【ゆうわくとし。(1)】 朝比奈 涼
エレベーターの中で二人きりというのは、やけに緊張した。
モーター音に紛れて、心臓の音まで聞こえてしまわないか、それだけが心配だった。
だが相手は看護師だ。脈拍が速くなっていることぐらい、お見通しだろう。
到着音とともに、息を吐き出す。無意識のうちに呼吸を止めていたことに気づいて、心の中で苦笑いをする。
「何、息苦しいの? 大丈夫?」
「な……なんでもない」
心配げに見つめる看護師の視線から逃れるように、先にエレベーターから降りる。
到着した目的のフロアは、SF映画に出てくる宇宙船内部のような、未来感たっぷりのデザインになっていた。似たような扉がいくつも並んでいる。きっと俺のような引きこもりが、ほかにもたくさん収容されているのかもしれない。
歩いていると廊下に光のラインが表示される。俺の部屋まで誘導してくれているようだ。
「こんな便利機能があるなら、別に案内とかいらなかったのでは」
「必要ないことをする乙女の心理というものを、少しは考えたほうが良いと思うよ」
「乙女の心理?」
「ここみたいだね」
光るラインが途切れている場所で足を止める。俺の部屋らしき扉には、管理番号のようなものと、入居した日付が書かれていた。まるでモルモットか何かみたいで感じが悪い。
扉に備え付けられたモニターの前に立つと、カメラに映った俺の姿を認識して電子音が鳴る。自動ドアが開いた。
看護師は勝手に部屋の中を見て回っている。
「へぇー、こんな部屋なのか」
「ちょっと、なに入ってきてるんだよ」
別に見られて困るようなものは何もない。だが自分が生活している場所に、家族以外の異性が入ったことなどないから、なんだか恥ずかしい。
「結構良いベッド使ってるんだね」
看護師は布団に潜り込んで、寝心地を確認している。
「おいやめろ」
掛け布団を引き剥がそうとしたら、腕を引っ張られた。引き寄せられた先には看護師の顔が。近い。近すぎる。
「この施設では、当人同士が合意の上なら、ポイントの取引ができるんだけど。お手伝いをしてあげようか」
「お手伝いって、何を」
「わかりやすく言うと、君を一晩お買い上げして、対価を払おうって話なんだけど」
「俺に……体を売れっていうのか」
「嫌? さっきの赤字を回復するぐらいは払うよ」
まさかこの女、俺の体がヘアカット一回分ぐらいしか価値がないと言っているのか。
「人のこと馬鹿にしやがって。とっとと出てけよ」
看護師の腕を振り払った。
「もしかして君、相手がまっさらじゃないとダメな人?」
「そんな……趣味はない」
きっと俺は女を見る目がないのだろう。
俺が誰かを好きになるたびに、弟の友也は目ざとく俺の視線を読んで、先にモーションをかける。やつが狙って落ちなかった女はいない。
俺が好きになった女はみんな、あいつに汚された。付き合い始めるとすぐに家に連れ込んで、俺が隣の部屋にいるのを知っていて、これ見よがしに関係を持つのだ。
何人も、何人も。自分が好きだった女が、壁を一枚挟んだ隣の部屋で、弟のものになるのを何度も俺は聞かされてきた。あいつは悪魔だ。だから俺はもう、人を好きになることを諦めた。
「お前みたいな尻軽女は、タイプじゃないんだよ。帰ってくれっ」
看護師の目が、一瞬揺らいだような気がした。少し言いすぎたかもしれない。
「残念。あたしは結構好みなのに。犬に好かれる人ってタイプなんだよね。無条件で良い人って感じがするじゃん」
「残念だったな。よっぽど知ってる犬じゃないなら、やたらと人間に懐いてくるってのは、心配されてるだけらしいぞ。群れからはぐれた孤独な可哀想なやつだと判断して、かまいにきてるだけだ。良い人だからとかじゃない」
「なら余計に好みだよ。本当に寂しい人なら、そんな簡単に、他人を傷つけたりしないでしょ。もう裏切られたくないんだ、あたし」
看護師はベッドから立ち上がり、俺の耳元で囁いた。
「気が変わったら、連絡ちょうだいね、朝比奈 涼くん」
「なんで俺の名前……」
端末にも部屋の前にも、管理番号のようなものしか書かれていなかったはずだ。下の名前を教えた記憶はない。
「あたし、桐崎。覚えてない? 小学校の頃、隣の席になったこともあるよ」
まったく思い出せなかった。そんな特徴のある名前なら、さすがに少しは覚えているだろうが、こんな女いただろうか。
「今と違って、もっと地味だったし。もしかしたら離婚した直後だったから、しばらくお父さんの苗字だったかもだけど。それにすぐ転校しちゃったから、忘れちゃっててもしょうがないか。ならきっと、サボテンのことも覚えてないよね」
「サボテンって……まさか、お前、貞子?」
「そう。貞子だよ」
