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第二話 また一週間 その4

 事が起こったのは、劇が始まって10分が経過した頃だった。

「さぁ赤雪姫、この熟れた梨を食べなさい、ほら」

「ちょーっと待ったクソババア! それ毒が入ってるだろ!」

 老婆が赤雪姫に梨を渡した直後、舞台袖から王子様が飛び出してきた。

 観客はドッと沸き、息をつかせぬテンポで王子様は剣を引き抜き、老婆に斬りかかった。二度三度斬りかかるも老婆は棒立ちで全く効いていない様子。突拍子もない展開とシュールな光景に会場は爆笑の渦に飲み込まれる。

 だが、しばらくしてそれが歪な空気へと変貌していくのを誰もが肌で感じとったはずだった。

 役者全員がキョトンとしてフリーズしてしまっていたのだ。

 ざわつき。隣の夕黄も「どうしたんだろう?」と小声で訊いてくる。

 見てれば分かる。恐らく王子様の登場自体が不測の事態だったのだろう。

 老婆と王子様の隠しきれていない小声が俺にまで聞こえてくる。

「何してんだよ。急なアドリブやめろよ」

「え、今朝、内容に変更あったって渡された台本には……」

 ……台本 ……脚本。 嫌な予感がした。

 時間を確認する。自殺まで30分を切っていた。

 席を立ち上がり、舞台に飛び上る。投げられる視線も言葉も無視し、舞台袖を確認する。

 そこには、いると聞かされていた蒼色の姿はなかった。あったのはベランダの出入口のみ。

 そういう仕組みか!

 そこを出ると隣の教室へ向かった。暗幕で覆われていたのは舞台演出ためだけじゃなくて、ベランダの移動を見せなくするためでもあったのか。

 隣の教室に入る。勢いよく開けられたドアに驚いたA組の生徒達が一斉にこちらを向いてきた。やっぱり控え室になっていた。ぐるりと見渡すが案の定、蒼色の姿は既になかった。

「くそっ!」こうなるんだったら最初から屋上の前で張っておくべきだった。

 廊下を疾走し、人を押しどけ、階段を駆け上がる。勢い任せにノブを回すと、鉄同士がぶつかる重たい感触が腕に響いた。

 鍵が掛かってる!? 

 二、三度確かめるがビクともしない。そんな馬鹿な。こんな展開は一度もなかったはず。

 折角知った蒼色の携帯に電話をしてみるが出る様子は全くない。

 どこに行った? 単なるトイレか? 時間までここで待つべきか? それとも自殺する展開も変わってきていて、まさか別の場所で?

 その時、携帯が鳴った。蒼色からの折り返しだと思い、確認もせず電話に出た。

「あ、もしもし伸葉くん。もー急にどこ行ったのさー」夕黄の声だった。

「ごめん夕黄。急用が出来てさ。ところで蒼色見てない?」

「蒼色さん? さぁ知らないけど…… お昼時だし、また屋上なんじゃない?」

「今屋上にいるけど開いてないんだよ」

「蒼色さんすぐに見つけないとヤバいの? 劇も中断になっちゃったしさ」

「たぶんそう。ヤバい。探すの手伝ってくれると助かる」

「分かった。キョーコちゃんにも言っとく」

 電話を切ると、俺は屋上の鍵がある一階の職員室に向かうことにした。鍵の所在をとにかく確認しよう。そうして階段を降りているとき、再び携帯が鳴った。パンダからだった。

〈文化祭来てやったぞー。今どこおるー? 肛門おるから迎えにこーい〉

 はぁ!? パンダが文化祭に来た!? 何で!?

〈今立て込んでる。適当にブラついといて〉と返事をして、階段を飛び降りる。

 いくら何でも展開が変わり過ぎている。どこに変わる要因があったんだ。考えるのは後回しにして廊下を走る。職員室に着くと、最初に目に入った生徒指導の先生に「屋上の鍵はありますか?」と質問をした。

 先生は「え、君も?」と首を傾げた。

「屋上に何かあるの?」

「いや、ちょっと人を探してまして…… 君もって、どういうことです?」

「さっきも二年A組の生徒が来て屋上の鍵を貸してほしいって言ってきたんだ。理由を訊いても答えないから断ったんだが、その後鍵を確認したら誰かが持って行っていてね」

「今ないんですか!?」

「あぁ今はないよ。たぶん鳩月先生だと思うんだがね。さっき何かの鍵を取ってく動作をしていたから」

 わかりました失礼します、と駆け足で職員室を後にする。屋上へ戻る途中、昇降口前を通ると鳩月先生が外を歩いているのを目撃した。

「あっ! 先生! 先生!」もう屋上に行った後だろうか?

