【かんさつとし。(2)】 桐崎 貞子
風呂から助けられた涼くんは、すぐに意識を取り戻し、命に別状はなかった。
あの後、スミレさんはあたしの後を追うように、わざわざ涼くんの様子を見にきていたらしい。大型犬の真っ白なサモエドを連れて、医療フロアまでくるなんて。なんて自分勝手なのか。
自分の部屋から出さないという条件で、飼い犬の申請が通ったというのに、いつまでたってもルールを守らない。相変わらず、やりたい放題だ。おかげで犬嫌いな涼くんが、逃げ出したり面倒なことになった。
涼くんはポイントシステムのことすら、まだ理解していないようだったので、わざと髪を切るというミッションを発生させてやった。
これで彼のポイントはマイナスだ。事故死へのルートは、発動しやすくなったことだろう。これで自殺ルートに賭けたスミレさんの一億ポイントは、無駄になる可能性が高まった。
あたしたちスタッフは、老人様からポイントを巻き上げることに貢献したとAIに査定されると、ボーナスがもらえる。だから表向きは協力しているような愛想を振りまいておいて、実際には裏で老人様たちがポイントを失うように、いろいろと行動していることも多い。
最初は騙すことに気が引けていたが、今では罪悪感もない。どうせ余るほど持っているのだ。少しぐらい損をしたところで老人様たちは、痛くもかゆくもないのだ。巻き上げたポイントの一部が、自分の持分になるなら、自分の未来のために、やれることはやる。ただそれだけだ。
特にスミレさんは自分が運が良いと思い込んでいる。だから大穴にわざと賭けがちだった。ポイントを大量に失っているのに、たまに大当たりをした時のことしか記憶していない。
施設にとって実に良いカモだった。いくら見た目が綺麗になり、思考が回復したとしても、知性までは金で買うことはできないようだ。
涼くんの誘惑に失敗し、スミレさんの部屋に戻ろうとすると、ちょうど若い男が出てくるところとすれ違った。あまり見たことのない優男だ。老人様を意味するRから始まるナンバープレートを胸につけている。新しい戸籍を最近落札した老人様だろうか。顔のお直しをしている最中なのかもしれない。少しだけ涼くんに似ている気がした。
部屋に入ると、スミレさんは服の乱れを直しているところだった。ロンダリングした戸籍で、別の男と結婚することが決まっているというのに。それまでにたっぷりと他の男とも遊んでおこうということだろうか。何重にも裏切られる運命が待っている結婚相手には、同情しかない。
「早かったのね」
「次からは、訪問時間の前に、ご連絡したほうがよろしいでしょうか」
「前の子と違って、あなたは気がきくわね」
髪をまとめながら、スミレさんは微笑んだ。気分を害さずに済んだようだ。
スミレさんは少し気に入らないことがあると、これまで何度もスタッフに警告を出して、解雇してきた問題児らしい。担当になると付与されるという追加給料が破格だったのも、すぐにクビになる危険手当込みということだったのだろう。
それがわかった時には、もう遅かった。スミレさんの機嫌を損ねず、怒らせないようにすることが、あたしにとって何よりも最優先事項になった。
あたしの命は、スミレさんの手の中に握られている。
スミレさんは端末をチェックし始めた。
「新入りの僕ちゃんを落札するのは、誰なのかしらね。あの人は背格好が似ているけれど、この前落札したばっかりみたいだし」
一度戸籍のロンダリングをした老人様は、ある一定の期間は落札できない決まりになっている。もしロンダリング先の属性や生活が気に入らなくなっても、すぐにやり直すことは、基本的に禁止されていた。スマートフォンの乗り換えを制限していたような、古臭い規則と同じようなものなのかもしれない。
特例としてかなりの金額を積めば、連続で落札も可能だったが、いくらセレブな老人様たちでも、そうやすやすとは払えないポイントに設定されているらしく、時間をおいて落札するのが普通だった。
