第四話 好きとかいうこの世で最もいらない感情について その4
現代、生徒会選挙後。二年F組にて。
「数ヶ月三年生の教室にいただけなのに、凄い懐かしい感じがしますねぇ」
女生徒が教室を歩き回りながら、ご機嫌にナハァと喉を鳴らした。
しばらくして気が済んだのか、僕の後ろの席に座る。
僕は椅子をひっくり返し、ついてきた蒼色も隣から椅子を引っ張ってきた。
「では、改めまして。お久しぶりですねぇ伸葉さん。あなたの白幡キョーコちゃんですよ」
僕からしてみたら初対面。突然の詰め寄りに、助け船を求めて蒼色の方を見ると「私も距離感測りかねてるんですからこっち見ないでください」と突っぱねられた。
当の本人はそんなこと一ミリも気にしていないようで笑顔を絶やさない。
「いやはや、にしても、まさか全校生徒が集まってる場で電話を掛けて私を見つけ出そうとするなんて、普通思ってもやりませんよ」
「それだけこっちも必死だったんだよ」
「そんなに私に会いたかったんですか。記憶を無くしてまで私を求めるなんて、流石の私もトキメいちゃいますよ」
自分の口でポッとか言い出したので、救いの手を求めて蒼色を再び見ると、目を逸らされた。
僕は咳払いしてこれまでの流れをぶった切ると「それで」と本題に頭を向けた。
「僕がパンダさんを探してた理由なんだけど」
「前みたいに『キョーコちゃん』でいいですよ」
「白幡って呼び捨てにしてましたよ」
「ちょっと! 蒼色さん!」
「やめて! 話が進まない!」
「すみませんすみません。登場が久しぶりなのでつい嬉しくて。どうぞ」
気を取り直して「……えっと、君は記憶を取り戻す方法を知っているんだよね? それだけじゃない。もしかしたら君はここ最近穂希町で起きている突発性記憶障害に関与している可能性もある。僕たちはそれを知るために探していたんだ」
パンダさんの笑みが一層に強まった。まるで自分の罠に獲物がハマったのを喜ぶように。
「おー! やっぱり! 通りで! 私の張った伏線を回収してくれたってわけですね! いやぁ綱渡りだったんで結構不安だったんですよ」
掴み所のない発言の連続。敵か、味方か。得体の知れない相手に僕は警戒心を上げてしまう。
ただの高校生ではない。それだけはハッキリと分かった。
次の言葉を選んでいると、先に蒼色が言った。
「伏線って、もしかして解析ツールを送ってきたのって……」
「はい、私ですよ。まぁそこら辺の推理は簡単でしたよね。何せ、お二人と関わりのある共通の人物の中で一番それっぽい犯人って私しかいないんですから」
「伏線ってのはそれだけを指しているわけじゃないんですよね?」
「はい勿論。伸葉さんの中学入学から今日に至るまで八割方は私が関与してますね。何なら、お二人の出会いだって私がキューピットしたからなんですから」
事もなげに淡々とありえないことを語るパンダさん。
「唯一私が驚かされたのは今回の選挙の件ですかね。まぁ明日には私の方から正体をバラす予定でしたけど」
僕が記憶喪失になると共に転校と嘘をついて失踪。本当は三年生の教室に身を潜めていただけ。しかもそれを可能にするには学校側の協力も不可欠だ。その上、連絡を一方的に絶っておきながら解析ツールで過去の自分の発言を調べさせ、自分を探し出させるように導いた矛盾。更に言えば、今し方いった僕の中学入学からほとんど関与していたという発言だ。ありえない、としか言いようがない。
聞きたいことは山ほどある。故に最初に出る質問は一つしかなかった。
「……君は一体何者なの?」
嬉しそうにナハァと声を上げた。
「あなたの友達ですよ、とか言って格好つけたい所ですが、ここは本当のことを申しましょう」
パンダさんは鞄からケースを取り出すとそこから紙を一枚抜き、机の上に置いた。
「朝美山素粒子研究所微生物課職員『白幡虚構』と申します」
名刺と彼女の顔を交互に見やる。
「……は? え?」
只者ではないことは想定していたが、その肩書きは一回では処理しきれない情報量だった。