 気付いてくれないのでそちらに足を向ける。上履きのまま外へ出ると、先生を追って出店の方に向かった。運動部のゲーム系や屋台が並び、生徒が行く手を阻んでいく。

「先生! 鳩月先生!」

 携帯が鳴った。こんなタイミングで。白幡からだった。足を動かしながら電話に出る。

「もしもし白幡、どうした?」

「上」それだけ言われると線を切られたように通話は切られた。

 上? 言われたままに上を見る。

 白くくすんだ青空とコンクリート丸出しの校舎壁。その絵の中に違和感のあるものが映り込んでいた。目を見開き、心臓がぎゅっとする。

 蒼色だった。屋上の縁に立ち、足を何もない虚空へと踏み出そうとしていた。

 頭が真っ白になっていた。

 どうやって屋上に、なんて何の役にも立たない後の祭りはすぐに振り払う。

 どうする? どうすればいい? 鼓動が耳にまで聞こえてくる。ゆっくり、ゆっくり。

 今からいけば間に合うか? いや無理だ。どうすればいい。また一週間戻ることを期待して自殺を見送るか? そんなことが許されるのか? 時間が経つほど不利になる。最善手は……

 右手で左手の人差し指を握った。何回いける? 三回…… いや、六回、1分だ。

 目を瞑り、覚悟を決めると人差し指をへし折った。

 

 ――壁に手をついた。

 唾液が勝手に分泌され、口の端から溢れ出てしまう。首筋がジンジンと痛み、目の奥がチカチカとする。指は無傷だ。問題なく動く。それが寧ろ違和感に思えてしまう。

 六回も連続で折ったことはこれまで一度もなかった。その反動がこんなにもキツいものだと思わなかった。吐き気を堪えて、足を前に出す。

 折角戻した時間を無駄にするわけにはいかない。戻った先は職員室を出た直後。ここからなら一分程度で屋上にまでいけるはず。下唇を噛むとフラつく足に鞭打った。

 人をかき分け、階段を上り、屋上のドアを開け放つ。

 音に気付いた蒼色がこちらへと振り返った。

 この光景を見るのはもう何度目だろう。白くかすれた空にフェンスの向こうの君。

 その顔、その瞳を見る度にこっちの胸を苦しめる。唾を飲み込むと、俺は始めた。

「蒼色、何してんだよ。そこ危ないぞ」感情を押し殺して、極めて冷静に。

「翠くんこそ、どうしてここに? 劇はどうしたんですか? まだ途中のはずですけど」

「それはこっちの台詞だろ。蒼色こそ教室にいなくていいのか?」

「私はいいんです。いてもいなくても、同じですから」

「それは【教室に】って意味でいいんだよな?」

「受け取り方はあなたの自由です。でも私はもう少し大きな意味で言ったつもりです」

「……分かりたくないな」

 蒼色がふっと表情を崩した。悟ってるというか諦めてるというか、ムカつく色をしていた。

「見ての通り自殺しに来たんです」日常会話の一つみたいに彼女は言った。

「俺は君に死んで欲しくないな」

 前回の一週間。最後の夜に珍しく蒼色を揺れ動かした台詞だ。しかし今回の彼女は「そうですか」と受け流し「でもすみません」と微動だにすることなく続けた。

「私はあなたのために生きているわけではありません」

 知っている分かっている。俺たちの関係は一週間前に知り合っただけに過ぎない。だけど、だからって―― 「どうすれば君の自殺を止められるのかな?」 ――もう街角の他人みたいに放っておくことは出来ない。