「落札されたばかりなら、すぐに続けてということはないと思いますよ」
「あらそう。でも、あの人、所長の特別なお客様みたいだから、優先的に良い戸籍を落札できるって噂だけど、羨ましい話ね。まぁ私の戸籍も悪くないけれど」
スミレさんはニッコリと笑みを浮かべている。もし、あたしが男だったら、うっかり見とれて、そのまま口づけをしてしまいそうなぐらいに、人を惑わす色気が漂っていた。その笑顔でほかのロンダリングした老人様を、手玉に取っているのだろうか。ここにきた時は、あんなに耄碌していた老人様だったくせに。
すべては金だ。お金さえあれば、あたしだって。
生まれた時から、人の人生の上限と下限はほとんど決まっている。あたしのように物心ついた時には、借金があるような親の家に生まれた子供と、生まれながらに金も権力もある家に生まれる子供では、人生のスタートラインからして違う。
あたしの人生の天井は、すぐに目に見えるところにあって、いくら努力をしたところで、ある程度の場所で頭打ちになるだろう。スミレさんのような人は、あたしにとっての天井よりも、はるか上のラインからスタートだ。さらに青天井の未来が広がっている。
不公平だ。そんなことを訴えたところで、あたしの人生は何も変わらない。ただ、生まれ落ちた場所で咲くしかない。そういう運命なのだろう。
だが、もし生まれ落ちた場所が水浸しだったら。燃えたぎっている焼け野原だったら。それでもその場所で花を咲かせろと言うのか。本気でそんな言葉を信じていられるのは、生まれながらに恵まれている人だけだ。
スミレさんは、人間オークションのリストを眺めながら言う。
「新婚生活に飽きたら、またすぐに落札するかもしれないけれど」
人の生き死にを操作できる立場というのは、一度味わうと癖になるのだろう。まるで神にでもなったような気持ちになってしまうのかもしれない。金さえあれば、他人の人生を消費して、人生ガチャを何度でもやり直せるのだ。
上級国民だけが遊べる人生ゲーム。さぞかし楽しいのだろう。麻薬のように癖になる。だからやめられないというやつだ。
その心理をついたこのシステムは、実に効率良くポイントを老人様から巻き上げることができる。老人様の資産を目減りさせ、この施設の資金を潤沢なものにすることに貢献している。
そうとも知らずに、老人様たちは、毎日のようにこの茶番のゲームに一喜一憂しているのだ。若返った体を手に入れて、新たな戸籍を手に入れてまでやっていることは、結局こんな悪趣味なお遊びなのだ。
生きるとはどういうことなのか。この施設にいると、よくわからなくなる。ただ金を持っているというだけで、権力があるというだけで、他人の命や人生を弄んで良いものなのだろうか。
「あの僕ちゃん、あなたの誘いを断るなんて。案外真面目な子なのね」
あたしと朝比奈涼くんの個室でのやりとりを記録した、ログデータを確認したスミレさんは、顔をしかめた。また掛け金を失ったようだ。あたしが一年かかって稼ぐ給料より多い額を、子供が駄菓子を買うような感覚で、次々と捨てている。
だが羨ましくはない。きっとこの人たちは、満たされていない。
だからこんなことを続けているのだろう。
「もっとまともに生きていれば、少しは人の役に立つ生き方ができたでしょうに。もったいないわね」
お前が言うな。そう言いたくなる気持ちをぐっとこらえる。
今のあたしにお金はないけれど、こんなにわがままな老人様や引きこもり様の相手をして、毎日面倒な思いをしているのだ。ならばあたしにだって、少しは他人の命の選別をする権利があっても良いのではないか。
スミレさんがウキウキしたような声を上げた。
「あら、あの僕ちゃんの落札が決まったみたいね」
