第三話 嘘だらけだった世界で その5
選挙当日。
『先日の突発性記憶障害者数の爆発的な増加を受け、地元住民から心配の声が上がっています』
『でも専門家が言うには感染はしないんでしょ?』
『しかしこの増え方、明らかに感染ですよね? 専門家というのも何の専門家なのか、怪しい所ですよ』
今朝も雪が降っていた。白い世界は雪が積もる音さえも聞こえそうなほど、しんと静まりかえっている。
コートに身を包み、最近話しづらくなったお爺ちゃんとお婆ちゃんの挨拶を背に受け、学校へと向かう。
昨日の白濱さんとの会話が頭にこびりつき何度も反芻される。今日の緊張もあるだろう。まともに寝ることは出来なかった。頭が少しジンとした。
学校に着き、席に座ると、一人黙々と綾取りをして心を落ち着かせる。
後ろの席が気になった。誰かが登校してくる度、その姿を確認してしまう。
鳩月先生がやってきて、ホームルームが始まる。結局白濱さんはやってはこなかった。
「今日は生徒会選挙とその流れで終業式が行われるわ。ホームルームが終わったら、体育館に集合して。 ……それと大事な報告があるわ」
鳩月先生の口調が神妙なものに変わり、僕は綾取りをやめた。
「一昨日の試験の後、A組で三十六人の生徒が突発性記憶障害になり、学級閉鎖になったわ」
クラスが揺れた。僕もその揺れを作った一人だった。
三十六人ってほぼ全員じゃないか!? 蒼色は!?
ホームルームが終わると、皆が体育館が向かう中、僕はベランダに出て蒼色に電話をした。
震える手で画面をタップする。軽快な着信音が僕の心情を嘲笑う。
嘘、嘘だよな、嘘だと言ってくれ。早く、早く出てくれ……
着信音が途切れる。
「もしもし!?」
「あ、翠くん。何してるんですか? 早く体育館に来てくださいよ」
変わらない調子の声で安堵した。
「記憶喪失になってないの?」
「あーそのことで電話してくれたんですか。心配性なのは変わらないんですね。まぁそうですね、何故だかは分かりませんが私は無事です。とにかく体育館に来てください」
電話を切ると、体育館へと向かった。
生徒会立候補者とその関係者は舞台袖で待機していた。
蒼色と合流する。
「良かった無事だったんだね……」
「はい、なぜだか私だけ平気でした」
机に置かれた陽気な男子生徒のポスターを見ながら蒼色は言った。
「日頃の行いのおかげですね」
皮肉か、嫌みか、憎しみが籠もっているのは間違いなかった。
学級閉鎖したのでは? と尋ねると、曰く、冬休み前日ということもあり応援演説をするためだけならばと登校が許されたらしかった。
「さて、気を取り直しましょう。いよいよ本番です。これまでの成果を発揮する時です」
「流石に緊張するね……」
「大丈夫です。失敗しても成功しても、笑いものになるだけですから」
「お笑い芸人なら喜ぶ所なんだけどねぇ……」
アナウンスが聞こえた。
『それではこれより、生徒会選挙を始めます。皆さん座ったまま、お待ちください』
蒼色が素知らぬ振りをして訊いてきた。
「じゃあどうしますか? やめますか? 今なら間に合いますよ?」
「試さないでよ。もう引き下がるつもりはないんだから」
この生徒会選挙中にパンダを見つける。そして記憶を戻す方法を聞き、僕が何者であったのか、白濱さんと何があったのかを知るんだ。
一人、また一人と、立候補者とその応援演説が行われていく。
前の人が演説を終え、ホッと胸を撫で下ろしながら僕の横を通り過ぎていく。
入口まで近づく。照明の当たる境目で足を止める。鼓動が耳に聞こえた。足が重い。
戻ることはしない。計画を止めることもしない。でも緊張で足が進まない。目の前の照明に目が眩んでくる。
