻して、記憶消去をやられるのは勘弁願いたいと」
キョーコちゃんが私の隣に座った。
「私もこれ以上、友達に辛い目は遭って欲しくないので、どうですか、私たちと取引しませんか?」
「やだ」
「こちらが提供するのは安定した生活環境と高校卒業までの教育機関です。簡単言えば、普通の学生と同じ生活を送るために必要なものを提供することです。それに対してこちらが求めるのはお二人が自主的に研究所に来てくれることだけです」
「都合が良すぎ。本音は?」
「……はい。学校は私たちの作った学校で、そこに在学する生徒は全員感染者です。職員は全員研究所の者です」
「監視下、と」
「行動の制限はしませんが、無闇やたら動いて感染を広めたくありませんからね」
「それ、施設に戻るのと似たようなものじゃん」
嘲笑して皮肉を言うと、キョーコちゃんは俯いた。
「私にはこれぐらいしか譲歩させることが出来ませんでした。 ……すみません」
謝られると思っていなかった。その謝罪にどれほどの意味が込められたのだろう。
カードを態と落としてくれた件もある。それに冷静になって考えれば当時のキョーコちゃんの反応は、私たちが施設から永遠に出られないことを本当に知らなかったのかもしれない。
「……キョーコちゃん。私こそ、ごめんね」
嫌味を言ったことにじゃない。怒ってごめんね、また仲良くなりたいよ、と意味を込めて。
感情が去来する間。キョーコちゃんは何かを言いかけて、やめることを繰り返す。たっぷり間を空けてから俯いて「じゃあ取引成立ってことで、いいですね」と自分の職務を全うした。
中学三年間に特筆すべきことはなかった。強いて言うなら、キョーコちゃんは別の学校だったことと担任の先生が三年間鳩月先生だったことぐらいだ。
終わり。
というのも、学校は憧れていた場所ではあったが研究所が深く関わっていることでモチベーションが低かったことと、小学校をすっ飛ばしたことにより対人能力の経験が極端に低いせいで浮いていたことが原因でもあった。
だから中学三年間は特に何もなかった。人間関係の煩わしさは特段言う必要もないだろう。
高校について。
入学初日にキョーコちゃんと再会した。三年ぶりだ。前より美人になった、というのはキョーコちゃんにはなく、前より魔女感が増していて本人もそれをヘラヘラと笑っていた。
「夕黄さんは髪伸ばしたんですね。月のように綺麗になりました」
「文学にかけたせいで微妙な褒め言葉になってるね……」
高校デビューという言葉があるぐらいだ。私も少し気合いが入っていたのは間違いなかった。
憧れの薔薇色学園生活。
でもまぁ実際は、感染者のみを集めた研究所の作った学校に過ぎず、別の感染中学と合体した程度の違い。私の立ち位置が変わることはなかった。
何なら担任もまさかの継続で、私は早々に学生生活を飽きらめた。
個体差はあれど、私の中に入っている鎖運回虫があと数年もしたらレベル3になり、私はこの世からさよならバイバイすることが出来る。いや、もしかしたらあと一、二年かもしれない。その証拠に時間を戻していないのに頭痛や吐き気に襲われる頻度が増えていた。
鳩月先生に言い、症状を抑えるということで赤色の薬を処方してもらった。
二年生になってからは何もしていないのに、私と間接的に接触した人間が記憶喪失になることが起きるようになっていた。
メディアではこれを突発性記憶障害として報道していた。
私のせいで記憶喪失になった人がいる。生活に支障が出ているだろうし、友人や家族との大切な思い出が奪われてしまったのだろう。
――正直どうでもよかった。
一昔前の私なら間違いなく罪悪感を覚えていただろう。でも彼が私の目の前からいなくなった時からもう、この世界は色を失い、私は興味がなくなってしまっているのだ。
