【かんさつとし。(1)】 桐崎 貞子
どうして人間というのは、こうも愚かなのだろう。
ここで看護師として働き始めた時は、この施設で行われている行動ファンドや、人間オークションというシステムに、嫌悪感をいだいていた。
だが今はもう慣れてしまった。いくら異常な行為であっても、それが繰り返されることによって、ただの当たり前の日常になってしまうものだ。
「また検査なの」
「一応、規則ですから」
あたしが担当しているのは、R組の中でも派手にお金を使うことで有名な五宮スミレさんだった。新薬を使って若返りを実行済みだ。
あの五宮真命の祖母だとわかった時に、見た目は全然似ていないのに、傲慢で自分勝手な性格がそっくりで、同じ血が流れているのだなと納得した覚えがある。
「少しチクっとしますよ」
若返りをした人は、定期的に血液検査などのチェックをすることになっていたが、今の所、特に問題は見られなかった。少し前までは老人だったとは思えないほど、皮膚のハリが良くなり、潤いのある素肌が蘇っている。奇跡とはこういうことを言うのだろうか。
もうすでに女子高生の戸籍を落札し、ロンダリングをすることが決まっているらしく、整形手術を何度か繰り返して、ようやく目的の見た目を手に入れたようだ。きっと街を歩けば、誰もが振り返るであろう美貌と若さを手に入れたスミレさんは、自信に満ち溢れていた。
なんとなく自分が女子高生だった頃に、少し似ている気がするのは気のせいだろうか。きっと世の中には似ている人が、三人はいるというから、他人の空似かもしれない。
だが、私だって、もう少し若ければ、今のスミレさんに負けないぐらいに、輝いていた時もあったはずだ。なのに一番美しかった時代を、ろくでもない男のせいで、台無しにされた。
私もお金があれば、いつか年老いた時に、スミレさんみたいに、ロンダリングを願ったりするのだろうか。きっと、その欲望には抗えないだろう。
人は見た目や若さだけではないなんて言うが、あれは嘘だ。
とくに女性に関しては。
ひと昔前は、二十五歳以上の女性は、売れ残ったクリスマスケーキなんて揶揄されていたものだが、そんな時代に比べれば、少しずつでも改善されているだけマシかもしれない。
それでもなお、若くも綺麗でもない女性への人権のなさは、今もあまり変わらないのではないだろうか。そうでなければ、美魔女なんていう、いつまでも若さや美にしがみつく層が、生まれるわけがない。
だからこそ、若さや美を取り戻した老人様たちは、皆生き生きとしている。この施設にやってきた当初の、自分や家族が誰かもわからないほどの老婆と、同じ人物とはとても思えない。
あげくに最近は、飼い犬のサモエドまで施設に連れてきて、新薬を使ったらしい。元気な犬が欲しければ、新しいのを買えば新薬を使うより、よっぽど安く手に入れられるだろうに、金持ちのやることはよくわからない。
子供や孫に捨てられた老人様にとって、今となっては犬だけが、かけがえのない家族ということなのだろうか。
スミレさんが急に声を上げる。
「あら、やだ。今回の新入りさんは、絶対に端末を壊すと思ったのに」
スミレさんが見ている端末のモニターには、新しく施設に入居したH組の男性が映っている。この施設では、勝手に監視カメラで撮影されていることは、入居者には知らされていない。
「残念。この僕ちゃんは、案外自制心があるみたいね」
僕ちゃんと呼ばれたその男は、朝比奈涼くんだった。小学生の頃と比べて、背丈も髪型も違っているが、少し猫背で、自分以外はみんな馬鹿ばっかりだと思っていそうな神経質な表情は、昔のままだ。同じ年頃の男性と比べても、まだ子供っぽいのは、引きこもり生活が長かったせいだろうか。
モニターには端末を投げようと振り上げた手を止めた、涼くんの映像が映し出されていた。
「ギリギリのところで、耐えたみたいですね」
「さすがに一千万ポイントは、賭け過ぎだったかしら」
どうやらスミレさんは、また賭けに負けたようだ。画面上の所持ポイントから、ジャラジャラとコインが落ちていくような演出がされている。
スミレさんが先ほどからチェックしているのは、行動ファンドというシステムだった。
H組の入居者が、どのような行動をするかをAIで予測し、さまざまなオッズとして表示する賭け事のようなものだ。老人様は自分のポイントを賭けて、毎日のように一喜一憂している。
老人様たちは、観察したH組のメンツに対して、まるで商品をレビューするかのように、星印をつけては感想を書き込んでいく。その内容によって、さらにオッズが変化していく。このH組は買いか買いではないか、商品価値が数値となって、やがてオークションとして売りに出される時の、売値として反映されるのだ。実に下品なシステムだった。
元々はR組の老人様の監視用として開発されたシステムだった。それを今度はH組の行動を観察して、娯楽に使っているのだ。
悪趣味にもほどがある。人とは実に愚かなものだ。どんなものでも遊びにしてしまう。時には、人の生き死にですら。
「スミレさんはいつも、思い切りがいいですから」
あたしは苦笑いをして、肯定も否定もしないように、やんわりと返事をしておく。R組の客を怒らせると、ペナルティとして警告を食らう。三回警告を受けた時点で、解雇されるという噂が流れていた。給料は高いが、それだけにお客様を怒らせるような従業員はいらないということなのだろう。
金持ちの老人様たちのいいなりになるのは、あまり気持ちの良いものではない。自分が中世のメイドや執事にでもなったような気持ちになってくる。