その時、背中を叩かれた。
「何してるんですか。もしかしてビビってるんですか」
蒼色が隣に立った。
「いやぁ情けない。ほんと。その通り」
落ち着きを求めてポケットの中の赤い紐を握る。蒼色が言った。
「……以前、親しい友人に言われたことがあります。『価値観を尊重したい』『肯定も否定もせず、友達の隣にいてやりたいな』って。その時の私はとても驚かされました。
当時の私は自分の歪んだ価値観に少し後ろめたさを持っていました。中学生の時、数人の友達に打ち明けたこともありましたが、皆口を揃えて死んじゃ駄目だよって、当たり前なのですが私を腫れ物みたいに扱ってきました。ごく普通の優しさです。でもそれが分かっていても、私には自分の根本が否定されているようで凄く嫌な気分になったのを覚えています。
一般論からしてみたら私が間違っているのも理解出来ていました。
個性に優劣はありません。当人同士が合うか、合わないかです。しかし一般的じゃない自分が他人に劣っていると感じてしまうのもまた事実です。
それから私は否定されるのが嫌で、他人を避けてきました。
にも関わらず、スパイクで地雷原に突っ込んできたと思ったら、一足飛びで地雷原を飛び越えてきた人がいたんです。
価値観を尊重したいって言われたことが嬉しかったです。同情めいた肯定がなかったことも評価点ですね。そして何より一緒に落ちてくれたことが本当に、本当に嬉しかったです。……ついでに、友達って言われたのも。
だから今度は私が、隣にいてやりたいなって思ったんです」
蒼色が僕の目を正面から見た。
「さぁ行きましょう。一緒に笑いものになろうじゃありませんか」
「ホント、変わってるね」
「はい、変わりました。誰かさんのせいで」
態と作ったであろう笑顔ではあったが、僕はそれに勇気づけられる。
腹を括ると、僕は明かりの中に踏み出した。
『続きまして、生徒会長立候補翠伸葉さんと、応援演説蒼色音子さんです』
歓迎されていない拍手の中、演説台へと進む。
本来は応援演説する人が先に演説をするのだが、それに従う道理なんてない。
僕らはマイクの前に並ぶ。熱を感じるほどのスポットライト。その向こうに並ぶ生徒達。
最後に一つ大きく息を吸い込むと、僕は始めた。
「南田生のみんなぁ~! こーんにーちはぁ~!」
全力のおどけた声に、冬の寒気より冷たい空気が僕に吹き付ける。負けるな僕。
「んー? 元気がないぞぉ? もう一回いくよぉ? こーんにーちはぁ~!」
ヒーローショーのお姉さんよろしく元気に振る舞うと、どこかのクラスのお調子者が返事をしてくれた。クスクスと笑いが起きている。
「それじゃあ改めまして! フォロワーの人数が何故か南田生の人数を超えてる生徒会長立候補の翠伸葉でぇーすっ! そしてこちらは応援演説の蒼色音子でーすぅ!」
「フレーフレー! がんばぁれ! がんばれがんばれシ ン バ!」
「ありがとー! 彼女は普段こんなキャラじゃないんですが、この日のために頑張ってくれています! そちらの方が頑張ってほしいですね」
メタ発言をすると一気に笑いが起きた。よし、空気が緩まってきた。
「毎日校門で挨拶していたから僕の面、覚えてるって人多いよね? はい、じゃあ覚えてるって人、手ぇあげて~。えーと…… ごぉろくななはち…… うん、二人だね!」
緩んだ空気が更に抜ける。いけるいける。仮面を被り続けろ。
「さぁ前座はこの辺りにして、そろそろ本題に入ろうか。皆僕のSNSはフォローしてくれたかな? うん、たぶん知らない人はほとんどいないよね。掲示板でも校門前でも散々宣伝したからね! 今からフォローしても大丈夫だよぉ。ほら携帯を出して【翠伸葉@記憶喪失中だけど頂点に立ちたい】で検索検索ぅ! 先生今だけは見逃してねぇ!」