真っ白なユリの花が真っ赤に染まっていても、私はきっと素通りするだろう。
テクテク。テクテク。テクテク。テクテク。
流行りの恋愛ソングも、クラスで話題になってる人気ドラマも、頭上を掠める移りゆく季節も、私は無感情に通り抜けていく。
そうして運命の日、文化祭の日が訪れた。
一緒に回る相手もいない私は暇な時間を作らないように率先してクラスの仕事を引き受けることにしていた。
映画の宣伝用のビラを印刷室に忘れてきたという実行委員に代わり取りに向かった。一階の印刷室でビラを回収すると紙の束を両手で抱えて階段を上る。
そして私は再会した。
ラブコメの王道みたいな展開。定番過ぎて、もはや古文。逆に珍しいまでもある。
廊下の角の出会い頭で、私は伸葉くんと衝突した。
最初、誰か分からなかった。ぶつかった相手が伸葉くんだとは予想だにもしていなかったし、その顔を見た時、喜びよりも驚きの方が大きかった。頭が真っ白になった。
走り去る彼に「あ、ちょっと……」と手を伸ばしたが、それが届くことはなかった。
追い掛けたかった。この手に持っているものを全てほっぽり投げて今すぐに。でもそれが出来なかったのは元来からの真面目な性分なせいだろう。私はクラスに走った。
ただ、走った所で自分の仕事が早く終わるわけではない。午前中の受付を引き受けていたので、地団駄を踏むことになった。
全校約七二〇人いるので全員の顔を見たことがあるわけではないが、一年間も同じ学校の同じ学年にいれば一度ぐらいすれ違っていてもおかしくはない。なのに私は今日まで同じ学校にいることを知らなかった。鳩月先生やキョーコちゃんからもそんな話は聞いていない。
受付の暇な時間、私は一緒になった人に「伸葉って同じ学年の人、知ってる?」と訊いた。知らないと答えられた。他にも数人に訊いたが皆同様のことを言った。
早く探しにいきたい。
受付で溜息を吐いていると、受付に来た生徒が気になる会話をしていた。
「驚いたよクラスに知らない奴がいるって、したらそいつ不登校だった奴みたいでさ。ウケるよな文化祭の日だけ登校するって」
「ねぇ」私は咄嗟にその男子生徒に話し掛けていた。
「その不登校の生徒の名前って分かる?」
「名前は知らないけど、苗字は確か【翠】って言ったかな」
それと同じくして少し前にキョーコちゃんに送ったメッセージの返信があった。
〈すみません。詳細は私の立場では言えませんでしたし、言えません〉
……私は何を、律儀にルールを守っているんだ。
私に残されている時間は少ない。いつまでも奴らの手のひらの上にいる必要はないだろ。
その瞬間、私の中で何かが弾けた。
「ごめん、ちょっと先生の所行ってくるね」と一緒の受付の子に全てを丸投げし、職員室へと向かった。
彼の方へではなく鳩月先生の方に向かったのは、先に知っておくべきことがあったからだ。
職員室に入ると鳩月先生は私の顔色を見るなり、察したようだった。
「ついに気付いたみたいね」
「何で同じ学校なのを隠してたんですか」
「別に隠してたつもりはないわ。不登校が原因で結果として貴方が知れなかっただけ。白幡が彼の担当、私が貴方担当。担当の私が態々教える必要がないと判断したから私の方からは何も言わなかった。だから前みたいに白幡をいじめちゃダメよ」
相変わらず腹の立つ。でも今は突っかかって、相手の土俵に立つ暇はない。
「質問。伸葉くんは何で不登校になったの?」
さっき久しぶりに見た伸葉くんは私の知っている伸葉くんではなかった。成長したことを加味しても彼の挙動や表情は、歪みや陰といった良いものではないのは明らかだった。
