【ていへんとし。(3)】 桐崎 柊一郎
「何を言ってんだか。まだ二十歳そこそこの学生だろうに」
冗談だと思っているようだ。わたしだってあの薬の効果を見ていなければ、人間が若返って、本当に第二の人生が歩めるなんてことは、絶対に信じなかっただろう。
「ほどほどにしとけよ。好奇心は人を殺すって、ことわざなかったっけか」
「猫ですよ。好奇心は猫を殺す。Curiosity killed the cat.イギリスのことわざですね」
「その猫のやつだ。あんまりあぶねーことに、首をつっこまねぇようにな」
「自分、悪運だけは強いんです。そう簡単に死にませんから」
普段はあまり運が良くないくせに、悪運だけは強い。おかげで今もこうして生きている。
人間は案外簡単に死ぬが、わたしは死なない。虫けらのように戦場で死んでいった、あいつらのようには絶対にならない。
「わかったから、そんな怖い顔すんなよ」
また表情を間違えたようだ。戦場でほとんどの感情を壊しながら、わたしは生き延びてきた。その代償は思ったよりは大きかったのかもしれない。
笑いながら攻撃すれば、相手は怯むか困惑する。稀に逆上する者もいたが、誰もが必ずと言っていいほど一瞬の隙ができる。化け物じみた相手の真意を分析をしようと、思考が一時的に別のことに使われるからだ。
その隙を狙って攻撃すれば、生存率が上がると気が付いてから、わたしにとっての表情は、感情とはリンクしないことが増えてしまった。まだまだ調整が必要なようだ。
「おい、ぼーっとして、大丈夫か。熱中症になりそうなら、ちゃんと水分補給しとけよ」
「大丈夫です」
部屋にこもった熱にうなされたのか、つい昔を思い出して、余計なことを考えすぎたかもしれない。まだ若返った体に慣れていないのか、次から次へと、汗が滝のように流れてくる。無意識のうちにシャツで汗をぬぐっていた。
「どうしたんだ、それ」
わたしの腹部を見て、男が言う。
左脇腹には、二十センチはある縫い目が深く刻まれている。
いくら最新の良い薬を使っても、年季の入った傷の場合は、新しく活性化した組織と馴染んで完全に治りきるまでは、かなり時間がかかるらしい。今開発中の新薬なら、もっと効果が上がるという話だった。それの完成を待つしかない。
「ちょっと昔……」
「昔?」
「いや……サバイバルゲームで、少しやらかして」
わたしはまた嘘をついた。そろそろ嘘をつくのにも、慣れてきたような気がする。
この傷は戦場で負った傷だ。飢えで錯乱した仲間が、寝ていたわたしを野生動物だと思い込んで、肉を剥ごうと切りつけてきた時に出来たものだった。わたしは出血と痛みで朦朧としながらも、相手のナイフを奪い、喉元を切った。
誰も責めなかった。どうしようもなかった。
麻酔すらなしで、何度も失神しそうになりながら、傷を縫われた時の痛みは、未だに忘れられない。
初めて仲間を殺した興奮もまた、脳裏に深く刻まれている。きっとわたしにとっての分岐点があるとしたら、あの瞬間だろう。
「あぶねーな。あんまり若いからって、無茶すんなよ」
曖昧な笑顔を浮かべるしかなかった。
わたしだって好きで戦場に行ったわけじゃない。あの頃のわたしたちには、選択肢なんてなかった。
だからこそ、生ぬるい生き方をしているやつを見るとヘドが出る。なぜもっと真摯に生きようとしないのか。
すぐに死にたいなどとぬかし、簡単に死を選ぶものが多すぎる。まったく理解ができない。今の平和な時代は、戦場で命をかけて戦った、わたしたちの犠牲の上に成り立っているというのに。
「もしかしてお前、人を殺したことでもあんの」
「え?」
「こういう仕事してっとさ、やべーやつと知り合うことも結構あるんだよ」
男は指先を、まっすぐにわたしの瞳に向けた。
「あんたみたいに綺麗な顔したお坊ちゃんが、実は猟奇殺人の犯人だったなんてこともあってさ。サイコパスっていうのかね。人を殺した翌日も、普通に何事もなかったみたいに仕事を手伝っててさ。なんか似てるんだよね、そいつに、目が」
さすがに眼光までは、整形手術で偽装をすることが難しい。気をつけなければ。
「やめてくださいよ。自分は……普通の人間ですから」
「もしかして、その傷、狩ろうとしたおやじに、反撃されたときにできた傷とか、そういうのじゃねぇだろうな」
「だから違いますって。むしろ今なら、おやじ狩りっていうより、老人狩りをしたほうが、よっぽど金持ってそうですけどね」
「老人狩りか。確かに、それもそうだな。つーか、よく考えたらオレ、取られて困るほどの金、持ち歩いたことなかったわ」
男は酒焼けした声で、ガハハと豪快に笑う。
この国で一番金を持っているのは、間違いなく老人だろう。あとは一握りのセレブのみ。富は集中し、格差は広がっていくばかりだ。
この男だって、これからいくら真面目に働いたところで、ずっと貧乏なままだ。富の再分配なんてものは起こり得ない。未来永劫ずっと。人間が強欲である限り。
