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ろうじんとし。  作者: 夢手機ノヒト
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【へいさとし。(4)】 朝比奈 涼

 しぶしぶ病室を出ると、目の前に大きな白い犬がいた。思わず声にならない、悲鳴をあげた。


 俺には嫌いなものがいくつかあるが、その中でも大型犬は、嫌いなものの中でも、かなりランクの高いものの一つだ。


 嫌いになったのは小学生の時だった。


 当時スーパーの前でよく見かける白い大型犬がいた。サモエドという笑ってるみたいな優しそうな犬だった。飼い主が買い物から帰ってくるのを、お行儀よく待っているサモエドが可愛くて、当時の俺はよく頭を撫でたりしていた。


 だがある日、いつものように頭を撫でていた時に、急にサモエドが吠え出し、俺の腕に噛みつきそうになった。どこかから飛んできたボウガンの矢がサモエドの耳をかすめ、興奮状態になったせいだった。どうやら誰かのいたずらだったようだが、犯人は見つからないまま、うやむやになった。それ以来、俺は大型犬が苦手になった。


 よりによって今、目の前にいるのは、俺を噛みそうになったサモエドとそっくりな、白い大型犬だ。


 看護師に廊下で待っていろと言われたが、こんな状態では無理だ。

 絶対に無理だろうこれ。


 なんとか俺はジリジリと離れようとする。だが白い犬は尻尾を振りながら、近づいてくる。

 嘘だろ。俺は走り出した。やつは追いかけてくる。


 なんでだよ。なんで俺は廊下をダッシュする羽目になっているのか。わけがわからない。しかも、まったく運動をしていない俺が、振り切れるはずもなかった。


 足が絡まって、つまづきそうになった瞬間、飛びかかってきた白い犬に押し倒された。俺にのしかかった白い犬は、やたらと髪の毛をペロペロと舐めてくる。もしかして毛が長い俺のことを、同類か何かと勘違いでもしているのだろうか。毛づくろいをしてやっているつもりなのかもしれない。


「ちょっと、ダメだよ」


 白い犬のリードを掴んだのは、品の良さそうな白いワンピースを着たお嬢さんだった。大人にはなりきっていないが、少女と言うには少し大人びている。ちょうどどちらでもない狭間の、開きかけている白いバラのような、清楚なのに艶っぽい印象を抱かせる美しい女性だった。


 女は白い犬を引っ張って、必死に俺から引き剥がそうとしている。


「この子、いつもはおとなしいのに。よっぽど僕ちゃんのこと気に入ったのかも」


 とっくの昔に大人になった俺を捕まえて、僕ちゃんとはどういうことだ。上品に微笑んでいる場合か。飼い犬の無礼を謝るのが先だろう。


 だいたい俺は、また噛みつかれるのかと思って、恐ろしい思いをしていたというのに。


 白い犬はまだ俺のことを見て、尻尾を振っている。白い犬の顔をよく見ると、耳に小さな傷跡がある。俺を噛みそうになったサモエドと、まったく同じ位置だ。


 まさか、あの時のサモエドがこんなところに。だが俺がサモエドと出会ったのは、かなり前のことだ。いくら長生きだったとしても、こんなに元気なものなのだろうか。


「その傷……」


 お嬢さんがサモエドの頭を撫でながら言う。


「ボウガンの矢で狙われたんだよ。ひどいことをする人がいるよね。犯人を見つけたら、絶対に許さないんだから」

「ボウガンって……まさか、スーパーの前で」


「なんで知ってるの。もしかして、僕ちゃんが犯人?」

「ち、違う。俺はむしろ……被害者というか」


 本当にあの時のサモエドなのか。まさか、俺のことを覚えていて、追いかけてきたのだろうか。

 だとしたら逃げ回ってしまって、なんだか少し申し訳ないことをしたかもしれない。俺だって噛まれそうになるまでは、あのサモエドのことは大好きだったのだ。


 もしかして、あの時、噛みつこうとしたのではなく、ボウガンの矢から俺を守ろうとしていたのかもしれない。そんな気が少しだけした。


「やっと見つけた。待ってろって言ったのに」


 廊下を走ってきたのは、看護師の女だった。

 やたらと露出度の高い真っ赤なドレスを着ていて、走るたびにでかい胸が揺れている。


 わざわざ着替えたのだろうか。普段着というよりキャバ嬢あたりが着そうな派手な衣装だ。

 もちろん本物のキャバ嬢なんて見たこともないのだが、少なくともゲームの中でなら、口説いたことはある。


「これだからH様は」

「H様?」


「引きこもり様ってことです。自由すぎるのは結構だけど、少しは人から言われたことぐらい守ってくださいね。R様は別の意味で、ちょっと厄介だけど」


 R様ってなんだ。そう思っていたら、看護師が俺の腕を掴んだ。


「ほら行きますよ」


 ぐいぐい俺を引っ張って廊下を進んでいく。強引な女のようだ。ワンピースのお嬢さんに挨拶をする暇すら与えてもらえない。

 俺は申し訳ない程度に会釈をしながら、看護師に連行されるがままに、後をついていった。




 エレベーターホールには、向かい合わせに八つのエレベーターが並んでいる。数字の表記を見るに、どうやらこのフロアは地下四階にあるらしい。到着したエレベーターに乗り込むと、二つ上のフロアに移動した。


