【へいさとし。(5)】 朝比奈 涼
このズケズケと土足で入り込んでくる感じが苦手だ。だから美容院みたいなところは嫌いだったのに。特に図々しい女は、もっと苦手だ。
「どうせ、しょーもない理由なんでしょ。今となってはどうでもいいきっかけとか。なのにもう引っ込みがつかないっていうか。わかるよ」
まさかこいつも、引きこもり経験者なのか。
「あたしも、しょーもない理由で意地はってる女を、殺しかけたことがあるからさ」
「ぜ、全然違うだろ、それっ」
「やっと人並みの音量になったね」
看護師は嬉しそうに笑う。なんだこいつ。
殺人未遂を犯すような女が、刃物を持つ仕事をしたらダメだろう。どうなってんだこの店は。
「誤解しないでね。別にあたしが刃物で人を殺そうとしたとか、そういうんじゃないから」
なんだ。違うのか。だがまだ、予断を許さない状況であることには変わりない。
「セレブ合コンみたいなのに行ったらさ、既婚者のくせに、やたらと色目使ってくる男がいて。いかにも金をチラつかせたら、女は食いつくんだろみたいな、嫌な感じの男でさ」
俺が一番嫌いなタイプのやつだ。自分ができないことをしているからひがんでいるだけかもしれないが。
「別に好みでもなんでもなかったけど、パパ活のつもりで一回食事したらさ、実は小学校の時に同級生だったとか、マジで惚れてたとか猛プッシュしてきて」
女をなんとしても落としたい男の、浅ましい嘘ってやつじゃないのか、それ。
「てっきり、最初は絶対嘘だと思ったけど、確かに名前には聞き覚えがあったんだよね。だから邪険にもできなくて。食費の節約にもなるかなって思って、食事だけならって条件で、何回か会うようになったんだけどさ」
結局、金をチラつかされたら利用するだけ利用するとは、なんと現金な女なのだろうか。
「会うたびにやたらと本気だって言われて、生活に困ってるなら、マンションは俺が金を出してやるだの、そんなに出したいなら出してもらおうかなーぐらいのつもりだったんだよ。なのに、金のために結婚した奥さんとは、絶対に別れるとか言い出して」
どいつもこいつも。リア充のやつらの精神状態は、一体どうなってんだ。まぁ相手の男もロクでもなさそうだから、同情はしないが。
「職場まで何回もやってきて、本当に弱っちゃってさ。しかも、そのメッセージを盗み見した奥さんが、手首切って自殺未遂しちゃって」
「自殺未遂って……」
「まぁ命に別状はなかったらしいんだけど。死んで当てつけをしようとするぐらいなら、さっさと離婚して、旦那捨てればいいのに」
真っ当な意見ではあるが、お前が言うなという言葉しか、頭に浮かばない。
「しょうもない意地はって、バッカみたい。いかにもなセレブの嫁ですって、SNSのキラキラ主婦アピールがうざかったし、ざまぁだなとは思うけど」
「……酷いな、あんた」
「えー、酷いの旦那のほうじゃない? あっさりバレるような証拠残すとか、マジありえない。上手にこっそり付き合って、優越感に浸れるから不倫は面白いのに。『この女、こんなに幸せアピールしてんのに、裏では旦那を寝取られてるとか。ばかじゃね』みたいなやつ」
看護師はケラケラと笑っている。
最低すぎる。人をむかつかせるようなことをして楽しむとか、弟と同じタイプの人種らしい。とてもじゃないが、分かり合えそうもない。
「しかもその男、別の女にも手を出してたらしくてさ。三叉にムカついた第三の女から、リベンジポルノかまされたらしいよ」
泥沼にもほどがあるのではなかろうか。こんな沼、俺なら絶対に入りたくない。もちろん、引きこもりを極めてしまった俺には、入る以前の問題なわけだが。
「で、なんかそいつすんごいお偉いさんのお坊ちゃんらしくて、親のコネで手を回したとかで、いろいろ面倒なことになって。ほんと、最悪」
どいつもこいつも。ろくでもないやつしかいないようだ。こんなやつらがリア充だというのなら、俺はずっと引きこもりのままで十分だ。
だいたい、引きこもりのやつらが事件を起こすたびに、「だから引きこもりはダメだ」みたいに言うけれど、むしろ世の中では引きこもってない普通のやつらのほうが、よっぽど事件を起こしてるじゃないか。
浮気、不倫、痴情のもつれの傷害事件、ありとあらゆる事件は、むしろコミュニケーションを取ってる間柄のほうが、いろんな事件や事故に発展しているはずだ。
なのになぜか、ごく稀に引きこもりが事件を起こしたら、すべての引きこもりがダメみたいな報道をされる。どう考えても割合は少ないはずなのに。
だったら、まともな社会人が事件を起こすたびに、ニュースで大々的に「やっぱりまともな社会人はダメですね。引きこもっていれば、事件は発生しなかったかもしれません」と報道するべきじゃないだろうか。
極端なことを言ってしまえば、世界中のほとんどの人が引きこもっていれば、確実に戦争は起きないだろう。引きこもりというのは、平和に生きるために、高度に発展した人類が手に入れた、最強の防衛術なのではないのか。
「ちょっと、話聞いてる?」
つい妄想に夢中になってしまった。慌てて、聞いているというアピールのために、首を縦にふる。
「頭、動かさないで」
「……すみません」
「でさ、自分もとばっちりくらってさ、いろいろトラブって、マンションも住めなくなって、ほかの仕事もポシャったから、しょうがなく住み込みで働けるってことで、この施設に逃げてきたってわけ」
思った以上に、とんでもない女だったようだ。
「この施設にいるのは、R様かH様がほとんどで、相手が相手だから、外と比べると結構、仕事きついじゃん。心も体も、どこかおかしい人が多いしさ」
さらっと入居者の一人であるH様を目の前にして、酷いことを言っているという自覚がないのか。ないから、こんなにズケズケと言いたいことを言っているのだろうが。
「すぐに辞められると困るからか、根性のある人を募集みたいな感じでさ。だから、わりと訳ありな人とか、昔ヤンチャしてたみたいな、ほかに行くところがない人のほうが、雇われやすいみたいで助かったよ。まぁ給料は良いし、ほとぼりが冷めるまでは、ここの生活を楽しもうかなって」
聞いてもいないことをベラベラと。こいつの人生など知ったことではない。
だが、いくらヤバそうな人間だとしても、美容師としては腕が良いことは確かだ。見て見ぬ振りをすることも、時には大事かもしれない。
この女が紛れもなく、ろくでもないやつだという事実を知ったからと言って、今の状況が変化するわけでもない。
とりあえず、今は髪を切るという苦行を終わらせるまで、この場所を動くことはできないのだから。