「そういや、最近は金持ちの老人だけが入れる、えらいでっけー複合都市ができたみたいだな。老人都市って呼ばれているらしいんだが、お前、知ってるか」
「……老人都市?」
世間ではそんな風に呼ばれているのか。確かに今は、老人だらけの都市になっているが、新しい計画が順調に進めば、いずれは理想都市とでも呼ばれるようになるかもしれない。
「富士の樹海のど真ん中にあるって噂らしいけど、正確な場所はクソ高い入会金を払わないと、教えてくれないんだってよ。東京直通の専用地下通路からじゃないと行けないって噂もあるし」
「いかにもセレブ御用達って感じですね」
「まぁ金のないオレみたいな貧乏人には、縁がないところだろうけど」
実際にあの施設は地図には載っていない。航空写真で撮影したところで、ただの森が広がっているようにしか見えないだろう。施設はすべて地下に作られているのだから。
「この前、うちの娘がさ、そこの医療施設に転職したらしいんだよ。結構良さげな給料で雇ってもらえたって、えらい喜んでてさ。やっぱ金持ち相手だから、羽振りが良いのかね」
いくら情報統制をしたところで、ある程度は表に情報が漏れるのはしょうがないのだろう。だがいくら金のない貧乏人が、その情報を仕入れたところで、その先には進めない。最低限の料金を支払えない者には、地下通路のゲートすら開かない。
わたしは所長に出会えたから、特別ルートであの都市に招かれ、薬を手にいれることができたのだ。そういう意味では、やはりわたしは運が良いのかもしれない。
「こっちはあらかた終わったかな。そっち手伝おうか」
「大丈夫です。あと少しですから」
最後に開けた段ボール箱には、冒険日誌と書かれたノートが入っていた。中身をパラパラと見てみると、下手くそな文字が書かれている。
夏休みの日記帳のような、日常の生活を記録している記述のほかに、遊んでいたオンラインゲームの内容でも実況中継しているのかと思うぐらい、荒唐無稽な描写がつらつらと書かれているページもあった。
小説や漫画のネタのような、設定を書きつらねた部分もいくつかあるようだ。子供の頃に思いつくままに、自由にメモをしたものなのかもしれない。
いわゆる黒歴史というやつだろうか。きっとこんな赤の他人には、一番見られたくなかった類のものだろう。
ほかには、古いアルバムが数冊、むき出しの写真が何枚か残っていた。考えるまでもなく、これもまた明らかにゴミのようだ。
写真をいくつか見ると、生真面目そうな銀縁メガネの学生が写っていた。集合写真では、ほとんどが隅っこに立っているものばかりだ。たった数枚の写真ですら、孤独という感情しか伝わってこない。写真という過去を切り取る投影は、実に残酷な技術かもしれない。
「子供時代の写真しかありませんね」
「そりゃ学生時代から引きこもってたらしいし、写真なんか撮ることなかったんだろ。それに昔と違って、今はあんまりプリントしないしな」
「遺品整理で写真を捨てるなんてことも、いつかはなくなるんですかね」
「それでいいんだよ。思い出なんて、本人にしか価値がないんだから。いくら思い出をかき集めたところで、あの世には持っていけないだろ」
「まぁ……そうですけど」
きっとこの渡辺という男も、いずれ名もなき、ただのゴミとして死んでいくのだろう。わたしだって所長との奇跡の再会がなければ、きっと同じ運命だったはずだ。
「何も残せず、誰にも看取られず、自分の思い出をゴミみたいに捨てられる人生って、なんなんですかね。こんな人生、自分は絶対に……嫌だな」
人間の思い出の品は、そのほとんどが燃える素材でできている。死んでからもなお、二酸化炭素を増やして、他人に迷惑をかけるなんて。
やはり選別作業を早く進めるべきという所長の言葉は、正しかったようだ。
どこまでもゴミはゴミなんだな。
そんな風に思いながら、わたしは古いアルバムと写真を、燃えるゴミの袋に投げ捨てた。
ふいにスマートフォンが振動し、ビクリとする。
どうやら所長の桜堂からメッセージが届いたようだ。朝比奈という落札予定者について話があるから、夜までに施設に戻ってこいということらしい。短く「了解」とだけ返信しておいた。
ついでに先ほど玄関で撮影した、『予言の書』の画像を確認する。
書類の末尾には、万年筆の書き込みがあり、「外に出ないと、消されますよ。逃げてください。あなたが存在するために」と記されている。
やけに達筆な草書体の文字だ。不特定多数の人間にメッセージを伝えたいのなら、読みやすい普通の楷書体を使うべきだろう。やろうとしていることと、やっていることがチグハグだ。相手を気遣っているようで、自分本位という矛盾した人物像が透けて見える。
学生時代に、愛子という女からもらった恋文の書体に似ている気がした。所長の桜堂にあとで確認したほうが良いだろう。