本当はもう二度と看護師をするつもりはなかった。
もともとなりたくてなったわけではないし、時間は不規則だし、命を扱う責任に見合うだけの給料がもらえるわけではない。目の前で何人も死んでいく患者を見るたびに、自分が殺人者にでもなった気分になる。その罪悪感に耐えられなくなって、一度は逃げ出したのだ。
しばらくは、さまざまな仕事をしていたが、いろいろと問題に巻き込まれて、住む場所を失った。
そんな時、ちょうど知り合いの紹介もあって、朝比奈家の家政婦の仕事を手に入れた。あまり料理は得意ではなかったが、店を出すわけでもないのだから、なんとかなるだろうと思って仕事を受けた。
だが働き始めてからすぐに、引きこもっている息子の涼くんとトラブルになり、この施設に入れられることになった。
オムライスにゴキブリを入れたとなじられ、あたしは仕事を失ったのだ。あたしはゴキブリなど入れていない。ただ我が家のナス入りケチャップ味の特製オムライスを、ご馳走してあげようと思っただけなのに。
ずっと引きこもっている彼にとって、世界は敵だらけだ。
些細な違和感ですら、悪意に感じるのだろう。
普通なら黒っぽい食材のナスが、ゴキブリに見えるなんてことはない。
彼は世界のすべてを疑っている。
だから認識が歪み、嫌がらせをされたと思い込み、急に怒って、料理を投げつけるなんて非常識なことをしたのだろう。
どれだけ謝っても許してくれなかった。彼の世界は閉じている。こじ開ける力はあたしにはなかった。むしろより硬く閉じ込めるために、あたしは加担してしまったのかもしれない。
結局、引きこもりの息子とのいざこざを、世間に口外しないことを条件に、この施設での看護師の仕事を斡旋された。断るには惜しいレベルの、かなり破格の給料を提示された。
看護師の仕事をするのは不本意だったが、この施設では不慮の事故で死ぬことはあっても、病死をする人は、ほとんどいないと説明されて、もう一度だけ看護師をすることに決めた。
すべては金のためだ、しょうがない。そう自分に言い聞かせながら、わがままなR組の老人様の相手を続けてきた。
だが物には限度というものがある。中にはとんでもない老人様もいる。最初は些細なイタズラをする程度だった。お灸をすえるようなつもりだった。
どうしても我慢できない時は、あたしは時々、悪い白衣の天使になることにしている。
例の虹色に光る薬を、注射器に入れる前に少し調整する。ほんの少しだけ。そうすれば奇跡の薬が、絶望の薬へと変貌する。
たとえ老人様に何かがあったとしても、病死でさえなければ、あたしの成績には影響しない。この施設では不慮の事故は、とてもよくあることなのだから。
奇跡の薬は、人によって効果の出方に多少誤差がある。適量を守って使っていても、何人かが人間ではない状態まで変化してしまうこともある。その場合は、サバイバルゲームなどで再利用されることになるだけだ。
「あら、大変。あの僕ちゃん、お風呂で寝ちゃったみたいよ。こんなパターンはオッズになかったのに。案外この子、大穴枠なのかしら」
スミレさんがモニターを見ながら笑っている。
「もしこのまま死んだ場合は、例外的な事故死ってことになるのよね。それは困るわね。きっと彼みたいにプライドが高い男は、そろそろ自殺すると思って、すでに一億ポイント賭けてあるのに、どうしましょう」
あたしは端末で警備室に連絡を取り、涼くんの救出をお願いした。このまま見殺しにしても、賭けに負けた老人様が騒ぐだけで、別に誰の責任になるわけではない。
だが、あたしにゴキブリ混入の罪をなすりつけた男が、こんな簡単な死に方をされても、つまらないと思っただけだ。どうせなら、もっと悲惨な死に方をしてほしい。
「助けちゃうのね。なーんだ。つまんない」
モニターの中で救護班に助けられた彼を見て、スミレさんは不服そうな声を上げた。
「でもよかったじゃないですか。ポイントが無駄にならなくて」
「まぁそうね。でもこの子、早めにサバイバルゲームに呼ばれて、不慮の事故死をしそうな気がしてきたから、そっちに賭け直しておこうかな。でもそれだと倍率が低いから、儲けが少ないし。やっぱり大穴の、今週中に自殺のオッズのままがいいのかも」
この施設での事故死というのは、通常はサバイバルゲームでの死を意味する。厳密には、薬を打たれてゾンビのようになって、何度も死に続ける実験体になることを、便宜上は事故死という項目に、カテゴライズしているというのが正しい表現かもしれない。
戸籍の落札先が決まったH組のメンバーだけでなく、素行が悪すぎるR組の老人様や、警告がたまるなどで解雇されたスタッフなどが、毎日地下で実行されるサバイバルゲームに参加することになっているらしい。
そのサバイバルゲームに参加して、戻ってこられたものはいない。使えないものは、ずっと雑魚モンスター扱いで、施設の地下で死に続ける羽目になるし、戦闘力として利用できそうなものは、世界に出荷されるようだ。
事故死扱いになった人は、生きているのに死んでいる。H組のメンバーを事故死にすることができるのは、人間オークションで落札したR組の老人様だけだし、気に食わないスタッフに警告を与えて、わざと事故死ルートへ陥れる老人様もいると聞く。あたしたちスタッフは、ビクビクしながら仕事をしていた。いつ自分も事故死させられるかわからないからだ。
看護スタッフに対する呼び出しのコールが鳴った。
「少し様子を見てきます。次の検診までには戻ってきますので、しばらく失礼します」
あたしは病院のあるフロアへ向かった。




