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第三話 嘘だらけだった世界で その4

 選挙まで残り三日となった。

 期末試験の真っ只中だったが、記憶喪失のメンバーは試験を免除される代わりに補習を受けることになっていた。大量に出された課題もやる気が起きず、家に帰れば天井のシミを数えるばかり。

 蒼色も勉強をすると言って、試験期間に入ってからは放課後に集まることはしていない。

 そこで僕は物置部屋を漁って何か記憶を思い出す物品がないか探すことにしていた。

 漁って数時間。

 発掘したのは、なんとまぁこれほど適材なものはないだろう一品、埃まみれのアルバムだった。なんて都合がいいのだろう! というのは冗談で、お爺ちゃんから物置にアルバムがあるから探してみるといいと言われただけなのだが。

 息を吹きかけるだけで咽せてしまう。どれだけ古いものなのだろう。

 表紙を捲ると、セピア調に色褪せた結婚写真が出てきた。

 若い男女の二人は恐らく、僕が一緒に住んでいるお爺ちゃんとお婆ちゃんだろう。

 旅行の写真からパーティーの様子など、女性の方はどの写真でも常に笑っているのに、男性の方は照れくささからムスッとしていた。

 写真が時代と共に移り変わり、色が鮮明に、現代へと近づいていく。

 そして最後のページを開く。隅に書かれた日付は今から五年ほど前だった。

 玄関前での一枚。二人の間に、二人の子供が立っていた。隈の酷い男の子と、それを見つめる女の子の横顔。

 年齢で言えば恐らく十歳とかその辺りだろう。幼児と言えるほど小さくはなかった。

 ページを戻してもこれまで子供がいた雰囲気はなく、突然その写真から増えだしていた。

 ……もしかして男の子の方は、僕か? そう思えば、そんな気がしてくる。それからこの隣にいる女の子……

 僕はアルバムを持ち出すと、その日の晩、お爺ちゃんとお婆ちゃんに見せることにした。


「ありゃ、これは懐かしいものを出してきたねぇ」

 お婆ちゃんが目を細めると、テーブルに置かれたそれを手元に寄せ、隣のお爺ちゃんと一緒に捲り始めた。

「どう? 何か思い出せたかい?」

 お婆ちゃんの問いに、僕は首を横に振った。

 それからしばらく二人は思い出話に花を咲かせていた。

 最後のページに辿り着くと、ずっと傍らで見ていた僕は意を決して指を差した。

「これってさ、僕、だよね?」

「ああ」お爺ちゃんが返事をする。

「二つ、訊きたいんだけどさ、僕は貰い子とかなの?」

 二人は顔を見合わせた。

「記憶はどこまで戻ったんだ?」お爺ちゃんの顔が険しくなった。

「……正直、全く」

「じゃあ駄目だ。教えられない」

「どうして?」

「約束しているからだ」

 お爺ちゃんの後に「これは伸ちゃんのためでもあるのよ」とお婆ちゃんが続く。

「僕のため? どういうことなの? 約束って誰とのさ?」

「少しでも知れば、全部が知りたくなるものだ。だから少しも教えることは出来ない」

「な――」言い返そうとした。でもそれ以上続けても互いの感情を高ぶらせるだけ。

 無意味だと悟った僕は浮いた腰を再び椅子へと沈める。

 一体なんだっていうんだ…… 皆僕に隠し事をしすぎじゃないのか。記憶を無くす前の僕は何をしていたんだ。

「……そんなに知りたければ」お爺ちゃんが呟き、僕は顔を上げた。

「本人に訊けばいい」

 お爺ちゃんが写真の一点を指差す。それは僕がしようと思っていた二つ目の質問。

〝この女の子って白濱ユリカだよね?”

 最初に見た時から思っていた。幼いながらも顔のパーツからくる印象、雰囲気が白濱さんとそっくりなのだ。

 そしてお爺ちゃんは言う。

「夕黄に」

「……ゆう、き? それって、緋彩…… 夕黄?」

 思ってもいなかった名前だった。先日の蒼色のキス騒動の時の名前じゃないか。

「苗字は知らん」

「そう、伸ちゃんと仲の良かった夕黄ちゃんよ」

 乾いた喉に唾を押し込む。

「どこにいるの?」

「隣の家だ。 ……まだいたらいいがな」

 衝動に弾き飛ばされて椅子を倒す。家を飛び出したのはほぼ無意識だった。

 冬に足を踏み入れた十二月の風が肌を突き刺す。

 隣の家の表札を見ると、そこには『緋彩』と書かれていた。

 呼び鈴を鳴らし、しばらくすると男性の声で「はい」と応答があった。お父さんだろうか。

「すみません、隣の翠ですけど、夕黄さんっていますか?」

「夕黄? ウチの妻の名前はチドリですけど」

「いえ、娘さんを……」

 無言の間。その間が意味する所に僕の背筋が凍っていく。

「……ウチに娘はいませんけど」

 