「無駄だと思います。何をやっても。私は頑固ですから止められるほど意地なってしまうと思うんです」それも知っている。君が思っている三倍以上に俺は知っている。

 軽薄な奴が嫌いなことも。毒を吐くと早口になることも。自分の考えを持っていることも。

「じゃあさ、どうしたら君の自殺を止められたのかな」

「どうしようもないと思いますけど…… そうですね、強いて言うなら、あと一週間早く知り合っていれば何か変わっていたかも知れません」

「何か…… か」今から二週間前。流石にそんなに指を折ってはいられない。

 言葉をこれ以上出すことも出来なかった。彼女の価値観を知って、色んな人から自殺についての考え方を聞いたけど、結局今日この時までに俺なりの考えを出すことは出来なかった。どんな答えを出したとしても自殺を否定することは蒼色の価値観を否定することに繋がってしまう。やっぱり駄目だ。俺には他人を変えることも、ましてや救うことなんて……

 その時、後ろのドアが開いた。救いの手だと期待して振り向いた。生活指導の先生だった。

「おい! お前ら何してんだ!」

 また違う展開だ。もしかしてさっきの屋上の鍵の件を気にして見に来たのか。

 先生が怒号を上げたのも束の間、フェンスの向こうに立つ蒼色を見て、顔を真っ青に染めた。

「待て! 早まるな!」駆け寄ろうとする先生に蒼色が「来ないで」と叫んだ。

「どうしたんだ? 悩みがあったら何でも聞くぞ?」とにじり寄ろうとし始める。

「悩みなんてありません。だから放っておいてください」

「先生には言えないような悩みか? だったら他の人を呼んでやるから、とりあえずこっちに来なさい」

 蒼色の表情は固く、首を横に振った。パンダは救うのは自分じゃなくてもいいと言っていた。だけど、この先生では駄目だと直感的に分かってしまう。

「先生そん」なんじゃ駄目だ、と言いかけたその時、再びドアが開き、人が入ってきた。

 数学の女性教師と社会の男性教師だった。

「鳩月先生から連絡があって来ました」と耳打ちされたのが聞こえてきた。

 良くない。事態がどんどん悪化していっている気がする。

「蒼色さん、とりあえずこっちへこよう。それからゆっくり話をしよう」男性教師が言った。

 歩み寄る教師陣の圧に押されてか、蒼色が半歩下がり、目に見えて体が揺れた。

「ストップ! 分かった。そのままでいいから」

 男性教師に続き、女性教師が声を張る。

「何があったの? 先生に教えて。何か出来ることがあるかもしれない」

「言っても無駄です」

「そんなことない。胸の中にあるものを言うだけでも楽になるものよ」

「そうだ。それに命を粗末にするものじゃない。君が死んでしまったら悲しむ人が沢山いる」

 蒼色はそういう一般的なことは全部もう一通り考えている。そんなありきたりな言葉で彼女を助けることは出来ない。俺が口を挟む余地はなく、教師陣の攻撃は続く。

「人生の落ち目なんて何度もある。でも良いことだってたくさんある。死ぬ必要なんてない」

「若い子にとったら学校が世界の全てかもしれない。でもそれは違うの。大人になって視野が広がれば考え方も変わるわ。だからもう少し頑張ってみようよ」

「今が息苦しいなら頼ってほしい。大人は君みたいな子供のために動くことが出来る」

 耳障りの良い台詞。誰がどれを言っているのかも分からなかった。それほどに当たり障りのない言葉だと俺には感じた。俺が感じるなら蒼色もきっと似たように耳に触れただろう。

 沈黙を続けていた蒼色が口を開いた。

「……私には生きる意味が分からないんです」

 それは蒼色にとって、貴方たちの意見はどれも的外れですと答えたようなものだった。でも教師陣に取ったら自分たちの言葉が一人の可哀想な生徒を歩み寄らせたものに感じただろう。