 先ほどのフロアはいかにも病院という内装だったが、このフロアは、昭和や大正、明治のレトロチックな地下街といった感じだ。通路の両脇には、八百屋に魚屋、本屋やレストランなど、さまざまな店が並んでいた。


「懐かしい感じの場所でしょう。あたしこのフロア、結構好きなんですよ」


 壁に貼られたフロアマップを見ると、思いのほか広そうだ。大きなターミナル駅の地下街ぐらいの規模はあるのではないだろうか。


 一つ目の通路を左折した先に、目的の店はあった。赤白青のサインポールが店先でぐるぐる回っている。美容院というよりは、古き良き時代の理容店といった感じだ。


 店の中に入ると内装もシックで、年季の入った調度品を使っている。キャバ嬢みたいなドレス姿の看護師だけが、やけに今風で浮いていて、うっかり未来人がタイムトラベルでもしてきたみたいな違和感が出まくっている。


「そうだ、君、名前は」

「朝比奈……」

「あたしが小学校の時、初めて好きになった人と同じ苗字だ。なんか嬉しいな」


 いきなりそんなこと言われても知るか。

 急に馴れ馴れしくなりやがって。だいたい人に名前を聞いておいて、自分は名乗らないのかよ。なんて勝手なやつなんだ。


「じゃあ、朝比奈くん。ぼけーっとしてないで、ちゃっちゃと座って」


 強引にシートに座らされ、タオルとビニールのケープを首に巻かれた。こちらが心の準備をする前に、次から次へと作業が進む。


 って、お前がカットするのかよ。

 ただの看護師で案内しにきただけじゃないのかよ。なんでお前が美容師の真似事をしてるんだ。


「あ、心配しないで。ちゃんと美容師の免許も持ってるから」


 まるでこちらの心を読んだみたいなことを言う。テレパスか何かの能力でもあるのか。怖いからやめてくれ。


「お店までなかなか行けない患者さんをカットしてあげると、結構喜ばれるのが嬉しくて。本格的に免許も取っちゃいました」


 患者のためにそこまでするとは。どうやらそんなに悪い女ではないのかもしれない。


 だが、いちいちデカい胸が、俺の目の前に来るように仕向けてくるのは、わざとなのか。もしかして俺は試されているのだろうか。


「別にいくら見てもいいけど、髪切ってる時は危険だから、お触りはやめてね」

「だ、誰がそんな……」

「R様はボケたふりして、結構胸触ってくるような、スケベなおじいさんが多いから」


 R様というのは、老人様という意味だったりするのだろうか。


「そういう時は、こっちも手が滑ったフリして、少し耳切ったりするけど」


 看護師がケラケラ笑っている。

 恐ろしい。こんな女に刃物を持たせるなんて。この店のオーナーは頭がおかしいのではないのだろうか。


「お好みの髪型、あったりする? もちろん芸能人とそっくり系みたいなやつは、限度があるけど。わりとどんな髪型でもできるよ。こう見えて、結構腕は良いほうだから」


 髪型なんて聞かれても。小さい頃は親に連れて行かれて、馴染みの美容院で決まった髪型にされていただけで、自分で髪型を決めたことなど、今までの人生で一度もない。好みの髪型なんて聞かれても、よくわからない。


「……まかせる」

「おまかせか。わかった。じゃあ、男前にしてあげよう」


 あっという間に、胸元まであった髪の毛が、バッサリと切り落とされていく。どんどん頭が軽くなっていく。普通はよく知らない異性に首元を触られると、なんだかこそばゆいのが苦手だったりするのだが、なぜか平気なようだ。異常事態が発生しすぎて、感覚が麻痺しているのだろうか。


「いかに雰囲気イケメンと錯覚させるか。それが腕の見せ所なわけだけど。髪型を変えるだけで、かなり印象が変わる人が多いからね。まぁ、見てて」


 ある程度後ろ髪を整えると、前髪はハサミを縦にして、間引くようにしながら、手際よく切りそろえていく。鏡に映っている俺は、いつもよりイケメンに見えなくもない。


「今、結構イケメンだなって思ったでしょ」

「べ、別に、俺は何も……」

「隠しても無駄。顔に出てますから」


 恥ずかしい。すんげー恥ずかしい。俺は背中に変な汗をかいていた。


「あたしにかかれば、どんなダサ男くんでも、それなりな爽やかくんにできるんだけど、君みたいに元から素材が良いと、イケメン度をアップさせるぐらいは、楽勝だから」


 素材が良いと言われて、少しニヤつきそうになった。危ない。また恥ずかしい思いをするところだった。


「特にH様は、やりがいがあって面白いよね。使用前、使用後のギャップがすごいから。ここで働きだしてから、人の役に立ってるって実感できて、楽しいんだ」


 ハサミが髪を切り落とす音が、耳元で繰り返される。実にリズミカルで手際が良い。どうして訓練された人の動きというのは、心地よい音を立てるのだろうか。繰り返していくうちに、無駄なものがそぎ落とされ、音も磨かれていくのかもしれない。


「君はなんで、引きこもりなんかしてたの」




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