【きぼうとし。(2)】 桐崎 貞子
祖父に誘われて、夕方から行われた読み聞かせ会に、飛び入り参加をした。
場面に合わせて波音や、軍艦鳥の鳴き声、魚との格闘時は緊迫感のあるBGMにするなど、いろいろと工夫がされていて、子供たちにも好評だったようだ。
無事に終えた直後、母から電話がかかってきた。
「どうだった。お父さん、同居してくれるって?」
「……無理かも」
「無理かもじゃないでしょ。承諾してもらえなかったら、あなたが困るんだから」
電話の向こうの母の声は、棘だらけの剣山みたいにザクザクと尖っている。
あたしのためと言いながら、優しさのかけらもない言葉を吐く。本当にあたしのことを思っていたら、そんな追い詰めるような言葉は出てこないはずだ。
母はどうして欲しいのだろう。
母にとっては、あたしと祖父は、将棋の駒のようなものなのかもしれない。同時に狙ってどちらかが手に入れば、それでいいと考えているにちがいない。きっと誰か一人でもいいから、自分の支配下における駒が欲しいのだろう。
あたしは駒なんかじゃない。人間だ。
「ねぇ、おじいちゃんの本当の気持ち、聞いたの?」
「聞かなくてもわかります。家族なんだから」
どの口がいうのだろう。あたしの気持ちすら知らないくせに。
「お母さんは、他の人にいい人だと思われたいだけでしょ。親の世話をしない酷い人間だって、噂されたくないだけ。おじいちゃんと一緒に居たいからじゃないでしょ」
「そんなことありませんよ。お父さんが心配だから」
「いっつもそうだよね。心配だって言うくせに、あたしの気持ちも、おじいちゃんの気持ちも、ちっとも考えてない」
「考えてますよ。一番に」
「嘘ばっかり。あたしが小説を書いてたら、成績が下がるからやめなさいって言ってたのも、成績が悪い子供の親だって、思われたくなかっただけだよね」
「今、そんなこと話してないでしょ。って、あなたまだ小説なんか書いてたの。まさか東京の大学に行きたいっていうのも、そんなことが理由なの?」
「そんなことじゃないよ。あたしが一番大好きな本を書いた人が、先生をしている大学で学びたいの」
「習ったからって、なれるものじゃないでしょ」
「でもその学部から、大学デビューした人だっているんだから」
「その人は、たまたま才能があっただけでしょ。習っただけでデビューできるのなら、その学部の卒業生は、みんな作家になってないとおかしいんじゃないの」
痛いところを突かれて、口ごもってしまう。
「小説を書くのなんて、あれだけやめなさいって言ったのに。どうせ無駄なんだから」
また恒例の全否定ターンが始まった。『小説なんか』『どうせ無駄』、こうやっていつもあたしのやることなすこと、勉強以外のことは無駄だからと否定されてきたのだ。
「無駄かどうかなんて、やってみなきゃわからないでしょ」
「実際にやって、無駄だった人を知ってるから言ってるんです。高校時代からずっと応募して結局ダメで、人生無駄にしたって、その人は今も後悔してるみたいだから。せっかくの青春時代を、そんなことに費やすなんてもったいない。どうせピアノやバレエと一緒で、しばらくしたら興味がなくなるんでしょ」
これまでずっと興味がなくなるように仕向けたのは、どこの誰だ。いつもそうだ。
母がもし貞代という名前じゃなければ。あたしは貞子なんて名づけられなかっただろうし、いじめられることもなかった。いつだって母のせいで、あたしの人生は面倒なことになる。
もううんざりだった。
「……違う。今度は本当の本気だから。卒業したらあたし、東京に行くよ」
「お金はどうするつもり。看護学校以外に通うなんて、絶対に認めません。勝手なことをするなら、お母さんは学費の振り込みも、仕送りもしませんよ」
借金を作った父と離婚した母は、看護師をしながらあたしを育てた。だから女は手に職をつけるのが一番というのが口癖だった。将来は地元の看護学校に通えと、小さい頃からあたしに言い聞かせていたのだ。
「学費はおじいちゃんが貸してくれるって言った。生活費は自分でバイトする」
「そんなことできるわけないでしょ」
「やれるから」
今までずっと母の言いなりだった。だがこれだけは絶対に譲れない。
「お母さんの気持ちって、いつもそうだもん。自分がどう思うかじゃなくて、誰かが自分をどう思うかってことばっかり。お母さんが、みんなにいい人って言われたい気持ちを満たすために、他人の気持ちを無視してるよね」
「何を言ってるの。あなたのためを思って」
「外から見たら、お母さんのほうが良い人なのかもしれない。でも中にいるあたしやおじいちゃんから見たら、全然良い人じゃないよ。あたしたちの世界を、無理やり壊そうとする化け物にしか見えないよ」
とても酷いことを言っているのはわかっている。だが母には本当のことを言うべきだと思った。でなければ永遠に気持ちは伝わらない。
「本に囲まれてるおじいちゃんは、とっても生き生きしてた。あんなに楽しそうなおじいちゃんから、本を奪う権利は誰にもないと思うよ」
いつの間にか、背後には祖父が立っていた。「貸してください」とあたしからスマートフォンを受け取る。
「もう諦めてください。たとえ親でも子供でも、他人の人生をどうこうする権利はないんですから。他人を縛るのではなく、もう少し信用してみませんか」
しばらく話してから、祖父があたしに向かって、OKマークを作って微笑む。
「貞子さんの東京行きは、条件付きで認めるそうです」
「条件付きって」
「夢を追いかけるのは四年だけという約束で、デビューできなかった場合は看護師になること、だそうですよ。背水の陣というやつですね。その覚悟はありますか、貞子さん」
できるかどうかはわからない。だが、その覚悟がなければ、道すら開かない。あたしは小さく息を吐いてから、頷いた。
「あとは大学に行くついでに、ここに様子を見にきて、わたしが死んでないか、定期的に報告をするお仕事をしなさいってことみたいですよ。どうしますか、貞子さん。受けてくれますか」
「喜んで」
あたしたちはハイタッチをした。
祖父はシェアハウスの知り合いを集めて、夢への第一歩を踏み出したあたしを祝う、ささやかなパーティのようなものをしてくれた。
夢のような日というのは、こういう時を言うのかもしれない。