「伸葉さんは記憶を取り戻す方法を知りたいんでしたよね。やり方はとても簡単です。薬を一つ飲めばいいだけです。私は今持っていませんが、蒼色さんなら持っていると思いますよ」
突然振られた蒼色が目を丸くする。
「え、私ですか? 薬なんて生理痛薬と頭痛薬ぐらいしか…… あ、もしかして」
蒼色がポーチから禍々しい赤色のカプセルを取り出した。
「何その薬」
「文化祭の件で私が謹慎処分になった日に白幡さんが大量にくれたんです。『ビタミン剤です。これを一日一錠飲めば元気になれますよ』って」
「お察ししてはいると思いますが、ビタミン剤というのは真っ赤な嘘です。ナハッ。薬の色だけに。本当はこの薬、駆虫薬なんです」
「駆虫薬?」僕が首を傾けると「寄生虫を殺す薬のことですよ」と蒼色の補足が入った。
「へぇー…… え、寄生虫!?」
「伸葉さん、あなたの体の中には寄生虫がいるんですよ」
「え、え、え、え、え、」さっきから情報量が多すぎる。
「私の体にもいるんですか?」
頭が沸騰寸前の僕と違って、蒼色は冷静に質問した。
「蒼色さんにも恐らく居ましたが、レベル1だったと思うのでもう死んでいると思います。継続して飲んでもらっていたのは新しく寄生されないための予防策です。蒼色さんは未知の結果を生み出す異分子として、重要な存在でしたから」
「寄生虫と記憶ってどう関係があるんですか?」
僕に代わって蒼色が話を進める。パンダさんは「うーん」と唸った。
「イチイチ質疑応答していくのは非効率ですねぇ…… きっとお二人は知りたいことが沢山あるでしょうし、先ほどから伸葉さんがパンク寸前そうですし。そうですね、ここは一つ私が所謂、真相ってやつの一部を語って、そのあと伸葉さんが薬を飲んで記憶を取り戻してもらい、そののちに残りの真相を語るって段取りはどうでしょうか? 恐らくこの順番で知った方が伸葉さんも理解しやすいと思います」
真相。それを教えてくれるというならば願ったり叶ったりだが。
「私は知れるならそれで構いませんが、翠くんはそれでいいですか?」
頷いた。というか頷くしか選択肢はなかった。
「では」そこでパンダさんが語りだそうとした瞬間、蒼色が手を出して待ったを掛けた。
「語ってもらう前にお願いがあります。【白幡さんの目的】と【どうして急に今まで隠していた真相を教えてくれる気になったのか】この二つを教えてください。あなたの行動には矛盾がありますし、ぽっと出で研究所職員とか言われても正直信用が出来ません。これでまた語られてた真相というのが嘘で何かの伏線だったとか言われるのは嫌です」
目的、つまりはゴールを知っていれば道中がどうであれ相手の意図を汲みやすくなるということだ。その意図を察したのか、パンダさんがまた癖のある笑い方をした。
「嬉しいです。偶然目を付けたあなたが聡明な方で。さぞ伸葉さんを手助けして頂けたのでしょう。想像に難くありません」
パンダさんが僕たちの目を交互に見た。そこに真意があることを証明するように。
「私の目的は至極単純です。友達である夕黄さんの恋を応援しているだけです」
白濱さんが僕に告白したことを思い出した。頬を染め、涙腺を緩ませた彼女の顔が浮かんだ。
しかし現実に引き戻されたのは、哀愁に浸りかけていた僕とは真逆に、隣の人がブフッと吹き出しから他ならなかった。ジト目を蒼色に飛ばす。
緩んだ空気をパンダさんは気に留める様子もなく「次に」と話を進めた。
「どうして真相を語る気になったのか、ですが。本当は教える気なんて毛頭ございませんでした。明日私が正体を現す予定だったのだって『残念でした。時間切れです』ってあっかんべぇってするためだけの予定だったんですから。なので前日だとはいえ、こうして制限時間内に私の元に辿り着いたということは、きっとそこに意味があるのだと科学者ながら私は思ったんです。それこそ運命みたいに」
……結局どういうことだ? 意味の半分も理解しきれずに蒼色にバトンを託すと「要するに気まぐれってことですか?」と大雑把なまとめ方をしてきた。
「間違ってはないですね」パンダさんは苦笑いを溢した。
