【きょぜつとし。】 きりさき さだこ
冒険日誌 八五日目 「空間ジャンプ」
いつも予感がする。
またどこかへ飛んでしまいそうな。そんな予感だ。
うまく言えないけれど、頭のつむじがムズムズして、気持ちがソワソワしてくる。
すると決まって地震が発生する。ほかの人はあまり気が付かないぐらいの、震度1か2程度のとても小さな地震だ。地震の揺れが収まると、何もなかったはずの空間に、虹色の蝶々が見える。
それが合図だった。
いつの間にか、あたしは違う場所に立っている。夢なんかじゃない。本当に違う場所に飛んでしまう。それがあたしの体質のようなものだった。たぶん何かの不具合で、座標がずれてしまうのかもしれない。きっと幽体離脱をする人や、神隠しにあったという人たちも、同じようなシステムのバグのせいなのだろう。
今日もその予感がやってきた。
教室で書道の授業を受けていたはずなのに、気が付くとあたしは違う場所を歩いていた。外は真っ暗だ。小さなライトが足元を照らしている。
なんだか苦しい。少し歩いただけで息が上がる。
ライトに照らされた石碑のようなものを見ると『富士山』という文字が見える。大きな鳥居も見えた。どうやらここは富士山の山頂らしい。
しばらく歩いて目的の場所についたのか足を止めた。地平線から朝日が昇り始めている。それをずっと眺めていた。
漆黒の空が徐々に明るく青白くなり、やがて赤みを帯びてくる。どんどん色が移り変わって、空にグラデーションを作り出した。雲が朝日を照り返し赤く染まっていく。
光が眩しい。とても綺麗だった。
いつの間にか手にしていた釣竿に、当たり前のように星屑の餌をつけ、雲の海に投げ入れる。空を泳ぐ虹色のサメや、透明に骨が透けているカジキを、何匹も釣り上げた。
だが、その度に背後に控えている青いライオンたちに食べられてしまう。それでもあたしは釣りを続けた。ずっと、ずっと荒唐無稽な釣りを続けていた。
あたしはしっかりと記憶に焼き付ける。忘れないように。あとで文章にできるように。
なぜだかわからないけれど、この景色を見た感動を誰かに伝えないといけない、そんな気持ちにいつもさせられる。
もちろんそんな友達なんてどこにもいない。いつもひとりのあたしが、誰かに伝える必要なんて、これっぽっちもないはずだ。でもそう感じるんだから仕方がない。だからあたしは記憶する。カメラのシャッターを切るように。
巨大な白い鯨を釣り上げて、いつの間にか鯨の形をした雲に乗って、空を飛んでいた。
大きな街、小さな村、飛び越えていく場所に、たくさんの人間が暮らしていた。
この人たちがみんな、自分の意思を持って、それぞれの人生を歩んでいるなんて。当たり前のことなのに、なんだか怖かった。
無意識のうちに、誰もいない場所を求めて、空を飛び続けていたら、見覚えのある船みたいな形の島が見えてきた。
軍艦島だ。あたしの祖父は読書が好きだったが、廃墟もまた好きだった。その中でも、一、二を争うぐらいに好きなのが軍艦島だと、聞いたことがある。
もしここに祖父も連れてこられたら、きっと喜んでもらえるだろう。
そんなことを考えながら、何度も瞬きをした直後に、あたしは教室に戻っていた。
うっかり墨汁のボトルを倒してしまい、半紙に書きかけだった『未来』という文字が、真っ黒に染まった。
「貞子さん、また別の世界を旅してきたのかな。ただでさえ君は、存在感が空気なんですから、心までどこかへ行くと、消えちゃいますよ」
担任の桜堂先生がそう言うと、クラスメイトがクスクスと笑っている。先生はあたしのことをいじると、クラスメイトに受けが良いと学んだのか、ことあるごとにあたしを馬鹿にする。
あたしがなにか良いことをした時は黙認するくせに、失敗をした時に限って、あたしの行動をピックアップする。笑い者にされているあたしを見たクラスメイトはみんな、担任のお墨付きをもらったと思って、安心してあたしをいじめてくる。
しかもほかの生徒は苗字で呼ぶくせに、あたしだけ貞子と下の名前で呼ぶ。みんなにからかわれているのを知っていて、わざとその呼び方をチョイスをしているのだ。意地が悪い。性根が腐っている。先生こそ、愛子なんて素敵な名前に似つかわしくない。最低な女だと思った。
でもあたし以外の生徒には慕われている。だからあたしが文句なんて言えるわけもない。いじめられっ子に人権などないのだ。
こんなことはよくあることだ。誰かに殴られるわけでもない。ナイフで刺されるわけでもない。ただ笑いものにされているだけだ。
もしあたしが腹いせに自殺なんてしたって、「こんなしょうもないことで死ぬことないのに」って、もっと笑い者にされるだけだろう。
だからこそあたしの人生は、やっかいなものになっている。
靴の中がずっと水浸しになる呪いにかかっているようなものだ。つらいと訴えたところで、「そのぐらい我慢出来るでしょ」と思われる。
誰も助けてくれない。あたしの人生はたっぷり詰んでいる。
もし本当にあたしに特殊能力があるのなら、空間ジャンプなんてあまり役に立たない能力よりも、時間を操れる能力のほうが欲しかった。そうしたら時間を止めて、こいつら全員に、墨汁をぶっかけてやれるのに。
なんなら、気に入らないやつのエネルギーを吸い取って、あたしをいじめるみんなを、ミイラみたいにしたり、嫌なことしか起こらない学校を消しちゃったりするのもいいかもしれない。
昔のSF作家も言っていたじゃないか。「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」って。ジュール・ヴェルヌが本当に言ったかどうかは知らない。でもいつか、本当にできたらいいのにな。思うだけなら自由だ。