ちょうど当時ヒットしたホラー映画のキャラ名と同じということで、男子によくいじめられていた女子だ。よりによって映画に出てくる貞子のように、黒髪ロングだったのだ。しかもいつも真っ黒な服を着ていた陰気な女子だった。
顔は整っていて綺麗なのに、ほとんどしゃべらず、じとーっと周りを見ている感じが、なんだか不気味だったという印象しかない。今のように真っ赤なドレスを着て、ハキハキ喋る姿とは、全然印象が違う。
「あたしが男子に馬鹿にされてたら、涼くんが論破してくれたでしょ。人の名前を馬鹿にできるなんて、さぞかしお前らはすごい超能力者なんだろうなって」
急に声が低くなった。どうやら貞子は、俺の口調を真似しているつもりのようだ。
「そこのお前、どうやって自分の親の元に生まれたんだ。自分の力か? 違うだろ。気が付いたら、たまたま今の親の元に生まれただけだろ。お前の名前がそれなりなのは、運が良かっただけだ。自分で生まれてくる家や親を選べるやつなんて普通はいない。ましてや貞子が生まれた後に、あの原作小説が発売されて、数年後にホラー映画で有名な名前になるなんて予測できるわけもない。超能力者でもなければ無理だ。そんなこともわからないバカは黙ってろ。まぁ俺は超能力が使えるから、自力で金持ちの家に生まれて、格好いい名前になったけどなって。こんな感じに、ものすごい早口で」
力を宿した左手みたいなポーズをして、高笑いをしてる。
「この涼くんの言動にドン引いた男子が、その日はあたしをいじめるのやめてくれたんだよね。この人、頭良いけど、結構バカだなって思って笑ったけど」
小学生の頃の俺は、なんて恥ずかしいことを。今になって、こんな黒歴史を暴露される日がこようとは。もうやめてくれ。
「それにあたしが放課後、涼くんにピアノを教えてもらってる時に、『貧乏人はやるだけ無駄』って、クラスの金持ちの男子に馬鹿にされてたら、涼くんが言ってくれたでしょ」
貞子は、また俺の真似をしている風の口調になった。いちいちやめろ、それ。
「誰かがやろうとしていることを否定したことで、そいつが道を誤ったら、お前はそいつの人生の責任を取れるのか。誰かにご大層にアドバイスをしてもいいのは、相手の人生すべての責任を取れる覚悟のあるやつだけだ。お前にあるのか。そこまでの責任感が。ないならその臭い口を動かすな。だってさ」
何様だ、昔の俺。いい加減にしろ。恥ずかしいにもほどがあるぞ。そろそろタイムマシンができても良い頃ではないだろうか。一発ぐらい過去の自分を殴っても許されるはずだ。
「ほかにも、あたしの変な特技の『空間ジャンプ』の話を信じてくれたのも、涼くんだけだったでしょ。冒険日誌だって、一緒に交換日記みたいにして書いてくれたし。自分にもすごい特殊能力があるって、張り合ってきてたよね」
まったく覚えがないが、どうやら昔の俺は、ガキの奇怪な行動を許容できるほどに心は広いが、自らも残念な厨二病を患っていたらしい。頼むから、もう勘弁してくれ。
「でも、すごい嬉しかったよ。ずっとひとりぼっちだったあたしを、ちゃんと助けてくれたのは涼くんだけだったから。けど、そのせいで、涼くんにもいじめの矛先が向いたみたいだけど。ごめんね」
今さら謝られても。どう反応していいのかわからない。
「でも、涼くんがあたしの初恋だったんだよ。当時は告白すらできなかったけど」
はにかんだように笑った表情には、小学生だった頃の、貞子の面影が少しだけあった。
「転校する日、プレゼントしたサボテン、大事にしてくれてる?」
誕生日でも記念日でもないのに、女子からプレゼントをもらったのは、あれが初めてだった。だから、ちゃんと育て方を図書室で調べて、それなりに大事に育てていた。なのに再会するのが、なんでこのタイミングなんだ。
「……花は咲いたけど、不注意でちょっと。ごめん」
「そっか。でも花が咲くぐらいは、ちゃんと育ててくれたんだ。ありがとう」
苦笑いをした貞子は、端末を取り出し、俺の端末に近づけた。ピピピっと電子音が鳴る。
「これ、指をしばらく画面に押し付けてたら、メニューが出るから。メッセージを送れるようになってるはず。一応、レクチャー料も少しだけもらっといたから。じゃあ、頑張ってね」
投げキッスをしてから貞子は出て行った。端末のマイナスの数字が増えている。
「レクチャー料って、おい、ふざけんなっ」
閉じた扉の前に立つが、まったく開く気配がない。
小さなモニターに、端末をかざしてみるが、エラー音が鳴るだけだ。どうやらやっぱり入居者は、自由に出入りできないようになっているようだ。時すでに遅しだ。せっかく外に出たタイミングで、いろいろ施設を見て回るチャンスだったのに。
なんて俺はバカなんだ。貞子の案内なんて、断れば良かった。いまさら後悔しても、何もかもが遅い。