「白幡の報告では特に目立った理由はなかったはずよ。ただ以前、本人が不登校の理由を語った際に〈自分の人生が誰かによって作られたハリボテのように思える〉って発言したことがあるから、もしかしたら貴方に記憶を消されて翠家で育てられたことに違和感を覚えていたのかもしれないわね」
それはあくまで鳩月先生の予想だ。しかし原因が私にもあるという可能性は精神的ダメージを与えるのには充分に効いた。
踵を返して職員室を出ようとすると「屋上にいると思うわ」と鳩月先生は言ってきた。
「少しでもの詫びよ」嘘だ。絶対に考えがある。でなければ教えてくれるはずがない。
「鬼が出るか蛇が出るか」職員室を出る直前、小さく聞こえた。
ドアを閉め、視線を断つと私は全速力で階段を駆け上った。人混みの隙間を縫い、屋上へと。
飽きらめた。もう忘れよう。そう幾度となく口にしたことはあっても、一日たりとも、いや、一秒たりとも彼のことが頭から離れたことはない。
鼓動を、息を、感情を。跳ね上げさせて私は屋上の鉄扉を押し開けた。
しかしそこで待っていたのは感動の再会などではなかった。女子生徒が飛び降り自殺をする絶望的なシーンだった。
即日、文化祭は中止になり、翌日には葬式、告別式が行われた。
以降、一週間以上が経過したが伸葉くんが学校に来ることは二度となかった。
何故、伸葉くんをそこまで追い詰める必要があるのだろうか。
私は再び職員室を訪れ、鳩月先生に詰め寄った。
「今更信じてくれとは言わないけど今回の自殺の件は本当に知らなかったわ。流石の私たちも死人を出すほど冷酷ではないつもりよ。その証拠に末期患者は封印しているわけだし。あの現場に緑織伸葉が立ち会ったの本当にただの偶然。私たちの最終目的は貴方たちが自主的に研究所戻ってもらうことであって、貴方たちを再会させようとしたのは停滞したこの状況を打開するためであったの。それが全く…… 余計学校に来なくなっちゃって……」
途方に暮れた。下手に身近にいることを知り、顔を見てしまったせいで、彼への気持ちがぶり返して再熱してしまっている。なのに、私にはこの状況を打開する案が何もない。
頬杖をついて授業を流し聞きしていると携帯が震えた。机の下で盗み見るとキョーコちゃんからだった。珍しい。キョーコちゃんとのやりとりは全て監視されているため、基本的には携帯では行わないのだが。
メッセージを開くと文面はなく、画像だけが張られていた。
〈物理的外傷:1~20秒。精神的ストレス:反応なし。火傷:1~7日(備考:熱傷深度との関係性なし)致死量の毒物1日~数ヶ月(備考:手遅れになる前に戻ろうとするため振り幅が大きいと思われる)窒息:1分~数十分――〉
報告書の一部分を撮影したと思われるものだった。こんなことして大丈夫なのか?
内容からして私が散々実験された時のデータであることは一目瞭然だった。
何故これを私に…… と深く考えるまでもなく私は答えに辿り着く。キョーコちゃんはこれを目安に時間を戻せと言いたいのだろう。
ざっと目を通し、やるとしたら毒であろうことはすぐに思い浮かぶ。だが毒なんてどこで手に入る? 洗剤や農薬辺りが考えつくが――
そのメッセージが届いて十分が経った頃だった。廊下が騒がしくなった。罵声? 誰かの怒号が飛んでいる。複数の足音がドタバタと聞こえてくる。途端、クラス前方のドアが倒れた。
「夕黄さん!」キョーコちゃんが複数の大人に阻まれながら私の名前を叫んだ。
「これをっ!」キョーコちゃんの手から投げられたものを私は周りの生徒をお構いなしと押しのけ、キャッチした。小さな小瓶に【アコニチン】と書かれたラベルが貼られていた。
施設にいる時、あの医学書ばかりの図書室で勉強した。トリカブトの毒成分だ。
何かを察した教師や大人が私に駆け寄ろうとしてくる。
私は蓋を取ると躊躇いなく、一口に小瓶を仰ぎ、空にした。