小さかった笑いが確かな感触に変わった。拳を突き上げ、マイクを握る。
「いいかお前ら! お金が欲しいかぁ!」
うおおおお! なんて歓声はない。しかし蒼色レベルで捻くれている生徒でもない限り、間違いなく僕の話に耳を傾けている感触はあった。
「十万円が、欲しいかぁ!」
もう一度拳を突き上げる。それに後押しするように蒼色が声を上げる。
「捨てアカでも裏アカでも大丈夫です! さぁ今からでもSNSをフォローしましょう!」
「これから抽選発表をするぞぉ!」
「抽選結果の発表方法は今からフォロワーの中から一人にダイレクトメールを送ります。その人が今この場にいれば当選です!」
「今から三分後に発表だぁ! お祭りらしく盛り上がっていこぅ!」
先生たちも止める気はないようで楽しそうに雑談をしている。生徒達も完全に緊張が抜けきったのか、当たり前のように喋り携帯を出している。いい、これでいい。
「皆、携帯のマナーモードを解除して、着信音を最大にして! もし音が僕にまで聞こえなかったらいない者として扱っちゃうから折角の当選も無効にしちゃうぞぉ?」
「隣近所の人がマナーモードを解除してるか確認し合っちゃってくださーい!」
ピエロを演じきれているか? これが、選挙の全てが嘘だとバレていないか?
「さぁもうすぐ三分経ちますよぉ?」
蒼色の合図で僕は自身の携帯を演説台へと置いた。散々宣伝したSNSではなく、メッセージアプリを起動させ、パンダのアカウントを表示させる。
――一ヶ月前。
『生徒会選挙に参加するんですよ』
『パンダを見つけるために? どういうこと? まさか生徒会長になって全校生徒にパンダは名乗り上げてくださーいって命令するわけ?』
『それをやって本当に出てくると思っているんですか。違いますよ。容疑者が全校生徒なら、全校生徒が集まっている場で電話を掛ければいいんです』
『なる…… ほど?』
『あ、いまいちピンと来ていませんね。いいですか? この先、全校生徒が集まる機会は終業式にある生徒会選挙と卒業式ぐらいです。その中で全校生徒の前に立ち、自由に発言出来るのは生徒会選挙の演説の時だけです。この時を狙ってパンダさんに電話を掛ければ、舞台の上にいる翠くんからパンダさんが分かるって寸法です』
『あーそういうことか。でも全校集会で集まる時とかって皆携帯が鳴らないようにしてない?』
『そこもちゃんと考えてあります。最近流行りの【フォローしてくれた人に十万円プレゼント】の嘘の宣伝をするんです。南田生限定にすれば有名人より遙かに当選確率は高いですし、この宣伝文句のインパクトは間違いなく全校生徒に広まります。そして選挙当日、全校生徒に当選条件としてマナーモードの解除を指示します。そこでパンダさんに電話です。抽選結果は喜田さんに当たったことにして、身内で揉み消せばバレません』
『パンダが誘いに乗ってこなかったら?』
『フォローしている人の中にパンダさんがいないことが確定します。それだけでも恐らく半数以上の容疑者は減りますよ』
蒼色と頷き合う。
「それでは今からダイレクトメールを送ります。皆さん、携帯の音が聞こえるようにお静かにお願いします! はい、シーッ!」
蒼色が大袈裟に人差し指を口元へと当てた。
大波が小波へ、凪へと変わる。喧騒が静まり、全員が次ぎの音へと意識を向けた。
全てはこの日、この一瞬のために。
通話ボタンをタップする。
寸分の間。静寂。沈黙。
そしてそれを打ち破ったのは、軽やかな着信音だった。
――いたっ!
どよめきがその着信地へと向けられる。生徒、教師陣の視線。
交差する中心点、そこに居たのは――