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ろうじんとし。  作者: 夢手機ノヒト
29/41

【てがみとし。】 五宮 スミレ

 「過去の友人からのお願いと意見」 桜堂 愛子さんへ


 お久しぶりです。スミレです。

 返事を出そうか出すまいか、相当悩みましたが、出すことにしました。


 先日年賀ハガキを送ってくれて、どうもありがとう。


 でも、正直、素直に喜べませんでした。相変わらず達筆な草書体でびっしり書くのは結構ですが、老眼の私には読みにくいです。


 内容も「それってどうなのよ」と思わず、つっこまずにはいられない所がいくつかありました。それだけではなく、今こそ「はっきりさせておくべきこと」があるということにも気づかされました。大きなお世話だとは思いますが、しばらくお付き合いください。酷い言葉も多々ありますので、先に謝っておきます。ごめんなさい。


 では、まず、小さな所から。

 あなたが見たという絵本は『100万回生きたねこ』ですよね?


 あなたがハガキに書いたような『100万回死んだねこ』なんて題名はないと思います。少なくとも、人に感動したと教えるぐらいなら、題名ぐらいきちんと覚えておくべきだと思います。本当にそんなレベルで、小学校の先生をしていたのですか。信じられません。


 次、ここからが本題です。

 あなたはハガキにこう書いてます。


「スミレちゃんに教えて貰った本も途中までしか読んでなくて どうなったかわかんないまま気になってます。また古本屋でさがしちゃおうかな」


 これはいったい、どういうつもりで書いたんでしょうか。

 確かに、私が学生時代にいろんな本を薦めた覚えはあります。


 でも、人に薦められたものをきちんと読みもしないで、何十年以上もほったらかしにしておいたことを、わざわざ報告してくるという、その神経を疑ってしまいます。


 自分が同じことをされたらどう思うか、少しは考えたことがありますか。


 もしかしたら、友達だから「何十年も前のことを覚えている」ことをアピールしたかっただけなのかもしれません。でも、それだったら、きちんと読んで感想を書いてくるのが正しい「友達」の姿ではありませんか。むしろ、読んでいないなら、このことは一切書かないでいてくれたほうが親切なくらいです。


 なのに、どうやら私の思いは、きちんと届いていないようですね。

 その後あなたが私がおすすめしたらしき本を、わざわざ探して読んだというのはわかりました。


 でも、私が返事の中で言いたかったのは、そういうことではありません。あなたが今さら本を読もうが読むまいが、私にとってはどうでもよいことです。


 しかも「探したけれど、今はもうおいてない所がほとんどであきらめていた時、知り合いの家に全巻そろっていて、それこそ明日ゴミに出そうと思っていたのよ……って言われて。ようやく全巻ゲットしました」って、なんなんですか。まったく。


 あいかわらず無神経さには抜きんでていて、驚きを隠せません。

 きっと、あなたは探すのに苦労したというアピールのつもりなのかもしれません。


 が、読んでいる方としては、おすすめの作品が「明日ゴミに出そうと思っていた」と誰かに思われていたこと自体がショックですし、そもそも、わざわざ知らせる必要のない情報で人を傷つけるなよと思ってしまいます。


 もしかして、これは私が返事の中で言った嫌みの数々に対する反撃のつもりだったりするのでしょうか。そうだとしたら、少なからず私は不機嫌になったので、反撃には成功していると思います。よかったですね。


 それだけでは飽き足らなかったのか、あなたはこんなことまで書いてます。


「なにかおすすめの映画とかあったら教えて下さい! マンガでもいいし」


 あまりの鈍感さに驚いてしまいます。

 この人は、自分の文章を読み返したことはないのだろうか……と不思議にさえなりました。もしかすると、あなたはただの社交辞令のつもりで書いたのかもしれません。でも、私にとっては「人として」おかしなことを書いているとしか思えませんでした。


 よく考えてみて下さい。

 何十年も前に薦められたモノさえ、ろくに読んでない人に、どうして、自分の気に入っている作品を、誰がわざわざ教えようと思うでしょうか。少し考えれば、あなたの文脈がおかしいことはわかるはずです。


 あと、毎度飽きずに「これからやりたいこと」を報告してくれますが、今回は、「お菓子作りに挑戦したいのです」と書かれていますが、確か、これ、前に届いた年賀ハガキにも同じことを書いてありましたね。

 あれからもう何年も経っています。


 それなのに、まだやりたいことは実行されていないのですか。まるで小学生が作る夏休み前の計画表みたいですね。やりもしないことを、やりたいやりたいと口でいうだけというのは、良い年をした大人として、どうかと思いますよ。


 そんな馬鹿げた報告を、何度も聞かされる、こちらの身にもなってください。

 こんな風に、手紙やハガキに書いたようなことを、あなたは他の人にも、口でしゃべったりしているのでしょうか。


 もし、普通の会話でも、こんなあまりにも「人の気持ちに鈍感で無神経な」言葉を平気で使っているのでしょうか? それとも、一方的な手紙やハガキだからこそ、何を書いても良いと思っているんでしょうか。

 どちらにしても、人格を疑いたくなる行為といえます。


 前に、あなたがいくら手紙やハガキを書いても、返事がこないと言っていましたが、その理由はこのようなことが原因ではないでしょうか。


 まず、あなたの書く手紙は、表面上は相手のことを気遣った、丁寧な言葉で始まります。でも、手紙の性質上、その言葉は一方的です。


 もちろん、返事がこないので、どんどん一方的に拍車がかかります。その上、長い間相手の情報が欠落しているので、いくら相手のことを気遣っても、化石相手に会話をするくらい、劣化した気遣いになっています。


