第三話 嘘だらけだった世界で その3
翌日、学校で白濱さんと再会すると「昨日はごめんね。先に帰っちゃって」と何ら変わりのない笑顔で言ってきた。それこそ仮面のような変わらなさで。
「いいよ。別に気にしてないから」
正直、その笑顔の下でどんな感情を隠しているのか、気にしていた。
それから何度か、僕は白濱さんを蒼色に会わせようと試みた。
昼休みに屋上に連れて行こうしたり、蒼色を教室に連れてきて会わせようとしたり、同じ場所に呼び出して蒼色と鉢合わせさせたり。
でもどれも上手くはいかなかった。いや、ある意味では上手くいったのかもしれない。
昼休みに屋上へ連れて行こうとした時は断られ、蒼色を教室に連れてきた時と二人を同じ場所に呼び出した時は、あの時間が戻ったような違和感に襲われ、どちらとも白濱さんは姿を消した。三度も経験すれば流石の僕でも理解は出来る。あれは間違いなく時間が戻っていた。
きっと白濱さんは僕が違和感を覚えているのに気付いている。それでも彼女は今日も「おはよう!」と空元気な挨拶をしてくる。
「おはよ。今日も元気だね」
それを無下にすることも出来ず、僕はただ笑い返すしかなかった。
※
生徒会選挙まであと一ヶ月、校内掲示板に来期生徒会立候補者一覧が張り紙が出された。
それを知ると僕と蒼色は下駄箱前の掲示板へと向かった。生徒会選挙に興味を持った生徒により小さな人集りが出来ていた。僕らもその中に混じり、掲示板に目をやる。
僕が立候補した生徒会長の座に六人の生徒が名乗りを上げており、一覧の横にはそれぞれの生徒のポスターと公約擬きが掲載されていた。
「僕のポスター…… なんか嫌だな…… 晒し者にされてる気分」
「これから選挙活動でもっと晒し者になるんで頑張って免疫付けてくださいね」
「蒼色も他人事じゃないからな……」
僕と蒼色がいつもの問答をしていると、「おや」と知らない男子生徒が話し掛けてきた。
「英雄くんとインちゃん、白雪姫コンビじゃないか」
……誰? ずいぶん陽気な男子生徒だった。
「まさか君も生徒会選挙に参加すると思わなかったよ。もしかしてこれも僕を生徒会長にしてくれるための一手なのかな?」
一人で勝手に笑う陽気な男子生徒。蒼色を見ると知らんぷりを決め込んでいるようだった。
「いやぁにしても君は凄い公約を掲げたね。最早これはズルだよ」
陽気な男子生徒は僕のポスターに書かれた公約を読み始めた。
「『僕のSNSアカウントをフォロー! 南田高生限定! フォローしてくれた生徒の中から抽選で一名に十万円をプレゼント!』最近の流行りをまさか生徒会選挙に持ち出すなんて。この発想力は見習いたいね」
本当は釣り餌の謳い文句であって誰にも十万をあげるつもりはない。
僕は乾いた笑いで、お茶を濁した。
「にしても」男子生徒が腕を組み、値踏みするように僕を見た。
「噂に聞く君とボクが実際に知る君はだいぶ別人みたいだ。やはり噂は噂ってことみたいだね」
「噂、ですか?」
「あぁあまり気にすることはないよ。実際の君は行動力があって素敵な人だからね」
「噂って何です?」
「あれ、聞いたことない? それは失敗したな。すまない今のは聞かなかったことにしてくれ。きっと聞いても、君は良い気がしないだろうしね。自分に都合の悪いことには耳を塞いで目を瞑るのが一番だよ」
「だから噂って何ですか!」
あまりに言わないものだから思わず語尾が強まってしまう。
「……んー。怒らないでくれよ? 出所を聞いてもボクには分からないからね」
陽気な男子生徒はそれからたっぷり間を開けてから重たそうに口を開いた。
「丁度ボクたちが知り合った頃、文化祭の一週間ぐらい前かな。それより以前、君は不登校で全く学校に来てなかったって噂だよ」