幾ら言葉を駆使しても伝えたい気持ちは往々にして伝わらないものなのかもしれない。
「これでよろしいでしょうか?」
僕らの目を見て、パンダさんは心の中を覗いてくる。これ以上言うことはない。であれば、あとはこれまでの解を出すべく、答えを聞くのみだ。
蒼色も黙ったまま首を縦に振った。
「分かりました。では語りましょう。真相を」
そしてパンダさんは語り出す。僕の知らない、僕の物語を。
「今から十二年前、伸葉さん、あなたは一人の少女と出会いました。その子の名前は赤手夕黄。その少女は寄生虫に感染しており、その子との粘膜接触によって伸葉さんも寄生虫に犯されることになりました。それが発覚したのは一年後、伸葉さんが指を折ると時間が十秒戻ると発言しているのが判明したからです。
では先ほどから言っている寄生虫とは一体何なのか、疑問に思われていると思います。
今回の主題はこの寄生虫についてです。話をややこしくしている元凶であり、素粒子、記憶、はたまた世界を変える可能性を秘めた生き物についてです」
パンダさんが携帯を操作すると一枚の写真を見せてきた。銀のトレイに内臓のようなもの乗っていた。ミミズのように細長い形状をしており、何回か折り曲げられないとトレイに乗らないようで、かなりの長さがあるようだった。
「和名、鎖運回虫。中間宿主は多岐にわたり、終末宿主を人間としています。とは言っても人間に寄生したとしても成虫になれるのは一握りで、成体になったとしても症状は何もなく、多くの場合は気付かれないまま排泄物に混じって体外に出ていきます。
というのもこの寄生虫、脳の部位である海馬から脊椎に掛けて約一メートルに渡って寄生するのですが、脳内物質であるフェニルエチルアミンを栄養源としているため、大体の場合は栄養不足に陥りすぐに死んでしまうのです。
では何が問題なのか。それは成体になり、生き続けた一握りの中の更に一摘まみ。私たちがレベル2と呼んでいるものです。
まずレベル1ですが、これは幼体あるいは無害の成体のことを指しています。そしてレベル2、これは時間逆行現象と海馬代替を引き起こすようになったもののことを指します。ちなみに最大であるレベル3は末期状態、フェニルエチルアミンだけでは足りなくなった寄生虫が脳を食べ始めた状態のことを指します。
言いたいことは分かります。時間逆行現象と海馬代替についてですよね。私たち研究員もこの二つの現象について調べているんですから。
実はこの寄生虫、脳と脊椎に一体化し、機能の一部として働くようになるんです。
時間逆行現象から説明しましょう。
まず伸葉さん、特殊相対性理論は分かりますか? まぁざっくり説明しますと、世界は光の速さを絶対的な基準として作られていて、光の早さに近づくほど時間の流れはゆっくりになるというお話です。そのためもし光より早く移動すれば相対的に考えて時間が逆に進む、つまり過去に戻れるかもしれないということです。
しかし実際には光より早く動いても時間は戻れないと言われていまして、専門家は時間を戻す方法ではなく、時間を戻せない理由について研究しています。時間順序保護仮説と言われていまして、時間が戻せないことは今では定説になっています。
が、それはあくまで仮説に過ぎません。
話を戻しましょう。伸葉さん、人が痛みを感じた時、どういう現象が体の中で起きているか知っていますよね。
……そうです。例えば熱いヤカンを手で触った時、感覚器官である手から電気信号が発せられ、神経を通じて脊椎を通り脳に伝わって熱い、痛いことを実感します。
その際、場合によっては脊椎反射が起こり体が無意識に動いてしまうこともあります。
ではそこでレベル2の寄生虫がその脊椎にいたらどうなるのか、です。
痛みを受けた時、この寄生虫も生存本能の一つとして信号を発します。それはただの電気信号ではありません。現在、存在するとされているがまだ見つかっていない素粒子の一つ【タキオン】です。このタキオンというのは光より早い物質と言われており、このタキオン信号が脳に伝わることになります。
