表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ろうじんとし。  作者: 夢手機ノヒト
2/41

【ていへんとし。(2)】 桐崎 柊一郎

「一度自分の人生が終わりだと思ったら、ほかの道が見えなくなっちゃうんじゃないですか」

「それでも一個ぐらいは、誰にでもあるんじゃないのか。明日も生きていたいって思うような何かがさ」


「明日も生きていたいと思う何か……ですか」


「オレだって、仕事で大きな借金を作って、かみさんと離婚して。一度は落ちるところまで落ちてさ。公園で暮らしてた時もあるし、浮浪者仲間が凍死してるのを見たこともある。そんなロクでもない人生を歩んでるオレでも、『腹が減った』って一言で、シェアハウスを経営してるお嬢さんに拾ってもらえて、こうして生きてる」


「いろいろと……苦労されたんですね」

「今でも貧乏には変わりねぇけどさ、この仕事が終わったら、家でビールが飲めるって思っただけで、十分幸せだと思えるくらいにはなれたんだ」


 男はいっぱいになったゴミ袋を縛って、廊下に向かって投げた。


「誰だって変わるチャンスってものはあるんだよ」


 たとえチャンスが転がっていても、それがチャンスだと思えないぐらいに、追い込まれていたら、結局は終わりへの道しか、選ぶことができない可能性もある。この家で死んだ愚か者のように。


「あっちぃな」


 男はタオルで顔を拭きながら、大きなため息をついた。電気が止められている部屋では、エアコンが使えないせいで、少し動いただけで汗だくだ。


「仏さんは、生き方が下手くそだったんだろうな。それでも生きてりゃ、いつかは何かが変わったかもしれねぇのに」


「……どうせ死ぬなら」

 もうちょっと誰かの役に立ってから死ねばいいのに。


 無意識のうちに、声に出してしまいそうになって、口をつぐむ。


「何か言ったか?」

「いえ、なんでもないです」


 わたしは押入れから次の段ボールを引き出し、中身を分別していく。ノート、教科書、スケッチブック、古い雑誌なんかは、紐で縛って資源ごみに。バインダー、CD、カセットテープなどは、この地区では、どれもこれも燃えるゴミだ。


 断捨離というのが一時期流行ったが、モノを捨てる作業というのは、たとえ他人のモノでも、多少は精神的に良い効果でもあるのだろうか。いらないものを捨てるというのは気分が良い。やはりゴミはきちんと、ゴミとして捨てるべきだ。


「……くっせぇなもう」


 机の下を漁っていた男が、急に変な声を上げた。


「トイレに行くのすら面倒って、どんだけ人として終わってんだよ。筋金入りの引きこもりだったみたいだな」


 ペットボトルの液体を匂って、男は顔をしかめた。家主が用をたす時に、一緒に使ったであろうジョウロを、嫌そうな顔をしてゴミ袋に放り込んでいる。


「動物や赤子の死体が見つかるのよりはマシだと思わねぇと、やってらんねぇな」


 男は中身をトイレに捨てに行ったようだ。ペットボトルを洗っているのか、何度も吐き出しそうな呻き声を上げているのが聞こえてくる。


「もっと給料上げてもらわねぇと、割りにあわねぇけど、社長もかなり金に細かいしなぁ。あ、社長ってのはオレを拾ってくれた、姫川ってお嬢さんのことな」


 事務所に海外ボランティアなどの写真が、いくつも飾られていたのを思い出す。若くて綺麗で、いかにも正しいことをしている自分が好きというオーラが漂っている女性に見えた。


「使わなくなった小学校を改造して、シェアハウスにして、住むところや行くところがない人を、しばらくタダで住まわせたりしてんだよ」

「タダで……稀有な人なんですね」


「便利屋を始めてからも、困った人を助けてばっかりで。本当、人がいいのも考えもんだね。おかげで、オレは今も生きてるわけだけどさ」


 戻ってきた男は、文句を言いながらも、次はタンスの引き出しを下から順に確認してゴミを分別している。段取り良く作業を進めているところを見ると、この遺品整理の仕事は、何度もやっているのだろう。