 僅かに口角を上げた教師陣が更に一歩前に出た。

「俺だって君ぐらいの頃は似たようなことを考えたさ」

「蒼色さん! きっと辛いことがあったんだろ? でもそれは君だけじゃない。皆同じように辛い経験をしているんだ」

「私が学生の時はクラスの皆からイジメられていたわ!」

 蒼色が息を吸う。

「私の何が分かるっていうんですか!」

「だから分かろうとしているんだ!」

 蒼色の一喝に教師陣が怯むことはなかった。蒼色の眉の下がり方も気にも留めず、教師陣は自分の正義心と価値観が絶対的に正しいと疑わず、言葉をぶつける。

「君だって死にたくないはずだ。その証拠に君はいまだに飛び降りようとせず、そこに立っている。それはつまり生きていたいってことだろ?」何で煽った。

「私はただ自分のタイミングを計っていただけで」

 教師への怒りと蒼色が勢いで飛び降りないか、緊張が高まった。

「本当は助けてほしいんだろ? 人は一人じゃ生きていけない。誰かの助けを借りてもいいんだよ。それが生き続けるってことなんだ」

「私たちは敵じゃない。あなたの味方。だからお願い、何があったのか教えてよ」

「そうだよ。今からじゃ遅いってことはないんだ。一緒に解決方法を考えさせてくれ」

 蒼色が首を横に振る。教師陣はそれを許そうとはせず、言葉を続ける。

 それを端から見ていて俺は、気持ち悪い、と思った。

『私、上辺だけの他人同士が、気を遣って笑い合っているのが心底気持ち悪く感じるんです』

 それこそ蒼色が嫌っていた気持ち悪いものだ。

 本当にこの教師たちは蒼色のことを考えて言っているのだろうか。生徒に死なれては困るという打算があるのではないか。別に悪いとは言わない。言わないが、この場に持ってきていてほしい考えではない。

 ……蒼色が言いたかったことってこういうことなんじゃないだろうか。

 生きることに向いてないとか何とか、自省に似たもので誤魔化していたけど、蒼色は単純に、純粋に、濁りのない感情が好きなだけではないのだろうか。

 気を遣って喋るとか、誤魔化しの苦笑いとか、そういうのが嫌いで、嫌いな相手だから軽蔑して、ホラー映画を見たから怖がって、みたいな真っ直ぐなものが好きなだけではないのか。

 だとしたら蒼色を説得して、価値観を変えさせようとするのはおかしいんじゃないか。

 俺には蒼色の死生観を肯定できない。でも全否定するつもりもない。自殺が常に選択肢に入っているっていうのは理解出来ない。だからってそれを否定する必要はないし、肯定してあげる必要もないと思う。共感も同情も理解も必要ない。

 教師陣がすることは結局は俺がやろうとしていたことだ。それを客観的に見れて良かった。

 自殺する相手に必要なのは向き合うことじゃない。

 俺がするべきことは……

 時間を確認して、そろそろタイムリミットの風が吹く気がした。蒼色と喋る時間がほしい。

 深呼吸すると、一息に人差し指をへし折った。

 指の付け根の強烈な痛みと背筋を駆ける嫌な熱。目を瞑り、もう一度へし折る。

 20秒。目を開ける。教師の台詞を遮るために、俺は人一倍に声を張り上げた。

「ねぇ!」突然の沈黙。

 視線が集まる中、俺は言った。

「俺も一緒に落ちてもいいかな?」

 教師が何か言うのを察して手で制した。蒼色は目を丸くして数回口をパクパクとさせる。

「な、何言ってるんですか。そんなデタラメな嘘、誰が信じるっていうんですか!」

「嘘じゃないよ」

 警戒されないように蒼色から少し離れた所からフェンスを越える。

 縁に立つと眼下には何もなくそこには恐怖心だけがあった。一歩ずつ蒼色との距離を縮めていく。先生たちが何か言っていてたが、俺の耳には届かなかった。

「何してるんですか! 馬鹿じゃないんですか!?」

「それ君が言う?」焦りを見せる蒼色に少し笑ってしまう。

 すぐ横まで行くと、俺はさりげなく眼下を確認してから蒼色の手を取った。

「俺さ考えたんだ。友達なら悪事をした時に叱って止めるとか、一緒に悪いことをするとか、そういう話があるけどさ、俺ならきっとどっちもしないなって。俺は友達の考えや価値観を尊重したい。きっとその友達にも色んな背景とか考えとか葛藤があって、悪事に手を出すことにしたんだと思うから。だから俺は肯定も否定もせず、友達の隣にいてやりたいなって思ったんだ」

 蒼色は何も言わず、黙って俺の顔を見ていた。

 先生たちの声が風に流され、空の中へと霧散していく。

 雲が流れる。呼吸が、鼓動が、瞬きが、歩くような速さで刻まれていく。

 風が吹いた。胸を押されて、体が傾いて、視界の全てが青に埋まる。浮遊感。聴覚が風音に潰され、恐怖心が胸に広がった。死ぬ。一瞬過ったその言葉が恐怖に煽られて、あっという間に頭を埋め尽くす。逃げるように目を瞑った。闇の中で鮮麗な悪意が襲ってくる。救いなどなにもないのだと語りかけてくる。そんな中、一つだけ。強く握られた右の掌だけが生きたいと願うように熱を持っていた。