H組の処分リストが更新されたようだ。涼くんがこんなにも早く事故死するところを見られるなんて。本当はもう少し絶望を味わってから実験体になって欲しかった気もするが、決まってしまったものはしょうがない。自分にはどうしようもない。
「相変わらず、ご家族の入金を喜ぶメッセージまで、すべての会員に筒抜けにするっていうのは、悪趣味よね。実の兄弟が処分されるっていうのに、この弟さん、喜びすぎじゃないかしら。『!』をつけてまではしゃぐのは、どうかと思うけど」
スミレさんが苦言を呈する言葉とは裏腹に、嬉しそうに端末の画面を見ている。表示されているのは、涼くんの双子の弟、友也くんのメッセージだった。
「昔から、心が空っぽで怖い人でしたよ。家政婦をやってた時も、関係を無理強いされそうになりましたし」
「あら、お知り合い?」
「小学生の頃、ずっといじめられてました。この友也って人が操るクラスメイトに」
「ちょっとした因縁のご関係なのね。やっぱり人生って、本当に素敵ね」
スミレさんはにっこり笑う。
人生が素敵だなんて思ったことは一度もない。
嫌なことばかりだった。何をしても上手くいかない。頑張って何かを手に入れようとするたびに、叩き落されるような目に遭う。
きっと最初の時点で、あたしの人生は詰んでいたのだろう。
幼い頃に涼くんが助けてくれたのは事実だ。けれど、実はあの後、あたしは以前より、友也くんが率いるクラスメイトに、余計にいじめられたのだ。だから引っ越しをする羽目にまでなったというのに。
もしあたしが、涼くんを好きだなんて言わなければ。
五宮真命や、朝比奈兄弟に出会わなければ。
きっとあたしの人生は、もう少しマシなものになっていたかもしれない。だから恩を感じる必要なんてまるでないはずだ。
少しでも役に立てればなんて思って、家政婦の仕事も受けたのに。ゴキブリを入れたなんて逆ギレされたら、もう愛想も尽きたというやつだ。
この施設で再会して、初恋の相手に触れられて、死ぬほど嬉しかったのに。わざわざお気に入りの赤いドレスまで着て、アピールをしたのに。人の好意を踏みにじるなんて。まるでビッチみたいに、あたしを汚らわしいみたいな目で見ることないじゃないか。
あんな男のことなんて、別にもう……好きなんかじゃない。
今日のサバイバルゲームは楽しみにしておこう。あたしを不愉快にさせた者は皆、不幸になる運命なのだ。それを思い知ればいい。それがこの世界のルールなのだから。
「笑ってる場合じゃないでしょ。ほら、あなたの落札も決まったんだから」
スミレさんは端末を見せながら、にっこりと笑う。画面にはあたしの名前と写真、落札価格が表示されていた。どこかの老人様が買い叩いたようだ。一般的な買値より低い。
「頑張ってね、サバイバルゲーム。楽しみにしてるから」
「ま、待ってください、どうしてあたしが」
「あなたが事故死に見せかけて、いろんな老人様や引きこもり様を処分してたのなんて、みんな知ってましたよ」
「えっ……」
「あなたが担当したら、結構な割合で事故死するんですもの。すぐにバレるに決まってるじゃない。黒い天使が来たって、みんな噂してたの知らないの?」
「ち、違うんです。あたしは……そんな」
「あなたが誰を、何人殺すかの行動ファンド、いっぱい稼がせてもらったわ。でもみんな飽きちゃったみたいでね。だって、あなたワンパターンなんだもの」
「ワンパターンって」
「こらえ性がないから、イラついた相手を、すぐに始末しちゃうでしょ。回を重ねるごとに、みんな予想が当たりすぎて、賭けにならないし。つまんないのよ。だからもうあなたはいらないの」
「いらないって……そんなの、嫌です」
どうしてこんなことに。
何を間違った。どこで何を。
すべてだ。何もかもが間違っていた。
「じゃあ、せいぜいこれまであなたが処分してきた人たちと一緒に、サバイバルゲームで競い合ってね」
いつの間にかあたしの背後には、青いライオンの着ぐるみ人間たちが立っていた。