「……僕が、不登校だった?」
「その反応、やっぱり嘘みたいだね。安心したよ」
陽気な男子生徒は僕の肩を叩くと「健闘を祈るよ」と手を振りながら去って行った。
「……あの人、苦手です」
ぼやいた蒼色は男子生徒の後ろ姿を見ながら怪訝な顔を浮かべていた。
「ねぇ、僕の噂って聞いたことある?」
「喜田さんからそんなこと聞きましたね。興味はありませんが。一緒に住んでる祖父母か、担任に訊けば分かるんじゃないですか?」
お爺ちゃんとお婆ちゃんに訊くのは気が引けた。
放課後、職員室の鳩月先生を訪ねた。
「僕って不登校だったんですか?」
鳩月先生は一瞬面食らうと真顔に戻してから「ええ。そうよ」と手元の書類を整えた。
「昔のことは気にしなくてもいい、とまでは言わないけど、あまり引っ張られる必要もないわ。大事なのはこれからどうするか、なんだから。特に翠くん、君は尚更ね」
帰り道。足が重かった。
見掛けた石ころを蹴飛ばし、何度か繰り返す内、色濃くなった夕闇の中で見失ってしまう。
様々な疑問が一つの点に繋がらず、頭の中を飛び回る。
白濱ユリカは何者なのか、何故時間が戻せるのか、どうして時間が戻ったことに僕だけが気付けるのか、不登校だった件といい、そもそも僕は何者だったのか、パンダと名乗る人は一体どこまで知っているのか。
どれもこれも意図的に僕に隠している節を感じる。きっと白濱さんに直接聞いても答えてはくれないだろう。
家に帰っても考えはまとまらず、延々とあやとりを繰り返した。
それから数週間は選挙活動に明け暮れた。
朝は校門前での挨拶運動に始まり、昼は蒼色との昼食会議、放課後は当日に向けた選挙演説の練習、と日々を追われた。
目的はパンダを見つけることで、選挙に勝つことではないのだが、手段が手段のため、とにかく全校生徒からの認知と当日の熱演が必要不可欠だった。
朝の挨拶を日課にすると、三日目からあの陽気な男子生徒も隣で真似するようになった。
たまに白濱さんもやってきてくれた。そこに蒼色が現れると、例の如く時間を戻して姿を消した。何だかシャイな超能力者みたいで一周回って微笑ましかった。
選挙から一週間前のことだった。
「ねぇ見た? 新聞部の途中経過、八割僕だってよ」
「え、あ、あぁ、はい、見ました」
定例となった蒼色との昼食会議。いつもなら「お金の力って凄いですね。日本政治の縮図みたいです」ぐらいの嫌味を言うのに、今日の蒼色は妙に呆けていた。
「どうしたんだよ。ぼーっとして」
地球の反対側の中継を観ているぐらいの時差があってから「あ、いえ、何でもありません」と絶対何かある反応をした。
気になるが、僕に言わないということは言いたくないことなのかもしれない。
そう思って、別の話題に移ろうとした時だった。
「……あの翠くん、女の子同士の恋愛ってどう思います?」
ただ事ではないことが起きているようだった。
「まま、まぁタ多様性を認めめる時代だしぃべ別にいいいんじゃないかなって思うにょ」
落ちつつけ。
咳払いで切り替えると改めて「ていうか、何があったの?」と僕は訊いた。
蒼色が耳まで赤らめる。視線を逸らすと、やがてポツリと言った。
「……キス、されました」
「チッス!? だ、誰にされたの!?」
「F組の……」
「僕のクラス…… 一宮さんか! 一宮さんがやったんだな!」
「いえ、一宮さんはいつも手を繋いでくるだけで」
既に手は出されているんだ……
「じゃあ誰に?」
蒼色のF組の知り合いを思い浮かべるが、一宮さん以外には浮かんでこない。
僕が眉を曲げ分からない素振りを見せると、蒼色はおずおずと口を開き、予想だにもしなかった名前を挙げた。