 直後、落下の衝撃が体を襲った。

 ……痛い。けど、そこまで痛くない。

「ははっ!」まさか上手くいくとは思わなかった。

 恐怖が一瞬にしてなくなって思わず笑ってしまった。

 落ちたのは棒高跳びで陸上部が使っているエバーマットを重ねた場所だった。説得に失敗した場合を想定して、落下地点に【宝探しの隠し場所】と称して許可を貰って設置していたのだ。

 隣を見ると、同じように、いやエバーマットの存在を知らなかった分、俺より死の恐怖に近づいた蒼色が放心して空を見上げていた。何が起こったのか分からない様子でいた。

「言っただろ。一緒に落ちるって。流石に死ぬに気はないけどね」

 ようやく現状に追いついたのか、蒼色の表情が崩れていく。

「とりあえずさ、自殺するのはまた一週間後でいいんじゃないかな。きっとその頃には何か変わってるかもしれないだろ?」

 目尻が光ると、蒼色は両腕で顔を覆い隠した。漏れ出る感情がポツポツと声に出始める。やがてそれはダムが決壊したみたいに溢れ出て、彼女が好きな真っ直ぐな感情として声を上げた。

 駆け寄ってくる幾つもの足音。お昼のチャイムがからりとした空に響いていく。

 ……終わった。

 胸に溜まっていたものをふぅと吐き出すと、俺はここ数週間張り詰めいていた糸を解いた。

 知りたいことは山ほどある。でも細かいことはまた今度にしよう。

 目を瞑り、ゆっくりと深呼吸をする。

 今は隣で泣く女の子の声を聞いて、一人の人間を救ったことを実感していようじゃないか。

 温かい日差しで火照った肌を、秋の冷たい風が心地よく撫でていく。

 ――こうして、長い一週間は終わりを迎えた。


 ※


 私が謹慎処分になって一週間が経過しました。

 喜田さんによると文化祭はつつがなく終わりを迎えたらしく、実行委員長は閉会式で泣いてしまったそうです。

 その裏で私は説教も反省文もなく、一週間の謹慎を言い渡されました。親も妹も何か言いたそうにしていましたが、特にその件に触れることはありませんでした。ただ毎日、私の好物が食卓に並んだのは親の優しさなのだと思います。

 そして今日ようやく久しぶりの登校日です。残暑は完全になくなり、コートをいつ出すべきかのチキンレースの頃合いです。

 ところで私には声を大にして言いたいことがあります。そうです、文句です。

 あんなキザに格好つけた台詞を言い放って、私を救っておきながら、一週間丸々放置なんてありえないと思います。連絡先を知っているというのに。私の携帯との睨めっこの時間は何だったのですか。

 学校に行くと、想像以上にクラスの皆は歓迎してくれました。喜田さんや実行委員長に留まらず、名前も覚えていない男子までが、私が教室に入るなり「おかえり」と言ってきたのです。

 陰で鉄面皮と呼ばれている私でも流石に恥ずかしいというものでした。

 まぁそれはさておき、例のあいつです。二週間前、突然現れては私の中に土足で踏み込んできたあいつです。

 昼休みになると、私は教室を出ました。いつもの屋上へではありません。あいつがいるF組にです。食堂へ向かう生徒の波が本館から流れ込んできて、私は空中廊下で四苦八苦します。

 その途中で、私はハッとしました。たくさんのジャガイモの中からその顔を見つけることが出来たのは、脳裏に焼き付いたあのドヤ顔を覚えていたからに他なりません。

「あのっ――」

 思わず跳ね上がった声は大きく響き、彼だけではなく、多くの人を振り向かせました。彼と目を合わせると、驚いたように本当に自分なのか? とキョロキョロとし始めました。

 私は近寄り、見上げます。

「何で一週間も放置するんですか?」

 苛立ちに任せ口調を尖らせて私は言ってやりました。するとどうでしょう。

 頬を掻き、困ったように眉を曲げると、彼、翠伸葉は言いました。



 

「――えっと…… 誰、ですか?」  


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