これがどういうことか分かりますか? レベル2の感染者が痛みを受けた時、光速を越えて時間を逆に進んだ信号が記憶を司る海馬に伝わるんです。つまり痛みを受ける前に、痛みを受けた記憶が伝わるんです。これが時間逆行現象の正体です。
恐らく、共存していく上で終末宿主である人間に危険を知らせ、死なせないために備わった能力だと仮説されています。
そしてもう一つ、海馬代替ですが、これはこの能力の副次的なものだと考えられています。海馬代替とは本来海馬に保存される記憶がこの寄生虫にも保存されてしまうことを言います。
人間にはそもそもタキオン信号を受け取る器官がありません。そこで海馬の一部ともなることで、タキオン信号の受け取りを可能し、その弊害として記憶を保存する場所にもなってしまったと考えられています。
そして最後に鎖運回虫の最も厄介な能力を紹介します。
それは他者の記憶操作です。
今説明したタキオン信号は自分の体内だけではなく、体外へも発することが可能なのです。これにより、レベル1でも鎖運回虫に感染している者にならば記憶の消去と記憶の植え付けが可能なのです。
恐ろしく驚異的な能力ですが、これは誰にでも行えるわけではなく、レベル2感染者の中でも取り分け寄生虫との相性が良かった人だけが使えます。確認されているのは過去四十年の中で二人しかいません。
以上で、この鎖運回虫の説明は終わりです。ですが、真相を語りきるにはまだまだピースが足りません。なのでこれから補足をしていきます。
この寄生虫ですが、レベル2なった場合、二十数年以内にレベル3に達することが確定します。脳を食べられ、死んでしまうのです。
物理的に取り除こうとすると神経や脳を傷つけてしまうため、現在の医療技術では摘出が不可能とされています。事実、先ほど見せた写真は手術にて摘出した時のものなのですが、術後、被験者は植物状態になってしまいました。寄生虫だけを殺した場合も同様の結果になったことがあります。そこで駆虫薬を服用し、一時的に弱めることで成長を阻害、延命治療をするしかないのです。
そしてここで記憶を取り戻す話に繋がるのですが、この駆虫薬はレベル1までなら即座に殺し、レベル2以降では効き目が弱くなるように調合されています。
で、この寄生虫、弱るとどうなるのか。寄生虫内に保存されていた記憶が海馬に吐き出されます。つまり海馬から消失した記憶を思い出すことが可能になるということです。
さて寄生虫の解説がかなり長くなってしまいましたが、本来の話に戻しましょう。
レベル2のこの寄生虫を体内で飼っていることが判明した伸葉さんは私たちの研究施設で軟禁されることになりました。その理由は一重に、タキオン粒子を研究するためです。
……これ以上は私が説明するより、実際に思い出してもらった方が理解しやすいと思うのですが、ただ、このタキオン粒子を調査するのに当たってそれはもう言葉にするのも躊躇われるぐらい、非人道的なことが繰り返し行われました。
薬を飲むことで当時のショックな出来事も思い出すと思われます。恐らく想像以上のものです。映画で見るような代物ではありません。感触や臭いまでもが思い出されるのですから。それでも、構いませんか?」
躊躇う理由ない。「構わないよ」僕は頷いた。
本音を言えば、この期に及んでまだ半信半疑ではあった。確かに寄生虫の話が本当であれば、解ける謎がいくつかある。
例えばA組が集団で記憶喪失になった際に蒼色だけが無事だったことだ。あれはつまり、A組全員が寄生虫に感染していたが、蒼色だけは薬を飲んでいたため平気だったということだ。
他にも白濱さんが指を折って時間を戻していたのもこの寄生虫の能力だと説明がつく。
……だけど、説明がつくからって何だっていうんだ。
オカルトじゃないから、現実に則した寄生虫だからリアリティがあるよね。みたいに言われている気分になっているのも事実なのだ。発展した科学が魔法と見分けつかないのと似ている。
まるで、三文小説だ。
僕は机に乗っていた薬を一つ取り、口の中へと放り込んだ。