「大家のじいさん、家賃滞納の上に事故物件にされたって、おかんむりでな。うちの社長は優しすぎるからよ。ずっと愚痴聞かされて根負けして、うっかり値切られそうになってたから、オレが睨みきかせてやったわけよ」


 ただでさえ強面な男が、睨みつけるような表情を作って見せつけてくる。


「社長が若い女だからって、あのじいさん、高圧的でやたらとえらそうにしてたくせに、オレが隣に座った途端、態度変えやがるんだから、笑っちまうぜ。同じ男として情けねぇわ。腹が立ったから割増料金を払わせてやったよ」


 男は角のように指を立てて、鬼の顔真似をする。


「うちは経済的弱者には、ほぼ無償で仕事引き受けることもあんだけどさ。あるところからムシらねぇと、人助けばっかじゃ、おまんま食い上げだしな。今回はオレのおかげで、あんたのバイト代もそれなりに出るんだから、感謝しろよ」


 ウインクのつもりか知らないが、不器用な笑顔をこちらに向けていた。わたしも今時の若者がやりそうな、愛想笑いのような表情を作ってみる。うまくできているかは自信がないが、慣れるしかない。いつかはきっと、うまくできるようになるだろう。


 それにしても、男というのは年とともに、どうしてこうも残念な見た目になっていく者が多いのだろうか。わたしだって少し前までは、もっと酷いシワだらけの老人だったのだ。明らかに男のほうが劣化が早い気がする。


 やはり永遠に美しくいたいと願うかどうか、その思いの強さの違いなのだろうか。所長に新しい薬をもらったときに、言われた言葉をふいに思い出した。


「人間自体が妖怪のようなものなのです。若いうちは妖気をまとって、見栄えをよく見せるあやかしの術を無意識のうちに使っているんでしょうね。年老いて、その力を失うと、徐々に体の細胞がしなびて、死へと近づいていくのです。我々の作り出した新薬は、その妖気を持続させる効果がある。使い方によっては、若返らせることだって可能なのです」


 にわかには信じがたい言葉だったが、今の体を手に入れてからは、事実だと受け止めるしかなかった。だがこの薬を継続的に手に入れるためには、それなりの財力が必要だ。結局は金が大事なのだ。


 きっと餓死をした家主も、もっと金があれば、骨と皮になってゴミのような死に方をしなくてすんだはずだ。


 世の中には金で買えないモノもあるなんてことをよく言うが、世の中のほとんどのモノは金で買える。むしろ金がないと選択肢すらでてこないルートがほとんどだ。だから金のない者は、ゴミのように死ぬしかない。


「大家さんにとっては良かったのでは。新しい入居者に貸せるなら、機会損失的な意味でも。ゴミみたいな人間は、早めに減ったほうが、社会のためになりますし」

「ゴミって……あんた。上品そうな顔をしてるわりに、結構ひどい言葉を使うんだな」


 うっかり笑みを浮かべていたことに気付いて、慌てて困ったような表情を装った。


「そうですか? このぐらい普通ですよ。今時は裏垢って言うんですか、SNSでもっと酷いことを書いてるやつ、いっぱいいるみたいですし」


「怖いねぇ。言葉はいつか行動になるって言うし。おやじ狩りとかやめてくれよ。テレビ局のインタビューで、『そんなことをするような人には、とても見えませんでした』みたいなのを、言う羽目になるのは勘弁だからな」

「しませんって。別に金に困ってませんし」


 男は眉をひそめた。


「だったら、なんでこんなバイトしてんだよ。手っ取り早く金を稼ぎたいんじゃないのか」

「ただの……好奇心です。人生何事も経験ですから」

「あんまり若いうちから、こんな経験はしないほうが良いと思うけどね」


 若くなんかない。わたしはこの男の二倍は生きている。

 しなくても良い経験だって山ほどしてきた。だがそれでもまだ時間が足りないのだ。人間の神秘を知り尽くすには。


 わたしはもう一度、もっとたくさんの人を殺してみたかった。あの戦場での日々のように。


 そのためには、若くて健康的な体が必要だった。だからわたしは、所長の誘いに乗り、戸籍のロンダリングを選択したのだ。


「今は第二の人生を楽しんでるところなんです。せっかくの新しい人生なんで、やったことのないことは何でもやってみたいんですよ」




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