【かそうとし。(2)】 朝比奈 涼
確かにこの施設はとても良いところだ。
あちらの世界にいるときは、なんでも思った通りにできる。なんにだってなれる。
どんなことでも、何をしても裁かれない。こんな素敵な場所があるのなら、もっと早く教えてくれればよかったのに。本当に俺はラッキーな男だ。
本当に、ここは天国みたいに、素晴らしい場所だ。
とても素晴らしい。本当に。
嘘じゃない。本当だ。
自分の意思でやろうと思えば、なんだってやれる。なんだって自由だ。
なのにどうしてだろう。
どうして俺は、こんなに泣いているのだろう。自分でもわからない。
俺はこんなにも永遠に自由なのに。やっと物語を合法的に生み出すシステムの一部になれたのに。なぜか涙が止まらない。
システムのカウンターが回って、どんどん数字が減っていく。
お前たちが作れっていうから作ったのに。お前たちの望むように作ったじゃないか。より残酷に。より悲惨に。次から次へと登場人物を不幸にして。どんどん過激になって。
なのに気がついた時には、閲覧数がゼロになっていた。
やりすぎたのだ。すべてが遅かった。
俺はただ物語が作りたかっただけなのに。どうしてこんなことに。
必要とされなくなった物語は死ぬのだろうか。ここにあるのに。俺の頭の中に、まだあるのに。
部屋がノックされている。白衣を着た男がやってきた。
「辞めてもよいですよ。というより、強制終了ですね」
桜堂という名札をつけた男に、急に腕を掴まれた。
「大丈夫です。しばらく実験体として使った後は、孤独死のご遺体として、きちんと餓死で死んだみたいに、それっぽく処理してあげますから。いらなくなった戸籍を処分する際に、遺書代わりの冒険日誌も、あなたのお知り合いの貞子さんと同じように、ちゃんと追加でご用意しておきます」
その手には、虹色に光る液体が入った注射器が握られている。
「大丈夫ですよ。孤独死なんて数が増えすぎて、もうありふれていますから。あなたが一人ぐらい消えたって、誰も疑問に思いませんから。ご心配なく」
白衣の男は俺に注射を打ちながら、にっこりと能面のように作り物めいた笑顔を浮かべた。
「あなたの代わりにこの方が、とても有意義な人生を過ごしてくださいますよ」
先生の隣にいる男の表情は、俺の顔にそっくりだった。
まさかこんなずっと殺される日々を、繰り返す羽目になるなんて、思いもしなかった。
なぜかこの世界は、ログアウトできないみたいだ。
おかしいな。こっちが偽物の世界だと思っていたのに。
まさか、こっちの世界こそが、やり直しができない世界だったなんて。そんなことないよな。
俺、やっぱり間違ってたのかな。わがまま言ったから、こんなことになったのかな。
でもさ、おかしいだろ。ちょっと残酷なことを妄想しただけで、精神的犯罪になるなんて。この世界のほうが狂ってる。
小説や漫画、映画やアニメが、子供の精神に悪影響を与えるからだなんて、屁理屈を並べられても、納得できねぇよ。
確かに昔の人が言ってたよ。「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」って。でも実際には、いくら想像できたって、それを実行に移せるやつなんて、一握りだ。
だったらお前らに聞きたいよ。お前らは今思い浮かべたことと、似たような物語を見て、全部実現できるのかと。
もし今誰かを死ぬほど恨んでいて、殺したいと思っているやつが、たまたま同じような相手を殺す小説や漫画、映画やアニメを見たからって、同じように殺したりできるか。できないだろ。
そんなことをできるやつは、物語というトリガーがなくても、いずれ犯罪を起こしている。ただの狂気という才能に恵まれた魔法使いだ。
誰だってあるだろ。やりたくてもやれないことなんて。
諦めて、くじけて、何もできずに後悔して。
人生のほとんどがその繰り返しだ。
みんなやりたいと思ったことをできないまま、惰性で生きてるやつがほどんどだ。
俺だって、その一人だ。
未来が見えなくて、凍えそうになってるようなやつですら、その先を知りたいと思わせて、一瞬でも現実世界を忘れさせる。
それが物語の力だ。
この作品の続きを読むまで死ねない。
すべてを見終えるまでは死にたくない。
そんな些細な気持ちが、明日を生きる力になっていることだってあるんだ。
物語は人を救ってるんだぞ。
なのに、妄想で作られた創作世界が、現実に悪影響なんて主張するやつは、頭が湧いてんのか。
お前らこそ、現実とフィクションを混同しているじゃないか。
中には子供にはニュースのほうが為になるなんてぬかす親すら、世の中にはいるらしいじゃないか。
ふざけてんのか。毎日現実世界で起こっている凶悪犯のニュースを垂れ流しているほうが、よっぽど害悪じゃないのか。
実際に存在する人間が、家族や恋人や友達や上司や部下を殺していると、毎日刷り込みを続けているニュースのほうが、よっぽど子供に悪影響があるし、タチが悪いだろ。だって、その犯罪がリアルに行われたという事実を、毎日証明し続けているんだから。
子供たちに向かって「あなたの隣人は犯罪者ばかりだ」と、「人間とはこんなにも卑劣なことができる」と、毎日刷り込むことが、子供になんの影響も与えていないとでも思っているのか。子供たちに、「お前だって同じような犯罪ができる可能性があるんだぞ」と、言い続けていることの恐ろしさを理解していないのか。
だって絵空事じゃないんだ。現実に存在する同じ人間がやった犯罪なんだから。フィクションの物語より、よっぽどノンフィクションのニュースのほうが、犯罪者育成装置として効果的じゃないのか。
反面教師だとでも言うのなら、なんで残虐なニュースの垂れ流しは許されて、フィクションだけが規制されるんだ。意味がわからないよ。
やっぱりこの世界は狂ってやがる。
なぁ貞子、ずっと戦ってばかりいないで、教えてくれよ。
この世界の終わらせ方を。
お願いだから、助けてくれよ。
もう悪いことはしないから。心を入れ替えるから。
だから、誰か助けてくれ。
だって俺は、弟の友也を、殺しにいかなきゃならないんだから。
アラームが鳴った。ゲームの時間は終わりだ。
食事の受け渡しをする小窓の前に立った。足跡のマークがあるところにしばらく立っていないと、扉が開かないようになっているらしい。これでは餌をもらうために、尻尾を振りながら待っている犬のようだ。
情けない。どうして俺がこんな目に。
出てきたのは、トレイに置かれたサボテンだった。
割れた植木鉢と土の重みで、サボテンだけではなく、せっかく咲いた花も潰れている。
きっと、誰かにもらったものだ。だが、思い出せない。
ゲームが終わると、いつもこうだ。
ナンバー85のせいだ。俺の記憶を捏造だなんて言いやがるから。
時間が経つほどに、どんどん記憶が曖昧になっていく。
自分の名前さえわからない。
割れた植木鉢と、潰れたサボテンをゴミ袋に入れようとした。サボテンのトゲが刺さって、指先から小さな赤い血が球のようになって溢れてくる。
こんなゴミみたいな人間でも、ちゃんと細胞は生きてるんだな。そう思ったら、なんだか笑えてきた。なのに不思議と、頬には涙が流れていた。