「緋彩さんです。緋彩夕黄さん」
緋彩夕黄。出された名前を復唱する。聞き覚えのない名前だった。
「選挙に合わせてクラス全員の名前を覚えたつもりだけど、そんな人クラスにいないよ」
「そんなはずはないですよ。翠くんの幼馴染みですよ? 最近一緒にいるのはお見掛けしませんが」
「幼馴染み!?」そんなものが僕にいるなんて初耳だった。
蒼色も「んー」と眉を曲げたので、だったら直接確かめに行こうと僕たちはF組に向かった。
教卓の上に置かれた座席表。先生が生徒を指名する時のために作られたものだ。
これを二人で確認し「やっぱりいないよ」と四度、五度と何度も見返した。
「おかしいです。でも私は確かに今朝、下駄箱で待っていた緋彩さんに引っ張られて、人気のないトイレでキスされたんですよ」
嘘や冗談を言っているとも思えない。そこに偶然、教室に戻ってきた一宮さんが現れた。
「あ、一宮さん!」と蒼色が声を掛けると、ブオンッと風を切る音を鳴らしながら一宮さんがこちらに振り向いた。コッワ。
「F組に緋彩夕黄さんって人いますよね?」
一宮さんはしばらく上の方を見てから「そんな人知らない」と首を横に振った。
「そんなはずありません! いつも翠くんと一緒にいたはずです! ほら、一緒に試写会をしたメンバーの中にいたじゃありませんか!」
「落ち着きなよ蒼色」と肩に手を置こうとすると、何故か一宮さんにその手をはたかれた。
私の女に触るなと?
一宮さんはメンバーの名前を挙げながら指を一本ずつ折り曲げ始めた。
「試写会にいたメンバーって、私と喜田さんと蒼色さんと白幡さんと鳩ちゃん、ついでに男が二人…… だけだったよね?」
「ついで」
「いえ、そこに緋彩さんもいたはずです」
一宮さんは思い出そうと自分の額を指先で叩いたが、駄目だったようで肩を竦ませてみせた。
「ごめんね、役に立てそうにもないよ」
一宮さんが自分の席に戻ろうとした時、蒼色がハッとした。
「そうです! 白幡さんに訊いてみましょう。あの人なら絶対に覚えているはずです」
蒼色が僕に向かってそう言うと、一宮さんが再び僕らの方に振り返った。
「白幡さんならいないよ」
「え、どこにいるんですか?」
「知らない。文化祭が終わった後ぐらいに急に来ない日が続いて、そしたら誰かが名簿からいなくなっていることに気がついて、鳩ちゃんに訊いたら家族の事情で転校したって」
「転校!?」
蒼色が驚いて、共感を得るように僕の方を見てきたが、生憎さっきから話に全くついていけていない。白幡さんって誰? 白濱さんと間違えそうなんだけど。
「翠くん携帯を貸してください!」
蒼色が僕の許可なく勝手にズボンのポケットに手を突っ込んだ。抵抗する理由もないので大人しく携帯を奪われる。慣れた手つきで僕の携帯を弄ると一言「ないです」と蒼色は項垂れた。
「えっとぉ、白幡さんって?」
そこでようやく僕は切り出した。
「白幡さんは翠くんの友達だった人です。いつも緋彩さんを交えた三人で行動していたんですよ。連絡先があると思っていたのですが……」
反応からしてなかったのだろう。
「先生に連絡先を訊くのは?」
一宮さんが答えた。
「たぶん駄目だと思うよ。私も同じことして断れたから」
項垂れたまま蒼色が「うううぅ」と唸りだしたと思ったらバッと顔を上げて僕の胸ぐらを掴んできた。
「信じてください! 本当なんです! 本当に私は緋彩さんにキスされたんです!」
「ばっか! 一宮さんの前でそれは」
「キスされたってどういうこと!? 私だってまだしてないのに!」
「まだ!?」
蒼色にキスを迫る一宮さんを止めるために、白幡の件は隅に置かれた。