学校というのは、あたしにとって少しずつ心を殺すための場所でしかなかった。
先生も教科書もクラスメイトも助けてはくれない。みんな仲良くしましょうと繰り返すだけで、仲間外れにされている子が、バイキンみたいに扱われていても、黙って我慢するしかない。ここはそういう世界だった。
だからあたしは生きるのが面倒臭くなった。
時々この世界から透明人間みたいになって、消えてしまいたいと思うときもある。もちろんそんなことを言ったら、また変な奴だと思われるから、誰にも言ったことはない。
毎日をやり過ごしているだけだ。できるだけじっとして、静かに黙っていて、せめて空気みたいになって、存在を消しながら死んだように生きているだけだった。
今日もいつものように心を殺しながら、午前の授業を受け、トイレで弁当を食べ終わると、午後の授業も空気みたいにやりすごした。やっと全ての授業が終わって、逃げるように家に帰ってから部屋に閉じこもると、ノートを開いた。
いつものように、空間ジャンプをしたときに見た風景を思い出しながら、新しい物語を書き始めた。富士山の頂上で見た朝日と、移り変わる空の色、不思議な釣りをした経験から連想される妄想を、何枚も何枚も描いた。
あたしが見てきた景色のことを、いくら話しても誰も信じてくれない。だからあたしはただ見てきた風景を物語にすることにしていた。
言葉を口に出して説明すると嘘つきにされる。けれど自分が見た綺麗な景色や、不思議な現象は忘れたくなかった。だったら見たものを物語にすることぐらいしかできない。
勉強もスポーツもできないけれど、文章を書くことだけはできる。両親にも先生にも褒められたことはないけれど、物語さえ書いていれば、嘘を言ったと怒られることもないし、誰かと話して嫌な思いをすることもない。
だからあたしは何も言わずに、物語を書くことにした。文章を作ることだけが、あたしがこの世界に存在していることを証明するための、最後の砦だった。
突然訪れる空間ジャンプの予感が、最初は面倒だったけれど、最近は少しだけ待ち遠しくなってきていた。
まだあたしが見たことのない美しい景色をこの目で見て、新しい物語を書いているときだけ、あたしは自分が生きていると感じていたのかもしれない。
スマートフォンが振動した。メールが届いたようだ。青い文字が表示されている。
「外に出ないと、消されますよ。逃げてください。あなたが存在するために」
最近噂になっているブルーメールだ。
青い文字のメールを受け取った人は、翌日までにはいなくなるという。しかもそのメールが届くのは、きまってもうすぐ十歳になる小学生ばかりだ。明日はあたしの十歳の誕生日だった。
噂では十歳になった時点で、この世界に必要ないと判断された者は、強制的に排除されるという。命を選んで消していかないと、この世界がいっぱいになってしまうからだろう。
あんな小さなクラスですら、あたしは存在してはいけないのだから、この世界にとっても、いらないと言われるのは、仕方がないのかもしれない。
いつもそうだ。あたしが何かをすると、きまってそれを邪魔するようなことが発生する。こんな十歳で消えるなんてルールは、つい最近できたものらしい。あたしがこの世界で九歳からのスタートを選んだ途端に、そのルールができたようだ。
いつものことだ。何をしたって、あらがうだけ無駄ということなのかもしれない。いつだってあたしの人生は邪魔をされる。
今日が八五日目というのは、何かの暗示なのだろうか。
昔、祖父にもらった『老人と海』という小説の中で、「人間は負けるようには造られてはいないんだ」というようなセリフがあった。けれどあの老人だって、ライオンの夢を見ていたではないか。
あたしもまたライオンの夢を見ているだけなのかもしれない。
やっとあたしも合法的に消えることができるのだろうか。笑ったつもりだった。でもうまく笑えない。笑いたいのに笑えなかった。涙が止まらなくなった。
世界があたしを拒絶しているのか。それともあたしが世界を拒絶しているのか。どうやったらあたしはこの世界に存在しても良いと認められるんだろう。
わからない。いくら考えても答えが出なかった。考えすぎて頭が痛くなった。今さら考えても意味はないのかもしれない。気が付いた時には、もう日付は変わっていた。
頭痛がひどくなるにしたがって、窓から見える街がどんどん青くなっていった。ビルが、道路が、ペンキを塗ったみたいな、クリアな青に塗り替えられていく。
周りのすべてが青く染まった瞬間、あたしはこの世界に戻ってきていた。あちらの世界に、もうあたしは必要ないらしい。
長い時間をかけてわかったことは、結局、どこの世界もあたしにとっては地獄だったということだけだ。
あちらの世界では、今度こそ夢を叶えるつもりだったのに。何をやってもうまくいかない。そんなに世界はあたしを必要としていないのか。
虚しいという言葉は、あたしのために存在するのかもしれない。
せめて死ぬ前に、何かを残したい。そう思ったあたしは、不要なモノをはじき出す世界に、『呪い』をまいてきた。
こんな世界なんて終わってしまえばいい。
みんな消えちゃえ。
あたしをムカつかせたやつは、みんな消えればいい。
その願いは、きっといつの日か、世界を終わらせてくれるだろう。
そうすれば、明日はいい日になる。
新しい素晴らしい世界が待っているはずだ。