 その翌日、白濱ユリカからメッセージが飛んできた。

〈明日、会って話したいことがあります。最後に、二人っきりで〉


 生徒会選挙前日。朝から雪がチラついていた。

 淀んだ灰色の世界を清廉さを孕んだ白い粉が降り注いでいて、家を出る頃には辺り一帯、白銀の世界へと変貌させてしまっていた。

 道路は踏み砕かれた雪の名残で、泥と水溜まりが重なっている。

 期末試験が終わった翌日の休みということもあってか、心なしか道行く学生が多い気がした。

 約束の十四時、僕は校舎裏の小さな公園へと向かっていた。

 コートのポケットに手を突っ込み、少しでも寒さから逃れるように体を縮こませる。

 雪を投げ合う小学生が楽しそうに僕の脇を駆け抜けていく。

 公園に入ると白濱さんの姿が目に入った。揺り籠を漕ぐようにブランコで小さく揺れている。

 こちらに気が付かず、僕が近くで新雪を踏み締めるまで白濱さんは足元をジッと眺めていた。

「ごめん、お待たせ」

「ううん、そんなに待ってないよ」

 そういう白濱さんの肩にはもう降っていない雪が薄らと積もっていた。

 隣のブランコの雪を払い、腰掛ける。錆び付いた音が雪と一緒に頭上から降ってきた。

 軋む音が止むの待っていたのか、白濱さんは意を決するには十分なほど時間を掛けてから、遠い目をして切り出した。

「雪の日に二人っきりって、なんだか初めて会った時のこと思い出さない?」

「初めて会ったのは二ヶ月ぐらい前の君が転校してきた日だろ?」

 ふふっと笑い、白濱さんはようやく僕の方を見た。

「違うよ。もっと昔のこと。ホントはもう気付いているんでしょ? 分かるよそれぐらい。いつも見てたんだもん」

 もっと昔。それは先日の写真に写る幼い白濱さんのことと被った。

 偽名。半信半疑のまま、僕は口にする。

「君が緋彩夕黄…… さん?」

「うん、半分正解」躊躇なく、白濱さんは頷いた。

 緋彩は間違いで、夕黄は正解。故に半分正解なのだろう。

「君にはたくさん訊きたいことがある」

「だよね。でも駄目。私は何も教える気がないから」

 この場に置いても白濱さんは「ブブー」と口元でバツを作り、おどけて見せてくる。真剣な空気にはさせたくない。そんな意図が読み取れた。

「じゃあ一つだけ教えてよ」

 白濱さんは目線を上げて、一度考えてから「いいよ、何?」と首を傾げた。

 聞きたいことは山ほどあった。どうして偽名を使うのか、どうして時間が戻せるのか、僕との間に昔なにがあったのか。

 そのどれか一つを聞いてもいい。でも恐らくそのどれを聞いても謎が謎を呼ぶだけだ。で、あるならば、彼女の行動原理の根幹を聞くのがもっとも答えの近道になるだろう。

「何で僕にたくさんの隠し事をするの?」

 白濱さんもどれかの質問をされると思っていたのだろう。一瞬笑顔を消した。

「……翠くんは、今幸せ?」

「どうしてそんなことを訊くの?」

 辻褄を感じない返答に僕は答えを渋ったが、白濱さんは「いいから」と催促をしてきた。

「……どうだろう。幸せだとは思わないけど、特別不幸だとも思ってないよ」

「だよね」と白濱さんは苦笑いして続ける。

「よくある台詞だよ。幸せはなくした時に初めて気付くものだって」

 暗に君は幸せに気付いていないんだよ、と指摘されたようなものだった。

「何が言いたいのさ。それが僕に隠し事をするのとどう関係があるって――」

「私はね」決して大きな声ではなかった。

 でも彼女が被せてきたその口調に僕は譲らざる負えなかった。

「私はね―― 翠くんに幸せになってほしいの。それが君に隠し事をする理由だよ」

 ……幸せになってほしい?

 予想だにもしていなかった答えに僕は言葉を失ってしまう。たじろぐ僕を余所に、彼女は一人先に進み、ブランコから立ち上がった。

「今日直接会って言いたかったことはね、とっても馬鹿なことを最後に言いたかったの」

 数歩あるき僕の方へ振り返る。漏れ出た彼女の白い息が、身に秘めた緊張を窺わせる。

 鼻と頬と耳の先を赤らめた白濱さんが、僕を見据えて言った。

「ずっとずっと前から、伸葉くんのことが好きでした。きっとこれから先も好きで居続けると思います。何があっても。付き合ってほしい、だなんて贅沢ことは言いません。ただ伸葉くんに私の気持ちを知っていほしいってだけです。どうか、それだけは覚えておいてください」

 呆然? 困惑? 面食らった僕は動くことが出来なかった。

 白濱さんは一大決心を終えた後のようにホッと息を吐くと、いつもの柔らかい口調で「それじゃあ行くね」と手を上げて、立ち去ろうとした。

 ハッとして立ち上がる。

「また、会えるんだよね!?」

 白濱さんは足を止めると「バイバイ」とだけ手を振って、それから振り返ることはなかった。

 拒絶にも似た印象に、追いかけることは出来なかった。

 一人取り残された僕はブランコに再び腰掛けた。十分にも満たない出来事だった。頭の整理が追いつかず、両手で顔を覆い、指先に力を込める。

 どうすることが正解だったのだろう。無理にでも謎を聞き出せば良かったのか、告白に応じれば良かったのか、立ち去ろうとする手を掴めば良かったのか。

 何にしろ、最後に涙腺を緩ませていた彼女からして、僕が間違った行動したのは確かだった。

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