 でも、そのことにあなたは気づかぬまま、「自分は気遣いができている」という自分に酔った状態の、むなしい相手への気遣いは果てしなく続きます。


 それが終わると、今度は自分の近況報告になります。

 あれをした、これをした、うんぬんかんぬん。


 普通は、相手が有名人だとかでもない限り、相手の近況を知ったところで、ものすごく興味があるわけでもなく、なんら得をするわけでもないし、「あぁそうですか」程度の感想しか浮かびません。


 もし、その文章が作家のエッセイ並みにおもしろいなら話は別ですが、たいがい、素人の文章を読んで、おもしろいなんてことは滅多にありません。


 そうなってくると、相手にとって他人の近況報告なんて、ただの季節の挨拶程度の意味しかないことになります。


 もちろん、小さい頃は手紙という方法で近況報告をすることは楽しかった気がします。でも、それは、昔は伝達手段も限られ、娯楽も少なく、手紙の性質をよくわかっていなかったからこそのことです。


 年齢を重ねると普通は気づくと思うのですが、結局の所、手紙による近況報告というのは、自分の自慢話にしかなりません。特に年を取ってからは自分の病気や、身内の揉め事を書き連ね、自分がいかに大変かをアピールするような不幸自慢合戦が、繰り広げられることもしばしばです。それに気づいてから、私は「近況報告の為」に「手紙を書く」という行為をやめました。


 自分で自分が恥ずかしくなったからです。


 要するに、手紙を書くという行為は、表面上は、「相手のことを気遣う」という体裁をとっていながら、「自分のことを知ってもらいたい」「自分の生活を見せびらかしたい」というエゴ丸出しの承認欲求を満たすために、一方的に書く文章を強引に相手に押しつけることにほかなりません。


 そんなものをわざわざお金を出してまで、遠くにいる他人に送りつける必要はまったくないわけです。

 そんなことは身近にいる、旦那なり子どもなり、家族に話せばすむ話です。


 それなのに、あなたは、なぜ、まだ、そんなに「自分をまき散らしたい」のですか。むしろ日常生活で満たされていないのかと、逆に勘ぐりたくもなります。


 私は、平凡な日常であっても、毎日少しでも楽しいことを見つけながら、昔の自分に笑われないように、でも、昔の自分にしがみつくことなく、つねに成長していたいと思いながら、日々静かに過ごしています。


 そんな私からすると、あなたのように、「友達」という印籠を振りかざし、いつまでたっても何十年も前の幻にしがみついているようにしか見えない行為が理解できません。


 あと、いつも手紙をもらう度に思うのだけれど、あなたの手紙やハガキって一種の「過去からの脅迫状」みたいなものなのですよ。


 こちらは、ちゃんと何十年も経った「今」を生きているのに、あなたはいつまでたっても「過去」を押しつけがましく、しかもガサツに切り取っては、こちらへ送りつけてくる。


 これがコミュニケーションだとでも思っているのでしょうか。


 そんな勘違いのコミュニケーションは身内相手にやっていればいいと思います。過去のしがらみから解放されたい私のような人間を、鎖でつながないでほしいのです。


 あなたのやっていることは、とうの昔に親離れした息子をいつまでたっても、マザコンと思い込み、幼児のように扱おうとする母親の行為とさして変わりません。


 やっている本人は、「相手を心配して」だとか「気遣って」いるつもりでしょうが、やられている相手にしてみれば、見当違いの大きなお世話を、押しつけがましく繰り返されているだけにすぎません。「気遣うフリをしながら」「人の土壌に踏み込む」のが当たり前と思っているあなたの行為には、残念ながら疎ましさしか感じられません。


 だから、もう、今後、手紙やハガキを送ってこないでほしいのです。


 こんなことを言うと、酷い奴だと思われるかもしれません。確かに、あなたが傷つくのをわかってこんな手紙を書けるほど、私は酷い人間です。普通の大人なら、相手がどんな手紙をよこそうが、知らないフリをして、見過ごして、ほったらかしにするのでしょうね。


 でも、私は、いつまでたっても根が子どもなので、間違っていると自分が思うことをそのままにすることができませんでした。


 こんな不自然な形で「友達」付き合いを続けるのは、間違っていると私は感じました。

 だから、もう終わりにしてほしいと思ったわけです。


 あなたと過ごした以上の年月を、別の人生として「今の私」は生きてきたわけで、もちろん、「私」が「私」であることにかわりはないけれど、でも「あなたが知っている私」はもう存在しないわけですから。


 もう、いい加減、過去にしがみつくのはやめにしませんか?

 確かに、私たちは「友達」でした。


 でも、今の生活に、その「友達」関係は、お互いにとって何の必要もないと思います。

 それぞれ、すぐ近くに大事な人がいて、その人間関係を築いていけば、それで良いのではないでしょうか。


 毎回あなたのハガキを読むたびに、嫌悪感と脱力感に襲われます。手紙やハガキが届けば届くほど、あなたのことが嫌いになっていく気がします。


 だから、もう、ほんと、お願いだから、手紙やハガキは送ってこないでください。

 これ以上、あなたのことを嫌いにさせないでください。


 過去の美しい記憶を汚さないでください。

 お願いだから、私のことはそっとしておいてください。


 本当の本当に、お願いだから、私のことは忘れてください。

 新しい人生を歩みたいのです。一刻も早く、生まれ変わりたいのです。




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